[君影草] -06-
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 目の前に広がる白い花の群れは風に揺られてざわざわと音を立てる。そしてそれに合わせてふわりと柔らかな香りが鼻腔をくすぐった。
「これ、あなたにあげるわ」
「これを? 僕に?」
「ええ。今のあなたにはぴったりだから」
 そう言って小さな花をつけた茎をゾズマへと差し出す。流れのままに受け取ってしまったそれは、彼の手の中でその白い花を揺らした。
「その花はね、君影草とも言うのよ」
「君影草?」
「そう、『君の面影を残す花』っていう意味。それにね、スズランの花言葉は『幸せが訪れる』って言うのよ。ねえ、今のあなたにはぴったりでしょう?」
「……そうかもしれないね」
 手の中で振るたび小さな花が揺れる。小さくて可憐な花。
「ねえ、もっと大きいのはないの?」
 急にそんなことを聞いてきた彼に少女は笑いを漏らす。
「大きいのってどれぐらい?」
「そうだなあ。この花がこれぐらいのやつ」
 親指と人差し指で輪を作ったゾズマに少女は笑いを漏らす。
「そんな大きなスズランなんてないわよ」
「そっかあ。残念だなあ」
「そうなの? 小さくてかわいらしいじゃない」
「そうなんだけど、いまいち彼のイメージじゃないんだよね。フィオロはさあ、確かにいつも白い服は着てたけど、こんなにかわいらしいヤツじゃあなかったからね。筋トレと努力が大好きなすごく変わった男でさ――」
「ええっ!?」
「僕が遊びに行ったらたいていトレーニング中でさ、『遊びに行こうよ』って言ったらヒンズースクワットとか腹筋しながら『フッ、酔狂な』って言うんだよね。そう言いながらいつもついてくるんだけどさ」
 彼の真似をしながらそう言うと、それがよほどおかしかったのか、少女は一度しまいこんだ笑い声を今度は倍の大きさで吐き出した。
「やだわ! すごく変わった人……じゃなくて妖魔?ね」
「そうだろう? 妖魔の間でも変わり者で通っててさ。でも……すごくいいヤツだったよ」
 また目の辺りがじんわりとしてきたような気がして、ゾズマは反射的に俯いた。
「本当にいいヤツだったんだ……。僕にとっては最高で、そして唯一のトモダチだった。なのに、なのにあんな人間どもに――!」
「……人間ども?」
 怪訝そうに聞いてきた少女にも気付かず、彼はついに感情を爆発させた。
「ああ、そうさ! 数人で術を封じて斬りつけて殺したんだ! フィオロには術しかなかった。それだって自分で努力してようやく手に入れたものだった。他に戦うすべなんてほんの数ヶ月前までほとんど知らないようなヤツだったんだよ! それを資質集めだなんてそんな勝手でくだらない都合で奴らは奪ったんだ! 資質も、そしてフィオロの命も!
 僕は絶対に許さない。あいつらを一人ずつ殺してやるんだ。でも、ただ殺すだけじゃない、四肢をずたずたに引き裂いて、自分たちがどれほどのことをしたのか思い知らせてやる!」
 一気にそうまくしたてた彼はもはや『おもしろい男』ではなかった。ただ、復讐にかられた一人の男。大切な者の命を奪った者たちに対する憎悪と殺意で彼の瞳はらんらんと光り、その端正な顔は歪められ――それでいて息を呑むほどの美しさだった。
 知り合いの妖魔たちでさえ見たことのないその姿は、彼が本来持っている獰猛さ。
 悲しみと怒りが頂点に達した結果、彼はいつもは無理矢理自分の中に押し込めているもう一人の自分に支配されてしまったのだ。
 彼の感情に任せて放出される妖気は渦を巻き、今まで穏やかだった山を変化させる。そよ風は止み、鳥たちは木々の間へと隠れ、生き生きとしていた草花も息を潜めた。そしてもちろんのこと、彼のすぐ隣りにいた少女でさえも――。

 気がつけば手の中にあったスズランは無残な姿と化し、視線を落とした先に座っていたはずの少女は気を失って草の上に横たわっていた。
 ようやく我に返ったゾズマは慌てて彼女の手首を掴んだ。昔、ヌサカーンに教えてもらった人間の生死を確かめる方法。それにいささかの皮肉を感じながらも、彼女の脈が確かにあることを確認してほっと胸を撫で下ろす。
「よかった……。死んじゃったかと思ったよ」
 とりあえず覚えたてのスターライトヒールである程度の回復を試みる。始め、蒼白に近かった彼女の頬も元通りうっすらと紅がさし、ここまですればもう大丈夫だ、と思うと一気に体から力が抜けた。
「……君を巻き込むつもりじゃなかったんだ。本当にごめん」
 倒れたままの少女の頭に手をかざす。目覚めた時、彼女はゾズマのことを覚えていないだろう。
「スズラン、だっけ? どうもありがとう」
 手の中のめちゃくちゃになった花をそっと振ると、ゾズマはその場から姿を消した。

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