[君影草] -05-
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「人間って本当にわけわかんないや」そう彼が呟いたのは二度目だった。
「どうして? 気になったからって戻ってきちゃいけなかった?」
「ううん、そんなことはないけどね。でも、僕たち全然知らない者同士でしょ? なのになんで気になるのかなあって」
「あなたは気にならないの? 誰かが悲しそうにしていたらどうしたんだろうって気にならない?」
「ならないね」
 きっぱりと言い切られ、少女は言葉を失くした。しかし、頭に浮かんだ言葉は口にすることはなく。
 彼女の脳裏に過ぎったのは「冷たい」という言葉だった。ただ、それを言えば彼を傷つけてしまうのではないか。そんなとても人間らしい考え方の元、少女はその言葉を飲み込んだのだった。
 しかし、そんな気遣いも彼には無用だったらしい。
「人間は、それを『冷たい』って言うらしいね」
「え?」
「少しだけ一緒にいた人間がいたんだけど、彼に言われたよ。『どうしてそんなに冷たいんですか? かわいそうだとか思わないんですか?』ってね。でもしょうがないよ。興味のないことにはまったく無関心。それが妖魔だからね」
 言いながら数日前まで一緒だった紅い法衣に身を包んだ男のことを思い出す。彼はどちらかと言えば軟弱で、人間の中でも「ちょっと頼りないわよね」と言われるほどの男。しかし、人に気を回すことに関しては彼の右に出る者はいないだろう、と思われる。常に皆を励まし、慰め、傍から見ていても「なぜここまで他人のことばかり考えるのだろう」と思うほどだった。
――ああ。そう言えば、自分の大切な友人を殺したのは彼の双子の兄ではなかったか。
 ふいに険しくなったゾズマの表情に少女がびくりとする。それは先ほどまで浮かべていた笑顔とはまったく違い、明らかに殺意を含んだものだったからだ。
 会話が途切れたまま数分が過ぎる。やがて自分の顔が張り詰めているのに気付いたゾズマによってそれは打ち破られた。
「ビックリした?」
「え、ええ……」
「ちょっと色々思い出しただけだからさ。そんな目で見ないでよ」
 怯えを含んだ視線で見つめられ、困ったように笑う。それはやはり元の笑顔のままだった。

「……でも、そんなあなたがあんな顔をするなんて、よほど悲しいことがあったのね」
 ふいに呟かれたその言葉にゾズマは怪訝な顔をした。
「あんな顔ってどんな顔?」
「泣きそうなのに、泣けない。そんな顔だったわ」
「泣きそうな顔? この僕が?」驚いて少女の顔を見る。
「馬鹿らしい! 僕は今まで泣いたことなんてないよ」
「泣いたこと、ないの?」
「そうだよ。泣きたいなんて思ったことなんかない。フィオロが消滅した時も、そんな感情は起こらなかったよ。ただ――」
「ただ?」
「ただ――」
 そこまで言ってはっとした。目から何かがこぼれている。頬を伝うそれを触ると、変に温かい液体だ、ということがわかった。
「なんだ、ちゃんと泣けるじゃない」
 そんな言葉と共に頭に添えられた手を振り払うこともなく、ゾズマは俯いた。自分に今何が起こっているのか、そんなことも考えられず、ただ、その目から溢れてくる『何か』を止めようと必死になった。彼の努力も空しく、それはしばらく止まることはなかったけれども――。

「あなた、幸せだったのよ」
 少女がそう言ったのはゾズマが俯いてからどれほど経ったころだろうか。隣りでただ静かに彼が泣き止むのを待っていた彼女が吐き出したその言葉にゾズマは鼻にかかった声で疑問を返した。
「幸せだったから、その消滅……ってよくわかんないけど、要するにいなくなっちゃった時にすごく寂しくなっちゃったのよ」
「それは確かにね」
「心にぽっかり穴が開いたみたいになって、とりあえず一人になりたくて――」
「君幾つ?」
「え?」
「何歳なの?」
「二十一歳だけど?」
「そっか。僕の何十分の一しか生きてないのにすごいね」
 それは珍しく彼の口から出た素直な感動だった。自分が知り得なかった感情をいとも簡単に分析し、説いてみせた彼女に対する感動。
「全然すごくないわよ」
「ううん。すごいよ」
 禅問答のようなやり取りを繰り返した後、ふいに少女が目の前に小さな花を差し出した。
「何これ?」
「スズランよ」
「スズラン? 見たことない花だ」
「ここら辺にはいっぱいあるんだけどね」
 そう言って指をさした少女につられて見渡したゾズマの目に飛び込んできたのは、岩や雑草の間からのぞく、小さな白い花の群れだった。

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