[ある男の日常〜Ver. WHO?〜] -後編-
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 結局その日は、シュライクのシップ発着場から少し南東に行ったところにある生命科学研究所に行ってみよう、という話になった。
 『行った人間が帰って来ない』、『時たま怪しい叫び声が聞こえる』などと、そんな噂が絶えないこの研究所が、もしかしたらブラッククロスと関係しているのかもしれない、と睨んだヒューズの提案である。
 ずっとシュライクに住んでいたレッドは、小さな頃から「生科研には絶対に近付くな」と言われ続けていた。何故なのか不思議に思って、何度か友人と近くまで来たのだが、ここの異様な雰囲気にさすがのレッドでも怖気づき、そのたびに引き返していた。
 思い出したのか、レッドの顔色は少しばかり悪い。それに気付いたヒューズがハンドルをきりながらにやりと笑った。
「おい、レッド。お前もしかして怖いのか?」
「そ、そんなわけあるか!」
 勢いでそう返してみたものの、「怖いです」と顔に書いてある。それがおかしかったのか、ヒューズが笑い声を立てた。
「おいおい。そんなんじゃあいつまで経ってもブラッククロスを追い詰めることなんかできないぜ? 事が起こってから腰を上げてたんじゃ、捕まえられるものも捕まらねえ。それよりもまず、怪しいと思った場所にはとりあえず行ってみる。これが捜査の基本だ」
 さすがはIPROの捜査官。問題児とは言え、やはりいいことを言う。レッドもそれを聞いて、少しばかり尊敬の眼差しをヒューズに向ける。
「捜査とはそんな体当たりのものなのか」
「ううん。僕、よくわかんない」
 ……後ろの術士二人にはいまいち伝わっていないようだが。
 大通りから外れ、しばらくして車は生命科学研究所に着いた。シダやツタに覆われた間から、白いコンクリートの壁が見える。
 同色の低い塀に囲まれたその建物は、入り口に立派な横引の門扉が構え、その横に『シュライク生命科学研究所』と書かれた看板があった。ところどころ金メッキがはがれ錆付いていて、それがまたこの研究所ができた当時と今とを表しているようで、どこか悲しげに見える。
 人気のない受付を抜けて奥に入ると、金属性の自動扉が見えてきた。恐らくセンサーがついていたのだろう。その名残は見えるが、もはやセンサーは作動しておらず、目の前に立つと小さな機械音が響き、扉は左右に開いた。
「……なんだか薄気味悪いね」
 中を見渡したルージュがふっともらした。
 室内は人の気配もせず、ただ静まり返っている。
「こ、こんなとこにブラッククロスがいるのかよ」
 唾を飲み込んだレッドが、いささか強気にヒューズに話しかけた。しかし、警戒しているのか、彼の耳には届いていない。ただ辺りを見回し、どんな些細なことでも見落とすまいと目を光らせている。
 その時、視界の端に白いものがちらりと見えた。
「……研究員か?」
 呟いたヒューズの声に三人が目を向けると、左の方から白衣をまとった男がゆっくりと近付いてきた。
「……君たちは?」
 低い、小さな声で男が話しかけてきた。ぼんやりとしていて、眼鏡の奥の瞳も焦点があっていないような気がする。
 思わず全員がごくりと唾を飲み込んだが、ヒューズがとっさに手帳を取り出した。
「IRPO本部特別捜査課のロスターだ。ナシーラ所長に少しばかり話が聞きたい」
「…………」
「……おい?」
 ヒューズが研究員の顔を覗き込む。しかし、それにも彼は反応せず何か小さな声でぶつぶつと呟いている。
「おい、あんた。聞いてんのか?」
 不審に思ったヒューズが男の肩を掴もうとしたのと、男が急に叫び声を上げたのはほぼ同時だった。
