[The Mystery of "Madam Lament"] -07-
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 到着した警官たちとヒューズに無言で別れを告げ、訪れたのはもちろんドゥヴァンだ。広場はいつもの通り観光客で賑わっていて、その間をすり抜けるように一つの建物を目指す。暗い室内の中、敷かれた安物のじゅうたんを踏みしめ、一番奥のブースに目をやると、両側に引き上げられたカーテンがちょうど彼女が『空き』であることを教えてくれた。
「いらっしゃいませ」
 顔をのぞかせると、なるほど頭から黒いベールをすっぽりとかぶった女がいた。彼女がエステールか。
 案内されるより前にカーテンの紐を外して外部からの接触を絶つ。ここからは筆談の方がいい。そうでないと、隣のあのおしゃべりな占い師に延々語りつがれていくだろう。
「さて、何をお知りになりたいのです?」
 そう促してきた彼女に、走り書きをした手帳を突き出す。始めは何事かと少々面食らっていた占い師だったが、内容を把握したとたん、はっと小さく息を呑んだのがこちらにもわかった。
「その、あなたのような方がいったい何の御用で……」
 とぼけてもらっては困る。こっちが聞きたいことは山ほどあるんだ。さて、聞きたいことを全て聞いて、この手帳は果たして持つのだろうか、と残り少ないページをちらりと見やると、ふいに彼女が口を開いた。曰く「外で話さないか」と。
 もちろん油断はしない。だが、立ち上がった彼女はこちらについてくるよう目配せをしただけで、さっさとブースを出て行ってしまう。その後を追いかけ、しばらく行くうちに気付けば、観光客はあまり近付かない神社の付近まで出てきた。まさか、神社の上まで上がると言うのではないだろうな。
 だが、私の心配も知らず、彼女はどんどん石段を登っていく。このままではその――私にとって非常にやりにくい状況になってしまうのだが。もちろん、この上にいる人物と私が知り合いであるなどとは、目の前を行く占い師には知る由もあるまい。
 彼女の足は止まることなく、ついに石段の最後の一段を踏んだ。だがここで、私はとんでもない言葉を耳にすることになる。
「罪を償う気になったのじゃな」
 その声にぎょっとして階段を駆け上る。声の主は間違うはずもない、かつてオルロワージュ公の寵姫であった女だ。
「サイレンスもよう来たな」
 何なのだろう。まるでこの、私の来訪を知っていたかのような口ぶりは。ああ、妖気を感じたのだろうか。
「あの、零様……」
「安心せい。わらわは何一つとて他者にしゃべってはおらぬ。ただ――」ふとそこで彼女はため息をついた。「ただ、おぬしが早く罪を償う気になれば、と心より祈ってはおったがの」
 なるほど零姫とエステールは顔見知りだったのだ。零姫の話によれば、以前エステールが悩み事を持ち込んだのをきっかけに話をするようになったという。その内容は驚くべきことに、グザヴィエ夫人の夫であり、つい先ほど殺されたアラン・グザヴィエその人のことで、それを零姫は親身になって聞いてきたという。そして今日。暗い顔をして戻ってきたエステールから、『大事な話』をされたのだと。
「それはもちろん、おぬしが知りたがっている話であるがな。わらわよりも本人から話を聞く方がよかろう」
 社の中に案内され、落ち着いた部屋の中、目の前に零姫とエステールを目の前にして私も腰を降ろした。ここで急かすのはよくないだろうと思い、エステールが口を開くのをじっと待っていると、やがて先ほど話したよりも幾分か細い声が発せられた。
「私は、良心の呵責に耐えられなかったのです」
 それはいったいどういう意味なのか。
「いくら愛する男のためとはいえ、人様を騙して財産を奪うなど、人としてやってはいけないことだったのです。それでも私は……」
 精神的にかなり不安定になっているのだろう。まるで過呼吸にでもなったかのように息を吐き出していた彼女だったが、零姫が茶を飲ませ、何度も根気強く背をさすってやることによって幾分か落ち着いてきた。最後にほっと大きなため息をつき、また私へと視線を合わせてくる。
「アラン・グザヴィエとは友人づてに知り合いました。もう七年も前のことです。その友人も含め付き合っているうちに私と彼は恋人として付き合うようになったのですが、正直に申しまして、世間ではかなりだらしない部類に入る人だと思います。人間関係はおろか、生活もそして金銭面でもひどくだらしなく、よく他人とトラブルを起こす人でした。それでも、最後には私の元に帰ってきてくれるのです。だからどうしても離れられなかった、というところでしょうか。
 五年ほど前、あの人はギャンブルが元で大きな借金をしました。私も必死になって返す手伝いをしましたが、二人合わせた僅かな収入では、一生かかっても返せないような額で……。その頃です。彼がイレーヌと出会ったのは。イレーヌはちょうど最初のご主人と死別したばかりで、全てにおいて自暴自棄になってました。彼はそんな彼女を心配して私の元へ連れてきたのですが、眠れぬ日が続いているようで、ひどくやつれていて、思わず目をそむけたくなるほどの有様でした。しかし、私には彼女の明るい未来が見えたのです。はっきり何がある、とまではわかりません。それでも、彼女がどれほどひどい有様だとしても、彼女の後ろにぼんやりと温かな光が見えたのです。信じてくれとは言いません。それでも、私は少しでも彼女の心の支えになろうと、懸命に励まし続けました。それから数ヵ月後、彼女が二番目のご主人と出会い、結婚が決まったと伝えてくれた時は、まるで自分のことのように嬉しかったのです。
