[The Mystery of "Madam Lament"] -02-
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 基本的に、捜査において一般人を密偵に使うことはほとんどない。これは事を秘密裏に進めたい時はすべからくそうだと言えるが、人間にしろ妖魔にしろ「話すな」と言われれば話したくなるというのは変わらない。例え、どんなに固い約束を交わしたとしても、うっかり口から漏れてしまうことはあるし、むしろ他人に話すために秘密を聞こうとする輩もいる。だから隠し事をしたいと思うのなら、相手がどんな者であろうと絶対に口に出さないべきだ。
 だが、どうしても助けを借りたい時もある。そんな時にはこうして本人署名の上で契約を交わすことになるが、当然の如くそれにはこちらの『脅し』も含まれている。
「でも、ディスペアってちょっと興味湧くよな」
 そんなことをのんびりと口にしたリュートの姿に、私は不安の色を隠せなかった。本当に彼に任務を打ち明けて大丈夫なのだろうか。
「そんなら今すぐぶち込んでやろうか?」
 ヒューズがそう言うと、リュートは首を軽く横に振った。「興味が湧くだけだってば」
「ならいいんだけどな」
 話しながら沼地へと移動する。ヨークランドは元々人がまばらなリージョンだが、それでもトリニティの支部はあるし、いくつもの町がある。どこにいても絶対に人の目につかないとは言い切れないが、沼地ならばまだその危険性は低い。
「なるほどな。でもあのおばさんのことは、村でも話題になってるぜ。だってさ、こういう狭い村に他所の人が来たらそれだけで噂にはなるってのに、それがつい数ヶ月前に新聞を賑わせたアデル――ああ、今はグザヴィエだっけ?――その人だって知れたら、話題にならない方がおかしいぜ」
 母ちゃんもいろいろ言ってたぜ、という彼の言葉にその『母ちゃん』とやらに今すぐにでも会いたい衝動に駆られたが、いかんせんこちらはなるべく目立たないようにしなければいけない。
「しかしなあ……」
 ヒューズのその一言にふと顔を上げて、私はようやく何か居心地が悪いような、自分の存在を否定されているような妙な空気に気付いた。ヒューズとリュートの視線が私に注がれている。何だろうか。私が何かしたのだろうか。そう目で問いかけると、ふっとヒューズがため息をついた。別に私はそんなことをされる覚えはないぞ。お前たちの会話だって聞いているというのに。
「困ったことになるよなあ」
 ちらり、と申し訳なさそうな視線でリュートがこっちを見た。そして続けざまヒューズが――。
「よし、サイレンス。お前は野宿決定」
「は?」
 思わず声に出して聞き返してしまった私にヒューズはもう一度念を押すように言った。「だから、お前には悪いと思うけど、しばらく野宿してくれよ、な?」
 「な?」とは何だ、「な?」とは。それはもしかして、私が邪魔だと言う意味なのか? 馬鹿を言うな。確かに人間社会には未だ慣れていないとはいえ、捜査官としての腕はまずまずだと自負している。しかも「お前は」ということはヒューズはどうなのだ。
「いや、怒る気持ちはわかるけどさ、やっぱりこういう閉鎖的な村では妖魔が一匹入り込んだだけでもすごく騒ぎになると思うんだよな。それにほら、お前そんな格好してるだろ? 絶対目立っちまうしさ」
 いやいや、もう何も言うな。はっきりわかった。私のことが邪魔なんだな。
「な、なあヒューズ。大丈夫だってば。うちの母ちゃん、口も堅いしさ、きっと話せばわかってくれる――」
「いやいや、これは仕事上大事な話なんだ。それにおばさんの口が堅くても村の皆はそうじゃないだろう? もし俺たちが潜入してることがグザヴィエ夫人にバレたら……って、おい、サイレンス!」
 ヒューズの呼びかけを背中に受けながら私は歩き出した。確かこの道を真っ直ぐ行ったらそのうち山に入るはずだ。
