[The Mystery of "Madam Lament"] -03-
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 その晩、私とゾズマは眠らぬまま今後のことについて話し合った。そういうと聞こえはいいものだが、実質は詳細のわかっていない彼にこの事件について詳しく聞かせることがほとんどを占める。資料を見せるのが手っ取り早いのだが、いかんせん、彼はIRPOのこともはっきりと把握してないばかりか、専門的な用語についてはもちろん知るわけもない。見せたところで質問攻めにあうのはわかりきったことなので、私自ら根絶丁寧に説明してやることで何とか理解してもらうことができた。
 だが、これが彼の特色なのか、私自身でも驚くほど彼の飲み込みは早い。一を聞いて十を知るタイプなのだ。
「それくらいできなきゃ、あのお方の下なんて務まらないよ」
 その言葉が説得力に溢れていて思わず苦笑してしまったが、おかげで何の心配もなく捜査を始める準備ができた。基本的な担当としては、私がグザヴィエ夫人、ゾズマがアラン・グザヴィエだが、もちろんそれは必要に応じて代わったりもする。ヒューズたちが情報収集を請け負ってくれているおかげで、こちらも尾行に専念できるのは有難い。
「報告は毎日午後九時。場所は沼地の入り口だね」
 最終確認を聞いてそうだと頷いたところで、ふと疑問が浮かんだ。ゾズマは時計を持っているんだろうか。
「時計? そんなもの持ってるわけないじゃないか」
 この男は本当に、一言で相手を脱力させるのが得意だな。だが残念なことに私も時計のスペアは持っていない。ヒューズもおそらく自分の物しか持っていないだろうし、リュートはあまり持っていそうな雰囲気はない。それより、朝からの行動でリュートと会えるかどうかもわからない。はて困ったと考え込んだところで、ゾズマがちょっと出かけてくるなどと言い出した。どこに行くのかと問えば、心当たりがあるので当たってみると言うので、なるべく早く戻ってくるようにと伝えて彼を見送った。きっと知り合いの人間でもいるのだろう。
 それから数十分の後に彼は戻ってきた。見れば、ベルトに何とも古めかしい懐中時計を絡めている。別に問いもしなかったが、金メッキがはがれるほど使い込まれた真鍮の飾りも何もついていないシンプルなものであるにしろ、その年代だけでも値打ちのありそうな一品だ。
「大丈夫。ちゃんと動くってさ」
 しゃらりと鎖を鳴らしてみせた彼にもう一度確認をしてから、私たちは山を降りた。幾つかの村の側を通り過ぎ、グザヴィエ夫妻の家の近くまで来た頃には日の出も近く、村のあちこちで飼われているニワトリが高らかに夜明けを告げていた。リュートの話によると、夫妻の朝はなかなか早いという。村でも早い方に入ると彼は言うのだが、いったいなぜ、そんなに朝早くから起きているのだろうか。
 夫妻の家を正面から見られる場所にあった木の上に隠れ、私たちは夫妻の行動を見張ることにした。見たところ裏口はない。だとすれば、彼らが表に出てくる時は今見えている正面玄関を使うという可能性が高い。
 そうこうしているうちに家の中に人影が見えた。あの雰囲気からしておそらくイレーヌ・グザヴィエだろう。家の中をせわしく動き回っているのは、朝食の用意か何かをしているのか。だが、それを見ていたゾズマがふと疑問を漏らした。
「あの人間は自分で料理を作るのかい?」
 たいていはそうだろうと視線を投げると、彼はさも不満と言った顔をした。
「だってさ、僕が知っている限り、人間の金持ちっていうのは自分で料理を作ってなかったよ。ああいった仕事は小間使いがやるもんだと思っていたけどね」
 だいたい、あんなこじんまりとした家に住んでいるのもおかしい、と彼は言う。確かに言われてみればそうだが、それは個人の勝手というものだろう。
「そうかい。僕が人間の金持ちだったとしたら、あの家に住むけどね」
 言って彼が指差したのは村一番の豪邸だった。確か、富豪が住んでいたが夜逃げしたとか何とか。リュート曰く、あそこには幽霊がいて、それに耐え切れなくなって富豪一家は夜逃げしたらしい。私は幽霊なんてものは見たこともないので信じていないが、人間にとっては気味悪く思うのだろう。一年近く経った今でも買い手がつかないようで、ひっそりと静まり返ったままだ。もったいないとしか言いようがない。私なら住んでみたいがな。ゆっくり羽を広げられる空間が欲しい。
「君はよほど狭苦しい空間にいるんだね」
 いやいや、しかし。あれでもIRPOの住居としては優遇されている方なのだぞ。部屋は一つしかないが、何より本部から歩いて十分だ。色々と不満もないわけではないが、言えばもっと不便なところに移らされそうなのであえて言わない。
 ゾズマこそ今は放浪をしているが、ファシナトゥールにいた頃は馬鹿でかい屋敷に住んでいたと聞いた。もちろん魅惑の君から与えられたものだろうが、それに比べれば今の生活には不満があるのではないだろうか。
