[The Tail Catchers] -02-
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 ならばその間こちらは吉報を待つのみ、下ごしらえでもしようと席を立った俺を呼び止める声があった。どこかで聞いたことのあるような、少し幼さの混じった声だ。
「……お前は」
「久しぶりっ。その……ヒューズはもう来ないよな」
 店先を見張っていたのか、未だに外をうかがっては不安げな顔をする、それこそまさに半年ほど前、仇に手を貸してくれと声をかけてきたシュライクの少年、レッドだった。
「あいつなら今からシップ発着場だ。何だ、顔を合わせるのはそんなにまずいことか」
 俺からすれば、この二人は何だかんだと言いながらも相当信頼し合う間柄だったはず。しかし今は隠しておきたいことがあるのだろう。こちらの言葉に肯定を返してきた頷き方を見ればわかる。
「だってさあ、ヒューズに言ったら絶対怒るから」
「そんな怒られるようなことなのか」
「うーん。……まあね。あのさ、グラディウスの力をもう一度貸してもらいたいんだ」
 昨日今日と妙に客が多い、と頭の隅に浮かぶ。昨日はあの男、そして今日はこの少年。便利屋をやっているつもりは毛頭ないのだが、どうも最近そのように見られているという可能性は否めない。
「とにかく話を聞こう。何か飲むか」
「じゃっ、コーラ!」
「そんなものはない」
 きっぱりと断り、代わりにアイスコーヒーを出してやると、息をつく間もなくグラスを空にして二杯目を催促する。何やらあちこちと寄ってきてひどく喉が渇いているらしい。
「シンロウに行ってそこから京に行って……もうくたくただよ」
「それで果てはクーロンか。お前、仕事しているんじゃなかったのか」
「大丈夫。今日と明日は休みだから。それよりさ、手を貸してもらいたいって話」
 そこでいったん言葉を切り、レッドは辺りをきょろきょろと見渡した。まだヒューズを警戒しているのか、それとも別の何かか。
「皆いろいろと用が多くてな。ここには今、お前と俺の二人しかいない」
「そっか……なら安心だ。あのさ、これはオレの想像なんだけど――ブラッククロスはまだなくなってないかもしれないんだ」
 ブラッククロス? 例の集団か。レッドの仇討ちに付き合って結果、組織を瓦解させることになったが、すでにけじめのついたものだとばかり思っていたが。
「いったいどんな確証があるんだ」
「うーん、証拠ってわけじゃないから想像なんだけどさ。三日前なんだけど、仕事の帰りに怪しいやつを見たんだ。こう、まっ黒のフードかぶっててさ。シュライクじゃ、そんな格好してるやつなんていないから気になって見てたらさ、路地にすっと入ってったんだよ。それだけで怪しいだろ? しかもそいつ、そこで待ってたやつに小さな紙袋を渡してたんだよ。あれは絶対麻薬だ。まず受け取ったやつの顔がもうヤバかった」
「それは早合点に過ぎる。万が一お前の予想が当たっていたとしても、なぜその時点で通報しなかった」
「ピンときたんだよ、ブラッククロスなんじゃないかって。あいつら、同じ方法で資金稼ぎしてたし。だから」
「だからじゃないだろう。そもそもお前の仇討ちはもう終わったはずだ。いつまでもそんなことに首を突っ込んでいないで――」
 いかん。我ながら説教くさくなってしまった。俺もそれなりの歳ということか。だが、ただ勘だけで動いては後でとんでもないことになる。それは俺が実際体験してきたのだから間違いはない。ましてやレッドは特に何の後ろ盾もない一般人だ。そのようなことに関わって火の粉が降りかかってきた時、いったいどうするというのか。
「それは……でもさ、あいつらが一人でも残っていると思うと、それだけで悔しいんだ。父さんに顔向けできないんだよ」
「その気持ちはわかるが、お前が噛むには少々危ないと言っているんだ」
「だからここに来たんだろ?」