 彼の言い分はもちろん分かる。以前、リュートにくっついてここに来た時も、妖魔というだけで好奇と恐怖の入り混じった目で見られたものだ。特に今回は秘密裏の行動だというのに、私が村をうろついてしまっては捜査の上でマイナスにこそなれプラスにはならない。下手をすれば、グザヴィエ夫人本人の耳にも入ってしまうだろう。だがなぜだろうか……無性に寂しく感じるのは。それこそ生まれてからほとんどの時間を一人きりで過ごしてきたというのに、なぜこんなにも寂しく感じるのだろうか。
 そんなことを打ち消そうと頭を振ろうとした瞬間、肩に触れるものがあってふと振り返る。
「仕事が終わったらさ、うちに遊びに来いよ。母ちゃんも歓迎してくれるだろうし。それにうちの母ちゃんの作るアップルパイはめちゃくちゃうまいんだぜ!」
 満面の笑みでそう言ったリュートのおかげか、少し沈んだ心が軽くなったような気がした。そうだ。今私がここにいるのは何よりも仕事のためだ。それが終わればまた元の生活が戻ってくるのだ。
「じゃあな! また後でな!」
 走り去るリュートに手を振ると、その後ろにどことなく呆れた顔をしたヒューズの顔が見えた。何か呟いたのか口を動かしていたが、残念ながらその声は私の耳には届かなかった。
 それでも先ほどに比べて足取りは軽い。踏みしめる草の音を聞きながら小一時間ほど道を行くと、僅かながら道に傾斜がついてきた。周りの景色も先ほどまでの開けた風景から徐々に木が増え始め、どうやら山の中に入ったようだと判断した頃には、人間たちの住む家が眼下に広がるほどになっていた。
 こうして見てみると、人間は本当に固まって暮らしているのだということがわかる。モンスターほど力もなく、メカほど丈夫でもなく、妖魔ほど術にも長けていない人間。だが、彼らには勝るとも劣らぬ能力がある。他人の心を知る力――万能というわけではないが、相手の心を察することで、相手を思いやることもでき、相手を傷つけることもできる。それは、知恵の劣るモンスターには難しく、全てが計算で成り立つメカには触れられず、己に全ての力を注ぐ妖魔には理解しがたいものだが、人間にとっては驚くほど容易いことだという。その能力を使い、人間ははるか昔からこうして群れを成して暮らしてきた。一人一人の力は弱いが、集団になれば強くあれることを本能的に察知していたのだろうか。
 そこまで考えてふと息をつくと急に体が重くなっているような気になった。ああ、そう言えば、昨晩から食事を摂っていない。それに気付いてふと辺りを見渡すとちらほらと花が咲いているのが目に入った。あの花の蜜はうまいのだろうか。
 腰を上げてその花へと手を伸ばす。あまり蜜の香りはしない。案の定、なめてみてもほとんど蜜の味はせず、これならこのまま食べた方がよさそうだ、と花を口に放り込んだ瞬間、すぐ側で声が聞こえた。
「やあ。蝶々くんはお食事中かい?」
 この声は。知っている者の声だが振り返りたくない。
「まったく、無視を決め込むとはね」
 呼んでもいないのに現われたその妖魔――ゾズマは、目の前に腰を下ろすと、こちらが口を動かすさまをしげしげと見つめてくる。
「ねえ、花っておいしいの?」
 仕方がないので頷くと、彼もまた手ごろな花を口に放り込む。しかし、数秒の後に吐き出した。
「全然おいしくないよ。よくこんなもの食べられるね」
 吸血妖魔のお前には無理だろうが、私にとっては主食だからな。まあ、お前よりも味覚が繊細にできているから――。
「今何か、自分の方が上みたいなこと考えなかった?」
 ……どうしてこの男はこんな時に限って鋭いのだろう。絡まれるとやっかいなことは重々承知しているので、首を横に振って否定すると、彼は別段興味もないような生返事をしてきた。
「それにしてもこんなところで待機だなんて、暇すぎて嫌になっちゃうよね。あの人間は友達にくっついて村に入っていったっていうのに、君だけこんなところっていうのもなってないよね……ってちょっと!」
 彼の言葉に驚いて、隠していた羽が飛び出した。ちょっと待て! どうしてこの男はそんなことを知ってるんだ?
