[ある男の日常〜Ver. WHO?〜] -前編-
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 ヒーローの朝は早い。
 朝日が地平線から昇りきるのと同時に飛び起き、軽く運動を済ませると、朝のパトロールへと出かける。
 これは別に強制されていることではないが、彼の気質がそうさせるのだろう。
 とにもかくにもアルカイザー――レッドこと小此木烈人の朝は早い。



「ねえ、僕は絶対おかしいと思うんだ」
 そう言って朝食のトーストをほおばると、青年は目の前で新聞を読んでいた金髪の男に視線を投げる。
「ふゅーふゅふぁほうほほふぁふぁふぃ?」
「思わねーよ」
 金髪の男は新聞から顔も上げず、味気のない返事をした。二十代と思しきその男の服の袖には皆が見知った印が入っている。トリニティの治安維持組織、IRPOのマークだ。
 対して、ここシュライクでは絶対に見られない緋色の法衣に身を包んだ青年は、明らかに不服と思われる表情をして、今度は自分の右隣にいる男に話しかける。
「ふぉふぃふぉふふふぁ?」
「……ヒューズ。翻訳してくれ」
 格闘していた目玉焼きから顔を上げてそう言ったのは、これまたシュライクでは見られない白い魔道着をまとった男だった。精悍な顔立ちではあるが、それがまた皿の上にちょこっと乗った半熟の目玉焼きとあまりにも合わず、どこか笑いを誘う。
「『トキノ君は?』だってさ」
 もう一度口を開きかけた青年に代わって、ヒューズと呼ばれた男が口を開いた。それに対してこの男は。
「さて、私がどうかしたか?」
 そんな呆けた答えを返す。とたんに青年の顔つきが変わった。
「あのね、トキノ君が最初に『レッドを見た』って言ったんだよ? だから僕は絶対おかしいって言ったのに!」
 トーストを飲み込んだおかげでようやくまともな言葉が青年の口から飛び出す。周りで朝食を摂っていた観光客が好奇の眼差しを向けるがそれにも構うことはない。
「まあまあ、落ち着けって。ほら、ルージュもコーヒー飲むだろ?」
 視線に耐えられなくなったのかヒューズが新聞を折ると、花柄のポットに手を伸ばす。同じ柄のカップに注ぎ込まれたのは香り豊かなブルー・マウンテン。
 最初、この豆の名前を聞いて飲むのを嫌がっていたルージュだが、今では大のお気に入りとなっている。
 案の定、カップにたっぷりの砂糖とミルクを注ぎ込まれて、彼のご機嫌は瞬時によくなった。意外と単純な性格である。
「あ、レッドを起こしにいかなきゃ」
 カップに口をつけたその時、視界に飛び込んできた時計を見て、ルージュは席を立った。
「八時半に起こしてくれって頼まれてたんだ。じゃ、僕ちょっと行ってくるから」
 湯気の立ったカップをそのままに、ルージュはぱたぱたと足取りも軽く、二階の客室へと続く階段を駆け上がっていく。
 その姿を見送りながら、また新聞に目を戻そうとしたヒューズはふいに話しかけられ動きを止めた。
「……私はレッドを見たなどと言ったか?」
 至極真面目な顔でそう尋ねられ、ヒューズは一瞬ぽかんとしたが、やがて頭を抱えた。
「……言ったよ。ほんの五分前に」
「そうか。まったく覚えていないのだが」
「それに夢中になってたからだろ?」
 そう言ってあごで時の君の手元にある皿を示す。そこには潰れないように綺麗に切り離された黄身と、切り刻まれた挙句、邪魔者の如く皿の端に追いやられた白身があった。
「白身はどうも苦手でな」
 ため息をついた時の君に「じゃあ、俺の皿に入れとけよ」とだけ返して、ヒューズは再び新聞へと視線を落とした。



