[The Mystery of "Madam Lament"] -06-
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 どうしてもそれが頭から離れない。死体を見ただけでも、胸を刃物で一突きにされたのは丸わかりであるのに、グザヴィエ夫人の手についている血以外、彼女の体のどこにもそんなものは見られない。刺し殺してから着替えたかとも考えたが、こちらへ向かう途中、ゾズマははっきりと言った。確かにグザヴィエ夫人が家の中に入ってすぐに悲鳴が聞こえたと。
 これがもし何らかのトリックの上に成り立っているものなのだとしたら非常に厄介なことになる。この現場に残る証拠を全てかき集め、その上でどうやって彼女が夫を殺したのか立証しなければいけない。それを考えている間にも、彼女はまんまと金をせしめ、新たなるターゲットを見つけてしまうかもしれない。
 いや、その前に今この瞬間にも彼女はこの私の目の前で証拠隠滅に取り掛かっているのかもしれない。そう考えたとたん、彼女を見つめる視線がきつくなるのが自分でもわかった。よほどきつい目をしていたのだろう。当のグザヴィエ夫人がふいに顔を上げた瞬間、交差した私と彼女の視線はすぐに引き剥がされた。もちろん、彼女が慌てて目をそらしたのだ。
 そのまま私が彼女を一方的ににらみつける時間がどれほど経ったか、後ろから特徴のある足音が聞こえて私は振り返った。ちらりと腕につけた時計を見ると、彼らが出て行ってからまだ三分と経っていなかったが、どうも長い時間経っていたような気になる。
「どうしちゃったのさ、そんな怖い顔して。あ、もしかして仲間外れにされて寂しかったのかな、蝶々くんは」
 ゾズマのおちゃらけた態度が少々頭に来る。誰が寂しかった、だ。ふざけるな!
「ま、全員でこの場を離れるわけにもいかないしさ。今度はお前の番だぞ」
 そう言って私の隣に立ったヒューズが後ろの二人を指差す。別に同じ話をしなくともお前から聞けばいいのではないだろうか。
「いやさ、やっぱり話はナマで聞いた方がいいと思うぜ。俺とお前で気付くことも違ってくるしさあ」
 そんな適当な理由をヒューズが言ったとたん、待ってましたとばかりに近づいてきたゾズマとリュートに半ば引きずられるようにして、私は退場とあいなった。さっき入ってきたばかりのドアをくぐり、人気のない家の裏手へと回り、開口一番リュートが言った言葉に私は、そんな馬鹿なことがあるかと返したい気持ちでいっぱいになった。
「だってさ、奥さんが帰って来た時、もう旦那さんは死んでたって。俺はそう思うんだよなあ」
 その根拠は、と問えば、今度はゾズマが口を開く。
「考えてもみなよ。グザヴィエ夫人は今日は朝から出払ってた。しかも向かったのはオウミだよ。そこで彼女は何時間も店に入って話してた。会話の内容だって覚えてるさ。すぐそばでこっそり聞いてたからね。相手の女の人がうちの旦那がどうのこうのって、そんな何の面白味もないような話をさ。それを馬鹿みたいに親身になって話聞いてやってさ、結局相手の方が『私もう一度彼と向き合ってみるわ』って、何をそんなに頑張るんだろうねえ。文句を言うほど嫌な相手なら、さっさと別れりゃいいのに。だいたいさあ、そんなに文句言うなら最初から結婚とかしなきゃいいんだよ。人間って本当に馬鹿だよね。結婚とかって相手を縛りつけて、僕だったらそんな生活は絶対ゴメンだね」
 別に今は彼の結婚に対するご高説を聞いているわけではないんだが。どこまで脱線する気だろうか。
「まあ、そんなこんなでさ。ゾズマは四時ごろここに戻ってきたんだよ」
 ちらちらと私の顔色を伺っていたらしいリュートが慌ててゾズマの話を遮った。とたんにゾズマがぱっと思い出したように話を元に戻す。……本当にこの二人に任せて大丈夫だったのか。今更ながら不安が胸を過ぎる。
「それに俺さ、グザヴィエ夫人がいない間に、この家に来た人間を見たんだ。こうさ、真っ黒の服着ててさ」
 いきなりそんなことを言い出し、リュートは長いベールのようなものをかぶる仕草をした。
「怪しいってんならあの人が一番怪しいと思うんだよなあ」
 どんな人物かと問えばその人物の容姿と、何より、出迎えたアラン・グザヴィエがまるで友人のように家の中へと招きいれていたことがわかった。そうか、それで二人はグザヴィエ夫人よりもその人物に注意を向けたということだ。でかしたというか、ようやくここ一ヵ月半の成果が出たというか。だが、その人物というのはまるで――。
「そうそう。胡散臭い占い師っていうかさ。ヒューズがサイレンスならきっと何か知ってるんじゃないかって」
 言われたとたん一人の人物が私の頭を過ぎる。そしてふと浮かんだのだ。あまりにも恐ろしい予想が。
 いや、その人物が事件に関与しているとは言い切れない。だが、考えてもみろ。今までの事件の中で唯一関与し続けているのもその人物ではないか。証拠も何もないが、だからこそ、その人物が事件に関与していないとも言い切れない――つまりはグレーゾーンの人物だと言える。
 そしてそれを確かめる手段はただ一つ。
「あ、どこ行くのさ!」
「サイレンス! 待ってくれよ〜」
 急に走り出した私の後ろからそんな二人の声が追いかけてきたが、今は構っている暇なんてない!
