[Drunk Witness] -06-
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 ありがたいことに、ネイト・アンダーソンは今日も店にいた。先日見せた人当たりのいい笑みを浮かべ「いらっしゃい」と小さく頭を下げる。
「どうもジョン・ターキスの言うことがめちゃくちゃでねえ」
 会計をしていた客が帰ったのち、そうヒューズが切り出すと、彼はふいに目を細めて言った。
「あの男はそういう奴ですから。信用ならない男ですよ」
 嫌悪感を漂わせる物言いに引っかかるものを感じたが、元よりあの手の男はそう言われているものだ。それよりも今重要なのは、この男の話なのだ。
「悪いね。仕事中なのにさ」
「仕事中と言っても自営ですから。それより、今日は?」
 仕事の手を止めてこちらへと向いたアンダーソンに、ヒューズはちらりと視線をくれるとこともなげにこう言った。
「いやさ。花の色が気になって来たんだよ」
「花の色?」
「ああ。エレア・ローランドさんが殺されて、あんたはその直後にあの店に行った。その時、鉢植えに入ってた花は何色だった?」
 その問いかけに彼の動きがぴたりと止まった。だが、表情は難解を示したままだ。
 正直に言って、この問いかけは賭け以外の何ものでもない。もしアンダーソンがあの花のことを知っていればこちらの負けとなる。だが、私たちも根拠もなくこんな質問をしているのではない。先ほど聞いた花屋の女性の言葉に基づいたものだ。
『あんな変わった花持ってるのなんて、ここらじゃローランドさんくらいのもんですよ』
 酔芙蓉は元々オウミの花ではないと言う。もちろん、育たない土地ではないが、この一帯で自然に咲いている酔芙蓉は見かけないということだった。だからこそ、こちらも一か八かの賭けに出たというわけだ。
「花の色、ねえ」
 だが、そう言って考え込んだアンダーソンが次に発した言葉に、私は心の中で歓声をあげた。勝利は私たちにもたらされたのだ!
「間違いないな?」
「ええ、白でした。一つだけ大きく咲いていたので覚えています」
 そう言って彼はにこりと笑った。だが、それに対してこちらの気持ちは暗い。
「そうか、ありがとうな」
「え? もういいんですか?」
「ああ。花の色が白だってわかればよかったんだ」
 ヒューズは軽く笑って私を促した。半ば呆然としたままのアンダーソンをその場に置き去りにして、さっさと店の外へと移動する。結局、私たちは、被害者の家の裏に止めた車に戻るまで、一言も口を聞くことはなかった。
「もう、決まったな」
 車に戻って、ようやく口をきいたヒューズに無言で頷き返す。彼の言ったことは全て嘘だったということだ。私たちが駆けつけた時点ですでに濃いピンク色に染まっていたあの花が、僅か一時間前の午後四時の時点で白かったということはあり得ない。つまり、ジョン・ターキスの供述こそが正しかったということだ。
「平気な顔で嘘をつく奴なんかゴマンといるさ。それより、俺たちの目標も決まったじゃないか」
 私たちが追うべき人間は決まった。ネイト・アンダーソンだ。しかし、事件からすでに四日が経過している今、少しでも証拠を掴むことなんてできるのか。それが心配だ。
「それなら心配はいらないだろ。犯人は犯行現場に戻るってな。この四日間、現場から見張りが離れることはなかった。とすれば、犯人が戻ってくるのはその後、事件が解決した後だってことだ」
 そこまでヒューズが言ったところで、私も彼の言わんとしていることがわかった。つまり、そういう状況を作り出して、犯人をおびき寄せようというわけだ。
 犯人の目的ははっきりしたわけではない。あの宝石の入った袋が関係しているのかははっきりとしないし、もちろん犯人が戻ってくるという保障もない。だが、私はヒューズの案に乗ることにした。うまくいけば現行犯逮捕、失敗すれば迷宮入りというとんでもないものだが、何もやらないで頭で考えているばかりよりはずっといい。
 どうも最近、ヒューズのくせが移ってきたのか、こんな賭けすら厭わない自分がいる。



「よーし、撤収だ!」
 通りに響き渡るような大声でヒューズが号令をかけると、いっせいに警官たちがテープを巻き取っていく。事件解決の時と何ら変わりのない光景だが、これだけ見せつけるようにやって怪しまれないだろうか、という不安の方がわいてくる。だが、どうせなら目立つ方がいい。その証拠にどうだ。通りのあちこちからこちらに向かって投げかけられる視線がどんどん増してくる。
 家の回りにできた人だかりが見守る中、瞬く間に撤収作業は終わり、警備についていた警官四名がヒューズの前に並んだ。
