[Drunk Witness] -05-
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「どこかで絶対見落としをしてるはずなんだ。あの医者が死亡時刻を勘違いしたのと同じように、俺たちもな」
 エレア・ローランドの店に向かう途中、今までのことをもう一度頭の中で振り返ってみる。被害者は午前十時ごろ、店舗の奥の私室で後頭部を植木鉢で殴られて絶命した。振り下ろされた位置から言って、彼女より少々背の高い人間だということがわかっている。
「ダメだぜ、サイレンス。捜査をやり直す時にごちゃごちゃ考えるのはいけねえ。頭の中を真っ白にしてありとあらゆる事実を受け入れるんだ。いいか、俺たちは先ほど通報を受けた事件を捜査にしに今現場に向かっている。そう思い込め」
 そう言ってヒューズはエレア・ローランドの店の裏に車を止めた。ふわっと舞い上がった砂ぼこりを軽く払い、見張りの警官と軽く挨拶を交わすと、裏口から店に入る。ここは、エレア・ローランドがかつて生活をしていた場所だ。事件からすでに一週間は経っているのに、未だ生活感が残っている。それはほったらかしにされた食器や食べかけで口を縛られた食べ物で、まるで主がまたここに戻ってくるのを待っているかのようにキッチンのあちこちでひっそりと息を潜めている。
「居間は……よし、こっちだ」
 ヒューズの後について入ったのは、通報を受けて私たちが乗り込んだままになっている現場だった。ほのかに花の香りがするが、それもまだ残る血の匂いにかき消され気味だ。
 ここでエレア・ローランドは殺されていた。窓側に頭を向けてうつ伏せに倒れていたのが、死体が運び出された今でも目に浮かぶ。毛が長めのじゅうたんに、まだべっとりと血痕が残っていた。
「どんなものでもいい。見逃してるもんがないか徹底的に調べようぜ」
 その言葉に従い、部屋全体を丁寧に調べ出す。腹ばいになるように床の上をくまなく探しても見つかるのはほこりと血痕と、被害者自身の細く長い金髪のみだ。
 今度は体を起こして壁や扉を調べる。オフホワイトの壁にも、殴られた時に飛び散ったと思われる血痕が残っている。店に通じる扉を含めた一帯が特にひどく、まるで茶色の絵の具を飛び散らせたように左から右へ広がっている――がそこでふと妙なことに気付いた。
 血痕をなぞっていた手を止め、部屋全体を見渡す。四面の壁のうち一つを完全に陣取るように広がる窓。それを背に立ち、正面に見えるのが店へと通じる扉。左手の壁には先ほど私たちが入ってきたドアが開いたままになっている。血痕はちょうど私の正面から左手のドアにかけて広がっていた。
 その疑問を解決するため、正面の店へと続く扉に手をかける。扉を開ききると、やはり予想通りだった。
「おい、どうかしたのか?」
 小さな引き出しを触っていたヒューズが声をかけてきた。それに指で示すことで私自身が抱いていた疑問を説明すると、一瞬彼ははっとなった顔になったが、やがて何か思い当たったのか、意味深な視線を送ってきた。
「いい感じだ。ちょっとこっち来いよ」
 手招きされるままに近づくと、ヒューズは小さな引き出しを指差した。
「この引き出しを出し切ってだな……ほら、見えるか? これが隠し戸になってんだよ」
 ヒューズは言うなり、ぽっかりと開いた棚の下部分に指を軽く滑らせた。するとどうだろう。ただの底敷きだと思われた板がするすると開き、中に小さなスペースが現れたのだ。
「で、この奥にだな……」
 続けてそのスペースの奥まで腕を突っ込み、やがて何かを掴み取ったかのように腕を引く。彼の手に握られていたのは、さほど丈夫そうでもない小さな袋だ。
「お前の見つけた血痕の謎をこれが解決してくれるかもしれねえ」
 私の見つけたこととこの古臭い袋がどう関係するというのだ。そう聞こうとした私の横で、ヒューズがするすると袋をとじていた紐を解くと、中身が外から入ってきている光にきらりと反射した。
「もし、この戸棚の秘密とこの袋の存在を知ってた奴がいたとする。もし、そいつが欲深い奴だったり、金に困ってる人間だとしたらどうする?」
 『盗む』。その単語が真っ先に頭に浮かんだ。
