[君影草] -11-
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 目を覚ましたのはかつて自分が居た場所だった――。

 ぼうっと輝く星。それは真っ暗な空間が寂しいと思って作った。
 全てを照らすろうそくの淡い光は夜明けの太陽を、そして煉瓦はかつて過ごした故郷を。
 全て、自分の手で作り上げた自分だけの楽園。誰にも邪魔されず、誰の邪魔にもならない、そんな空間を求めて、自分はここへとやってきたのだ――。

「目が覚めたか」
 話しかけてきたのは聞き慣れない声だった。いや、聞き慣れないようでどこかで聞いたことがある声。それがかつて旅をした人間の片割れであり、あの時自分に刃を向けた人間なのだと気付いたのは、その顔を見てからだった。
「お前は……」
「お前を殺したマジックキングダムの術士ブルーだ」
 口に出すことさえはばかられるようなことをあっさりと言い切った目の前の男に思わず笑いが起きそうになり、彼は少し口を歪めた。
「なぜお前がここにいる。その前に――なぜ私は生きている」
「俺がお前を蘇らせるのに借り出された。そしてお前は蘇った。それだけだ」
 そう言うとブルーは後ろで疲れ果てて眠っている妖魔をあごで指した。
「そうか。……礼を言う」
「礼などいらん。それより一つ聞きたいことがある」
「――何だ」
「時術の資質を、返して欲しいか」
 思いもかけぬ言葉にフィオロは目の前の男を凝視した。
「資質を、返して欲しいかだと?」
「そうだ。返して欲しいのならば今すぐにでも返してやる。抵抗は一切しない。俺を殺せ」
 そう言って差し出されたのは彼の腰に下げてあった短刀。美しい細工のしてあるそれには、彼の出身である学院の名と、彼自身の名が彫ってあった。おそらく修士課程終了の時に、記念品として手渡されたものだろう。鋭く光る刃は未だ使ったことがないのか、研ぎ澄まされたままだった。
「……せっかくの申し出だが断ろう」
「何だと?」
 フィオロの答えにブルーが眉を吊り上げる。しかし、それに返すことなく、彼は静かに話し出す。
「今お前が持っている時術の資質は、いわば私から作り出されたようなものだ。私は下級妖魔だが、時術を研究することにより資質を得て、この時代に時術を蘇らせた。ならばもう一度一からやり直せば、再び資質を得られることもあるかもしれない」
「それにはどれほどの時間がかかる」
「……ざっと百年と少しぐらいだな」
「気の長い話だな。それまでに俺が死ぬぞ。ならば今殺したところで――」
「そうはいかん」
 途中まで言いかけた言葉を遮ったのは驚くほどはっきりとした拒絶だった。
「私はお前の弟から色々な話を聞いた。お前に会うために必死で勉強して学院の修士課程を終えたこと、お前に会ったら説得して、二人の術士としてやっていこうと思っていること、何よりお前に会うのを心から楽しみにしていること――。そんな内情を知っている上で、自らの資質のためだけにお前たちを死をもって引き離そうなどとはとうてい思えん」
「義理堅いな」
「それが仲間との信頼関係なのだ、と私は思うからな」
「……お前は妖魔らしからぬ妖魔だな」
「よく言われる」
 そう答えるとどちらからともなく笑い声を上げた。



 フィオロが蘇生したと知って真っ先に駆けつけたのは、やはりヴァジュイールだった。ヌサカーンからの知らせを受けた彼は、喜びのあまり、普段は聞くことのできないような喚声を上げたという。
「やはり、お前がおらんと退屈なのだ」
 本人の前でしゃあしゃあと言ってのけたムスペルニブルの君主はその態度は普段と変わらないにしろ、その瞳の輝きで上機嫌なのが手に取るようにわかる。
「よかったね、時の君。本当によかったね」
「いや、私はもう――」
「構わんではないか。一度名乗った以上、お前は『時の君』だ。名付けた私がそう言うのだから構わんだろう?」
 ルージュの言葉に返そうとしたフィオロを遮ったのはヴァジュイールだった。
「しかし――」
「じゃあ、僕もヒューズみたいに『トキノくん』って呼ぼうかな?」
「……好きにしろ」
 かのIRPOの問題捜査官が付けたあだ名は意外と普及しているらしく、フィオロに出会った人間の約八割が彼のことを「トキノくん」と呼ぶ。これもある意味人望なのだろうか。

「そら、おしゃべりはそれぐらいにしておきたまえ」
 後ろで手を叩いて皆を静めたのはヌサカーンだった。
「彼は蘇生して間もない。まだ何も起こらないとは限らんだろう。それに彼はいまや私の患者だ。主治医の言うことを聞いた方が彼の回復も早まると思うがね」
 そう言っていささかうるさいギャラリーを押しのけると、フィオロの前に立った。
「ここからは君の自由だ。もし、この場で療養したいのならこのまま留まってくれて構わん。しかし、何かあった時に私はすぐには駆けつけられん。私としては、かなりみすぼらしいがすぐに処置のできる我が医院に来てもらえるとありがたいのだが。どうかね?」
「あなたが迷惑にならんと言うのならそちらに出向いた方が良いようだな」
「それはどうも。なら決まりだ。君たちはさっさと帰りたまえ」
 さっと腕を広げて解散の意を示したヌサカーンにすぐさまルージュの不服の声が上がる。
「せっかく久しぶりに会えたのに……」
「それならまたここに来るがいい。私はいつでも構わんぞ」
「本当? じゃあ、今度エミリアさんたちもつれて来ようかな」
 幸せそうにメンバーを数えるルージュをブルーが小突く。彼はなるべくならさっさとこの空間から出てしまいたいらしい。
「では失礼する」
「バイバイ! トキノくん、また今度ね」
 各々の挨拶をして二人は消えた。まこと魔術師とは人間ながら便利な者たちだ。
「では私もそろそろ戻るかな」
 長い裾を翻してヴァジュイールは優雅に歩を進めた。
「また様子を見に来る。そうだ、それとゾズマに会ったら礼を言っておけ」
「ゾズマに? なぜだ」
「お前を生き返らせて欲しいとヌサカーンに頼んだそうだ」
「大事な言葉が抜けているぞ。『殺すと脅して』頼んできたのだ」
「まあ、そんなことはどうでもよいではないか。こうして時の君は再び生を受けたのだからな。よいな、きちんと礼を言うのだぞ。あれはお前のことをたいそう心配しているようだ」
「……わかった」
「それでは」
 その言葉と共にヴァジュイールは姿を消した。後に残されたのは主治医と患者。
「それでは我が医院へ」
「ああ、邪魔するとしようか」
 そう言うと二人は姿を消した。そしてそれと引き換えにこのリージョンには静寂が戻る。

 さらさらとこぼれる砂の音。規則正しく回る歯車と、それによって刻まれる新たな刻。
 一度、君主の墓となったこの宮殿は、再び彼の君の楽園として時を刻み始めたのだった。

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