[君影草] -epilogue-
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 簡単に手折れる弱き花。しかし、その内に秘めた力はいかほどか。
 とても弱く、そして強いその白い花を君に例えたのはいつの日か――。


「つい先日も来たばかりだが……何と美しい景色なのだろう」
 眼下に広がる景色を見てぽつりと呟いたのはフィオロだった。
 自分の住まう場所には見られないどこまでも澄んだ空、広がる緑の大地。そして何より、高原特有の美しい花々と爽やかに頬をなでる風。
 しかし、横に座りこんだ男はそれにはまったく関心がないらしい。
「美しいとは思わないか?」
「何が?」
「この景色だ」
「別に何とも思わないね。第一、君と一緒に来たことなんて一度も――」
 その言葉にフィオロは目を丸くした。
「覚えてないのか? あのエミリアという女と一緒に来ただろう? ほら、この奥に教会が――」
「え? それってここだったっけ? まあ、そんなことどうでもいいよ」
 それより、と呟いてゾズマは手元に咲いていた白い花を手折る。
「僕にはこの花があればいいのさ」
 うっとりとした表情で小さな花を愛でる彼に、フィオロは驚きを示す。
「珍しい。お前が花を愛でるとは」
「そうかな? でもこの花は特別。君影草だからね」
「君影草?」
「そう、君影草。『君の面影を残す草』だよ。存在は小さくて、でも毒もあるし生命力もある。下級妖魔なのに術に長けていて、最期まで倒れない。まるで君のような花だ」
「酔狂な。お前の思考はさっぱりわからん」
 機嫌がよさそうなゾズマの横に寝転び、フィオロは深く深呼吸した。息をする、ということはこんなに気持ちのよいものだっただろうか――そんなことを思いながら。きっと、ここの空気が澄んでいるからに違いない。
「……何をしているんだ?」
 横でごそごそと動くゾズマが自分の髪に触れているのだとわかって、フィオロは顔をしかめる。
 それは手を退けて欲しい、という彼のささやかな意思表示だったのだが、言われた当の本人はその手を休めることもなく、ひっきりなしにその髪に触れてくる。
「何をしているんだ、と聞いているのだが」
「ん? 花を挿してあげようと思ってさ。でもフィオロの髪、柔らかくてなかなか――」
「ばッ……! やめろ!」
 珍しく焦った顔をして起き上がったフィオロを見て、ゾズマはとんでもない言葉を口にする。
「何で? 昔はあんなに嬉しそうにしてたくせに」
 絶句したまま立ち尽くすフィオロをよそに、立ち上がって先ほどと同じように彼の髪に手を伸ばしたゾズマはやがて満足そうな顔で手を離した。
「ほーら、すごく似合うよ♪」
「……これで満足か?」
「何が?」
「私はもう帰る……!」
「え、ええーッ!?」
 素っ頓狂な声をあげたゾズマを睨みつけると、フィオロはさっさと自分のリージョンへと飛んだ。
「君が『出かけるなら静かな場所がいい』って言ったんだろ!? 何で帰るのさ!」
 彼の消えた後に向かいそう叫ぶも声が届くことはない。今頃、彼はすでに自分の椅子へとその身を収めていることだろう。その髪に結わえられた花もそのままに。
「……まったくわがままなんだから」
 自分のことは棚に上げてそう呟くと、消えた彼を追いかけてゾズマもまた姿を消した。

 その右手に、新たに手折ったスズランを握り締めて。

|| THE END ||
Total:26,665文字  あとがき