[The Mystery of "Madam Lament"] -08-
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「おーい、サイレンス」
 その時、鳥居の方からのんびりと私を呼ぶ声が聞こえた。ヒューズだ。思ったよりも早い到着だったというわけだ。
「こっちじゃ」
 表の見える縁側から零姫が手を振ると、この場所にはおよそ似つかわしくないばたばたと騒々しい足音を立ててヒューズが現れた。
「まったく、どこ行ったかと思えば零ちゃんのとこかよ」
 気軽に「ちゃん」づけで呼ぶんじゃない。
「何だよみんなしてそんな顔して。おい、それより事件の手がかりとやらは見つかったのか? ん、その人誰だ?」
「このおなごが、お前の探している手がかりとやらじゃ」
「ええっ? サイレンス、いったい誰なんだ?」
「……私は、イレーヌ・グザヴィエさんと懇意にしておりました、占い師のエステールと申します」
「懇意にしていた占い師?」
 はた、と止まったまま数秒考えたのか、ヒューズは「ああ」と小さく声を漏らした。
「グザヴィエ夫人が一ヶ月に一回は通ってるって占い師があんたなんだな」
 それにエステールがこくんと頷いた。今まで二人で捜査してきたことを報告しあってきた甲斐があったというものだ。しかし、ここから先を説明することがこれまた骨の折れる作業なんだが。
「とりあえず座るがいい」
 零姫に促されて私の横に腰を下ろしたヒューズだったが、今ここで何が話されていたのかはもちろんわかっていない。だが、ヒューズが説明を求めて口を開くより前に、零姫が先を取った。
「今まで話してきたことは後でサイレンスに聞くがよかろう。それよりほれ、話の続きをせんか」
「あの……」
「安心せい。こやつもちゃらんぽらんな奴に見えるがの、一応はIRPO捜査官の端くれじゃ」
 凄まじい言われようだな、ヒューズ。あまりのことに言葉も出ないか。
 だが、IRPOの捜査官だということがわかった以上、彼女は腹を決めたらしい。深く息を吸い込むと、やがて自分の犯した罪を吐き出した。
「アラン・グザヴィエを殺したのは、私です」
 これまでの話からしてまさか、とは思っていたが、こうして本人の口から実際に告白されるのを聞くとなると、やはり残念な気持ちが抑えきれない。なぜ、あのような男のために罪を犯してしまったのか。
「先ほどもお話しましたように、アランはよからぬことを考えていました。私はそれを知っていて止めることができなかった。その時点で私も同罪です。しかし、ついにアランがイレーヌまでを手にかけると言い出した時、このままではいけないのだとはっきり心に決めました。
 初めは何とか説得してわかってもらうつもりでしたが、すでに金の亡者と化したあの人には届きませんでした。だから今日、イレーヌを外に出かけるよう促して、その間にヨークランドに行ったのです」
「ナイフを持って?」
「はい。私一人の力ではあの人には到底敵いませんから……。脅すつもりでナイフを持っていったのですが、やはりカッとなってしまってはいけなかったんです。気がついたら、あの人はうめき声を上げて床に倒れてしまったんです。慌てて医者を呼ぼうと思いました。でもその時、私の中で悪魔が囁いたんです。彼をこのまま見殺しにすれば、イレーヌは殺されることはないのだ、と。私も苦しみから解放されるのだ、と。どうせ元よりこの姿でやってきたので、顔を見ていた人はまずおりません。このまま逃げて、もし仮に目撃者がいたとしても、占い師のような格好をしていた、というだけで私にまで辿り着くことのできる人はまずいないと思ったのです。
 それでも戻ってきてから良心の呵責に耐え切れず……」
「良心の呵責だって? 人が一人死んでるんだぞ」
「じゃが、アランという男は人を二人殺しておる」
 とっさに口を挟んだ零姫がはっとなり口を閉じた。だが、ヒューズはそれに首を振って答えただけだ。
「一人も二人も関係ない。殺したってのは事実だ」
「わかっています。わかってるからこそこうして、この場で全てをお話しているのです。零様もどうかお気になさらぬよう。
 アランを殺したのは私だということは今お話しました。それはどんなことをもってしても償わなければならない罪だということも承知しております。しかし、罪を償う前にまず私の知っていることを全て話す時間だけでも頂けないでしょうか」
「それはさっきの『アランは二人殺した』ってやつか?」
「はい。はっきりと現場を見たわけではないので彼から聞いた話なのですが。