 一目散に家の中へと飛び込んできた私をヒューズとグザヴィエ夫人双方の目が捕らえぎょっとしたような表情を見せる。だが話しかけようとしたヒューズの前を通り過ぎ、私が立ち止まったのは未だ座り込んだままのグザヴィエ夫人の前だ。
「あの、何か……」
「聞きたいことがある」
 そう短く前置きをして、手帳へとペンを走らせる。聞きたいことは二つ。今日オウミへ出かけたのは誰かの指図があってのことか。そして、今までの三件で出かけた時もそうであったか。短くまとめた質問と彼女の前へと突き出すと、一瞬彼女は驚きで目を丸くした。
「どうしてそれをご存知でらっしゃるのか……いえ、私のことをずっとお調べになっていた。そうでございましょう?」
 それに肯定を返すと、彼女は観念したかのように頷き、その口から直接答えを紡いだ。
「実はこの人とは――」そう言ってグザヴィエ夫人はすでに冷たくなった男の手をそっと撫でた。「最初の夫を亡くした直後に出会いましたの。その頃、私は夫を亡くした悲しみに暮れるばかりで人付き合いも疎かになっていたんですけど、彼が私に少しでも元気を、と紹介してくれたのがエステールでしたの。
 エステールは本当に親身になって私の悩みを聞いてくれましたわ。彼女は占い師でしたけども、私のことを占う以上に、そう、まるで親友のように私の話を聞き、的確なアドバイスをしてくれたんです。彼女は色んなものに詳しくて、本当に多岐にわたって私を支え続けてくれましたのよ。言うなれば、私が人生を歩んでいく上で指針を立ててくれる人といったところでしょうか。何より、彼女の占いは私を救うためにあったと言っても過言ではないと思います。二番目の夫の時も、三番目の夫の時も、そして――今回も、彼女の一言がなければ私は夫を殺したという罪を着せられていたでしょう。
 全ては彼女のおかげなのです。彼女が、エステールが出かけると良いと言った日に出かけたからこそ、今日の私の幸せ――とは言い切れませんけども、今の私があるんです」
「つまり、夫が殺されていた時、常に奥さんにアリバイがあったのはその占い師が言ったからだ、と」
「ええ、そうですわ」
 もっともだと言わんばかりに頷いた彼女の顔は、かの占い師に対する信頼がありありと見てとれた。もちろん、私やヒューズが感じているような疑問なんてものは欠片も見られない。
 なぜ占い師はことあるごとにグザヴィエ夫人のアリバイを成立させることとなったのか。それこそ、本当に予知能力を持っているといえばそこまでだが、残念ながらこのIRPOに属する者でそう考える者は皆無に等しいだろう。ちらりと視線を交わしたヒューズにもそんな感情がわいているのがわかった。
「ところで、その占い師ってやつはどこにいるんでしょうかね?」
 ふいにそんな質問をしたヒューズの目の前へと止めるように腕を差し出す。いる場所はもちろんわかっている。そこから逃げていなければの話だが。
 ここからドゥヴァンまではパトロールシップを調達したとしても二時間はかかる。だとすればもう、これは妖魔お得意の方法で、というわけだ。
 思うなり私は立ち上がり、ヒューズに行き先だけを告げて転移を始める。ちょうど飛び出す瞬間、扉の外から数人の警官の声が聞こえた。ずいぶん遅い到着ではあるが、彼らの到着によってこの捜査も少しは進展するのではないか。そんな淡い期待がふいに心の中を占めた。

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