[君影草] -09-
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「何? 妖気を持ち運ぶ方法だと?」
「そうだ。お前なら何か知っていると思ったのだが」
 そう事も無げに告げたヌサカーンにワイングラスを手の中で弄んでいたヴァジュイールはその秀麗な眉を少し吊り上げ「知らぬ」と一言返した。
「私とて万能ではない。第一、そのようなことには興味がわかん」
「こちらも命がかかっているのでね。おいそれと引くわけにはいかんよ」
「いっそのこと、あのオルロワージュのところの元黒騎士筆頭殿と手合わせしてみたらどうだ?」
「馬鹿を言え。私はそんなに暇ではない」
「妖魔を蘇らせる方法を模索する時間はあってもか?」
 そう言うとヴァジュイールはさもおかしそうに笑った。相変わらず人をからかうのが好きな男だ。だが、いつまでもこの男の暇潰しに付き合っているわけにもいかない。残された僅かな時間をできるだけ有効に使わなければ。
 これ以上ここにいるのも無駄だと感じたヌサカーンはさっさと城を出ようと軽く礼を言うと踵を返す。しかし、それは後ろから聞こえたヴァジュイールの声に中断された。
「もし、妖気を運ぶ方法が見つからぬのなら――あの中でやればよいではないか」
「あの中――時間妖魔のリージョンか?」
「そうだ。それならばわざわざ運び出す必要もあるまい」
 平然と言ってのけたヴァジュイールに思わずヌサカーンは笑い声を立てた。普段の含み笑いではない、宮殿中に響き渡るような大きな声だった。
「だが待て」ふいに笑うのを止めてヌサカーンは考え込んだ。
「ただ妖気と血を混ぜ合わせて済むのならば、なぜあのリージョン内で蘇生ができなかったのか。何かが足りない。何かが足りんのだ」
 再び思案顔に戻った彼にちらりと視線を投げると、ヴァジュイールはこともなげに告げる。
「時間、ではないのか。あれが消滅してからどれほど経つと思っている。まだ五日だ」
「時間……。そうだ、妖魔が発生するまでには時間がかかる。それが――」
 次の瞬間上げられた叫びに、ヴァジュイールは思わず手の中のグラスを落としそうになった。
「何だ、いきなり」
「ヴァジュイール! お前は天才かもしれんぞ!」
「おい! ちょっと待て! どこへ――」
「マジックキングダムだ!」
 その答えが終わるか終わらないかのうちにヌサカーンの姿は消えていた。後にはまた静寂に取り残された主君が一人。
「あれはあんなに騒々しい男だったかな……?」
 そう呟いてグラスの中の美酒を飲み干した。



「お前にもう用はない」
 ヌサカーンを出迎えたのはそんな冷たい一言だった。
「ブルーってば! そんなこと言わないで話だけでも聞いてあげたら?」
「君と違って弟君は素晴らしい人格者だねえ。まったくもって、私には命に関わる問題があるのでね。いや、私だけではない、君にとっても命に関わる問題だと思うのだが」
「なに?」
 最後の一言にブルーは表情を変えた。そこで今までの経緯を手短に話す。ついでにゾズマがどのような男なのかも伝えておく。
「――なるほどな。そう言うわけか。短絡的な男だな」
「まあ、それだけ彼も必死だということだ。それより君の力が必要なのだ」
「俺の力?」
「ああ。時の君から君が奪った時術。それが必要なのだ」
「しかし、俺は時を早める方法など知らんぞ。知っているのはあの男が使っていたのと同じだけだ」
「でも、できるんじゃない?」
 ふいに横から口を挟んだのは今まで静かに茶を飲んでいたルージュだった。そののんびりとした声に二人は今までの緊張感も忘れ、呆然とその発言者を見詰めた。
「できる、だと……?」
「うん。オーヴァドライブとタイムリープを組み合わせたらいいんじゃないのかなあ?」
「おお! 何と頭の冴えた坊やなんだ!」
「坊やじゃないです。二十二歳です」
「しかし、お前妙に詳しいな……」
 呆然と見守るブルーに笑いかけるとルージュはにっこり笑うとこう返した。
「だって僕、時の君と一緒に旅したことあるからね」
 横にいた二人が驚きのあまり思わず顔を見合わせたのは言うまでもない。



「おい、本当に行くのか?」
 術酒を大量に買い込み、出発の直前になってもブルーの顔は渋いままだった。
「今更そんなことを言うとは。怖気づいたのかね?」
「ふん。お前こそ死ぬのを恐れているのだろう?」
「それは確かにな。長く生きてきたとしてもやはり命は惜しいものでね」
 素直にそう言ったヌサカーンをブルーの冷ややかな視線が捕らえる。
「妖魔が死ぬのを恐れるとは……とんだお笑い種だな」
「何とでも言うがいい。私にはまだやり残したことがあるのだから。……まあ、キングダムの掟が全てだった君にはわからんだろうが」
「何だと!? 貴様、もう一度言ってみろ。ゾズマとやらに消される前に俺が殺してやる」
「もう、二人とも喧嘩は止めようよ〜」
 間に割って入ったルージュが二人の険悪な雰囲気に少しだけ穏やかさを入れる。
「ねえ、ブルーもそんなに渋い顔しないで」
「……わかった」
 渋々ながらも頷いたブルーを見て、ルージュがほっとした顔を見せる。
 それに思わず笑顔を返しそうになったブルーだったが、ルージュがやけににこにこ笑っているのが気になったらしい。
「どうした? やたら上機嫌だな」
 「こんな茶番に付き合わされるのに」と言いたげな兄の視線にも動じず、ルージュの笑顔は崩れないまま。
「だって、嬉しいんだもん」
「嬉しい?」
 予想だにしなかった言葉が飛び出てブルーは思わず聞き返す。それに「そうだよ」と返される。
「だって、時の君が生き返るんでしょ。こんなに嬉しいことはないよ」
「……まだ生き返ると決まったわけではないぞ」
「それでも可能性があるんだもん。――それよりブルー」
 ふいに先ほどまで見せていた笑顔を曇らせて囁かれた声にブルーは一瞬戸惑ったが、それが何を意味するかに気付いて表情を和らげた。
「あの医者に聞いてみたらどうだ? 肉体が残っている分、こちらよりは容易いかもしれんぞ」
 その答えに再び笑顔を取り戻した弟を見た兄の顔からは普段の刺々しさが少しだけ消えていた。

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