 先ほどとは一転、うまくやったと言わんばかりの小ずる賢い顔に、こういうところばかり頭の回る奴だとため息が漏れる。だが、そう思いながらもすでに断るつもりはなかった。レッドの見た男というのも気にかかる。風貌、そして行動がこちらが探している者と一致する。それだけで決めるのも何だが、少しでも可能性があるのなら賭けてみた方がいい。――もし違っていたのなら、その時点ですぐに別の方法を考えればいいだけの話だ。
「よし、交渉成立だ」
「ほんとか?」
「ああ。実はそいつと似たような男を俺たちも追っている。だがな、それはパトロールの連中も同じだ」
 それを聞いたとたん、レッドの顔が歪んだ。ヒューズと鉢合わせる可能性がすぐに浮かんだらしい。
「バレたらやっぱり怒られるかな」
「それだけお前を心配しているということだ。あいつは言葉より先に手が出る性質(たち)だから、少々痛い思いはすると思うがな。――それより、男のことだ。こちらが掴んだのはクーロンでちこちうろついた後、シップ発着場から出て行った『らしい』というだけだが」
「俺はあいつの動き自体は知らないんだ。その代わり、いそうな場所は見てきた。――やっぱりいなかったけど」
 先ほど言っていたシンロウと京のことか。
「そうそう。どっちも元々ブラッククロスの基地があったとこなんだ。特に京は麻薬製造もやってたから念入りに見て回ったんだけど、どっちも収穫なし。マンハッタンのキャンベルビルはもう人手に渡ってるし、オレの知ってる限りで可能性がありそうなのってもうここくらいしか残ってないんだ」
 確かに裏通りにはシュウザーという男の基地があった。しかし元から廃屋で、住み着いていた奴らを追い出して使っていたとの通り、再び無人となった今はまた彼らが戻ってきていると聞いている。そんなところにわざわざ――いや、待てよ。その日一日暮らす金にも困っている奴らのことだ。目の前に金をちらつかせられた場合、食いつかない方がおかしい。ちょっと積めば、危険な仕事などいくらでもやるだろう。
「なるほど。相手の目的はわからんが、そこにいる可能性はある」
「だったら早く行こうぜ! そいつをとっちめて――」
 その時だった。店のドアが勢いよく開かれたのは。……もう少し丁寧に扱ってほしいものだ。入り口は店の顔だぞ。
「やったぜ、ルーファス!」
 こちらを呼ぶ声と、レッドの悲鳴が聞こえたのは同時だった。そう、彼が会いたくないと何度も愚痴っていた張本人、ヒューズがいささか頬を紅潮させながら飛び込んできたのだ。おおかた発着場を移動する男を見つけたのだろう。見つけた時間等告げていたため、監視カメラをチェックするのにもそう手こずらなかったはずだ。そうすれば足取りを掴むこともできないわけではない。レッドの説を裏付ける可能性もあるし、他の事実が浮上することもある。
 いや。それよりも、今この目の前の状況をどうにかしなければならない。
「レッド、お前こんなとこで何やってんだ」
 一転して、ヒューズの声に凄味が加わる。
「何って、飯食いに……」
「ウソつけ! 飯作る奴まで座り込んでて、食いに来たもクソもあるか! ……お前、俺に何か隠してるな?」
「バッカじゃねーの! そ、そんなこと」
「あのなあ、ウソつく奴の顔なんかゴマンと見てきてんだ、俺は。そんなしょぼいウソで騙されるとでも思うか」
 詰め寄られた時点で勝敗など明白だ。案の定レッドは突き通す気力もなくなったか、しどろもどろになってこちらを見てきた。そうなればヒューズの視線もこちらに向く。
「ルーファス、お前もなんか隠してるだろ」
「隠しているわけじゃない。言っていないだけだ」
 屁理屈にも過ぎる言葉だが嘘ではない。事実、ヒューズもまだここに来た理由すら言っていないではないか。
「見当はついてるんだろ」
「まあな。おおかた、例の男のことだろう」
「例の男って。あのフードかぶった男?」
 とっさにレッドが口を挟んだ。自身の推測がある以上やはり気になるらしい。しかし、それを黙って聞き逃すほどヒューズも馬鹿じゃない。すぐさま視線を戻し、
「おい、レッド。何だって?」
 そう詰め寄る。そこで慌てて口を閉じてももう遅い。
「おいお前、知ってること洗いざらいしゃべってもらおうか」
「し、知ってること? 何のことだか」
「よう、何ならお前を重要参考人としてしょっ引いてもいいんだぜ」
