[君影草] -12-
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 彼が医院のドアをノックしたのは十日ぶりのことだった。
「……さて、どうなってるかな」
 ほのかな期待と、それを裏切られた時に見せるであろう殺意。その両方をまとって彼は返事を聞かぬまま目の前のドアを押し開けた。

「やあ。頼んでたことはどうなってる?」
 先ほどの殺意を押し込め診察室に乱入してきたゾズマに向けられたのはヌサカーンの悲しげな瞳だった。そう、今まで一度も見たことがないほどの悲しみを込めた目。それで見つめ返され、さすがのゾズマも少しひるんだのは言うまでもない。
「どーしちゃったのさ? そんな目して」
 わざとおどけてみるが、それも効果はなく、ヌサカーンは沈んだまま一言も口を利かない。
「何か言ってよ、ヌサカーン先生」
「何と言えばいいのかね? いや、君は何と言われたら事実を受け入れられる?」
 急にそんなことを聞かれ、ゾズマは瞬時に理解した。――彼が蘇生しなかったことを。
 やはり無理だったのだ。一度消滅した妖魔を蘇らせるなんて夢のような話は。あのたまたま目にした本に書かれてあったのは誰かの絵空事でしかなかったのだ。
「……結局、ダメだったんだ」
「そういうことになるな。私の力及ばず、と言ったところか」
「――僕さ、言ったよね」
 ヌサカーンを見据えた瞳に暗い炎がともる。
「時の君を蘇らせられぬ場合は、私を殺す。そのような意味のことを聞いた記憶はあるが」
「大正解♪ さすがヌサカーン、ちゃんと伝わってるね」
 そう言うと同時に彼は腰の剣に手をかける。
「あんたには色々聞きたいことがあったんだけど、もういいや。今すぐ死んでもらう」
「仇討ち、と言うわけかね?」
「そういうことになるね。フィオロがしていらないって言っても、僕はやるよ。許せないからね」
 抜き出された剣は真っ直ぐにヌサカーンに向けられ、いつ攻撃が来てもおかしくない。そして、その剣を握るゾズマの目は今や目の前の獲物を狙う獅子のように爛々と輝いていた。
 あの魅惑の君オルロワージュに次ぐ実力と言われるだけのことはある。一瞬にして室内の空気は淀み、禍々しい妖気に満たされていく。
「今まであんたと遊べて楽しかったよ。じゃあね」
 短い別れの言葉と共にゾズマがヌサカーンへと剣を振り下ろそうとしたその時だった。

「馬鹿な真似はよせ」
 室内に響いた声に一瞬ゾズマは耳を疑った。そして声のした方に視線を移し、言葉を失った。
「まったくお前は。仇討ちなどとは酔狂な」
 聞き慣れた声、聞き慣れた口調。そして、聞き慣れたその一言。ゾズマが蘇生を願って止まなかった男が手術台に腰掛けていたのだ。
「あれ……? フィオロ?」
 鳩が豆鉄砲を食らったような、という表現はこういう時のためにあるのだろう。彼の瞳はこれでもかというほど開き、ただ目の前の妖魔を見つめるばかり。
「何だ、私の顔がどうかしたか?」
「……ううん」
 ただ力なく首を振ったゾズマは次の瞬間、剣を捨て、はじかれたように手術台へと駆け寄った。
「本当に、本当にフィオロなのか?」
 頬を叩いたり腕に触ったりと思う存分好き勝手にした後、急に体を離したゾズマは目の前にある顔をしげしげと見つめる。
「本当に、本物のフィオロだよね?」
「これだけ見てもまだわからんか?」
 半ば呆れたような笑顔を浮かべたフィオロを見た途端、ゾズマの顔は、ぱっと輝き。
「うわーッ! 本物だよ! フィオロが帰ってきたよ!」
 そう言って、押し倒さん勢いで目の前の男に抱きついた。



「まったくヌサカーンも意地が悪いなあ。この僕を騙そうだなんて」
「まさかあれほどあっさり引っかかるとは思わんでな。笑いを堪えるのに苦労した」
「私はそんな演出はいらん、と言ったんだが……」
「何、同意した時点で君も共犯者だよ」
 くいっと持ち上げた眼鏡の奥、紫色の光を放つ瞳はそれはもう愉快そうに笑っていた。
「さて、私は今から取れたデータをまとめたいんだがね」
「もうフィオロのことはいいの?」
「ああ、全くもって健康だ。この上なく素晴らしい実験だったよ。それも終わって、患者はめでたく退院。なかなか素敵なグランドフィナーレではないか」
「本当に世話になった」
「いやいや、こちらこそ。また何かあったら遠慮なく来たまえ。君なら歓迎するよ」
 外まで見送りに出たヌサカーンは珍しく晴れ上がった空を眺め、目を細めた。
「晴れの門出、ということか」
「あー。安心したらおなかすいちゃった。ご飯食べようよ」
「言われてみれば確かにそうだな。腹が減った」
「表通りになかなかうまいレストランが……何だね、その手は?」
 差し出されたゾズマの手を見てヌサカーンは眉をひそめる。
「何って、お・カ・ネ♪」
「……しょうがない奴だな、君は。ではこれを」
 ヌサカーンはポケットから取り出した札束をゾズマではなく、フィオロの手に握らせた。
「これは受け取れん」
「堅いことを言うな。なかなか楽しい実験をさせてくれた礼と、君が蘇生したことに対する祝いだ。遠慮せず受け取りたまえ。だが、間違ってもそこの金銭感覚のない馬鹿には渡さぬようにな」
「ヌサカーン! 馬鹿って――」
「……わかった。ありがとう」
「変わった病気を教えてくれることで礼にしてもらおう」
「……それならここにいるだろう」
 指差した先にいたのはゾズマ。二人の視線が急に向けられ少なからず驚いてもいるようだ。
「確かに難病だな……。死ぬまで治らん『馬鹿』という病気に侵されている」
「よかったな、ゾズマ。三食昼寝付き、しかも名医。これほどの好条件はないだろう?」
 いったいいつの間にこの二人はこんなにも意気投合したのだろうか。意地の悪い笑顔を浮かべた二人の間、ゾズマは思い切り顔をしかめる。
「ヌサカーンの治療なんて死んでもヤだね! 行こう、フィオロ!」
 そう叫ぶと、フィオロの腕を掴み一目散に逃げ出す。後ろで医者の高らかな笑い声が聞こえた。

「……『なぜ彼が自分に執着するのかがわからない』か」
 階段を駆け上っていく二人の姿に目を細めると、ヌサカーンはふっと息をついた。
「あの反応を見れば、存分にわかる気がするがね」

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