[Drunk Witness] -02-
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 オウミ署の話に従いたどり着いたのは、先ほどのレストランとちょうど湖を挟んで反対側の小さな町のメインストリートにある雑貨屋だった。風景はどこから見てものどかな田舎町だ。おそらくメインストリートといえども普段はそんなに人通りもないのだろう。それだというのに、ひとたび何か事件が起これば突風のごとく噂は町を駆け巡る。
「はい、すみませんねー。ちょっとどいてくれるかなー?」
 両手を広げつつ野次馬をかきわけていくヒューズの後ろについて進むと、ようやくIRPOの黄色いテープが見えてきた。奥で制服を着た警官が手招きしている。この町に駐在している警官だ。
「人数足りねえからって呼び出しなんてよ、こっちは便利屋じゃないのにさ」
 先日の窃盗団の捜査のために、今あちこちのリージョンでは新しい事件にあてる人員が不足している。特にオウミあたりは捜査官の人数は全リージョンの中で下から数えた方が早いほど少ないというのに、今回の窃盗団の被害件数、被害総額はだんとつで一位だ。あちこちの富豪やら何やらがこぞってオウミに別荘を作ってきたのがその原因になってしまったという。
「また忙しい時期に事件が起こっちまったもんだ」
「はは……。本当に」
 情けない笑顔を見せて警官は笑った。「おいおい、笑い事じゃねえだろ」というヒューズの呟きは聞こえてないらしい。なかなかおめでたい男のようだ。

 現場は特におかしいところもなかった。オウミ特有の家具に囲まれた居間、そこに女が倒れていただけだ。後頭部を一撃でやられたと見られる傷がある。おそらく即死だろう。
「被害者は?」
「エレア・ローランド、三十五歳。この雑貨店の女主人です」
「へえ。家族は?」
「両親は他界、兄と妹が一人ずついます」
「……で、そのお兄さんと妹ってのは?」
 ……テンポの悪い会話だ。聞かれたことにしか答えない警官に私ですら少しいらつくぐらいなのだ。ヒューズは、と思って顔をのぞくとリミットブレイクまであと一息というような恐ろしい顔をしていた。ああ、そろそろ――。
「ちくしょー! その手帳貸しやがれ!」
 こちらの予想通り、ヒューズは絶叫と共に警官の手から手帳を奪い取った。引き裂かん勢いで手帳を開くとざっと目を通す。二、三枚ページをめくってため息をつくと、今度はこちらへ手帳を投げてよこした。
 開いた手帳に書いてあったのは被害者の家族構成、ただそれだけだった。ヒューズがため息をつくのも無理はない。私も思わずため息をついてしまったほど他には何も書いていない。つまり、初めからすべて私たちが捜査しなければいけない、ということか。
「とりあえず、目撃者はいなかったんだな?」
 念を押すようにそう尋ねたヒューズに、警官はしばらくぽかんと口を開けていたが、やがて思い出したように一人の男の名前を口にした。――それにまたヒューズが怒鳴り声を撒き散らしたのは言うまでもない。



 目撃者の男はすぐに見つかった。向かいのパン屋の主人がそうだったのだ。
「ジョン・ターキスって男で、ここらじゃ有名なやつですよ」
 そう言って、彼――ネイト・アンダーソンと名乗った男――は顔をしかめた。よほど評判の悪い男らしい。
「黙ってたら店先のものはかっぱらっていく、機嫌が悪いとそこら中のものに当たる。このストリートであいつに何もされたことないって人間いませんよ」
 彼の話によると、ジョン・ターキスという男は何度もIRPOにも捕まっているという。ヒューズ曰く『札つきのワル』というものらしい。
「ちょうど四時ごろですよ。ターキスが店に入っていったんで、また何かやらかすんだろうなと思って見てたんです――もちろんIRPOにはすぐに電話できるように準備してね。そしたらいつもはすぐにローランドさんの怒鳴り声が聞こえてくるのに、今日に限って何も聞こえないんですよ。珍しいもんだな、と思ってたらあいつが慌てて飛び出してきたんです。で、周りに誰もいないのを確認するとぱっと走っていってしまって。あまりにもその様子がおかしかったもんで、慌てて外に出たんですけど、もう姿が見えませんでした。これはローランドさんの方に何かあったのかもしれない、って店にお邪魔したらあれですよ。鉢植えで殴ったなんて本当に……」
 思い出したくもないのだろう、頭を押さえた彼を見ながらメモを取っていると、先ほどの警官が慌しく駆け込んできた。
「た、大変です!」
「なーにーがーだーッ!」
 よほど印象がよくなかったのだろう、ヒューズが思わず声を荒げる。それに一瞬身をすくめた彼だったが、言うべきことを思い出し魚のように口をぱくぱくさせる。
「だから何だっつってるだろ!」
「それが、それが……」
 ええい、うっとおしい男だ。いっそ妖魔の剣で脅して――。
「それが、ターキスが捕まったんです!」
「なにィ――――!?」
 その言葉に私も驚いたが、ヒューズはもっと驚いたらしい。飛び上がった拍子に座っていた椅子に足をひっかけて盛大に転んだ。――確かに驚くべきことだが、それはちょっとオーバーアクションすぎやしないだろうか。



