[君影草] -10-
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「おい……。いつになれば、終わるんだッ……!」
 かれこれ三時間以上術を放ちっぱなしのブルーからついに怒気を交えた声が上がった。いくら術酒で何度も回復しているとはいえ、もともとの彼の体力も少なくなっている。それよりも心配なのが後ろでひたすらスターライトヒールを唱えているルージュだった。彼はこの三時間まったく術酒も飲まず、ひたすら兄が肩で息をしだすと呪文を唱えて回復させる。それの繰り返し。
「ある意味、拷問のようだな……!」
 その日もう何十回目かになるオーヴァドライブを唱えたブルーがそうこぼす。ずっと呪文を唱えているせいか、声もだんだんかすれてきている。その二人の後ろ、ヌサカーンは一度ごとに血の状態を確かめてはため息をつくばかり。
「なかなか時間がかかるもんだな……」
「貴様は、何も、していないだろうが!」
 ついにブルーの怒りは頂点に達し、ある呪文の詠唱を始める。それは今までのものとは違い、ヌサカーンめがけて放たれる。
「ダメ、ブルー――!」
「エナジーチェーン!」
 ルージュが止めに入るのとブルーが詠唱を終わるのはほぼ同時だった。そしてルージュの努力も空しく、解き放たれた鎖はヌサカーンへと命中する。普通に放たれるものとは違い、魔力の強い術士のものは恐ろしいまでに攻撃力を増す。
「ダメだって言ったのに……」
「俺は悪くない」
 あっさりと意識を手放したヌサカーンを回復させながら、ルージュは深いため息をつく。もちろん、ブルーのその言葉も一因と言えよう。
「ねえ、妖魔の発生ってどれぐらいかかるのかなあ……」
 そう呟いたルージュの後ろ、ふいに空間が歪み、強い妖気を放つ者が現れる。
「……ヴァジュイール。何をしに来た?」
 目を覚ましたヌサカーンがその男の名を呼ぶ。名を呼ばれた彼はゆったりと二人に歩み寄ると、普段と変わらぬ抑揚のない声で問いかけた。
「どうだ? うまくいきそうなのか?」
「それがよくわからないんです……」
 最初に答えたのはルージュだった。その顔はほとほと困り果てていて、この先どれほど続くのか、という不安のためか顔色も悪い。
「久々に面白いことがあると思ったのだがな……」
 心底つまらなさそうな顔をしたヴァジュイールは目の前の青い血だまりに目を動かす。
「……何だ、もう少しではないか」
 ふいに呟いたその言葉に三人ははっと顔を上げた。
「時の君の妖気が強くなってきているであろう?」
「……そうなの?」
「言われてみればそのような――いや、でもそんなことは覚えてないな」
 戦う時には必死でそんなことにまで気を回している暇はなかった。ただ目の前の相手を倒さなければ資質が手に入らない。手に入らない限りは自分が一人前の術士として認めてもらえない――。
 そんな強迫観念もあったのだろうか、その時のことはあまり覚えていないのだ。
「このまま放置しておいてもしばらくすれば発生するかもしれんな」
「でも、妖魔の発生にはとても長い時間がかかるとか」
「それは自然に発生する場合だ。だがこの状況ならば、せいぜい二週間も放っておけば十分だろう」
「しかし、問題はそれまでに血が乾かんか、だな……」
「そうだ。おそらく、ほとんどの場合は発生前に血が乾いて蘇生が叶わんかったのだろうな」
 ヴァジュイールはどこからともなく一冊の古びた本を取り出すと、ヌサカーンに投げてよこした。
「何だ、これは」
「うちの書庫にあった。少しは参考になるだろう」
 中身を見ると、妖魔の生態についての本らしい。目次に目を通せば、妖魔の体の構造、意識、果てには存在意義にまで言及しており、ただの医学書、というわけでもなさそうだ。
「こんなものを調べるとは……。暇な輩もいたもんだな」
「お前とて人のことは言えまい」
 病気のことになると目の色を変えるくせに、とヴァジュイールは呟いたが、すでに本に没頭しているヌサカーンには聞こえない。それに一瞥をくれると彼は裾を少し持ち上げ血だまりへと近付いた。
「えらく多いものだな。数日経ってもまだ乾かんとは」
「かなりの出血だったからな」
 ぶっきらぼうに答えたブルーに「そうか」と一言返して、ヴァジュイールはそっとかがみこむと血だまりの上に指を滑らせる。

「……痛かっただろうに」
 ヴァジュイールがそう囁くと、まるでそれに答えるかのように彼らを取り巻く妖気がざわめいた。

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