[Drunk Witness] -04-
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 ここに着いてから十数分。延々と続く階段をひたすら昇る。昇って一息ついて扉を開き、また目の前に現れた階段を昇り続ける。どれほどこれを繰り返したのか。まだ目的地は見えない。何だってこんなものを作ったのか。他人を寄せつけたくないのならもうちょっと変わった仕掛けを作るとか――いや、それはそれで困るな。巻き込まれて苦労するのも嫌だ。
 階段を昇りきって、本日何度目かの目の前の扉を開くと、ようやく目印が見えた。無駄に大きな砂時計だ。この砂時計で時間を計ったらいったい何時間分、いや何日分計れるのだろう。もしかしたら年単位かもしれない。
 砂時計は、以前見た時とは違っていた。割れて砂がこぼれていた部分が修理されていたのだ。おそらく、彼が時間を止めることに必要性を感じなくなったのだろうな。
 そんなことを考えて砂時計を見上げると、上にたまっていた最後の砂がさらさらと筋になって落ちていった――いった!? まずい! このままでは時間が止まって――!
 思わず慌てふためいた私の目の前で信じられないことが起こった。がたん、という大きな音と共に砂時計がひっくり返ったのだ。あの、決して力では動かせなさそうな砂時計が、まるで小さな砂時計をひっくり返す時のようにぐるりと回ってまた変わらず上から砂を落としていく。
 ……いったい何が起こったんだ。
 呆然とした私の耳にふと男の声が飛び込んできた。声のした方を見ると、階段の上、ぼんやりとランプの灯った扉から、ここの主――時の君が顔をのぞかせていた。
「珍しいな。一人か?」
 あちらもいささか驚いたようで、こっちをしげしげと見つめながらも、やがてちょいちょいと手招きをした。どうやら、こっちに来いということらしい。それに応えて階段を昇り、目の前に渡された橋を渡る。こちらが足を離すと同時に、橋はぎりぎりと音を立てて元の縦型に収まった。本当に、いつ来ても不思議な空間だ。

 部屋に入るとどこからともなく椅子が現れた。肘掛け付の立派な椅子だ。いったいどこから取り出したのか、と不思議に思いながらも腰をかけると、こちらが座るのを待ってくれていたのか、彼もまた自分の椅子へと落ち着いた。
「いったいどうした。またどこかについて来いと言うわけではあるまいな?」
 ふっとため息をついた彼にここに来た事情を話す。片肘をついたまま黙ってそれを聞いていた彼は話が終わるとやがてゆっくりと口を開いた。
「その、何というか……思ったよりも平凡なのだな」
 何? 何が平凡なんだ? 私が言葉の意味を尋ねようとするより先に、彼が言葉を続けた。
「いや、同行した時は結局一言も聞けんかったからな、よほど美しい声で相手を惑わせてしまうのか、よほど奇抜な声で周りが引いてしまうのかのどちらかだと踏んでいたのだが……。珍しく口を開いたもんで聞き入ってみたが私とさほど変わらぬ声で、正直言って少し拍子抜けした」
 そう言って時の君はさも残念そうにやれやれと首を振った。そうか。それは本当に残念だったな――とでも言うと思ったか。
「……怒っているのか?」
 いや、それもあるが呆れるというか。黙ったままじっと見つめると彼は少々ばつが悪そうに「すまん」と小さく呟いた。
「ところで、先ほどの話だが。実を言うとできることはできるが、確実に、とは言い切れん」
 花の時間を早めることがか? 確か以前「戻すことはできないが進めることならできる」って言っていただろう。
「こちらにも色々と事情があってな。ところで――」
 今度は何だ、と思った私は驚愕の事実を知ることとなった。曰く、時術の資質を失った、と。
「やはり知らんかったか。一月ほど前にな、マジックキングダムの術士に奪われてしまった」
 その言葉を聞いて真っ先に頭に浮かんだのが、紅い法衣に身を包んだ男だった。まさか、あれほど人当たりのよい彼がそんなことをするとは。そういえば、キングダムの崩壊が世間を騒がせたのもちょうどその頃だが、何か関係があるのだろうか。ついこの間会った時は変わらずいたので、双子の兄と和解してどこぞに避難したものだとばかり思っていたが。
「基本術を含め、だいたいのことはできるが、あまり大掛かりなことはできんのだ。ほら、あの砂時計を見ただろう。あれですら止めるほどの力がなくてな。ああやって流れるままになっている」
 あれは術で止めていたのか? てっきり拳で叩き壊したものだと。
「だがせっかく尋ねてくれたのに何もせん、というわけにもいくまい。先ほど言ったことぐらいはしよう」
 さっさと話を進めて彼は机の上に置いた花へと手をかざした。彼の妖気が少しずつ高まると同時に蕾のままだった花がみるみる開いていく。一つ目は白く。もう一つは少し時間を増やして薄い桃色に。最後の一つがしぼむ前の濃いピンク色へと姿を変えたところで時の君は深いため息をついた。
「これほどでいいか」
 いいなんていうものじゃない! 完璧だ! さすがだな、と賞賛の言葉をかけようとふと彼を見て言葉に詰まった。ぐったりとして今にも倒れそうな顔をしている。戦いの最中に彼が時術を使うのは幾度となく目にしてきたが、こんなにも体力を消耗していただろうか。
 不安になって大丈夫かと問うと、少し休めば治るという。彼がそう言うのだから嘘ではあるまい。
 結局、私は一言だけ礼を言って、その場を去ることにした。他者がそばにいては休まるものも休まらないだろう。扉を閉める寸前、お大事にと言葉をかけると、医者のようなことを言うな、と笑われた。はて、私や彼の知る限りで「お大事に」なんて言う医者などいただろうか、と首をかしげながらも、オウミへと慌てて引き返す。何たってヒューズをほったらかしにして来ているのだ。どうせ怒られるのはわかっているが、訳を話せば説教が長くなることもないだろう。



