[Joyeux Anniversaire!]
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「ねえ、誕生日いつ?」
 いつも唐突にやってくるゾズマが唐突に質問をぶつけることなど珍しくもない。ただ、聞かれたその内容に対して時の君は目を丸くした。
「誕生日? 何だ、それは」
「読んで字の如くだろ。君が生まれた日さ」
「それならお前が知っているはずだ」
 愛想のない返事をすれば、ゾズマはふと首を傾げた。何のことか、まったく思い当たる節がないようだ。それもそのはず、彼ほど物忘れの激しい――時の君も含め一部の者によると、自分に関係のないことに関してはことさらそうである――妖魔も珍しい。昨日言ったことですらあっさり忘れ、共に動いていたアセルスと言った言わないの喧嘩を何度も繰り広げたことは記憶に新しい。そのくせ、他人が忘れてほしいと思っていることや、いったいどうしてそれが引っかかったのかと言いたくなるようなことを、何百年経っても覚えていたりする。
 そんな彼の中で、時の君と初めて出会った日付など、忘却の彼方に流れて久しいことだった。ファシナトゥールの黒騎士筆頭として名を馳せていた当時の彼にとっては、森の中で一人の下級妖魔が生まれたことなど、記憶に留めるほどでもない事柄だったのだ。それどころか、
「えっ、あの時、君生まれたばかりだったの?」
 そんな新しい質問を投げてくる始末。それならそうと言ってくれと言われても、時の君ですらまだ外の世界を見たことがない状況下で、不躾かつ突然の上級妖魔訪問を受け驚いているばかりだったので、そんなことを言う暇などあるはずがない。
「だいたい生まれた日が何だと言うのだ。そんなものはただ時の記憶にしか過ぎん」
 不思議なほど己に興味を持たない時の君からすれば、自分の誕生日など知ろうとも思わない事だった。それだけではない。誕生日を教えろと言ってきた当の本人でさえ、自分の誕生日を知らないのだ。妖魔にとっては誕生日などあってもなくても何ら困ることはない、その程度のもの。
「でも、君の誕生日が知りたいんだよ」
「しつこい」
「しつこくても言うね。誕生日教えてよ」
 ついにそっぽを向いた時の君の眼前へとまた移動して問いかける。そのしつこさと言ったら、時の君の中で間違いなくワースト1に入る。総じて他人と絡むことがない彼にも、身を案じてくれたり、暇だと誘いをかける者は多少いるにはいるが、ゾズマのようにこちらが拒否の姿勢を見せてもなお食い下がってくる輩はいない。逆を言えば、それほどまでに時の君に固執するのはゾズマただ一人ということになる。ただその固執が他者から見ても異常ではないかと思わせる時もあり、
「ねえ、嫌なら嫌って言った方がいいよ」
 と、共に旅をしたアセルスにまで心配される始末ではあるが。
 ゾズマに遠慮の二文字はない。己が知りたいと思えば、欲望の赴くままに、まっすぐに、そしてひたすらしつこく追求する。それが時に功を奏す場合もあるのだが、目下時の君相手には全戦全敗というある意味輝かしい記録を塗り替え続けている。しかもその時間たるや、数百年という途方もないものだ。そこまでしてもなおゾズマが絡んでくるのは、ひとえに相手に興味があるからであり、そして最重要ともいうべき――時の君本人が完全に拒絶しないからである。
 その証拠に今もまた、しつこいゾズマから顔を背けながらも、何か言おうという姿勢は見せない。
「まったく君も強情だね」
 ゾズマがそう言ってもちらりと視線を返すだけで、答えを出すわけでもなく、かと言ってどこかへ行けと追い払うわけでもない。
「そうだ。そしたら質問を変えよう」
 時の君の冷めた態度についにゾズマも手を上げ、そんなことを口にする。
「君が好きな日付はないの? それを誕生日にしよう」
 だが、内容自体はさほど変わっていなかった。何が何でも『時の君の誕生日』というものを決めておきたいらしい。何がそこまで彼にさせるのか。さすがに気になった時の君がようやく答える。
「その前に答えてもらいたい。私の誕生日がわかったからと言って何になる」
