[2W-weight and worth-]
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 その日、時の君の前に現われたゾズマはいつになく上機嫌だった。どうしたのだと時の君が尋ねれば極秘任務だと口で言いながらべらべらと内容を明かし、それを頼んだ相手に対してこんな男に任せて果たして大丈夫なのか、と問い詰めたい感に襲われた。
「大丈夫さ。だって君、ほとんど誰とも会わないだろう?」
「だが、ヴァジュイールに会った時に、ふと漏らしてしまうかもしれんぞ」
「ああ、それは勘弁。ヴァジュイール様が首突っ込んできたら、大事になるってだけじゃ済まないよ」
 相手が聞いたら怒り狂うかもしれない言葉を平然と口にしながら、ゾズマはけらけらと笑い声を立てた。この男、元より楽天家なのか、それともわかっていて楽しんでいるのか。だが、と尋ねようとした本題を思い出し、時の君はもう一度問いかけを繰り返した。何も用事がなくても彼はちょくちょく顔を出すが、今日はどうもそんな感じではない。そう、直感で感じていたからだ。
 しかし、それに対してゾズマは思いがけない一言を発した。
「時計貸して」
 その一言に、時の君はぽかんと口を開けた。まったく、なぜそんなことを言い出したのかわからない。そもそも、彼は時の君と同じく妖魔で、時間からは隔絶された一生を送っているのではないか。それがなぜ時計などという単語を持ち出したのか。
「別にそんな顔するもんじゃないだろ? 君だって時計ぐらい持ってるだろうに」
 ねえ、と逆に問いかけて、ゾズマは辺りを指差した。時の君が生きているこの空間では時間が刻まれている。そこかしこにさまざまな種類の時計があり、決して狂うことなく一分一秒と時を刻んでいるのだ。
「わかっているだろうが、あそこにあるものは私が長年かけて作り出したものだ。お前の手に収まるようなものを今すぐ作り出せと言われても不可能だ」
「だから、持ってるやつを貸してよ」
「そんなものは持ってない」
 きっぱりと言い切った時の君にゾズマは不思議そうな顔をした。「おかしいな」
「何がだ」
 一瞬、不機嫌そうに眉をしかめた相手の顔が、次の瞬間驚いたものに変わる。
「その帯の中に突っ込んでるやつは?」
 その一言にとっさに時の君が帯の辺りに手をやった。その手の中で、余った鎖が小さな音を立てる。
「これは……」
 言ってから彼は自分が試されたことに気付いた。だがもう、知らぬ存ぜぬを通すには遅い。それよりもなぜ、自分が持っているもののことをゾズマが知っているのかということが、時の君にとっては不思議だった。対してゾズマはさも当然とばかりに自分をみくびるなと言う。しかし、それに続いて紡がれた、他人から見ればただの惚気かと思われるその理由も、言われた当の本人はまったく気付かないようで、いつものように「そうか」とそっけない一言が返しただけだった。
「だが、この時計は貸せん」
「何で?」
「お前に貸したら、元のままで戻ってくるか怪しい」
 それは至極当然な理由だった。それでもゾズマは引き下がらない。挙句の果てには、貸してくれないのならばこの役割を降りると言い出す始末で、結局は折れた時の君が、渋々ながらも時計を取り出す羽目になった。
 考えてみれば、なぜここまで彼に気を使わなければならないのかと思いながらも、時の君も厄介ごとを背負い込むのが嫌いな性分なもので、あえて口には出さない。ただ、ゾズマが抜けた場合、知人たちに迷惑がかかるのだろうという予想はつく。それゆえ、自分が折れた方がよかったのだろうとも思う。
 取り出した時計は、完全に動きを止めていた。それにすぐさま気付いたゾズマが不満の声を上げる。動く時計でなければ、彼の要望は満たされないのだ。
「壊れているわけではない。ただ、仕掛けが止まっているだけだ」
 そう言って時の君は慣れた手つきで時計のネジを巻きだした。面倒くさそうに説明をしながら螺子を巻く時の君の手元をゾズマが一分ほど見つめた頃だろうか。周りで鳴り続けるものとは別の、小さな音がカチカチと新たな時を刻み出す。
「これで使えるの?」
「ただし、一日だけな」
「だったら意味ないじゃない」
「一日経ったらまた巻き直す。これはそういう時計だ。気付いた時に巻いておけばいい」
 面倒だと文句を言うゾズマになら自分に頼むなと言い返して、時の君は差し出された手の上にそっと時計を置いた。
「いくら動くとはいえ、もう数百年も前の品だ。乱暴に扱えばすぐに壊れる。それだけは忘れるな」
「任せて。君だと思って大切にするよ」
 受け取った時計を愛しそうに頬に摺り寄せ、ゾズマが言ったその言葉に時の君がさもうんざりといった顔をした。まるで挨拶のようにそんな言葉を紡ぐこの男が信用ならないと言いたげでもあるが、それに反してゾズマはようやく目的のものを手に入れた喜びからか、すぐさま真鍮のカバーを開いては中を覗き込み、閉じては表面についた傷やへこみを物珍しそうに指で辿る。まるで子供が新しい玩具を手に入れた時のように、全ての興味を時計に注いでいたゾズマがふいに言葉を上げたのはそんな時だった。
「『我が子孫へ』って、何これ?」
 彼が見つけたのは、カバーの裏側に刻まれた文字だった。表と違いまだ残っている金メッキに彫られたその文字は、今でもはっきりと読み取ることができる。だが、その言葉がおかしい。
「これ、君が彫った、ってわけじゃないよね」
 時の君自身が彫ったとは考えられない言葉に、ゾズマが答えを教えろと言わんばかりに時の君へと視線を合わせる。
「誰かからもらった? それともどこかで拾った?」
「もらった」
「誰から?」
「ある人間だ」
 そこまで言って時の君はまるでゾズマの視線を払うかのように手を振った。
「時間が差し迫っているのだろう。こんなところで油を売っていていいのか?」
「それよりも、その話が聞きたい」
「今は話す気はない」
 自分の言葉にかぶせるように拒絶の言葉を吐いた相手に、ゾズマは少なからず不満の色を表した。しかし、時間がないのも事実だ。
「しょうがない。今度これを返しに来た時にでも教えてよ」
「聞いたところでお前の興味をひくものとは思えんがな」
「それでもいいからさ」ゾズマは笑って手の中の時計を弄んだ。「君の話だったら何だって聞くよ」
 そう言って、抗われるより前に時の君の手の甲に口付けを落とすと、簡単な礼を述べて彼は来た時と同じようにあっという間に姿を消してしまった。いらいらしながら彼の帰りを今か今かと待ち続けている者の元へと向かったのだろう。それを無言で見送り、そのまま何かを考えていた時の君の口からふいに小さな声がこぼれた。
「たまには、自分の役目を果たすことができて嬉しいのだろう」
 それは、ずっと彼が持ち続けていた物に対してか、それを借りに来た者に対してか。問う者のいない呟きは、群青色の空間へと消えていった。

|| THE END ||
Total:2,737文字  あとがき