[The Adventure of the Aimed Man] -09-
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 持ち帰った骨と、チャン・ウェーが持ってきてくれた浴槽の排水溝に残っていたワン・ヤオの髪の毛とを本部で照合してもらっている間に、私たちは疑問を一つずつ潰していくことにした。もちろん、それはあの骨がワン・ヤオではない、という仮定のもとでの作業であったが。
「もう一回シュライクに行こう。とにかく事件現場周辺での聞き込みをしまくるぞ」
 捜査とはもともと地道なものだ。ただひたすら疑問を明かし、パズルを組み合わせていく。そのためのピースを見つけ出すため、私たちはまた井波武雄の自宅へと向かった。
 しかし、何もかもがうまくいくわけではない。アパートの住民から、その周りに住む住民にまで話を聞いて回ったが、結局目撃者は見つからなかった。
「こういう住宅街って、知らないヤツのことは誰も知らないんだなあ……」
 殺されたのは若い独身の男性だ。それだけに周りとの近所付き合いもほとんどなく、彼のことに注意を払っている人間もほとんどいなかった。
 来て早々壁にぶつかってしまい、私たちは頭を抱えることになった。これ以上にどう手がかりを探せばいいというのだ。できればあちらから転がり込んで――。
 そこまで考えて、ふと頭に浮かんだのが卒業アルバムだった。井波武雄と木田孝弘とを繋ぐ唯一のもの。ならば、それで何か手がかりがつかめないだろうか。
 ヒューズにそれを伝えると、私たちは数日前に足を運んだ高校へと向かった。
 同級生の所在はすぐにわかった。同じクラスだった男が一人、教員として赴任してきていたのだ。
 前と同じ応接室に通された私たちの前に現れたのは髪を短く切りそろえた青年だった。レンと雰囲気が似ている。
「……妙な噂があるんですよ」
 困惑した表情でそう言った男に私たちはすぐに食いついた。
「どんな噂なんだ? 詳しく聞かせてくれよ」
「それが……木田が井波を殺したっていう……」
「何だって!?」
 思わず思考が停止した。木田孝弘が井波武雄を殺した? どういうことなんだ。
「同級生の間で広まってるんですけどね、井波が殺された時に、アパートから出てくる木田の姿を見た奴がいて……」
「そいつの名前は?」
「田原、田原比呂志って言うんです。あ、地図書きますよ」
 彼は手元にあった紙にさらさらと地図を書いていった。時折説明を加えながら、ほんの二分ほどで地図は完成した。
 書いてもらった地図に従い到着したのは、シュライクの住宅街ではさほど珍しくもない青い屋根の家だった。
 インターホンを押して顔を見せた母親に案内され、応接間でしばらく待っていると、外で自転車の止まる音が聞こえ、すぐに帰りを告げる声が聞こえてきた。
「……どうも。あの、何かご用ですか?」
 入ってきた青年――彼が目撃者の田原比呂志――が、明らかに戸惑った様子でソファに腰を下ろす。
「いや、ちょっと噂を聞いてここまで来たんだけど。率直に聞くよ。井波武雄が死んだ日に彼のアパートから出てくる木田孝弘を見たって本当かい?」
 それを聞いたとたん、彼の顔に動揺が走ったが、すぐに先ほどと同じ顔に戻った。
「見た、んだな?」
「はい」
「どんな様子だった?」
「すごく慌ててました。――俺、昼からバイトでちょうど井波のアパートの前を通ってバイト先に行くんです。それで、ちょうどその日もアパートの前通ったんですけど、その時に木田がアパートから飛び出して来るのを見て。
 声をかけようとも思ったんです。だけど、何かすごい――鬼気迫るっていう感じの顔をしてて」
「それ、何時頃だい?」
「十二時……十分過ぎぐらいだと思います。バイトが十二時半からだったんで」
 彼が木田孝弘を目撃した時間。それは井波武雄が殺されたとされる時間と一致していた。
「こりゃ、木田が犯人で決まりだな……」