「ど、どうした――」
 思わず後ずさりした四人の目の前で、研究員の体がみるみる巨大化し、それにつられて外見が変わっていく。
 体は緑色に変色し、ばさり、と音がして腕が大きな葉に変わり、もともと顔があった場所に現れた花のつぼみがどんどん開花していく。
 誰もが皆、目の前で起こったことが信じられず、ただ目を見開いて研究員が変わっていく様を眺めている。その前で、人間の男だったものは今や、大きな花を咲かせた、二メートル以上もある大きな植物系モンスターへと姿を変えた。
 モンスターの体がヒューズに覆いかぶさるようにゆらりと揺れる。
「――危ない!」
 とっさに後ろからヒューズの襟首を掴んだのは、いち早く我に返った時の君だった。間髪入れずに、ヒューズの鼻先をモンスターの大きな葉が掠める。
「畜生! どうなってんだ!」
 レッドが銃の引き金を引く。静かな室内に銃声が響いたが、慌てていたためか弾は的を外れ、花弁の先を僅かに散らしただけに終わった。
「この野郎!」
 突っ込んだヒューズが茎に強烈な一撃を食らわせる。しかし、人間なら一撃で叩きのめす彼の拳も、モンスター相手にはそう簡単には通用しない。
 少しばかり声を上げたものの、ゆらゆらと揺れる体は倒れる気配はなかった。
「幻夢の一撃!」
 ルージュより先に詠唱の終わった時の君が術を放った。ジャッカルが異空間から現れ、その鋭い牙を立てる。ばさりと音がして、大きな葉の一つが床へと落ちる。
 しかし、それと同時に無数の種が凄まじい勢いで術を放ち終えたばかりの時の君へと襲い掛かる。避ける間もなく、全身に種の銃弾を受けて、彼はうめき声と共にその場へうずくまった。
 しかもあろうことか、モンスターはその大きな頭部をぐるりとひねると、その先にいたヒューズにまで種を放つ。ふいを突かれてヒューズもまたそのバルカンの餌食となった。
 敵の反撃により一気に戦力は二分の一となる。このままではまずい、と直感したルージュは、詠唱を別のものへと切り替えた。
「レッド!」
 術を今まさに放たんとしていたルージュの声にレッドが無言で頷いた。二人で呼吸を合わせ、先にレッドが駆け出す。
「おらーッ!」
「エナジーチェーン!」
 レッドが足元目がけて蹴りを入れるとモンスターはバランスを崩し、左側へと大きく揺れた。そこへ魔力で作られた鎖が巻きつき、モンスターの体を締め上げる。
 ぎちぎちと音を立てて鎖がモンスターの体へと食い込んでいき、その動きを完全に封じ込めていく。
「よっしゃ! これで仕上げだ!」
 体制を整えたレッドが、モンスターへと掴みかかろうとしたその瞬間、閃光が放たれた。
 あまりにも強いその光は、瞬時に二人の視界を真っ白に染め上げる。目の前に無数の斑点が浮かび、モンスターの状態を把握することすらままならない。
 何とか視界をはっきりさせようとかぶりを振るが、ちょっとやそっとでは治らず、ルージュは術を放っていた手を下げてまぶたを押さえた。
 何度も瞬きしつつ、徐々に視力の感覚を取り戻していく。ようやくおぼろげながら周りの風景が見え始めた時、今度は隣りから眩い光が放たれた。
 驚いて必死で目を凝らすと、ぼんやりとだが動きが見えた。レッドの体が光に包まれている。やがて光が飛散し、その中から現れたのは金色のファイティングスーツをまとったヒーロー――。
(アルカイザー!)
 その姿には見覚えがあった。先日、ブラッククロスの情報を掴んで訪れたマンハッタンのキャンベル貿易ビル。そこの女社長が四天王の一人、アラクーネだとわかり、撃破したその時、共に戦った謎のヒーロー。それこそが今目の前にいるアルカイザーだった。
(まさか、そんな――!)