 袋の中から出てきたのは色とりどりの宝石だった。何の装飾も施されていないが、きちんと研磨はかけてあるらしく、小粒とはいえ、相当の値打ちだと思われるようなものばかりだ。
「別に俺は宝石には詳しくはないがな、これが値打ちもんだってことくらいはわかる。そこで、だ。さっきお前が気付いた血痕のことだ」
 それでようやくヒューズの言わんとしていることがわかった。そもそもエレア・ローランドはどのような状況で後頭部を殴られることになったのか。それを示していたのが、扉の室内に面する部分にはこびりついているのに、店側にはまったくと言っていいほどついていない血痕だった。もちろん、蝶番の部分を調べても、血が入り込んだ形跡はない。それからあの血痕の向き。店へと通じる扉の左から右へと流れている。
つまりはこうだ。エレア・ローランドは室内にいる誰かに襲われた。その時、店側ではなく、キッチンへと通じるドアへと向かい逃げ、扉を開ける前に後頭部を鉢植えで殴られた。だから、店側の扉に、左から右へと血痕がついた。
 だが、ここで二つの可能性が出てくる。一つ目はエレア・ローランドが外から戻ってきて、宝石を盗もうとしている犯人に気付き、襲われることになった。だがもう一つ可能性がある。知人を部屋の中に招きいれ、その時点で何かいさかいが起こり、殴られたということだ。
「俺は前者だと思うけどな」
 ヒューズは宝石の入った袋をちらつかせ言った。「俺が、これをどうやって見つけたと思う?」
 そんなもの、戸棚を開けたに決まってるだろうが。言い返そうとしたその時、ヒューズが先ほど取り出した引き出しを持ってきた。
「ここまで派手に壊されてちゃ、前者だって思ってもしょうがないぜ?」
 突き出された引き出しを見て、私もその意見に頷かざるを得なかった。飾りのついた鍵穴が、見るも無残に破壊されていたからだ。
「ついでに、俺の考えとしてだな。エレア・ローランドは俺たちと同じように、キッチン側の扉から中に入ってきたと思うんだ。おい、お前ちょっとキッチンに行っててくれよ」
 ヒューズは、何かを証明しようとしている。とっさにそう思い言われるままにキッチンへと向かう。扉を閉めてほっと息を吐いたその時、居間からヒューズの「入って来い」という大声が聞こえ、今閉めたばかりの扉を開いて、一歩中へと入ったその時だった。
「ストップ!」
 再度ヒューズの声が聞こえ、思わず足を止めたがそこではっとなった。居間のどこを見渡してもヒューズの姿がない。慌てて扉を閉めて、ふと右手を見て初めてソファの奥にちらつくヒューズの頭が見えた。
「どうだ? ぱっと見て気付かないだろ?」
 体を起こして、ソファを挟んで向かい合ったヒューズに頷いた。確かに、扉から入ってすぐには、ソファの奥にいるヒューズの姿には気付かない。
「例の引き出しは戸棚の一番下にある。今のはちょっとしゃがんだだけだったが、実際に作業をするとしたらかなりしゃがんで腹ばいに近い形になるだろ? だとしたらまずソファが邪魔になって、扉から入ってきた人間にはそこに誰がいるかなんて気付かない」
 ところが、扉の閉まる音でエレア・ローランドが帰宅したことに犯人が気付く。思わず立ち上がり、両者鉢合わせというわけか。
 犯人に対して、もちろん被害者は声を荒げただろう。だが、犯人が鉢植えを持ち上げ襲ってきたので、慌ててキッチンへと避難しようとした。だが、扉を開ける前に犯人に追いつかれ――。
 しかし一気に謎が解決してすがすがしさを覚えたのもつかの間、今度は別の問題にぶつかった。他でもない、凶器に使われた鉢植えだ。
「うーん。けっこうイイ線いってたと思うんだがなあ」
 さすがのヒューズもそこで躓き、頭を抱えることになった。結局これには致命的な欠点があったのだ。解決なんてものではない。またしても迷宮入りだ。
 もう一度頭の中を整理しようと目を閉じる。今までの調書通り犯人は外から入ってきたのか。それとも中にいたのか。私たちの抱いた違和感や疑問はすべて独りよがりの域を出ない、想像の産物だったのか。
 そう考えていると、ふと花の香りが鼻をついた。この部屋に入ってきた時かすかに匂った花の香りだ。この香り、どこかでかいだ風な感じが、と思わず考えたその時、答えが急に浮かんだ。
 そうだ、この香り! 酔芙蓉の香りだ!