 なるほど、ジョン・ターキスという男はどこからどう見ても、治安上よろしくない感じの男だった。それは見かけだけでなく態度も、だ。
「頭の悪そうな野郎とコスプレ野郎か。IRPOもよっぽど人材不足なんだろうなあ」
 そう言って下品な笑いをした男に、こちらの気分がよくなるはずもない。にらみつけてやると肩をすくめてはみたものの、ニヤニヤと笑ってこちらを見ている。腹の立つ男だ。
「そう言ってられるのも今のうちだよ。なんせお前は殺人の容疑でここに連れてこられてるんだからな」
 額に青筋を浮かべたヒューズがそう言うもまったく動じない。何なんだこいつは。
 取調室に入ってから約五分。今回の事件を担当したのが私たちだったので、取調べもそのまま私たちが引き受けることになったが、これでもか、というほどこちらの神経を逆なでする男はあまりにも久しぶりなので、私もヒューズも忍耐が追いつかない。それでも五分も持っているのは奇跡と言うべきか。
「さっきから何度も言っちゃいるが、俺はあんな女殺してないぜ」
「馬鹿いうなよ。犯人ってのは皆最初はそう言うってもんさ――俺をなめてると承知しないぜ」
 椅子から立ち上がったヒューズは横の机の上にあった袋をつかむと、ターキスの前にどかり、と置いた。
「これに見覚えがあるな?」
 それは壊れた鉢と枝のついた花だった。かなり大きなものだ。エレア・ローランドは後頭部をこの店先に置いていた鉢植えで殴られて死んだ。もちろん想像ではない。この鉢植えに関する多くの目撃証言や被害者の傷口に付着していた土とこの鉢植えに入っていた土が一致したのだ。
「いいか。この鉢植えにはお前の指紋がご丁寧にもべったりついていた。言ってる意味がわかるよな?」
「俺がそれを触ったって言いたいんだろ?」
「よーくわかってんじゃねえか。……なのに『俺は殺してません』ってどの面下げて言ってんだよ!」
 声を荒げたヒューズに対して、男はへらへら笑ったままだ。
「どの面って、この面下げて言ってんだぜ。第一、俺はそんなん知らねえな」
「知らないだと!? ふざけんのも大概にしやがれ!」
 拳が叩きつけられた振動で、机がわずかに揺れる。それにターキスはやれやれ、と言うように首を振ると、ふいに前へと身を乗り出した。
「そんなにぐだぐだ言うんだったら話してやるよ。でもな、俺があの女を殺してないっていうのは変わらねえからな?」



「っくっそー、あの野郎! ふざけんな!」
 休憩用に用意された部屋に入るなりヒューズが叫んだ。私も叫びたいくらいだ。
「あの野郎、絶対こっちのことなめてやがるぜ! なあ、お前もそう思うだろ?」
 まったくだ。あの態度といい、先ほど話した内容といい、どれを取っても腹が立つ。
 ターキスの話というのはまったくふざけたものだった。自分は確かにあの店へ行った。だが殺していない。鉢植えに触ったのは、店に入ったところが誰もいないので、誰かいないのかと店の奥に入ったところ、足元に鉢植えが転がっていて邪魔だったので動かしたからだ、と言う。
 証拠処理用の袋に入れられたピンクの花は大きく広げていたその花びらを閉じてしまっていた。今からでもすぐに植えればまた育つだろうが、捜査が終わるまではいくら私たちと言えども勝手に証拠をいじるわけにはいかない。残念なことだが、この花の命もそう長くはあるまい。
 かわいそうに、こんな鉢植えに入れられたばかりに根も枝も伸ばせずに死にゆくとは。どこかの山にでも埋まっていれば大きく育てただろうに――。
 あまりにも哀れな花を眺めていると、ふいに肩を叩かれた。ヒューズがやけに神妙な面持ちで言う。
「おい、サイレンス。それは証拠なんだからな、どんなにうまそうでも食っちゃダメだぞ」
 誰が食べるか、この馬鹿者。