 ルージュが目を見張った瞬間、目の前にいきなり黒い影が現れ、ルージュの視界を遮った。
「御免!」
 男の声と共にルージュのみぞおちに一撃が加えられる。激痛が体を駆け抜け、意識が遠ざかる瞬間、黒い影が離れていった。アルカイザーとは違う、黒いファイティングスーツに身を包んだ人物。
(あなたは――?)
 問いかけたつもりでいたが、微かに唇が動いただけでそれは声にはならなかった。やがて闇が襲い掛かり、ルージュもまたその場に倒れこんだ――。



「お、やっと目覚ましたな」
 目を開けた瞬間に視界に入ってきたのはいつもと変わらぬレッドの笑顔だった。
 ぱちぱちと瞬きを繰り返して辺りを見るとどうやらシュライクの宿屋のようだ。レッドの後ろ、相変わらず無表情な時の君と顔中絆創膏まみれのヒューズが、仲良くそろって腕組みをして立っていた。
「あれ? 僕は……」
「生科研から帰ってきてからずっと寝てたんだよ」
「そうだぜ。『気絶してるしこりゃやべーっ!』って思ったらぐーぐーいびきかいてるんだもんなあ。参っちゃうぜ」
 ヒューズとレッドが口々にそう言うのを聞いて、ルージュは必死に記憶の糸をたどり寄せる。
 確か生命科学研究所に行って、研究員がモンスターになって、それで皆で戦って――。そこまで考えてルージュは慌てて飛び上がった。
「アルカイザー!」
 その声に他の三人が思わず驚いた顔をした。しかし、それはヒューズの一笑で表情を変える。
「そういや、アルカイザーが来たらしいな!」
「そうなんだよ! ルージュ、お前も見たのか?」
 生き生きとした目でレッドがそう聞いてくる。
「な、何言ってるの! アルカイザーはレッドじゃないか!」
 ルージュが思わずそう叫ぶと、とたんに室内にヒューズとレッドの爆笑が響き渡った。
「おい、ルージュ。何言ってんだよ!」
「そうだぜ。こんな弱っちいガキがアルカイザーなわけねーだろ!」
「そうそう……って弱っちいって何だよ、おっさん!!」
「おっさんって言うなっつったろ! 第一、弱っちいやつを弱っちいって言って何が悪いんだ?」
 ぎゃいぎゃいと掴み合いの喧嘩を始めた二人は放っておいて、ルージュは一人黙っていた時の君へと視線をよこす。
「……酔狂な考えだな」
 眉一つ動かさず、ぽつりと呟かれた一言にルージュは目を丸くした。
「でも、僕はこの目で――」
「確かにあれは人間としての戦闘力は平均より勝っているかもしれん。だが、キャンベルビルで見たあのアルカイザーとやらの戦い方とはまったく違う。大方、意識を手放す瞬間に幻でも見たのだろう」
「そうかなあ……?」
 しきりに首を傾げるが、幻と言われればそのような気もする。いかんせん意識を手放す直前のことなのではっきりと覚えていない。そう、意識を手放す――。
(……あ!)
 ふいに一人の男の存在が頭を過ぎる。黒いファイティングスーツに身を包んだあの男!
「レッ……!」
 思わず呼びかけるが、当のレッドはヒューズにプロレス技をかけられ、床に突っ伏したまま叫んでいる。しかもちっとも反撃できていない。
「まったく、どれもこれも酔狂な輩よな」
 助けるでもなくその光景を見ていた時の君の呆れた声に、ルージュも思わず頷き返す。
(そうだよね。例え、あの人とアルカイザーが関係あったとしても、レッドがアルカイザーなわけないよね……)
 何度も形勢逆転しようとしてはそのたびにさらに締め上げられている友達を見て、ルージュはくすくすと笑いを漏らした。
「がんばれ、レッドー! 弱っちいよー!」
「うるせー!!」
 星空の下、小さな宿屋の一室から明かりと共に笑い声が溢れ出す。
 黙ってそれを見上げていた男は、微かな笑みを唇にたたえるとさっと踵を返し、夜の街へと消えていった――。

|| THE END ||
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