[逢魔ヶ刻〜case of ORLOUGE〜]
その日、主上のお顔はいつになく晴れやかだった。何でも寵姫候補となる人間を見つけられたという。
「いったい、何人の寵姫を集められることやら……。今どれほどいたかな?」
「さあ。三十人までは数えたんだが」
そんな部下たちの言葉に耳をそばだてたが、そう言うのも仕方がないとため息をつく。元から主上は寵姫集めを楽しみにしていらっしゃる。最愛の零姫様だけでは足りぬのか、東に美しい娘がいると聞けば足を運び、西に捕われの姫を見つけたと聞けば使いをやって翌日には城に招き入れる。無論、相手は妖魔人間を問わず――主上の力により、人間も妖魔となってしまうのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、今や針の城の上階は煌びやかに着飾った寵姫で溢れかえっていた。
正直なところ、私は女性という生き物には少々の苦手意識があるのだが、それもこれもまるで争うように主上に取り入ろうとする寵姫たちの姿を見ているからだ。特に数名、やたらと甲高い声の姫には話しかけられるだけで嫌な汗が背中を伝う。先ほども呼び止められた挙句、茶を淹れて欲しいという要望のためだけに手の空いているミルファークを探しに城内を駆け回る羽目になった。黒騎士である私が、だ。
また今回もそのような女性を迎えられるのだろうか。そう考えるだけで少しばかり寒気がするのを抑えられぬまま、私は城の外に出た。
寵姫を迎えられる際、主上はいつも一人だけ付き人をお連れになる。主上お一人でも十分すぎるほどなのだが、何せあのお方は目的達成のために手を煩わせるのを良しとしない。特に人間の場合は周りの者が抗うことがあるので、いつも一名だけ剣の振るえる者を付ける。それに今回はたまたま私が命ぜられた。
馬車を用意して間もなく主上がいらっしゃった。行き先は聞いていない。だが、いつもそうなので驚くほどのこともなく、主上のお力でその人間の住む近くまで馬車ごと移動する。瞬間、浮いたような感じがした後に、また馬が地面にしっかりと足をつける感触にふと顔を上げれば、そこには広い荒野が広がっていた。
「この荒野の先にみすぼらしい家がある。そこへ行け」
そう主上がおっしゃったのを確認して馬に鞭を打ち、もうもうと舞い上がる砂を極力抑えるように馬を操る。荒野がやがて草原に変わり、西に傾き出した太陽が地平線に半分ほど隠れた時、ようやくそれらしき小屋が見えた。ぽつんと建つそのさまは、本当に『みすぼらしい』以外の何物でもなかった。やや朽ち落ちた屋根。長い年月風雨に晒されボロボロになった壁。まこと、このようなところに女がいるのかと思いながらも小屋の横に馬車をつける。
「ここには素晴らしい剣の腕を持った女がいる」
ふいに主上がそう呟かれた。
「忠誠を誓った主君に裏切られ、あわや処刑というところで命からがら逃げおおせた悲劇の剣士、と言ったところか」
その言葉と共に背後から主上の気配が消えた。後は女を乗せて城に戻るだけだ、とふいに息をついたのだが、直後に聞こえた怒声と物音に私は馬車から飛び降りる羽目になった。
蹴破るように扉を開いた私の目に映ったのは手を押さえた主上と、青い目をまるで牙を向く猛獣のように爛々と光らせた女だった。
「ふざけるな! 同情を寄せられるほど私は落ちぶれてはいない!」
悲鳴に近い声で女がそう叫んだ。見れば手にかなり大振りの剣を握っている。――まさか主上に!
だが、走り寄ろうとした私を制したのは他でもない主上だった。威嚇するように妖気を奮い立たせ、無言のまま私を外に出るよう促される。それに従い扉から一歩外に出た時、非常に落ち着かれた主上の声に、私は一瞬己の耳を疑って後ろを振り返った。
「ならばこうしよう。お前と剣を交え、私が勝ったらお前は私の寵姫になれ」
「……もし、私が勝てば?」
「そうだな。私がお前に仕えるとしようか」
唖然としたままの私の前であっという間に話はまとまり、主上が剣を振るわれることになった。言葉にすれば簡単なことだが、それは針の城の住人である私にとっては非常に驚くことだった。あの主上が剣を振るわれる。なまじ噂には聞いていただけに、それだけで私は奇跡を目の当たりにしたような感動に包まれたのである。
私が発生するずっと前、まだ主上が一上級妖魔でいらっしゃった頃から、その名は妖魔の世界で知れ渡っていたという。やがて妖魔の君となりファシナトゥールを治めるようになられてからはそういったこともほとんどなくなられたが、まさか今目の前でその腕を拝見することができるとは!
「さあ、どこからでもかかってこい」
私が携えていた剣を握られそうおっしゃったその姿は、どこから見ても完璧だった。まったく隙がない、とはこのことを言うのだろう。私も訓練で幾度となくゾズマと剣を交えてきたが、ファシナトゥール一の剣の腕前だと謳われるあの男でも今の主上には到底及ばない。女も知らぬとはいえ、剣士の勘から何かを察したのだろう。ぐっと剣を握り締め、軽く間合いを縮めた。だが、それも主上にとっては無意味なことだ。
案の定、勝敗は一瞬で決まった。女が踏み出した次の瞬間、剣のぶつかる音が二、三回聞こえただろうか。女の方も思わず息を呑むほど素晴らしい太刀筋を見せたが、主上の前ではそれすら敵わず、低いうめき声が女の口から漏れ、その褐色の肌に人間の赤い血が流れた。
「……日が沈んだな」
そう呟いて主上は剣を下ろされた。遠い水平線の向こう、ちょうど太陽の沈んだ辺りがうっすらと赤く輝いていた。
「あの太陽と共にお前の人間としての生は終わった。これからは妖魔として、我が寵姫として私に仕えろ」
そう言われても、女は未だ信じられないといった眼差しで主上を見つめるだけだった。だが、それも主上の次の一言で光が戻る。
「お前が忠誠を誓うのならば、私もそれに応えよう。もちろん、私の命の続く限り永遠にな」
瞬間、女の顔がふっと和らいだ。まるで呪縛から解き放たれた、そんな顔だった。この女も主君に裏切られたという過去を引きずっていたのだろうか。まるでさっきとは別人のように穏やかな笑顔を浮かべ、やがて主上の前にひざまずいた女に、主上は新しい妖魔としての名を与えられた。――曰く、『獅子姫』と。
「この勇猛さ、そして雄々しき戦い方は正しく獅子と呼ぶに相応しい。ウェズン、お前もそう思わんか?」
こちらへと投げかけられたその言葉に、もちろん私は心の底から同意した。
「おっしゃる通りでございます、オルロワージュ様」
こちらの答えに満足されたのか、主上は珍しく口元を緩められた。先日からの様子といい、主上はこの女性をひどく気に入ってらっしゃるようだ。
ふいに視線を向けると、見事な金の髪を草原特有の風になびかせる彼女の姿があった。きりっとしたその横顔は、おそらく戦士として生きているうちに当たり前になったものなのだろう。だが、それよりも私の心を惹きつけて止まないものがあった。今までの寵姫の方々とは違う清々しさと、強き者だけが持つ独特の威厳。それを感じて私はふと目を細めた。彼女はいずれ、主上の元で戦うことを至上の喜びと感じるようになるだろう、そんな予感がした。
かくして主上の四十四番目の寵姫、獅子姫様は誕生されたのである。
|| THE END ||
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あとがき