[Drunk Witness] -01-
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 それは夏も終わり、ようやく暑さがましになってきた九月の中旬――先月から担当していた複数リージョンに渡る窃盗団の事件の捜査がようやく落ち着き、専門の部署へと仕事を渡した翌日のことだった。
 久しぶりの通常パトロールに内心安堵の息をつきつつも、連日の張り込みの疲れが抜けきってないのか、特捜課のいつもの面々もどこか覇気がないように見える。
 そう、張り込みといえばヒューズだ。あの男は元から短気なのか、それとも状況が飲み込めないたちなのか、張り込んでいる最中でも犯人を見つけたとたんに飛び出そうとする。それがあまりにも唐突かつ抑えきれるものでないため、パンチで二回、妖魔の剣で三回ほど黙らせたぐらいだ。
 課長は「彼は熱血だからねえ」と言っていたが、その熱血に付き合わされた挙句、面倒まで見るはめになるこっちの身にもなって欲しい。
 そして、その『熱血』な男はというと――。
「ようやく仕事もひと段落着いたし、一緒に食事でもどうだい?」
「ロスター捜査官。寝言は寝てから言ってくださいね」
 ……懲りない男だ。何度断られてもアタックし続けるそのエネルギーをもう少し別のものに向けられないものだろうか。
「もう、照れなくってもいいんだぜ。俺はそんな最初から狼になるような男でも――いててっ!」
 いつまでも受付から動こうとしないヒューズの襟足をつかみ、シップ乗り場へと向かった。
 まったく、この男の行動に付き合っていたら日も暮れてしまう。私は、仕事をさっさと終わらせて家に帰りたいんだ。
「何だよ! 別にちょっとぐらいいいだろ!?」
 パトロール用のシップに乗り込み、オウミへと向かう最中、ヒューズの機嫌は下降の一途をたどっていた。どうやらあの受付嬢と何が何でも食事に行きたかったのだという。そんな不満を私にぶちまけても、どうしようもないということはわかっているだろうに。
「まったく融通の利かない野郎だな、っと」
 しかし、オウミのシップ発着場に到着し、正面ロビーに出てきたとたん彼の機嫌はよくなった。
「ねえねえ。君、見かけない顔だね?」
「あ、あの……」
「俺はIRPO本部特捜課のロスター。君は?」
 目尻が完全に下がっている。発着カウンターに体を半分預けるように前へと乗り出し、九月から配属されたばかりの新人とおぼしき係員を口説きにかかったヒューズだったが、彼の行動は途中終了するはめとなった。
「あ、その節は……」
 後ろに立った女性にヒューズはばつが悪そうに頭を下げた。軍服をまとった四十代半ばと思われるその女性は呆れた表情も隠さず、「まったく暇なもんだね」と一言漏らすとシップの渡航許可証を係員へと渡す。
「女の子を口説いてる暇があるんなら、犯罪者の一人でも口説いてディスペアに送り込んでみたらどうだい?」
 皮肉たっぷりにそう言うと、彼女は許可証を受け取りさっさと外へと行ってしまった。彼女の姿が扉の奥に消えてしまうのを確認すると、ヒューズは参ったとばかりに肩をすくめる。
「ありゃ、ネルソン艦隊のハミルトン艦長だよ。うちの母さんもたいがいだが、あのおばちゃんには敵わないね」



 立ち寄ったオウミ署はいつもと変わらずのんびりとしたところだった。
「まあ、しばらく休んでいったらどうかな? 仕事に次ぐ仕事では参ってしまうだろう」
 にこやかな笑みを浮かべ、そう言ったオウミ署の署長の言葉に甘え、私たちは少しばかり休憩を取ることにした。何でも、港に近い場所に評判のレストランがあるのだという。
 オウミは大きな湖を抱えたリージョンだ。人々の暮らしをその湖が支えていると言っても過言ではない。その湖の水で生活し、湖で獲れたものを食べて生きている。まさしくこのリージョンに生きる人間の命の源――いや、それ以外の種族にとってもそうだろう。
「お、お久しゅうございます。高貴な方……」
