[The Tail Catchers] -01-
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 先に断っておこう。これは俺と愛すべき馬鹿共との、別に心もピザも温まらない、どこにでも転がっているような他愛もない話だということを。

「いらっしゃい」
 戸口の鐘が鳴れば無意識でもそんな言葉が漏れ、ちらりとそちらに目をやる。入ってきたのはここクーロンではさして珍しくもない、若者特有のだれた服を着た少し小柄な男だ。金を持っているのかは知らないが、この店に入ってくるのなら目的は本来ならば一つだろう。
「いらっしゃいませ」
 同じようにライザが応え、男の落ち着いた先に水を運ぶ。その際、男の何かを伺うような目が少々気にはなったが、さすがに疑いを持つには至らなかった。追われているとしても、奇妙とは取られないのがクーロンの長所でもあり短所でもある。この男もまた少なからずそのような状況を抱えているのかもしれない。いや、これは俺の本業柄そう思うだけで、他の店主はよほどのことでもない限り、考えもしないだろうが。
 だが、コーヒーを頼んだはずの男がのこのこ厨房までやってきてはさすがに疑わざるを得ない。
「何かご用でしょうか」
 裏へと続く通路に立ちはだかると、男の目がまるで震えるようにちらちらと動いた。なんてザマだ。もしやここを相手に強盗でも働こうというのか。残念ながらそうは――。
「……グラディウス」
 その一言を聞き、思わず目を細めた。少し離れた場から見ていたライザもそうだ。
「グラディウスのアジトだって聞いたんだけど……」
「誰から聞いた」
「わからねえ。知らない男だよ。いきなり現れて、ここにグラディウスのアジトがあるから匿(かくま)ってもらえって」
 ここをアジトだと知っている人間。パトロールの一部かはたまた裏社会の人間か。後者となれば調べるのは殊更骨の折れる仕事になるだろう。このクーロンだけで、どれだけの思惑が渦巻いていると思う。
「どんな男だ」
「フードをかぶってたから……でもオレより背が高い、若い男だった」
「何の手がかりにもならんな」
 そう切り捨てると、ついに男は縋りついてきた。冗談ではない証拠に、額にはじっとりと汗が滲んでいる。
「頼む! オレは何もやっちゃいない! 頼まれたものを渡しただけなんだ!」
「いいから落ち着け。まずは話を聞こう」
「その前に頼むから――」
 男がそこまで叫んだ時だった。急に目の前にもう一人男が現れたのだ。今度は見知った、パトロールの妖魔隊員だ。いつもの何を考えているのかわからない顔のまま現れた彼は、何もない空間にいきなり現れ、地に足をつけるや否や、縋りついていた男を羽交い絞めにした。とたんにタイミングを図ったかのように店のドアが音を立てて開かれる。
「ナイス、サイレンス! ようルーファス、邪魔するぜ」
 相変わらずのぼさぼさ頭が顔を覗かせる。十年前に出会って以来、なぜか縁の切れないそのヒューズという男の面を見ていると、もはや今ここにある事態ははっきりしたも同然だ。だが、こちらにも頼られてきた意地がある。相手がパトロールだからと言って、いつもご苦労様ですとあっさり身柄を引き渡すわけにもいかん。
「待てヒューズ。依頼の話がまだ終わっていない」
「依頼だと? 関係ないな。俺らはコイツを捕まえにきたんだ」
「そんなものは見ればわかる。少し時間を寄越せと言っているだけだ」
 改めてそう言うと、渋々ながら諾の返事がやって来る。まあ、この時点ですでにグラディウスとパトロールに――至極個人的にではあるが――繋がりがあるとわかったのか、囚われの男は先ほどとは打って変わって絶望に満ちた目をしていたが。地下組織として隠されているこのアジトを知っていて、なおかつ教えた人間がいると言われた以上、こちらとしても聞かぬふりをするわけにもいくまい。蟻の穴から堤も崩れ。気を引き締めて謎の男の行方を捜す必要がある。そのためにはまず情報が必要だ。
「悪いが手錠はかけさせてもらうぜ」
 こちらも譲歩という形でそれを許し、テーブルについたのは十分も経った頃か。今一度男に視線を合わせ、ここへ来た経緯を聞く。ヒューズが事件のあらましをと口を挟んできたがそれは断った。目の前に当事者がいるならそちらから聞いた方が早い。
 だがそんな期待を持っていたのは少々間違いだったようだ。未だ動揺しているのか、男の話はちぐはぐで、いちいち流れを確認しなければならないほどだった。それでも何とか概要はわかった。どうやらこの男、先にも出た黒いフードの男とやらに小さな袋を渡され、ある人物に渡してほしいと頼まれたようだ。そんな得体の知れない仕事をたったの百クレジットで。
 対してヒューズたちはといえば、どうやら、その渡される側の男を張っていたらしい。いわゆる張り込み捜査というやつだ。
 麻薬の蔓延に手をこまねいているクーロンはこのたび、売買や使用に対し、薬物特法を設けて罰則を強化した。それから二週間、現在パトロールが全力を挙げて薬物取締りのキャンペーンを行っている。もちろんクーロン署だけでは追いつかないので、本部から助っ人としてヒューズたちも参加しているらしい。そこでターゲットとしたのが相手の男というわけだ。約束の日付と場所を、すでに逮捕した人間から聞きだしていたヒューズたちは、その時を今か今かと待ち構えていた。そこにひょっこり、この目の前の男が現れ、ターゲットに袋を渡した。その時点でわっと飛びかかったはいいが、こいつには逃げられた、という顛末だ。そういう詰めの甘いところがいつか命取りになると何度か教えてやったが、未だ改善の兆しは見えない。
「とにかくわっと来たから驚いて……走り出したら急に腕を掴まれてビルの間に連れていかれたんだ。またあの男だよ。今度は表通りのnove draghiって店に行けって。グラディウスってIRPOから身を守ってくれる奴らがいるからって」
「ここだな。でもなんでそいつはグラディウスのこと知ってたんだ?」
「それはこちらが聞きたいくらいだ」
 いくら裏では有名な組織とはいえ、大々的に看板など出してたまるか。だいたい、そんなことをしてはご近所との折り合いが悪くなってしまう。いや、そんな愚痴はいらんな。問題はとにかく、その男が何者かというただ一点だ。
 しかし、ここでヒューズからとんでもない情報が告げられた。
「でもな、お前の言ってるその黒いフードをかぶった男な、俺らにお前がここにいるって教えてきたんだぜ。もしそれが同一人物ならどうだ」
「つまり双方ここへおびき寄せられたというわけか」
「ああ、そいつの思惑通りにな」
 知らないと頭(かぶり)を振る男に嘘は見られない。恐らく使い捨てのつもりで引っ掛けられたのだろう。
「だが俺たちにとっての問題はそこじゃない」
 そう話を切り替えたこちらに対し、ヒューズは立ち上がるという仕草で抵抗を見せた。
「いいや、俺らの問題はここまでだ。こいつ、そろそろしょっ引かせてもらうぜ」
 パトロールにとっては実行犯こそ目の前の獲物。それがわかっている以上、確かにいつまでも足止めをさせているわけにもいくまい。ましてや、こちらにはまったく別の目標ができたとすれば尚更だ。
「えっ、匿ってくれるって話は……」
「パトロールにやってもらえ。それより、こちらはお前に仕事を頼んできた男の方が気がかりだ」
「心配すんな。たとえ命を狙われようが、フラフラしてるよりは檻の中にいた方が安全だぜ」
 意地の悪い笑みをヒューズが浮かべたが、それも一瞬のことだった。男は問答無用と言わんばかりのサイレンスに連れられ、情けない声を上げながらも店の外に引きずり出されていく。代わりに店へと入ってきたアニーとヒューズの小競り合いがあったが。顔を合わせるたびとは、まったく飽きない奴らだ。
「なに? あのバカ、またサボりに来たの?」
「そうではないが野暮用でな。それよりアニー、探してもらいたい奴がいる」
 未だ入り口を睨みながらの問いかけではあったが、今までのことを手短に話すとすぐに彼女も合点がいったようだ。
「オッケー。報酬ははずんでよね」
「結果によりけりだ。それからライザも頼む。どうもこれには何か事情が隠れているような気がしてならない」
「直感?」
「まあ、そんなところだ」
「あら珍しい。あなたが勘で物を言うなんて」
 そう言いながらもまた彼女も戸口へと向かう。うちの支部のいいところは行動が早いところくらいか。だがとにかく今は、その速さが武器になる。