 アランは酒を飲むとひどく饒舌になる男でして、本人もそれをよくわかっていたので人前では絶対に酒を飲まないのですが、ちょうど借金ができた頃から、私の前では酒を飲むようになりました。そして、あのイレーヌの結婚記念日から数日が過ぎた夜、いつものように酒を飲んで私に切り出したのです。『ようやく俺たちにも運が向いてきたぜ』と。どういうことなのかと尋ねましたら、イレーヌの夫を事故に見せかけて殺したというのです。あの晩のイレーヌのことを思い出して私は驚いてしまって、どうしてそんなことをしたのかと問いただしました。
 以前より、アランとイレーヌのご主人の間には良くない雰囲気がありました。以前、イレーヌに招かれてお宅にお邪魔した時にご主人がアランの行儀の悪さに辟易してもう二度と連れてこないでほしい、と言ったそうなのです。イレーヌはアランのことも友人の一人だからそんなことは言ってくれるなと頼んだそうですが、ご主人とて目に余ることがあったからそう言ったのでしょう。それ以来、私とアランが揃って招かれることはありませんでした。それがあの結婚記念日に、アランがご主人を訪ねたというのです。どうしてなのかと言えば、どうやらいくらかお金を無心したそうなのですが、ご主人はそれを聞き入れてはくださらなかった。――当然でしょう。誰が嫌う相手にお金を貸しましょうか。
 しかし、アランはそれに腹を立て、その場でご主人を殺そうと考えたそうです。そうすれば、あの家の資産は全て妻であるイレーヌが相続することになる、と。思いつくや否や、アランは二階へと続く階段を昇り始めました。もちろん、ご主人がそれを快く思うはずがありません。すぐさま追いかけてきたそうですが、ご主人が手すりから手を離した一瞬の隙をついて、アランは階段からご主人を突き落としたそうです。運の悪いことに、ご主人はその場でお亡くなりになり、そしてその数十日後、アランが読んだ通りイレーヌに莫大な遺産が相続されたのです。
 今思えば何と恐ろしい男なのでしょう。私もそれを知った時点ですぐに通報するべきだったのです。しかし、もしお前も殺すとナイフを突きつけ言われたら。……逆らうことなど不可能でした。そうしている間に月日が経ち、イレーヌが新しい婚約者を教えてくれました。先ほどお話した通り、アランの取引先の方です。なぜか嫌な予感がしました。何せその方は一代で財産を築き上げた方で、金は腐るほどある、というのが口癖の方でしたから。もしや今回もアランが何か悪さをするのではないか、と心配しておりましたが、まさかそのようなこともあるまい、と思い直しておりました。しかし二度、悲劇は起こったのです。
 ある日、イレーヌがいつものように相談にやってきました。どうも最近主人の機嫌が悪い。私にも何かできることはないか、と。ですから私は彼女に、少しでもご主人が落ち着ける環境を作っておあげなさい、と言ったのです。ちょうどその頃ご主人は旅行に行きたいとおっしゃっていて、それなら私が行き先を決めてあげようと、イレーヌは喜んで帰っていきました。それがひどく幸せそうでしたので、その晩、アランが帰ってきた時にその話をしたのです。いつもは無関心なアランがその日に限ってやたら詳細を聞いてきました。しかし、まさかそれが殺人に繋がるなどとは思いもよらず、翌日も仕事をして帰宅しましたらイレーヌから電話が入っておりました。慌てて家に行き、家政婦さんからご主人が亡くなられたこと、そしてイレーヌがIRPOに連行されたことを知り、その足で地元の警察へと向かいました。ちょうど取り調べも終わり、イレーヌが署を出ようというところで会ったので、そのまま私の家に連れて帰り、詳しい話を聞きました。
 その日、ちょうどご主人はお休みで、しかし少し仕事が残っていると言って、イレーヌを街まで送った後、一度ご自宅に戻られたそうです。旅行の話もほどよくまとまり、イレーヌが電話をすると、すぐに迎えに行くからと言われ家を出られたそうなのですが、それっきり……。そこで私は直感しました。絶対にアランが何かをしたのだ、と。以前にとんでもないことをした人です。今回とて、何もないはずがない。そう考えて彼を問い詰めようと思ったのですが、その日の朝家を出たきり、アランが私の元に帰ってくることはありませんでした。
 今度こそ、と私は必死になってイレーヌの二番目のご主人が殺されたという証拠を探し、あちこちを走り回りました。相手が酔った時に話したこと、ましてや新聞などで大々的に事故死と書かれておりましたので、彼がご主人を殺したという確固たる証拠がない限りは、IRPOも私の話に耳を傾けてはくれないだろう、と思ってのことでした。しかし、一度プロの方が事故死と断定されたもの、私のような一般人に証拠を見つけるということは、広い砂浜で小さなダイヤモンドを探せと言われた方がうんと簡単だと思われるようなことでした。ちょうどそんな時です。イレーヌがアランと結婚した、という話を持ってきたのは。