 なぜ、彼女はいつも私に会うと、こんなに怯えた目をするのか。
「やー! メサルティムじゃないか。元気?」
「ええ、ヒューズさんもお変わりなく元気そうで」
 レストランに向かう途中、港から湖を覗き込んだ私たちを見つけ声をかけてきたのは、この湖に住む水妖、メサルティムだった。
 ヒューズとは普通に会話をするというのに、他の妖魔とも普通に接するというのに、なぜか私に対してだけは見てはいけないものを見てしまったかのような顔をする。いったい私の何が彼女にそうさせるのだろうか。
 こちらに視線をちらちらと移しながらも、水妖の世間話は終わらない。
「あの、どちらへ行かれるのですか?」
 この小さな港にIRPOの者が来るのはよほど珍しいことなのだろう。好奇心を隠せずそう尋ねてきたメサルティムに、ヒューズはこころもち胸をはり行き先を告げる。
「すぐそこにあるレストランさ。何でもオウミ署の署長のお勧めでね。俺も前から狙ってはいたんだけど、仕事が忙しくてなかなか行く時間がなくてさ」
 嘘を言え。『金がなくて』の間違いだろう。
「まあ。人間の皆さんも色々と大変ですのね」
 ……ころっと騙されている。
「あそこのエビ料理は大変美味だと聞きましたわ。私は、人間の食べるものが口に合いませんからよくはわからないんですけど……。やはりエビは生でかじるに限りますわ!」
 エビを生で! かじる!
「歯を立てた時に、こう殻を突き破ってぷつっと溢れるエビの身が……あの、どうなされました?」
「おい、サイレンス。どうしたんだよ」
 ……見かけによらずなかなか野性的な女なんだな。
「あ……申し訳ございません! 下賎の身でありながら高貴な方にこのようなお話を! 本当に申し訳ございません!」
 ……ん。どうかしたのか、この女は。
「ああ! どうかご無礼をお許しくださいませ! そ、それでは……失礼致します!」
「あ! メサルティム!」
 何事か、とたずねようとした瞬間、水妖は激しい水しぶきを立てながら湖の奥へと消えてしまった。いったい、何がどうなっているんだ?
 真意を確かめようとした私の目に映ったのは、あきれ返ったヒューズの顔だった。
「お前な、にこにこ笑えってまでは言わないからさ。でももうちょっと愛想よくできねえの?」
 彼女がずっと怯えていた旨を付け加えて、ヒューズは深いため息をついた。
「ほら、もうちょっと肩の力を抜いてだなあ。顔の力もほぐしてこう、な?」
 さんざん私の頬をつねり倒して、ヒューズはにっ、と普段の(馬鹿丸出しの)笑顔を見せた。
 真似をして欲しそうだったので、それに習って私もできる限りの力をもって頬の筋肉を吊り上げる。とたんに、ヒューズの顔がさっと青ざめた。
「……もういい。お前は笑うな。絶対に笑うな」
 それだけ言うと、目と鼻の先に見えていたレストランへと彼は姿を消した。まったく、笑えと言ったり笑うなと言ったり、ころころと意見を変える忙しい男だ。

 昼時を少し過ぎたレストランは客もそんなにおらず、落ち着いた雰囲気の中でたまに人の話し声が聞こえる、といった程度で疲れを癒すには丁度よい環境だった。
 入り口に近い席に腰を下ろし、ヒューズはまだ時間の間に合ったランチセットを、私はいつものように蜂蜜を注文した。……リンゴの蜜か。懐かしいな。まだ蜂蜜を知らなかった時代にはよくリンゴの蜜を口にしたものだが、ミツバチが集めたというだけでこんなに味が濃厚になるものなのだろうか。
 ヒューズはよほど腹が減っていたのだろう。普段ならあれやこれやと口にしながらする食事も、今日はただ無心にむさぼっている。飲み込んだかと思えばすぐに新たな一口を運ぶ。まるで親鳥に餌をもらっている雛のようだ。
「さすが、評判のレストランってだけあって味付けも抜群だな」
 何もなくなった皿にナイフとフォークを置き、ヒューズがそう言ったのは店に入って三十分も経過した頃だった。