「レッドー! 朝だよ、朝!!」
 部屋に入るなり、ルージュは盛り上がった布団めがけてダイブをした。とたんに蛙の潰れたような声が響く。
「朝だってば! 起きなきゃダメだよー」
 布団を引き剥がしつつ、寝転んでいる相手の耳に大声で話しかけると、ようやく彼がこちらを向いた。
「……うう。もうちょっと普通に」
「だって、こうしないとレッドってば起きないじゃない」
 ベッドからよっと一声飛び降りたルージュは、腰に手を当てると、レッドがのろのろと起き上がるのを待っていたが、やがてしびれを切らしたのか、ばさっと布団を剥ぎ取った。
「遅い!」
「そんなこというなよ〜。眠いんだってば」
「……だって、朝一度起きてるもんね」
 ふいにルージュの声のトーンが下がり、レッドはぎょっとして顔を上げる。
「ど、どうしたんだ? 朝起きたって……」
「トキノ君から聞いたよ。五時過ぎにレッドが外に出て行くのを見たって」
 とたんにレッドの顔が青ざめた。目も僅かながら泳いでいる。明らかに何かを隠している感じだ。
「……レッド、僕を裏切ったね」
 先ほどとは打って変わって、ルージュの低い声が明るい寝室に響く。普段の彼からは想像もできないような黒いオーラが部屋を包み、朝日さえも隠してしまいそうだ。
「る、るーじゅ……」
 震える声でレッドがそう呼んだ時だった。
「ひどいよ、レッド!」
 ルージュの叫び声が寝室の空気を震わせた。
「ひどいよ、ひどいよ! 僕たち一緒に強くなろうねって約束したのに、一人だけ朝起きてトレーニングしてるなんて! ああっ! どうせ僕は術士さ! 力もなければ動きだってとろいよ! でもね、でもね、僕だってね!」
 レッドのタンクトップを引き裂かん勢いで掴むと、ルージュは前後に揺さぶった。
「僕だってね、ちょっとでもレッドの役に立ちたいと思ってがんばってるのにィィィ!」
 一気にそうまくし立てると、ルージュは布団の上に突っ伏した。あまりのことにレッドが固まったままでいると、やがてじろりと恨めしげな視線が投げかけられる。
「それなのに、レッドは僕を置いて一人で強くなろうとしてるんだね……」
 恨みのこもったその声に、レッドは慌てて首を横に振る。とんでもない。これには深い事情があるのだ。
「何? 何が違うの?」
 相変わらずルージュは微動だにしない。ただ、恨めしげな視線が今や悲しげな色を帯びているだけで。
「ねえ、何が違うの? 朝早く起きてトレーニングに行ったんでしょ? この僕を置いて!」
「ち、違うってば! これはその……」
「これはその?」
 急に口ごもったレッドの言葉をルージュが繰り返す。
「これはその……」
「これはその!?」
「ちょ、ちょっと朝の空気が吸いたくなって……」
 言ってからレッドは自分の言い訳の下手さを後悔した。こんな理由でルージュが納得するはずがない。なんたって彼は頭がいい上に直感も働いて――。
「なーんだ。そんなことだったんだー」
 能天気な声が聞こえ、レッドははっとしてルージュの顔を見た。先ほどとは明らかに表情が違う。
「もう、そうならそう言ってよー。僕、思わず誤解しちゃった」
 そう言ってルージュがケラケラと笑い声を立てる。
「朝の空気が吸いたかったんだねー。うんうん、わかるよ。朝の空気ってさっぱりとしてておいしいもんねー。僕もキングダムにいた頃、たまに朝四時ぐらいに起きて散歩してさ、よく掃除係のおじいさんの手伝いしてたんだよ。
 そうそう。そのおじいさんがまた園芸に詳しい人でね、花壇から芽が出てるの見て『これは何月何日頃咲くぞ』って教えてくれるんだ。そしたらその通りに咲くんだよねー。僕もう驚いちゃって。ねえ、すごいと思わない?」
 嬉しそうに尋ねてきたルージュに頷き返す。とりあえず、今は彼の話に合わせていた方がいいと判断したからだ。
「あ、やっぱりレッドもそう思う? 僕ねー、そのおじいさんから色んな花の種もらって――」
 ちょうどルージュがそう言いかけた時、ドアがノックされて話は中断した。
「おいおい。二人揃って何してんだよ」
 顔をのぞかせたのは下で食事をしていたヒューズだった。あまりにも遅いので見に来たらしい。
「ルージュまで一緒になって寝っ転がって。そういうの何て言うか知ってるか? ミイラ取りがミイラになるって言うんだよ。
 まあ、そんなことどーでもいいからとにかく降りてこい。朝食なくなるぞ」
 その言葉に応えるようにレッドの腹から派手な音が鳴り響く。
「ほーらな。朝食食いっぱぐれたくなかったらさっさと降りてくるんだな」
 それだけ言うとヒューズは扉を閉めて行ってしまった。癖のある革靴の音が階段に響いている。
 とたんにまた、先ほどと同じようにレッドの腹の虫が大きな声で騒ぎ立てた。
「……とりあえず、朝飯食わないとな」
「……だね」
 思わず顔を見合わせて笑うと、二人もまた階下の食堂へと慌てて駆けていった。

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