 ヒューズにそれを伝えると、彼は怪訝な顔をした次の瞬間「バカか」と一言返してきた。
「お前な、こんな時に花の匂いがどーだとか言ってんじゃねえよ! だいたい、どこに花の香りがするってんだよ!」
 その答えにようやく気付かされた。この香りは私にこそ感じるとはいえ、人間にはほとんどわからないほどの香りなのだと。
「お、おい。何なんだ?」
 驚いた声を上げたヒューズの袖を引っ張り、半ば無理やり外へと連れ出す。そのまま車の扉を開け、助手席に置いたままだった酔芙蓉の鉢植えを目の前に突き出す。
「は? 嗅げっての?」
 私にとっては十分判別できる香りだとして、人間にとってはどれほど感じるものなのだろうか。それをヒューズは、数秒のうちに教えてくれた。
「普通の花の匂いしかしないぜ? 第一、そんなに香りのきつい花でもないだろ?」
 それよりも土の匂いの方がきついな、と付け足してくれたおかげでそれはよりいっそう核心へと近づいた。元からさほど匂わないはずの花がなぜ、置かれていた店先から数メートル離れた、しかも扉を一枚隔てた部屋の中で未だに匂い続けるのか。
 ヒューズに鉢植えを押し付け、居間へと戻る。ドアの時点で薄い香りがどこで一番強くなるのか。部屋中を歩き回り、ようやくそこを見つけた頃には、ヒューズもまた部屋へと戻ってきていた。
「警察犬のまねごとか?」
 もはや文句も出ないといった表情の彼に理由を話す。もちろん、たどり着いた結果についても、だ。最初は興味もなさそうな彼の顔もみるみるうちに変わっていく。
「よし。裏づけのために、聞き込みでもしてみるか」
 ヒューズのいいところは、例えどんな意見であろうとも受け入れ、捜査へと繋げていくところだ。またそれが大事な情報なのかそうでないかを瞬時に見分ける。彼自身は直感だというが、それは持って生まれた才能なのだろう。
「家に上がりこんでる茶飲み友達の一人でもいそうだけどな」
 店側から出て大通りを歩きながらそうヒューズが言った。どんなに世間から隔絶されている人間であろうと、一人はそういう友人がいるものなのだという。特に被害者は店舗経営者だ。付き合いも多いだろう、というのがヒューズの見解だったのだが、なるほどそういう人物はすぐに見つかった。
「あの花はね、ローランドさんのお気に入りの花なの。あんまり売れる花でもないしね、うちでは取り扱ってないんだけども、妹さんからもらったらしくて、寝室にも飾ってるんだって言ってましたよ」
 数件先の花屋の女性がそう教えてくれた。殺される前日に被害者宅へ赴いた時には、店と居間と両方に飾ってあったらしい。蕾も膨らみ、そろそろ咲く頃だったと言う。
「やってくれるぜ、相棒!」
 読みが当たったことをヒューズと喜び合う。だが、まだ事件が解決したわけではない。
「よし。そうとなればようやく本題。このままラッキーが続いてくれるといいんだけどな」
 ヒューズの指差した先。ネイト・アンダーソンの店を目指して、私たちは再び歩き出した。

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