「あっさりしてて、でもソースは濃厚なんだよな。こんなうまい店なら女の子も喜ぶんじゃないのかな」
「まったく懲りない男だね、あんたも」
 いやらしい笑みを浮かべたヒューズのすぐそばで声がした。どこかで聞いたことのある声だ。
 声の主を思い出そうとしたところで、私はヒューズの異変に気がついた。さと青ざめた顔、呆然とした表情。そういえばついさっきシップ発着場であのハミルトン艦長とやらに出会った時も確か――。
 そこまで考えて、私はやっと今しがた聞こえた声の主に思い当たった。振り返ってみると予想は的中。先ほどの女軍人が私の背後に立っていた。
「……何であんたがここに」
 どういった顔をしたらいいのかわからないのか、笑うとも怒るともつかぬ表情で尋ねたヒューズに対し、ハミルトン艦長は呆れた表情を崩さない。
「何でも何も、ここは私のお気に入りのレストランでね。仕事のついでに遅い昼食でも、と思ってきてみたら、あまりにも見飽きた顔が聞き飽きた台詞を言ってるもんで、思わず声をかけてしまったんだよ」
「へえ。……見飽きた顔に聞き飽きた台詞ね」
 ヒューズが顔をしかめるが事実には違いない。思わず頷いてしまった私を見て、ハミルトン艦長はふっと笑った。
「ほらご覧。相棒さんもそう思ってるみたいだよ――あんたも大変だねえ。仕事とはいえこんな男に付き合わされるなんて」
 憐れむような視線で見られてしまった。頷いておいた方がよいのだろうか。
 かたや、反論もできないヒューズは人間の子供がそうするようにわずかに頬を膨らませていた。もっとも、二十七歳にもなる男がそうするさまは気持ちが悪い、としか言いようがないのだが、本人が自覚しているかどうかは怪しいところである。
 そんなことを考えていると、突然ヒューズの方から電子音が鳴り響いた。本部からの呼び出しだ。これ幸いにとヒューズが応答すると、スピーカーの向こうからレンの声が響いた。
『先輩、今オウミですよね?』
「そうだけど。どうかしたか?」
 IRPOから支給されているものの一つに小型トランシーバーがある。仕組みはよくわからないが、捜査官同士や本部と通信ができる機械だ。併せて支給されている携帯電話と同じく電波なるもので通信する、という話だが、以前ラビットに聞いたところ、あまりにも難解な説明をするもので右から左へ流してしまった。
 このトランシーバーにはRPSなる機能も入っているらしく、電源を入れておけばどのリージョンにいてもそのトランシーバーが今どこにあるのかがわかる。――いや、どのリージョンというわけでもないな。実際、私がオーンブルにいた時にはわからなかったようだから。
 とりあえず、これも電波というものの成せる技らしい。
 それだというのにわざわざ私たちがオウミにいることの確認を律儀にしてから、レンは用件を話し出した。なんでもオウミ署から捜査要請が入ったのだという。
「ようやく仕事に取りかかるようだね」
 隣りのテーブルにいたハミルトン艦長もどうやら食事を終えたらしい。伝票を片手に席を立つと、なぜかこちらの伝票まで持って会計に行こうとする。
「おい、それは……」
「どうしてこのレストランのメニューに値段が書いてないのか知ってるかい?」
 そう言うと伝票を店員に渡す。店員が先にハミルトン艦長の伝票を打ち込む。続いて私たちの伝票を――1000クレジット!?
「一捜査官のお財布では少し厳しいだろうね」
 私たちの見ている前で出された金額を払い終えると、ハミルトン艦長は何を言うでもなくさっさと出て行ってしまった。思わずぽかんとそれを見送ってしまった私たちも慌てて店外へと飛び出したが、少し遅かったのか、ハミルトン艦長は迎えに来ていた車に乗り込むとシップ発着場へと向かって行ったところだった。
「……やられちまったなあ」
 ぼそりと呟いたヒューズに同意を示すと、私たちもまたオウミ署へと向けて出発した。

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