 結婚してからも、イレーヌはたびたび私の元に来てくれました。最初は確か、家の間取りがどう、と言った話だったと思います。何か家の中の空気が重く詰まっている感覚がして心配なので見に来てほしいと言われ、家にお邪魔しました。元より彼女は少々迷信深い方で、最初のご主人が亡くなって以来、彼女は自分に何か恐ろしいものがとり憑いているのではないかと、たびたび言ってましたけど、そう言ったものは感じられません。もちろん、彼女の住んでいる家にしても、何か禍々しいものが存在しているようには感じられませんでしたが、ただ余りにも湿っぽい家だったので、窓を開けてはどうか、とは言いました。何でも先代さまが美術品の収集家でいらして、美術品が汚れるのを嫌ったため、窓は閉めっぱなしにしているとの話でしたから。
 ご主人は生まれた時からあの家に住んでらっしゃったのでお気付きにはなられなかったようですけど、なるほど窓を開け放してみるとよい心地がするとお喜びだったと、後ほどイレーヌに聞きました。しかし、それは別に私の成せる業ではありません。建築士に言っても同じ答えを返したでしょう。
 まさか、そのことがアランにとんでもない計画を考えさせるものになるだなんて思いもしませんでした。
 それから一年近くした頃でしょうか、イレーヌが半狂乱でドゥヴァンへとやってきたのは。何でもご主人が階段から落ちて怪我をしたと言って、もしかして何かあるのではないか、と不安に駆られたようです。それまでにも何か家で良くないことがあるたびに彼女は心配だと言ってましたけど、何度もそんなことはない、と言い聞かせておりました。何せ、彼女が言うことといったら花瓶が割れた、庭の木に雷が落ちた、というようなことでしたから。ご主人の怪我とてそうです。骨折というのは少々ひどいものでしたが、階段から落ちることなど誰にでもありますでしょう? だから何も心配はない。それよりご主人のお手伝いをしてあげたら、と告げたのです。しかし、彼女はかなり辟易としていたようでしたので、息抜きに少し友人などを訪ねてみてはどうか、と言ったのです。彼女もそれはそうだと言っていたその日の晩だったでしょうか、結婚記念日ではあるが、友人が少々話があるというので出かけてくる、と連絡がありました。
 そして、あの日がやって来たのです。なぜか、朝からアランの様子は変でした。どことなく落ち着きがない、とでもいうか、椅子に座ったかと思えば立ち上がり、家の中をうろうろとしていましたが、何か仕事で煮詰まっているのだろうと思い、そっとしておきました。あの人は人からとやかく言われるのを一番嫌う人でしたから。
 私はいつも通り占いをして、その日は終わりました。そして翌日、イレーヌからのひどく重い声で何があったのかを知ったのです。イレーヌは前よりもずっと落ち込んでいました。それもそうでしょう。二度も夫を亡くし、まして二度目は犯人ではないかと疑われ……すでに彼女はボロボロでした。そしてますます私の元へと訪れるように――いえ、私に依存するようになっていったのです。
 思えばあの時点で彼女を突き放しておくべきでした。突き放しておけば、彼女も少しは自分で行動を起こす、というようになっていたのかもしれません。それでも、心身共に疲れ切ったままの彼女を放っておくことはできなかったのです。
 それからしばらく経った頃、彼女からまた婚約したということを聞きました。相手は私も名前は知っている人で――アランの仕事の取引先の人物で、あまりアランは良く言っていなかったので、彼がイレーヌに彼女を紹介した、というのを知った時にはとても驚きました。それでも、イレーヌが少しでも幸せになれば、と祈っていたのです」
 そこで一回、エステールはほっと息をついた。何とも言いがたい、感情を必死で押さえつけているような顔で話し続けていたが、そこで溜まっていたものを全て吐き出したかのようなため息だった。
 ここまでの話を聞く限り、彼女は事件には関与していない。関係者の一人ではあるが、事件に直接携わっていないのだから、こちらとしてはどうしようもない。もちろん、二番目の夫が殺人ではないのか、という感はぬぐえないのだが、口ぶりからすると、どうやらそのことは本当にわかっていないようでもある。ただ、イレーヌ・グザヴィエから夫が死んだことを聞かされた、としか捉えられない。
 そっと零姫に視線を向けると、何も気にしていない風で茶を飲んでいた。彼女はどうやら全てを知っているようだが、何も言わないところを見ると、やはり第三者の立場を貫くようだ。
 二人のはっきりと物言わぬ態度に、自然と私の口からもため息がこぼれていた。

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