[The Mystery of "Madam Lament"] -04-
文字サイズ: 大
 翌日はヒューズが非番だった。どうやら私と同じような一日を過ごしたようで、夕方に会った時には同じことを口走り、肩をすくめてみせた彼に何か収穫があったのかと問うとそっけない答えが返ってきた。
「あったらこんな顔してねえよ」そしてただ、と一言置いて。「ちょっと別の方向からも攻めてみるのもいいかな、とは思うんだ」
 別の方向とは? どうやらヒューズはグザヴィエ夫人のアリバイ云々ではなく、死んだ夫たちが『殺された』ということを立証しようと考えているらしい。確かにそっちの方がまだ捜査もしやすい。夫たちが殺されたという証拠を手に入れれば、それだけ事件の真相に近づくことが出来る。
「そもそも、彼らの死に方は殺人だと置き換えてもおかしくない死に方ばかりだ。一人目は、まあ自殺という線が濃厚だが、あれだって自殺に見せかけて銃殺する方法はある。二人目や三人目なんて、殺人の常套手段だ。事故に見せかけた殺人なんて、お前だって珍しがるほどのこともないだろう?」
 実際、IRPOに入ってからそのような事例はたくさん見てきた。
「一番怪しいのは、やはりマスコミも食いついた三番目の夫だな。崖から車ごと転落死を装うなんてブレーキ緩めときゃ誰にでもできる。そう、女の力でもな。そうすれば、二番目の夫も怪しいってことだ。おい、サイレンス。お前、二番目の夫の報告書見たか?」
 ああ、見た。階段から足を踏み外し落ちたという奴だ。資料によれば、事故当時彼は右足を骨折していて、家の中では通常松葉杖を使わず、片足で歩くというような状態で移動していたという。そんな方法で階段を昇れば、踏み外すのもおかしくはない。
「それだってさ、上からちょんと押せば簡単に突き落とすことができる。これまたグザヴィエ夫人ほどの細腕でも大丈夫だってわけさ」
 しかし、一度はIRPOが事故死だと判断したものだ。再び殺人だという判断を下すのは至極困難だと言える。だが、何もしないよりはずっといい。
「そうと決まれば即実行だ。ありがたいことにだな――」
 そう言ってヒューズはかばんの中から一枚の紙を取り出した。家の間取りが書いてあるこれは。
「誰も死人の出た家にはなかなか住みたがらないってな。二番目の夫と住んでたシュライクの家の間取りだよ。有難いことにまだ絶賛売り出し中だ」
 それならなるべく急いだ方がいい。少しは証拠が残っているうちに何とかしなければ。
「見張りはゾズマとリュートに任せて俺たちは明日、こっちを探りに行こうぜ」
 その言葉に隣のゾズマを見やると仕方がないといった表情が見てとれた。彼もそろそろ退屈しているだろうによく付き合ってくれるものだ。
「よし。じゃあ明日ここに来るからまあ、それまでは辛抱してくれよ。じゃーなっ!」
 来た時よりも幾分軽い足取りでヒューズはリュートの家へと消えていった。それを合図にまたグザヴィエ夫人の家を見張る仕事についた私たちも、何も起こることのないままもう何十度目かになる朝を迎えた。いったいいつまでこの状況が続くのか。何か少しでも動きがあれば変わってくるのではないだろうか。いや、何か一つでもいいから今は手がかりを見つけ、もやがかかっている部分を取り払わなければいけない。
 そんな決意を胸に私はヒューズと共にシュライクへと出かけた。業者につれられて着いた先には、ヨークランドのあの家とは違う見事な家が建っていて、まさか家を間違えているのではないかと考えたが、どうやらこの家はグザヴィエ夫人でなく、当時の夫が持っていた家らしい。
「金はあるとこにはあるってねえ」
 まさしくその通り。そういえば、グザヴィエ夫人と結婚した三番目の夫も海産方面で成功した人間ではなかったか。
「金持ちの男と次々に結婚して、それが次々に死んで……そりゃ、莫大な遺産や保険金も転がり込んでたまらないよなあ」