 自分でも興味のないことをそこまで知りたいと言うのだ。何か理由があってのことだと踏んで問いかけたものの、返ってきた答えは想像を絶するほど『下らない』ものだった。
「決まってるだろう。誕生日パーティーをするのさ」
「パーティー?」
「そう、パーティー」
「……誰とするんだ」
「もちろん、僕と君で。なあに、二人っきりでも楽しければいいのさ」
 聞いてもないことまで答えられ、時の君は答えに窮した。パーティーなど微塵も惹かれないものをゾズマと二人でする。それが損か得かで考えれば、断然損に傾く。普段まったくと言っていいほど損得を考えない時の君ですらそう思うほど、ゾズマが出してきた答えは理解しがたいものだった。
「そのパーティーとやらをやって何かあるのか」
「何かあるってなに? プレゼントが欲しいの?」
 それどころか逆に聞き返され、再び時の君は口を閉ざしてしまった。言われてみれば、何かを欲しているように聞こえる言葉だったか。いや、それはないはずだと打ち消し、彼が言った『プレゼント』という部分に着目する。
「パーティーとは、贈り物が必要なものなのか」
 そう尋ねて、初めてゾズマは首を傾げて考えてみせた。だが、時の君を納得させるような答えは導き出せなかったようだ。
「それが僕もよく知らないんだ。ただ、人間たちは誕生日パーティーをしてプレゼントを贈ってたよ」
 そこでようやく時の君は『誕生日パーティー』の正体を知ることになる。自分よりずっと広い世界を見てきているゾズマが、人間社会の中から見つけ出してきたものなのだと。だが、それにはそれで反論がある。
「確かに私たちには人間の知り合いもいる。――だが、何も人間の風習に合わせることはあるまい」
 人間は人間、妖魔は妖魔。生きるすべも時間も違う種族で、違いがあるのはおかしいことではない。逆に無理に合わせて歪が出来ることの方が時の君にとっては快くなかった。己の『今』を守りたい、変化をあまり好まないという、保守的な一面があるからだろうか。
 だが、ゾズマはその考えに対して、まったく別の意見があるようだった。
「何も人間の風習をあれこれ真似ようってつもりじゃないさ。ただ、これはいいと思ったから真似るんだよ。――知ってるかい? 人間は誰であれ、誕生日に多少の思い入れがある。一年に一度、誰にでもある日だけど、当人にとっては特別だろうからね。そして、その日を家族や友達で祝うんだ。それがどうしてなのか、僕はずっとわからなかったよ。でも最近、何となくわかったんだ。人間は寿命が短い。誕生日を迎えるって言っても多くて百回かそこいらさ。それに、人間は長く生きれば生きるほど仰々しく祝うんだ。たった百年生きただけでも、見事なまでの長寿だって、周りから祝われるんだよ。それって不思議じゃないかい? 僕には不思議でたまらなかったね。生まれてから百年なんて、僕はまだ黒騎士に入ってちょっとって程度だよ。だから百年生きて祝うって感覚はよくわからなかった」
「だったらなぜ誕生日を祝うなどと言うんだ」
「それはね、小さな子供の誕生日を祝う親を見たからなんだよ。それこそ、生まれて三年だよ、三年! たった三年生きただけなのに、親は手放しで祝ってたんだ。おもちゃを買ったりケーキを焼いたり。それどころか、親の親や親の兄弟、近所に住んでる人間まで集まって、みんなでその子を祝うんだよ。おかしくって笑っちゃったね。――でもその時僕は聞いたのさ。生まれてきてくれて嬉しい、今日まで生きていてくれて嬉しいって」
 そこでゾズマはふと言葉を切った。今まであれほど喋り倒していたというのに急に無言になったせいで、塔の最上部は奇妙な沈黙に支配される。しかし、それも長くは続かない。
「これは僕なりの答えだけどね、人間が誕生日を祝うのは相手が生きていることを喜び、礼を言うためなんじゃないかな。一年なんて短いものだけどさ、人間ってちょっとしたことですぐ死んじゃうだろう? だから一年生きていくだけでもきっと大変なんだよ。その一年を平穏無事に過ごして誕生日を迎えるっていうのは、人間にとってすごく大きな意味があるんじゃないのかな。だから祝うんじゃないのかなって。