「そんなの、話を聞いたからに決まってるだろ。だいたいさあ、あんなに側で話聞いてたのに、僕の気配に気付いてくれないなんて、君冷たいよ」
 いや、お前ほどの妖気を持った者がいればすぐに気付くはずだが。
「当然じゃないか。気配を消してたんだから」
 その一言に何も言う気力がなくなった。落ち着くんだ。元よりこの男はこういう奴ではないか。こんなことでいちいち腹を立てたり、脱力していたのではこっちの身が持たない。
「まあ、そんな顔するなよ。あっちが人間チームでやるんなら、僕らは妖魔チームってことでさ、よろしく相棒!」
 言うなり彼は勝手に握手をしてきた。己の誇りにかけて誓うが、私は望んで握手をしたわけでない。だが、彼は非常に上機嫌の様子だし、これはこのまま放っておいた方がいいのかもしれない。
「相棒って一度言ってみたかったんだよね」
 そして、今の一言は聞かなかったことにしよう。
 だが、なぜこうなってしまったのかを考えるより前に、私たちの会話は中断された。土を踏む足音、そしてこの独特の匂い。間違いなく、人間がこの場に近づいていたからだ。
 ゾズマの腕を掴んで、先ほどまで腰かけていた岩の裏へと身を隠すとほぼ同時に、軽く鼻歌なぞ歌いながら一人の人間が現われた。年の頃は四十過ぎ。身長は百八十センチ近くあるが一般的な人間の男の体型だ。しかし、その顔を見た瞬間、私の中で思い当たるものがあった。
 男は私たちに気付くことなく、目の前の道を下へと通り過ぎていった。やがて姿が見えなくなり、足音が完全に聞こえなくなるまで待ってから、岩の裏から這い出し、持っていた袋の中に押し込んだ捜査資料を取り出す。――間違いない。グザヴィエ夫人の夫、アラン・グザヴィエだ。
「なるほど。あいつが、君たちが注意してる人間その一ってわけだ」
 そうだ。彼がこの山の上まで何をしにいったのかはわからない。それでもこうして生きている姿を確認できたことだけでもいい。さっそくヒューズに報告だ。
 私が続けて取り出した機械には、ゾズマはまったく反応しなかった。だが、通信スイッチを入れあちらからヒューズの声が聞こえた瞬間、興味津々と言った様子でトランシーバーを覗き込む。
『そうだったのか。旦那の姿が見えないんでちょっと心配してたんだが、取り越し苦労だったってことか』
「そちらの様子は」
『グザヴィエ夫人は楽しそうに庭いじりなんてやってるよ。見たところ、毒物の含まれた植物はないみたいだけどな。とにかく、日が暮れてからそっちに向かう。じゃーな』
 その言葉を最後に通信は途切れた。とたんにゾズマが感嘆の声を上げる。
「人間もそうやって声を飛ばすことができるんだね」
 そうか。彼はトランシーバーの存在を知らないのか。ならば、電話もたぶん知らないんだろうな。あちこちのリージョンをうろついていると聞いたが、人間の生活そのものにはあまり関心がないようだ。まあ、トランシーバーにしろ電話にしろ、ないリージョンもあるので、これが人間の生活の全てというわけでもないのだが。
 それから待つこと数時間、日がとっぷりと暮れた頃、山を降りた場所で私はヒューズと落ち合った。もちろん、後ろからゾズマもついてきている。その姿を見てヒューズは私を怒鳴りつけ、半ば喧嘩となりかけたのだが、どういうことかゾズマに止められることになった。しかし話をしたらしたで、ヒューズが今度はゾズマを怒鳴りつけ、これまたあわや大喧嘩となる寸前までいった。
 結局何とか落ち着かせ、自分たちの運命に呪いの言葉なぞ吐きながら私たちは別れた。
 明日からは本格的な捜査に入る。ヒューズたちはさり気なく村の聞き込みを、私たちはグザヴィエ夫妻の尾行を担当することになった。こういう行動は、人間たちよりも私たち妖魔の方が向いている。人間より格段に視力がいいため、離れた場所からも姿を確認することができるし、シップで出かけられても転移で追いかけることができるからだ。
「それにしても君たちってちょっと短気に過ぎるよね」
 山へと戻る道すがら、ゾズマがそんな一言を吐いた。そうだな。どうも彼と行動するようになってからそうなってきたような気がする。だがお前も、十分『短気に過ぎる』部類に入ると思うぞ。

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