 その後、取調べ室に戻ったものの、結局話は平行線のまま一日を終えた。収穫なし、というやつだ。
「明日はもうちょっとびしっと締めていくか」
 まだ一日目だからな。相手にもある程度の余裕があるのだろう。
「拘留期間は五日間。その間に口を割らせばこっちのもんだしな」
 車のハンドルを握り締めて気合を入れなおしたヒューズの横、とっぷりと暮れた町並みを見ながら頷き返す。訪れた時には真っ青な水をたたえていた湖も、今や夜の闇の中に揺れるものとなる。波間でたまにしぶきが上がるのは魚だろうか、それともあの水妖とその仲間なのだろうか。
 そうこうしているうちに車はシップ発着場へと到着した。荷物を手に取り、ロビーへと向かう。
「今日はゆっくり寝て、明日またがんばろうな」
 少々疲れた面持ちでそう言ったヒューズに返事をしようと横を向いたその時、またしてもヒューズのうんざりした顔に気がついた。
「またあんたかい」
「それはこっちの台詞ですよ……」
 ヒューズのその視線のその先、係員と話をしていた女性がこちらを見ていた。
「ちょっとは善良な市民の皆さんのために働いてるようだね」
「もう働きまくりですよ。今日だって……なあ?」
 同意を求められてとりあえず返事をする。まったく、明日からまた休みはないのだろうな。本来なら休みのはずだったんだが。
 ヒューズが係員に渡航証を渡す。込み合っているのだろう、出発するのに少し時間がかかるという。元からそんなに広い発着場ではないのだが、どうやら今日は観光用のシップが三隻ほど来ていて、それがぐずぐずしているのだとハミルトン艦長が教えてくれた。
 何をするでもなしにロビーを見渡す。確かにいつもより人が多い。たいていは定期便を待っている人間なのだろうが、中には渡航証を手にイライラしている人間もいる。あれは個人用の小型シップで出かけてきた者だろう。
 そんなことを考えながらふいに視線を移すと、外を見渡せる大きなガラスの端に置かれた鉢植えが目に入った。高さは私の背くらいだろうか。白と濃いピンク色の花がいくつか咲いて――あの花は!
 慌ててその鉢植えへと駆け寄る。この葉の形、そして花。間違いない、あの凶器に使われた鉢植えに植わっていた花と同じ花だ。
 そこで不思議なことに気がついた。この木についている花の色だ。咲いているうちのいくつかはあの鉢植えの花と同じように濃いピンク色に染まり、その花弁を閉じてしまっている。しかし、中には白い花弁を広げているものもあるし、薄いピンク色になっているものもある。不思議だ。一つの木でこんなにも花の色がころころ変わるものだろうか。
「おや、花に興味があるのかい?」
 ふいに話しかけられて振り返ると、そこにはハミルトン艦長がいた。こちらの返事を待たずに、彼女は咲いている花の一つを手に取ると軽く香りをかぐ。
「面白いだろう? この花は酔芙蓉といって、朝と夕方で色が変わる花なのさ。朝咲いた白い花が、時間が経つにつれて色づいてくる。ちょうど、酒を飲んでどんどん顔が赤くなる人のようにね」
 それで『酔』芙蓉なのか。人間もなかなか面白い名前をつけるものだな。
「ここは夜通し明るいもんだから間違って夜咲いてしまう花もいるんだけどねえ。自然ならばちゃんと朝に白い花をつけるんだ」
 急いで咲いてしまった、まだ酔っ払っていない白い花を見る。まだ、どこも染まっていない真っ白な花――。
「おい、サイレンス。行くぞ」
 いつの間にか、ヒューズが後ろに立っていた。もう行くのか。しかし、ハミルトン艦長はまだ出ないようだが。
「うちのシップは大型だからね。あの観光用シップが出て行くまではこっちも出せないんだ」
 さっさとして欲しいけどね、と付け足して彼女は疲れたように首を回した。
「じゃ、こっちはお先に。――あ、それと昼間はご馳走さまでした」
 ヒューズがそう言って頭を下げた瞬間、ハミルトン艦長の目が大きく見開かれる。いかにも意外だ、と言わんばかりに。
「おや、そんな礼も言えるもんなんだねえ」
 私も瞬間そんなことを思った。どうやらそう思っていたのは私だけではないらしい。そして、それに対してヒューズはというと、そんなことを言われるなど心外だといった顔をして何か文句でも言おうとしたのだろう。口を数回開けたり閉じたりを繰り返していたが、やがて諦めたのか、顔中に不機嫌さを漂わせながらもそれに答えた。
「……一応、人並みの礼儀は身につけてるつもりなんですけど」
 ヒューズのその言葉に彼女は愉快そうに笑った。腹にずどんと来るなかなか豪快な笑い声だ。
 口で言わぬ代わりに私も頭を下げる。さすがにあの値段を払わせておいて、何もしないのはあまりにも無礼だろう。
「いいってことさ。人間、たまにはいい物食べないと、気持ちにもゆとりができないからねえ」
 そう言う彼女に見送られて私たちはオウミを後にした。あのハミルトン艦長とかいう人間、ヒューズが言っているよりもいい人間なのかもしれない。

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