* * *

「とんでもない野郎を引っ張っちまった」
 翌日、今度こそ正真正銘サボりに来たヒューズは、テーブルについてから今まで何度もその言葉を口にした。昨日捕えた男のことだ。何でも、本人は親などいないと言ったらしいが、実は父親がいるらしい。しかもマンハッタンのお偉いさんだとか。どうやって今回の事件を知ったのかはわからんが、有能な弁護士とやらを寄越してきて、何かと署内で煩いらしい。
「どうやら数年前に大喧嘩して、あの男はクーロンにやってきたらしいんだ。すでに本人は縁を切ってるつもりらしくて、それで親はいないなんて言ったみたいだぜ」
「よくある話だな。どうせ十年もすればほとぼりも冷めるだろう。――それより、例の男のことはどうなった」
 こちらが尋ねるとヒューズは少し驚いた風な顔をしてみせた。
「そっちが探してるんじゃないのか」
「もちろんやっている。だがお前たちはどうなんだと聞いているんだ」
「おいおい、俺らには守秘義務ってやつがあってだな」
「容疑者の内情をぺらぺら喋っておいて今更それか」
 そこを突かれるとやはり痛いらしい。コーヒーをわざとらしいほど音を立てて飲むと、やがてちらりと天井を見てぼやいた。
「それが、なーんにもわからないんだ。身元どころか足取りもな。まったくIRPOってだけでここの奴らは手を払いやがる」
 もともと犯罪発生率が高く、常にパトロールといたちごっこと名高いここクーロンならば、そうなってしまうのも無理はない。間接的とはいえ、彼らを信用できないと言う声も飽きるほど聞いている。マンハッタンのようにトリニティのお膝元ならばいざ知らず、こういうところではやはり身動きが取りにくいのだろう。
「おいおい、聞くだけ聞いてお前はだんまりかよ。天下のグラディウス様だ、何か掴んでんじゃないのか」
「まあ、それなりにはな。一つだけいいことを教えておいてやろう。あの男はおそらくもうクーロンにはいまい」
 アニーが釣ってきた情報だ。それなりに信用度は高い。覗きが趣味だという男に掛け合って、シップ発着場付近に仕掛けたカメラを見せてもらったところ、それらしき人物が入っていくのが映っていたという。これだけですでにいないと断言するわけではないが、少なくとも、このリージョン以外をうろついているという可能性はある。
「よし。だったら、発着場のカメラを調べるまでだ!」
 それを知ったとたん、ヒューズはすぐに店を飛び出した。そういう公的な方面は彼らの方がやりやすい。嫌がられることも多いとはいえ、やはりあの腕章と手帳の威力は絶大だ。

※nove draghi(伊)=九匹の竜

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