「撤収作業、完了しました」
「はい、ご苦労さん。今夜はゆっくり休んでくれよ」
 敬礼を交わしたのち、先に署へと戻る警官たちを見送り、私たちも人だかりを散らす作業に入る。
「ねえ、もう事件は終わったの?」
「結局ターキスが犯人だったのかい?」
 そんな質問を適当にかわしながらどんどん人を払っていく。最初は何だかんだと声を上げていた人たちもやがて消えていき、まばらになった頃、一人の男の姿が目に入った。店の前でじっとこの光景を見ていたであろう、ネイト・アンダーソンだ。
「あんたもご苦労さまだったな。店の前で四六時中見張られてたんじゃ、客の入りも悪かっただろう? でもあいつらも仕事なんだ。許してやってくれよ、な?」
 そう言って、気軽に彼の肩を叩いたヒューズと二、三言葉を交わし、彼もまた店の中へと消えていった。それを確認してからヒューズを見ると、彼もちょうどこちらを向いたままニヤリと笑った。
「さて、勝負はここからだ」
 その言葉を合図に家の裏手に回る。まずはこの目立つパトカーをどうにかしなくてはいけない。しかし、ありがたくもここは町の派出所からさほど離れてもおらず、そこにパトカーが置いてあっても何も不信感を抱かれることはない。
 私たちを出迎えてくれた例の頼りない警官も、今回ばかりは気合が入っているらしく、少しばかり頬を上気させて私たちに応援の言葉をくれた。
「いいか? 全部終わるまで絶対に誰にも何も言うなよ」
「もちろんです! 必ずや、この大役を果たしてみせます!」
 大役と言っても、パトカーを預かってもらうだけなのだが。こんな平穏な町では、このような捜査計画に参加すること自体が、すでに大役レベルなのかもしれない。
「では、お気をつけて!」
 少しトーンを落とした声でも、きちんと敬礼を忘れない彼に私たちも応えて、町の派出所を出ることになった。後は、犯人が行動するのをずっと待つのみだ。
 人に気付かれないように少し大廻りをして被害者宅へ再び戻ってきた私たちは、キッチンから続く倉庫の中へと身を隠すことにした。この倉庫は少々狭いが、壁を挟んであの戸棚からも近いという絶好の場所だ。壁もさほど厚くないこの家の作りから言って、隣室である居間に人が入ってきた時点でかなり足を忍ばせていてもわかるということもすでに確認済みだ。
 そこに二人で潜り込み、犯人が現れるのを息を殺して待つ。もちろん、ブラスターはいつでも突きつけられるように手に持ったままだ。
 一時間、二時間と時が経ち、もう午後九時半を回った頃だろうか。外の喧騒も途絶え、居間から聞こえる時計の針が時を刻む音だけが、しんとした中響き渡る。
「そろそろ十時だな」
 腕時計をちらりと見てヒューズが囁いた。このような田舎町ではすでに皆床に入っている時間だろう。犯人が動き出すのもそう遠くはない。そう考えて気を引き締めたその時、キィと小さな音が聞こえた。
 じっと耳をすませていると、店の床を軋ませながら、少しずつこちらへと足音が近づいてくる。一歩、また一歩と慎重に歩を進めていると思われたその音がぴたりと止む。どうやら、居間の扉の前まで来たようだ。
 私たちが息を潜めている中、再び扉の開く音が聞こえ、ほっと息をつく音が続く。
 ヒューズが私の肩を軽く叩いた。合図だ。音がしないようにそっと腰を上げ、石が敷き詰められたキッチンをゆっくりと進み、こちらもまた居間へと続く扉の前に陣取る。開けた扉から犯人に気付かれないために、少し距離を置いて待ち続けると、やがてカタリ、と引き出しに手をかける音がした。
 犯人が引き出しを取り出す音と同時に、私たちも再び行動を開始する。居間に毛の長いじゅうたんを敷いていたのはありがたい。犯人の足音が途中で途絶えたのと同様に、こちらの足音も聞こえないからだ。
 犯人のいる辺りを常に捉えながら近づいていく。こんなに側にいるのに気付かないものか。犯人はあの仕掛けを解くのに必死になっているのか、まったくこちらに気付く気配もなくがさごそといささか大きすぎる音を立てて戸棚の中を探っていたが、やがて仕掛けに気付いたのか、目の前に現れた空洞へと手を差し入れ――。
「そこまでだ」
 犯人がぴくりと反応を示したのと、私たちが相手の頭にブラスターを突きつけたのはほぼ同時だった。
「お宝探しに必死になって、人の気配にも気付かないようじゃ泥棒としてはまだまだだな」
 ヒューズのその言葉に犯人はおそるおそる振り返った。今さら驚くまでもない。ネイト・アンダーソンだ。
「何でだって顔してるな。花だよ、花。お前が見たっていう白い花」
「あの花が……?」
「そうだ。お前は俺の質問に対して、自分が見た花は白い花だと答えた。だが、お前が話してくれたことから考えると、あの花は白い花であるはずがないんだ」