 それはやりすぎだ、と口を挟もうかと思ったが、するより先にレッドが折れた。ヒューズが時にとんでもない手段に出ることは短い付き合いでもすでにわかっているのだろう。不服そうな顔をちらりとは見せたが、それもすぐに何かを決意するものになった。
「……あのさ、ヒューズは黒いフードをかぶった怪しげな男を追ってるんだろ」
 レッドがそう切り出すと同時に、ヒューズがじろりとこちらを睨む。
「なんだよルーファス。しゃべったのか」
「話してはいかんとは聞いていない」
 いつものやり取りではあるが、レッドには戸惑いを与えたらしい。しばらく様子を伺った後、また少し下を向いたままぼそぼそと口を開く。
「その男っての……俺が見たやつかもしれないんだけど」
 遠慮がちに告げられた言葉を聞いたとたん、ヒューズの目の色が変わった。半分は用心の、そしてもう半分は稀にしか見せない――と言うと本人は心外だと怒るかもしれないが――捜査官としての本能のようなものだ。
「レッド、俺はな。IRPOに入ったばかりの時に叩き込まれた。まず相手の発言を鵜呑みにするな、それから何でも直結させるな、じっくり考えろってことだ。――でもお前の話はめちゃくちゃ気になる」
「そ、そうか? そうだよな?」
「ああ。で、お前が見たってのはどんな男なんだ」
 胸から手帳を取り出したヒューズを見てレッドも覚悟を決めたのだろう。己がシュライクで見たという男のことを話し出した――はいいが、少し情報が足りない。なるほど、このようなところでうまく誤魔化そうというわけか。言葉を選び、ブラッククロスのことは伏せたまま自分の見たままを喋る。もちろん、嘘は言っていないので責められることはない。
 ヒューズもあらかたメモを取ると、今まで自分が得た情報と照らし合わせつつ、ふんと小さく鼻を鳴らした。
「なるほどな。確かに類似点は多い。こりゃ調べてみる価値ありってとこかな」
「そ、そうか。よかった」
「おう、協力ありがとな。……で、本題だ」
 ……残念。ここで引き下がるほどヒューズも甘くはなかったか。
「レッド、お前ここに何しにきた」
「だっ、だから」
「飯なんて嘘は通じないって言ったろ。ほら、素直に吐きゃ楽になる――」
「おっと。パトロールの領域はここまでだ。その先は、俺とクライアントの問題だからな」
 レッドの目が泳ぎだしたのを確認して助け舟を出すと、ヒューズはやはりというか何と言うか、盛大なしかめ面をしてみせた。
「やっぱ、そういうウラがあるわけね」
「まあ、そういうことだ。おとなしく仕事に戻ってもらおうか」
 こちら相手に署にしょっ引くだの何だのという脅しが通用しないのは、こいつ自身もよく知っている。さてそれならばどう出てくるかと見ていると、ヒューズは手帳をテーブルに投げ出した。続いて腕章、そして身分証明書を同じように。
「ルーファス、ここって金庫あるか」
「だったらどうした」
「そいつら、しばらく中に放り込んどいてくれよ」
「盗まれないという保障はないぞ」
「そんなヤワな金庫じゃないだろ。それに盗まれたら盗まれたでクビでも何でも食らってやる」
 そんなやり取りにぽつりとレッドが問いかける。
「あのさあ……おっさんばっかで盛り上がってて、オレにはちんぷんかんぷんなんだけど」
 その言葉に思わず噴出してしまった。ヒューズも同様、くつくつと喉の奥で笑いをかみ殺している。
「そりゃお前、こいつはロスターとして興味が湧いたってことだ。――まったく、俺はまっとうな捜査官だったってのに。妙な冒険癖がついたのはお前のせいだからな」
 肩を叩かれてようやくレッドも合点がいったらしい。満面の笑みを浮かべると、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。
「よーし、じゃあさっそく出発だ!」
 レッドが突き出した拳に、同じように拳を当てると妙な高揚感が湧いてきた。妙な冒険癖とやらをうつされたのは、どうやらヒューズだけではなかったらしい。

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