 それでも僕には実感が湧かなかったよ。だってさあ、僕の周りの奴らといったら、殺しても死なないような奴ばかりだからさ。生きててくれてありがとうだなんて、思ったことなかったよ。――でも君が死んで、考えが変わった。君が死んだ時、僕はすごく悲しかったよ。悔しかったよ。なんでもっと生きてくれなかったのかって、文句を言いたくなったよ。だから生き返ったとは言え、君が今こうして生きていて、話ができる。それだけでも嬉しいんだ。君が生きていてくれて……本当に嬉しいんだよ」
 最後の方はまるで己に言い聞かせるような口調で、滅多に見せることのない微笑すら見せたゾズマに、時の君も言葉を失った。随分長い付き合いになるが、こんな表情を見たことはほとんど――いや、今までなかったかもしれない。冗談と冷笑で成り立っているような彼の違った一面を垣間見て、何と言葉をかけて良いのかわからなくなってしまったのだ。
「……まあ、そんなわけだからさ。僕も君の誕生日を祝いたいんだ。精一杯、盛大にね」
 時の君が考えあぐねいているうちに、ゾズマは次の顔を見せてしまった。先ほどとは打って変わって、面白いものを見つけた時と似た、子供のような笑顔だ。
「でも誕生日がわからないとなると不便だよね。そうだな、もういっそのこと、今誕生日を決めちゃわない? そうだ、今日でいいよ」
「今日? それはさすがに尚早ではないか」
 つられてそう返した時の君に風が及ぶかというほど激しく首を振ってゾズマもまた返してくる。
「善は急げって言うだろう。それに今日は時の記念日とか言うらしいよ」
「何だそれは」
「よく知らない。人間が勝手に決めたみたいだからね。でも名前からして君にぴったりだと思わないかい? よし、決めた。今日を君の誕生日にしよう。とりあえず、プレゼントは置いといてケーキを焼こう。誕生日祝いには欠かせないものみたいだからね」
 ゾズマがそう言ったとたん、にわかに時の君の顔が険しくなる。
「ケーキ? 誰が作るんだ」
「決まってるだろう。僕が心を込めて作るのさ」
 ゾズマは決まって、自分で物事を決めるくせに面倒なことは周りに押しつけようとする。そのとばっちりが今回は己に来るのではと一瞬危惧したが、そうでないことがわかって時の君も安堵の息を漏らす。だが、考えてみれば問題はそこではない。もっと重要で基本的な問題があることに気付き、今度は眉間に皺を寄せてみせると、さすがと言うべきか、即座にゾズマが反応した。
「……そんなに嫌そうな顔しなくてもいいだろ」
「嫌と言うより不信だな。お前、そんなもの作ったことあるのか」
「ケーキかい? あるわけないだろう」
 不安は的中、その上あっさり言ってのけられ思わず頭を抱えた時の君に、容赦なく次の一言が襲いかかる。
「安心してよ。ケーキなんて、作り方がわかったらすぐにできるよ」
「……いや、だからと言って誰にでも作れる代物とは限らない――」
「大丈夫だって。アセルスだって作ったことがあるって言ってたんだ。僕に出来ないわけがないよ! それに前に聞いたけど、人間はケーキの作り方を本にしてるんだってさ。――本なら本屋にあるよね。僕、ちょっと拝借してくるから待ってて!」
 一気にそこまで言うと、ゾズマは煙のように消えた。はっと気付いた時の君があたりを見渡しても、すでにその姿はどこにもない。ただ最後の一言がやたらと引っかかる。拝借、ということは本屋で『買う』というわけではなさそうだ。買うなら買うとはっきり言うはず。拝借なんて回りくどい言い方はするはずがない。そもそも本を売り物としている本屋で、借りることなどできるのだろうか。
 そこまで考えて時の君はとんでもない答えに辿り着いてしまった。まさかと疑ってもみたが、あのゾズマならやりかねない。それに気付くと同時にさっと顔から血の気が引いた。
「ま、待て! 『拝借』はいかん!」
 珍しく大慌てで時の君もまた外へと飛び出す。ただ一つ、シュライク辺りをさまよっているゾズマの妖気を目指して――。
 唐突に決まった『誕生日』は今からすでに波乱の予感と不安に満ちている。

|| THE END ||
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