 そう問いかけるとゾズマはしれっと「今はこの世界自体が僕の家なのさ」と返してきた。そうか。それはまたスケールのでかい話だな。聞いた私が馬鹿だった。
 そんな雑談をしながらグザヴィエ夫妻の家を見張り続けてどれほど経っただろうか。ふいに正面のドアが開いてグザヴィエ夫人が出てきた。日傘を携えてどこかへ出かける気らしい。後は任せろというゾズマに見送られ、私も行動を開始した。
 村を抜けてシップ発着場へ。ヨークランド発のシップはクーロン直行便のみだから、先回りも楽でいい。案の定、転移でクーロンへと回り発着場で待っていると、数少ないヨークランドからの乗客の中にグザヴィエ夫人を見つけた。ここから先は同乗するしかない。幸い、彼女が向かったのはドゥヴァン経由シュライク行きのゲートだったので行き先は二つに絞られた。シュライク行きの切符を握り締め、彼女の後をひっそり追う。シュライクといえば、彼女が二番目の夫と住んでいたリージョンだ。あそこに何かあるのかもしれない。
 しかし、私の予想に反して彼女が降り立ったのはドゥヴァンだった。だめだ。何が目的なのかさっぱりわからない。殺人者が神頼みでもするというのだろうか。今回の策もうまく行くようにとの願掛けか。
 ドゥヴァンのあの占いの館が立ち並ぶ中から一つを選び出して彼女は入っていった。追って中に入ってようやく、そこが何人かの占い師で共同経営されているところだと気付く。薄い間仕切りを挟んで何人もの占い師がそれぞれの道具を広げる中、一番奥に彼女が入ったのを見て、私もその隣へと飛び込む。
「いらっしゃいませ」
 丁寧に頭を下げた占い師にそしらぬ顔で彼女のことを切り出してみると、こちらが呆れるほど積極的に情報を提供してくれた。信用の置けない者だと思いながらもありがたくその情報を聞き出して、適当に占いを受ける。耳をそばだてていると、グザヴィエ夫人の入ったブースからは途切れ途切れに会話が聞こえてきた。残念ながら目の前の占い師の声にかき消されて何を話しているのかまでは理解できなかったが。
 占い師に別れを告げ表で待っていると、しばらくしてグザヴィエ夫人の姿も見えた。先ほどよりも幾分晴れ晴れとした顔をしている。何かいいことでも言われたのか。私の仕事運は散々たるもの、お先真っ暗だと言われたせいか、少々羨ましい気分になってくる……いや、今はそんなことを気にしている場合ではない。
 再びグザヴィエ夫人を尾行したが、結局彼女はそのままヨークランドへと戻ってきた。私も元いた場所に転移をして、再び彼女の動向を見張ることにしたが、その場にゾズマの姿は見えなかった。おそらく、夫の方も外出しているのだろう。
 それから二時間ほどしてアラン・グザヴィエが戻ってきた。それと同時にゾズマもここに転移をしてきた。
「どうやら、昨日僕たちが見たのは彼の日課だったみたいだよ」
 アラン・グザヴィエはどうやら今日もあの山道をせっせと登っていったという。やがて頂上の焼け落ちた教会でのんびりと過ごした後、またここへと戻ってきたというわけだ。頂上の教会とやらは知らなかったが、ゾズマの話を聞いて合点がいった。エミリアと聞いてまさかあのエミリアと思っていたら、やはりレンの妻であるあのエミリアという女性が、レンを殺したとされる相手を追って乗り込んだらしい。レンから話を聞いて、なんてたくましい女だとつくづく思ったものだが、詳細を聞いてさらにそれが強くなった。レンもとんでもない女性と結婚したものだ。
 ただ、ゾズマから聞いた中で一つだけ疑問に思うことがあった。アラン・グザヴィエは帰りがけに沼地に寄ったというのだ。あそこはヨークランドでも危険地帯として、トリニティが立ち入り禁止区域に指定している。もちろん、秘術の資質を得ようという者はその対象外となるわけだが、資質を求めているわけでもなさそうな彼が、あの沼地に何の用事があるのだろう。むしろ身の危険に晒されるような場所にわざわざ出向くだろうか。それとも、あそこが危険地帯だと知らないのか。その辺をヒューズたちに探ってもらわなければ。
「まあ、彼も入り口の辺りにいただけだけどね。石なんか放り込んでさ、モンスターが飛び出してきたらどうするんだろうね」
 それは確かに危ないな。やはり危険地帯だと知らないのか。このままではグザヴィエ夫人よりも前にモンスターに殺されるかもしれない。
 そんな不安を抱えながらも一日は終わり、私は本日の報告をすべく沼地へと向かった。見張りの場所には私の代わりにリュートがいる。ゾズマもリュートのことなら知っているというので任せてみたが、果たしてあの調子のよい二人に任せてよかったものだろうか、と不安が湧いてくる。
「よう。お疲れさん」