 それに比べれば、今の生活はえらく質素なものに思えるが、それもヒューズによれば彼女が金をあまり使おうとしないたちなのだろうということだった。夫の金に頼り、自分の金はあくまで自分自身のために使うたちのなのだと言われれば今の生活も納得できる気がする。今は夫婦揃って仕事をしている風ではないのが多少不思議ではあるが。
 玄関を入ると、正面左側に、向かって右側を壁に囲まれ、その上に金色の手すりがついた階段が、ゆるやかなカーブを描きながら二階へと続くのが見えた。その階段に沿う左側の壁と大きな玄関ホールの反対側の壁にはところどころ色の違う場所がある。
「絵でも飾ってたのかな」
「ええ、そうです。よくお気づきになられましたね」
 不動産業者が満面の笑みで、そうヒューズに答えた。
「こちらに飾られていた絵画はすべて亡くなられた方の持ち物でしてね。亡くなった時に財産処分として奥様が持っていかれたらしいのですが……いやいや、この家にあったものだけでも百万クレジットは下らないと言いますから、相当なものですよ。私が聞いた限りでは、著名な画家のものもいくつかあったとか」
 百万クレジットとはこれまた想像もできないようなものだな。私からすればただの絵だが、人間からすればきっとそれだけの価値があるものだと思うんだろう。
 そんなことを考えながら、ふと階段に目をやった。落ち着いた緑のマットが中心を通るその階段で二番目の夫は死んだという。もう三年も前の話だ。だが、それにしてはどこにも擦り切れた後がない。何と言うか、人が暮らしていたという痕跡がまったく感じられないのだ。
 しかしその疑問は口にするやいなや晴らされてしまった。もちろん、あの少々おしゃべりな不動産業者によって、だ。
「元々あったマットはもう処分したんですよ。血の痕のついたマットなんて、売出し中の家には敷けませんでしょう? だからこうやって――」足元のマットに靴を沈ませながら彼は言った。「困っていたところ、もう長くこの家の内装を手がけているという職人から話を持ちかけられましてね。取り替えてもらったんですよ」
 なるほどと頷くと同時に少々惜しいことをしたという思いが頭を過ぎった。やはり写真で見るのと現物を見るのとでは違う。当時、この『事故』を捜査した者たちは、根絶丁寧に書類にまとめてくれてはいるが、これだけでは気付かないこともある。だが、現物がもう存在しない以上、この家と、資料から本当の答えを導き出さねばならない。
 私が書類を眺めているうちに、ヒューズは不動産業者を外へと追い出してしまっていた。もちろん、捜査だということは了承済みなので問題はないと言う。
「俺が調べた限りでは、事件当時この階段のマットは取り替えて一年半、さほど目立った傷みもなかったみたいだ。あ、これは俺が昨日、さっき言ってたこの家お抱えの職人っておっさんのとこで聞いてきたんだけどな。被害者のじいさんがこの家を購入してからは親子三代、ずっとマットやカーテンはその職人一家が作ってたって話だぜ。それとだな、この家は夫が死んだ時にもちろんグザヴィエ夫人の手に渡ったんだが、夫人がこの家を所有しているのは嫌だってんで、さっきの業者にさっさと売っぱらったんだと。それが、夫が死んでから二週間後のことだ。それから八ヵ月後、めでたくイレーヌ・グザヴィエは三度目の結婚ってわけさ」
 言うなり、ヒューズはさっさと階段を昇り始めた。
「俺だって、全部が全部疑ってるわけじゃない。世の中にはあり得ないと思うような真実がゴマンとあるし、何より階段から足を滑らせて落ちるなんて誰だって一度くらい経験してるだろう。その時、たまたま打ち所が悪くて死んだ奴だって年間何人になるんだか。でもな」
 途中で振り返り、彼は足元をちらりと見やった。「何か引っかかると思わないか?」
 何がだ?