「そ、それはどういう」
「あの花はな、時間と共に色が変わる花なんだ。お前が見た白い花っていうのは、午前十時頃――ちょうどエレア・ローランドが殺害された時刻の頃の姿なんだよ」
 それに彼の目は大きく見開かれ、やがて力をなくしたように彼はぱたりと床に座り込んだ。
「話は署に帰ってからゆっくり聞かせてもらうからな」
 町の派出所に連絡をすると、パトカーはものの五分もしないうちに到着した。もはや動く気力すら失ったのか、私とヒューズに半ば支えられるように歩くネイト・アンダーソンを中に押し込み、両脇から私たちもそれぞれ乗り込んですぐさま車は出発した。サイレンの音で飛び起きた住民たちが家々の窓から戸口から見守る中、ずっと口を閉ざしていた彼がふと呟いた。
「花の色だなんて……。悪いことはできないもんですね」



 動機としては、やはりあの宝石に目がくらんだ故の犯行だった。
 何でも、エレア・ローランドは宝石を集めるのが趣味だったらしい。少しずつ貯金をしては、一年に一度自分のために宝石を買う。親しくしていたネイト・アンダーソンはその話を聞いていて、それを目当てに今までも何度か彼女が不在の際に侵入していたが、まったく見つかる気配はなかった。
 ところがあの日、たまたまあの鍵のかかった引き出しに気付き、こじ開けている最中にエレア・ローランドが帰宅したという。それから後は私たちが考えていた通りだった。たまたま手元にあった鉢植えで彼女を殴った時点ではまだ彼女は生きていたようだ。しかし、怖くなって逃げ出そうとしたその時、店側に置いてある鉢植えに気付き、なぜかそれを持ち帰ってしまったという。
「パニックになってる時って、自分でも何するかわかんないしな」
 そんなものなのだろうか。私もパニックとやらになれば、自分でも予想だにしない行動を取るのだろうか。
 ネイト・アンダーソンの供述通り、現場から持ち出された鉢植えは彼の自宅で発見された。最初はどこかに捨ててしまおうかと思ったようだが、こちらがジョン・ターキスの裏づけをするために町のあちこちで捜索をしていたのが意外な効果を発揮していたらしい。私たちの動きを警戒して、鉢植えを捨てぬままに置いていたのだ。黒い袋に入れられて倉庫に放置されていた鉢植えは、深酔いすることもなくしおれていた。
「なんだ。結局それ飾ってんのか」
 ヒューズが私の机の上にある鉢植えを指差してそう言った。そう、今回の事件で鍵となった酔芙蓉の鉢植えだ。色あせることなく咲き誇るこの三色の花を見ていると、以前レンが言ったように花を目で楽しむのもそう悪くはないとも思えてくる。
「そういやさ、この花見てあいつ泣いたんだよな」
 取調べの最中、証拠として持ち出したこの鉢植えを見てネイト・アンダーソンは泣いた。自分の罪を暴かれた悔しさからか、それとも自分の犯した罪に後悔してか。できれば後者だと思いたい。
「まったく。たかが花、されど花ってわけか。侮れないもんだよな」
 白い花をつつきながらそう言うヒューズに頷きで返す。
 まさに皮肉とはこのことか。ネイト・アンダーソンは宝石の存在は知っていても、被害者が愛していた花のことは聞かされていなかったらしい。いや、例え知らなかったとしても、彼がこの四日の間に一度でも持ち出した鉢植えを目にすることがあれば状況は変わっていただろう。だが、彼はそれもしなかった。
 もしこんな偶然がなければ、今回の事件も真犯人をもって解決することのないまま、冤罪へと発展していたかもしれない。それを考えると、今回私たちがたどってきた道はなんと不思議かつ幸運に恵まれたものだったのか、と感心してしまうほどだ。
「普段もこうラッキー続きなら仕事も楽なんだけどなあ」
 ヒューズがぼやいたその時、ふいに後ろから差す影に気付いた。それに続く頭を叩かれる衝撃。こんなことをしてくるのは一人しかいない。
「ほらほら。じっとしてる暇なんてないわよ」
 腕組みをしたままのドールが、手に持った資料を軽く振る。それはやたら滅多と分厚いような気がするのだが――。
「おいおい、俺らにはコーヒー飲む時間もないってことか?」
「コーヒーなんてシップの中でいくらでも飲めるでしょ。それよりも仕事。やらなきゃいけないことは山積みなんだから」
 仕事は山積みか。これなら、新しい鉢植えをもらいに行けるのはいつになるのか。
 そんなことを考えながらずしりと重い捜査資料を受け取る。今度の事件も長くなりそうだ。

|| THE END ||
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