 イレーヌは、私とアランはあくまで友人同士だと思っておりましたから、同じ友人への知らせとしてそれを持ってきてくれたのでしょう。しかし私にとってはとんでもないことでした。アランははっきりと、イレーヌのご主人を殺したと言ったのです。そして、次のご主人も事故で亡くなり、今やイレーヌの手元には想像もつかないほどの大金があります。それをもしアランが狙っているのだとすれば、ただ結婚をしただけでは満足していないことくらい、私にだってわかります。間違いなく、アランはイレーヌをも殺すつもりだと思いました。それだけはさせまい、と、イレーヌと接する傍ら、アランの一日の行動を詳しく聞きだし、今日を選んでヨークランドへと向かったのです。
 アランは私だとわかったとたん、犯行をぺらぺらと話し始めました。そして言ったのです。二番目のご主人を殺したことはもちろん、三番目のご主人を殺したことも認めました。一部始終はここに――」
 そう言って彼女は服の中から小さなレコーダーを取り出した。
「ここに全てアランの言葉として収まっております。私が彼の言うことを録音しているとも知らず、彼は全ての犯行を認め、そしてイレーヌの殺害計画までも教えてくれました。そしてあろうことか、イレーヌを殺して財産が手に入ったら一緒になろう、と。もはやそんな言葉で心を動かされるようなことはありませんでした。代わりに、どうか自首してくれと頼みましたが聞き入れてはもらえませんでした」
「それで刺したってわけか」
 エステールから受け取ったレコーダーを再生してみると、確かにアラン・グザヴィエの声が入っていた。
「とにかくこれは署で預からせてもらう。もちろん、お前さんにも一緒に来てもらう」
「もちろんです。そのためにこうして全てお話したんですから」
 初めのおどおどした感じとは違い、彼女の目は澄み切っていた。自分の罪を認め、そして他者の罪を暴き、全ての枷から解放されたのだろう。そんな彼女を連れ、シップ発着場へと向かう。ヒューズの持ってきたシップは小型のパトロール用だったが、人一人を乗せるくらいどうってことはない。だが、ハッチを閉める直前、私は呼び止められた。
「エステールの罪は、重くしかならんか」
 ひどく暗い顔をした零姫にそう聞かれ、どうなるかは私たちの決めることではない、と答えると、彼女は重いため息をついた。
「人間の作った法とは、えらくお堅いものなんじゃな」
「しかし、一つだけ方法がある」
 これだけは言葉にして伝えておかねばなるまい。そう瞬時に判断した。
「いかに彼女を救いたいかという気持ちを文にまとめ、裁判所に提出する。運が良ければ裁判官がその気持ちを汲んでくれるでしょう」
「もし、運がなければどうなるんじゃ」
「犯人隠匿と殺人の罪に問われ、それ相応の刑を言い渡される」
「……その裁判官は人か? いや、人間であるのか?」
「無論、人間です。人間の心を持った人間です」
「そうか。……ならば、わらわはその人間の心に賭けてみるかの」
 そこでようやく零姫は落ち着いた笑みを浮かべた。彼女は彼女なりに、エステールのことを心配し、心を痛めていたのだろう。どうしても罪を償わせたい、と強く思う気持ちは、こうしてまたエステールの未来を案じる気持ちとして強く出たのだ。
「して、その文書とやらはイレーヌ・グザヴィエという方も書いてくれるだろうか――とこれはおぬしにもわからんじゃろうな。よし、わらわが直接会って聞いてみることにする」
 ではな、と一言交わし、私もまたシップへと乗り込んだ。はて、私にも未来の見える力があったのか。そう遠くない未来、裁判所に二通の嘆願書が届くだろう、となぜかそんな確信が満ちてきた。
「……零様は不思議な方でらっしゃいますね。まだお若いのに、なぜか全てを悟ってらっしゃる気がする」
「まあ、お若いっつっても、どれほどをもってお若いなんて言うんだか俺らにはさっぱりだけどな、サイレンス」
 そんな物騒な一言を私に振るんじゃない。零姫に殴られるぞ。あれでも一応、今生ではまだ十二年しか生きてないんだ。
「悟ってるってのはあながち嘘じゃあないと思うけどな。特に、ダメな男に振り回される女心ってやつに関しては」
 それは確かに、と苦笑した私の顔を隣に座っているエステールが不思議そうな顔で見ていた。

|| THE END ||
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