「何がって――あ。すぐに傷の治る妖魔にはわからないかもしれないけどな、人間怪我したらやたらと注意深くなるもんさ。それが、足の骨折なんて場合には特にな。被害者が足を骨折してたことはすでにわかってるよな? 例えば右足を骨折していた場合、こうやって、手すりにしがみついて昇ると思うんだよな」
 そう言ってヒューズは右足を上げると、両手で手すりを持ち、体を預けるような姿勢をとった。
「こうやって」一歩、階段を昇るごとに手すりに体重をかけ昇っていく。「一段ずつ、確認をしながら昇ると思うんだ。現に、夫人の証言、その他この家の手伝いの証言によれば、被害者は骨折してから、外では松葉杖を使っていたものの、家の中では片足で歩き回っていた。階段だって、手すりを掴んで――ちょうど俺が今こうしてるように、階段の端を歩いていたというんだ。もちろん、普段はそんなことはしなかった。不幸な事故が彼をそうさせたんだ」
 使えない足の代わりに、手すりを支えにして昇るというわけか。しかし、この家に不慣れなヒューズがあのように昇るのであれば、ここに数十年と住んでいた被害者はもう少しスムーズに昇っていたのではないだろうか。
「ばーか。報告書をよく読んでみろ。被害者は骨折をして何日目だ?」
 慌てて資料をめくり、被害者の死亡当時の状態を読み返してみる。一枚めくって次の資料を見ると、骨折の治療をした医師が書いたカルテのコピーが挟まれていた。診断日を確認すると四日目だ。しかも、骨折の原因が――階段を昇る時に誤って転落だと?
「当時の捜査官がハマったのがそこだ。階段から落ちて骨折した奴が、四日後に慣れない右足の骨折を抱えて階段を昇り、同じ過ちをして死んだとしてもおかしいことじゃない。しかも当日夫人は留守。アリバイもはっきりしてるとなっちゃ、もうお手上げだぜ」
 それで事故だということになったのか。だが、ヒューズはまだ疑わしい点があると言う。それが、被害者の体についたあざだ。
「想像ばっかで悪いけどさ、もうちょっと俺の人間論に付き合ってくれよ」
 手すりに掴まったまま、ヒューズは左足だけを動かして段の上で後ずさりをした。徐々に彼のかかとが段から離れ、あとはつま先を残すだけとなった時、ぴたりと止まった。
「いいか。階段を踏み外した時、俺がどんな体勢になってるか見てくれ」
 言った瞬間、彼はつま先を勢いよく滑らせた。手すりを掴んだ手はそのまま、少々前のめりになりながら、すとんと下の段に足を落ち着ける。
「もう一回やるぜ」
 やってみせてくれた彼の動きは先ほどと同じだった。斜め上へと伸びる手すりへと腕を張り、前のめりになりながら足を落ち着ける。もし、そのまま手を離してしまえば顔面から階段へとうつ伏せになる。
 そこではっと気付いた。被害者が死亡した時、はっきり階段から落ちたのだと診断されたのが、頭から腰、ふくらはぎにかけてついた階段の跡だった。しかし、今ヒューズがやってみせた動きでは到底体の背面に跡がつくとは思えない。いや、待て。それでも背中に跡がつく方法がある。
 飛び乗るように階段に足をつけ、ヒューズのすぐ下でそれを実践してみた。足を滑らせた拍子に手すりを軸として体が反転し、背面から階段に叩きつけられる、というものだ。もし、手すりに手がかかっていなかったとしたらこの動きは起こりえない。つまりそれは背中に跡がつかないということだ。
 しかし、何度やっても満足できる結果は得られなかった。もし仮に途中で手すりから手を離したとしても、一度勢いのついた体はそのまま右側の階段の壁へと打ち付けられる。昇る時であれば体の左側を打ち付けるはずだが、検死報告書の資料を見ても、該当箇所にこの事故でついたとされる跡はない。
 私が予想したものはまったく当てはまらない。だとすれば、可能性はただ一つ。被害者が背中から落ちるような姿勢をとっていた、それだけだ。

NEXT