 そう呟いてヒューズは複雑な表情をこちらに向けた。
「あの……」
 重い沈黙を打ち破って、田原比呂志が言葉を発した。
「俺、もう一人見たんですよ。たぶん、木田の知り合いなんだと思うんですが……」
「だ、誰だ? どんなヤツだ?」
「その、若い女の人です。木田の後を追っかけていったから、知り合いなんだと思います」
「どんな女だ?」
「赤いワンピースを着てました。髪は薄い茶色でウェーブしてて。綺麗な顔なんだけど、少し化粧が……」
「もしかして、この女かい?」
 ヒューズが慌てて手帳の中からマリーの写真を取り出した。
「そう! この人です!」
 彼は何度も写真を手に考える仕草をしていたが、やがて写真をテーブルの上へと置いた。「間違いありません。この人です」
 晴れ晴れとした田原比呂志とは対照的に、こちらは新しい疑問にぶつかり頭を抱えてしまった。シュライク署で読んだマリーの調書、そしてエリザベスから聞いた当日のマリーの話と、今聞いたことが矛盾しているからだ。
 マリーはシュライクについてすぐ、井波武雄の死体を見たのではなかった。木田孝弘の後を追いかけ、もう一度現場に戻り井波武雄の死体と遭遇したのだ。
「……木田孝弘の家を知ってるかい?」
「え? あ、知ってますけど」
 唐突にそう切り出したヒューズに、田原比呂志は驚きながらも木田孝弘の家を教えてくれた。ここから十分と離れていない。
「よし、こうなったらさっそく行くぞ。協力してくれてどうもありがとう!」
 見送りに来た彼とその母親に頭を下げると、私たちはシュライク署を目指して車を発進させた。



 シュライク署で手続きを済ませ、私たちは木田孝弘のアパートへと向かった。
 あいにく部屋には誰もおらず、鍵もかけられたままだったので、アパートの管理人に開けてもらい、その小さな部屋へと足を踏み入れた。
 この部屋もまた、井波武雄のようにほとんど物のない部屋だった。ゴミ置き場のようなヒューズの部屋とは、本当に同じ人間の男なのだろうか、と思えるほど違う。目立つものと言えば、机の上に飾られた写真ぐらいか。
「これが死んだっつー親御さんだな……。それにしてもワン・ヤオに驚くほど似てやがる」
 笑顔で写っている一組の親子。両親の間に挟まれて笑っている男は、資料の写真よりもずっとワン・ヤオに似ていた。
 その写真から視線を外すと、横に黒い本のようなものが置かれていた。ページをめくってみると、それが日記帳だとわかった。
「日記書いてたのか。マメな男だな」
 ヒューズには一生無理だろうな、と思いながら一枚ずつページをめくっていく。何枚かページをめくった時、思わぬものを目にしてふと手が止まった。
「な、なんだこりゃ……?」
 めくったページに書いてあったのは井波武雄に対する恨みの言葉だった。他にもないかとページをめくると、数週間に一度、思い出したかのように同じようなことが書いてある。書かれている内容からすると、井波武雄を見た日にそれが書かれていることがわかった。
「おい、友達じゃなかったのかよ」
 高校で聞いた担当教諭の言葉を思い出す。まるで無二の親友であるかのように言っていたではないか。
「これなら他のにも書いてある可能性があるな」
 ヒューズは木田孝弘の机の引き出しをあちこち開けて、ついに同じような日記帳を五冊見つけ出した。
「それが今年のヤツだろう? それからこれが去年、おとどし……ん?」
 パラパラと日記帳をめくっていたヒューズの声に、その手元を覗き込む。日付は三年前の三月だったが、そこに書かれている内容は先ほどのものとは違い、井波武雄に対するとても好意的な内容だった。
 井波武雄とオウミに旅行に行ったらしく、その時のことが事細かに記されている。昼食、夕食のメニューから井波武雄がこう言った、ああ言ったと、よくここまで覚えているものだ、と思えるほどびっしりと書いてあったが、文章のどこからも先ほどの恨み言の片鱗は感じられなかった。