 説教が長くはならない、とは想像していた。しかし、ほとんどないなんてどうやって想像ができたのか。
 それどころか、到着したオウミ署は上へ下への大騒ぎになっていた。わけがわからず見ていると、知らぬ警官がいきなり腕を引っ張ってきた。何事だと思いつつも引きずられて行くと、取調室のすぐそばの部屋に通された。ちょうど話をしていたヒューズと一人の刑事が顔を上げて、私は二人からまじまじと見られる羽目になった。
「サイレンス! どこ行ってたんだよ!」
 いち早く我に返ったヒューズの怒鳴り声にびくっとすると、慌てて横に座れと言ってくる。どうかしたのかと聞くと、目の前に書類を突き出されて読めと言われた。見てみると、エレア・ローランドの死体検案書だ。何だ、すでに目を通しているのにどうしてこんなもの……と思いつつ、ふとある一点で目が留まった。……時間が。時間が六時間ほどずれている。
「エレア・ローランドの死亡推定時刻が間違ってたんだよ。さっき、出張帰りの監察医が話を聞いて検死し直したらどうだ。エレア・ローランドが死んだのは午後四時じゃない。午前十時だったんだ!」
 いったいどういうことだ、と目の前に座った刑事を見ると事情を教えてくれた。何でも、最初に検死をしたのは警察が頼んだ村の一般医で、どうやら四時ごろ殺されているのを発見した、という報告を聞いたせいで先入観ができ、その辺りの時間だと割り出してしまったらしい。しかし、戻ってきた監察医が検死したところ、死因となった頭の傷はもっと前、少なく見積もっても、死亡推定時刻とされていた時間の六時間前にはついたものだという結果を割り出したと言うのだ。
「そういやさ。何その花?」
 ヒューズが机の上に置いた酔芙蓉をつついた。つい先ほど時の君に時間を進めてもらった植木鉢だ。ああ、彼がしてくれた努力は無駄ではなかった。少なくとも今のこの状況を打破するには最高の一品となったわけだ。
「え? 何だよ?」
 ヒューズの袖を引っ張るとそのまま部屋を出る。ありがたくも廊下にはすでに人の姿はなかった。
「お前な、仕事詰めで疲れてんのはわかるけど、こんな花取りに行くためにだなあ……」
 愚痴りだしたヒューズに、どうしてこの花を探したのか理由を話した。そう、今朝話せなかった私自身の想像だ。ジョン・ターキスが嘘をついているのか違うのかいまいちわからない。だから、この花を突きつけて彼の表情を読み取ろうとしたのだ。もしこの鉢植えを突きつけて彼の表情が変われば彼は嘘をついている。もしそうでないとしたら――。
「ネイト・アンダーソンが嘘をついてるってことか」
 ヒューズが言った一言に私は困惑した。何を言っている? ジョン・ターキスが今言っていることが嘘なのだとしたら、きっと殺した時間が違うのだと私は踏んだのだが、ヒューズは何かしら別の考えを持っているのか?
「俺たちは馬鹿だ」
 ヒューズがそう呟いた。
「捜査の基本は『絶対に信じるな』。そう教え込まれてきたって言うのに、第一発見者の言うことを丸々と鵜呑みにしちまった。それと後はあのジョン・ターキスって男に踊らされたってことだよ。何度もIRPOに捕まってるからってヤツが今回もやらかした、という確固たる証拠はない」
 ヒューズのその言葉にはっとなった。言われてみればそうだ。私はあの花が絶対的な証拠のように思い込んでいたが、考え直してみれば、あれは別に凶器なだけであって、彼の犯行を示すものにはならない。いや、指紋がついていたのを見ると、そうとも言い切れないが。
「ジョン・ターキスの服からはルミノール反応が出てこなかった。家まで探したがそんな服は出てこなかった。それを俺たちは、ヤツがどこかに服を捨てたもんだと思ったんだ。だがもし。もしもの話、ジョン・ターキスがやってないとすれば――それは至極当然のことだろう?」
 つまりこういうことか? エレア・ローランドを殺したのはジョン・ターキスではない。ネイト・アンダーソンなのだとヒューズは言いたいのか?
「もう一度あの男を洗い直した方がいいと思うけどな。お前はどう思う?」
 私はそれに頷くことしかできなかった。他に反論できるだけの材料がないのだ。
「よし、そうとなれば、さっそく突撃開始だ!」
 ヒューズが指を鳴らしたのを合図に、私たちはオウミ署を飛び出した。もちろん、確固たる自信があってのことではない。だが、この行動が今持っている疑問を解決してくれる。そんな自信だけは不思議とあった。

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