 暗がりの中ヒューズが手を振った。私がその場に到着すると同時に懐中電灯の明かりを小さくし、相手の顔が見える程度の明るさの中一応の報告を済ます。その中でも新しい発見はあった。どうやらイレーヌ・グザヴィエが訪れた占い師は彼女と相当懇意にしているらしく、彼女もまたあの占い師の話をよく村の人間にしているそうだ。何でも、自分の一番信頼の置ける人だ、と。私が会った占い師から聞いた『上得意』というのも嘘ではなかったらしい。
 ヒューズが村の人間から聞き出した情報も、私が得た情報と一致している部分があった。彼女はほぼ一ヶ月に一度の割合であの占い師の元を訪れ、色んなことを占っているらしい。
「こないだなんて、家にいて妙な視線を感じるって相談してたらしいぜ。村の奴らも幽霊じゃないかとか言ってたけど、そりゃ何人も殺してりゃ一人くらい化けて出てもおかしくないよなあ」
 笑い事じゃあないけどな、とヒューズは付け足した。確かに笑い事では済まされない。
 私は私で、ゾズマの報告も含めてヒューズに注意を呼びかけてみた。もちろん夫のことだ。ヒューズもそればかりは気になるらしく、明日さっそく調べてみるということで話は決まり、ヒューズはリュートの家へ、そして私は見張り場所へと戻った。



 それからというもの、たまに交代で家に戻りながらも見張りを続ける日々が一ヵ月半もの間続いた。課長の計らいか、その他の事件は一切持ち込まれず、私とヒューズはこの事件に専念することができたが、それはそれでまた疲れることに変わりはない。何も動きがないことは良いことといえばそうなのだが、私たちもいつまでもこの事件にかかりきりでいるわけにもいかず、自然とイライラとしてくる時もある。何か動きがあれば一気に動けるのにと考えながらも、その日、久しぶりに戻った自室のベッドで、私はつかの間の平和を味わった。
 翌日、夫妻の見張りをゾズマとヒューズに任せたまま、私は一人本部へと向かった。以前の捜査資料にもう一度目を通し、何でもいいから手がかりが欲しい。その一心で資料室に向かったが、目にするものは大して目新しいものでもなく、がっかりとしたまま一枚、また一枚とページをめくっていく。
 一人目の夫は自殺、二人目と三人目は事故死。そしてそのどれでも彼女のアリバイは証明されていた。続けて関与している人物もいない。彼女のアリバイを証明したのは、立ち寄った先の店員であったり、買い物の領収書であったり、友人であったりとバラバラだ。夫たちの死体検案書と検死報告書を見ても穴は見つからない。むしろ、IRPOがあらぬ疑いを彼女にかけているのかもしれないと疑ってしまうほどだ。
 一人目の夫は拳銃自殺。二人目の夫は、家の階段から落ちた際、脳挫傷を起こし死亡。三人目は車の運転中、誤って崖から転落して失血死。一人目の夫の自殺原因にIRPOは特に注目していたが、ちょうどその頃、一人目の夫は浮気をしており、相手と夫人の間で思い悩んだ末自殺したのだろうということになった。そんなことで人間は死のうと思うのかと言った私に、特捜課の人間たちはあながちあり得ない話ではない、と答えた。どうも人間はよくわからない。
 結局、何も得るもののないまま、私は本部からヨークランドへと移動した。見張りをしていたヒューズと交代し、その場に落ち着いた頃、夫妻の家の明かりが消えた。午後九時過ぎ。今日も何もないまま一日が終わった。
「まったく、単調で飽きることこの上ないね」
 木から降りたゾズマがあくびを交えてそう言った。「あんな生活をして一生を終えるなんてぞっとするよ」
 確かに彼女たちの暮らしは単調だ。朝起きて庭をいじったり、散歩に出かけて夜になれば眠りにつく。他所へ出かけることもあまりなく、この村で一日を過ごす。だが大部分の人間が、生まれてから死ぬまでほとんど生活のリズムを変えずに一生を過ごすことを思えば、それも別におかしいことではない。
「ああやって、何もしないまま短い命を終えてしまう。人間って本当に何のために生きてるんだろうね」
 だが、とその意見に私は反論を唱えた。人の一生は短いが、それゆえに皆、日々の単調な生活の中に小さな発見をしながら生きている。何気ない日常に隠れたものをその目で見つめ続け、己の蓄積してきたことを子孫へと託し、やがて永遠の眠りへとつく。その中には受け継がれなかったものもあれば、受け継がれてなお気付かれず、過ちを繰り返しその後に気付くものもある。それでも人間は、常に己の生を見つめながら生きている。妖魔でそのような生を送る者はほとんどないに等しいが、言い換えれば、人間のように短い時間を生きる種族だからこそ、その集中力が持続するのではないのだろうか。
 それに対し返ってきたのは、ふっと吐き出すような笑い声だった。人間が何を見つめているのか自分には一生わからないだろう、とゾズマは言う。私もそうだ。おそらく一生わからぬまま、いつか消滅の時を迎えるのだろう。
 それでも、消滅のその瞬間まで人間たちの己を見つめ生きる姿を見続けていたいのだと、寝静まった村の家々を見ながら改めて思った。

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