『本当に楽しい旅行だった。……こんなに楽しい時間を一緒に過ごせる友達がいて、僕は本当に幸せだ』
 日記の最後はそんな言葉で締めくくられていた。
「三年前っつーと、親御さんが亡くなった年だな……。この頃は本当に幸せだったんだろうなあ」
 彼の両親が死んだのはこの年の七月だ。まさか、この日記を書いた時点では、数ヵ月後にそんな不幸に見舞われるとは思いもしなかっただろうに。
 日記にはもちろん、両親が死んだことも書いてあった。かなりショックを受けたのだろう。それからしばらくは両親のことと、彼の内面的なことばかりが続いていた。どうやらよく井波武雄とも会っていたらしい。これもまた、彼に対する好意的な内容だ。
「何度も家に来て、慰めてくれるなんてめちゃくちゃいい友達じゃねえか。何でまた……」
 同じような内容ばかり続くのを目で追いながら、日記帳のページをただめくっていく。それを十分ほど続けた時だった。
『今日、居留守を使ってしまった。最近タケオと会うのが億劫でたまらない』
 その一文を境に雰囲気はがらりと変わった。始めは自分がいかに落ち込んでいるか、それが彼にはわかっていない、と言った内容だったのが、徐々に変貌を遂げ、ついには憎しみを込めて彼のことを綴るようになっていた。
 彼の生活はあまり変わってなかった。辞めた仕事の代わりにアルバイトをしつつ、たまに井波武雄を含め、高校の友人たちと遊ぶ。そんな生活だった。しかし、内容は三月の旅行の時とは打って変わり恨みと妬みに満ちたものだった。
「こんなに変わっちまうもんかねえ」
 もう一度、今年の日記帳を取り上げ、ページを追っていく。先ほど読んだページを追い越し、さらにページを進めると、事件前日の日記があった。
『タケオから電話があった。結婚をするらしい』
「おい、これだけか?」
 その日はそれ以外のことは書いてなかった。急いで翌日へと目を走らせる。そして、そこで決定的なものを見つけたのだ。
『タケオを殺した。許せなかったからだ。俺がこんなに不幸なのに、あいつは幸せになるなんて不公平だ。だから、公平になるようにタケオを殺した』
 理不尽極まりないその理由に呆然とした。妖魔の中にも戯れで他者を消滅させるような者がいるが、なぜかそれよりももっと理不尽さを感じた。
「とんでもねえ……。とんでもねえよ……」
 ヒューズは何度も日記を読み返している。その顔は半ば放心状態だ。
「……おい、サイレンス。本部に戻るぞ」
 アパートの管理人に礼を言うと、私たちは車に乗り込んだ。いったんシュライク署に戻り、木田孝弘の日記帳を捜査資料として持ち帰る許可の手続きをしてから、パトロールシップに乗り込み、そのまま本部へと向かった。
 シップに乗っている間、普段は寝てるかしゃべってるかしているヒューズだが、今日は珍しくずっと黙りこくったままだった。その横で押収した日記帳をめくっていると、最後のページから何かが零れ落ちた。
 拾ってみると、それは白い花のあしらわれた封筒で、中には便箋が一枚だけ入っている。紙質からしてさほど高価なものではないようだ。消印はなかった。どうやら直接ポストに放り込まれたもののようだ。
 宛先はもちろん木田孝弘だったが、封筒の裏には誰の名前も書いてなかった。仕方がないので中の便箋を開く。
 そこには、『井波武雄について話がある。本日夜九時半にクーロン龍爪地区225-1-201で待つ』とだけ記されていた。――ワン・ヤオの部屋だ。
 しかし、書かれている文字は男の字とは思えなかった。第一、ワン・ヤオのような男がこんな封筒で手紙を出すだろうか。
 ヒューズに意見を求めようとして横を向いたが、彼はまだ深く考え込んでいるようだった。この展開に彼も少なからずショックを受けたのだろう。今はそっとしておいた方がいい。そう思って、私は一度伸ばしかけた手を、膝に載せた日記帳の上へと戻した。

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