[The Adventure of the Aimed Man] -10-
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「なんで、さっさと言わねえんだよ!」
 本部に着いて、ようやくいつもの調子を取り戻したヒューズに、先ほどシップの中で発見したものを見せると、返ってきたのはそんな言葉だった。
 ひどい。ひどすぎる。私がせっかく気を利かせてやっていたのに。
 殴られた頭を抑えつつヒューズに例の手紙を差し出すと、彼は何度か目を走らせた後、またしても大声で怒鳴った。
「これ、超重要資料じゃねーか! 何で黙ってたんだ、馬鹿野郎!」
 もう一発殴って来たので、こちらも羽を広げて応戦した。哀れ、ヒューズは鱗粉まみれだ。口の中に入ったらしくやたらと咳き込んでいる。
 ふん、理由も聞かずに私を殴った仕返しだ。――まあ、聞かれたところで答える気はないが。
「きゃっ! 何なのこの部屋!」
 ちょうど入ってきたドールが叫び声をあげた。床から机の上から、この部屋にあるものの大半に鱗粉は落ち、空気ももうもうとしている。
「サイレンス! 早く羽をしまってちょうだい!」
 ドールまでもが咳き込み出したので私は羽をしまった。仕方がない。彼女にまで迷惑はかけられない。
 結局、二人揃ってドールに大目玉を食らうことになってしまった。彼女の理論から言うと殴ったヒューズも悪いが、黙っていた私も悪いそうだ。……仕事には一切情を挟まない、極めて彼女らしい意見と言える。私もまだまだ捜査官としては甘いということか。
「とにかく! 二人できちんと掃除すること! わかったわね?」
 そう言い残して彼女は出て行った。残された私とヒューズは、一切口を利かず、それぞれの方法で掃除をする。ヒューズは掃除機、私はモップと雑巾だ。
 床に落ちた鱗粉をモップでふき取っていると、ふいにヒューズが話しかけてきた。何の用だと思って振り返ると、彼はすぐ横の椅子に座り、ちゃっかり掃除を怠けている。――誰のせいでこんな目に合ってると思うんだ。
「なあ、サイレンス。不思議じゃねーか?」
 何がだ。それよりさっさと掃除をしろ。
「殺されたのが木田孝弘だろ? だとしたらワン・ヤオはどこにいると思う?」
 そんなこと聞かれても知るか。こっちが知りたいぐらいだ。
 しかし、心の中で悪態をついている私には気付かず、ヒューズはぽつっと呟いた。
「もし、俺だったらさ。ワン・ヤオも殺しちゃうと思うんだよな。
 だってさ、犯人はワン・ヤオに見せかけて木田孝弘を殺したんだろう? だったら、後でワン・ヤオがひょっこり現れちまったら都合が悪いじゃねーか。よーするにワン・ヤオってのは邪魔者なんだよ。だったら消すに限る、と俺は思うんだよ」
 私が犯人でもそうすると思う。自分の犯行がばれるような人間をおいそれと生かしてはおかないだろう。
「だとすれば、犯人は誰なんだ? あの手紙を書いたのが男じゃねえことはわかったが、かと言ってマリーかと言われれば違う気もしてくる」
 それはもっともだ。そう思ったとたん、ふいに頭の中をエリザベスの言葉が過ぎった。
『スクランブルの横の路地ですごい大声で喧嘩をしててね。「この人殺し!」って、そりゃあ、普段からは想像もできないほどの剣幕だったよ。』
 マリーは井波武雄を殺した人間はワン・ヤオだと思っていた。ならば、直接ワン・ヤオ自身を殺すはずだ。何も彼に見せかけて木田孝弘を殺す理由はない。
 そうだとすれば、誰があの手紙を書き、木田孝弘をクーロンまでおびき寄せたのか。
「俺たちの知らない人間、もしくは白だと思ってる人間がやったのかもしれないぜ」
 にやりとヒューズが笑う。事件にのめりこんでいる時の顔だ。
「よし。そうなったらちゃっちゃと掃除は終えて、マンハッタンに行こうぜ!」
 最後にワン・ヤオが目撃されたマンハッタン。生死はともかく、彼の足取りを掴むのが先決だ!



「やあ。久しぶりだねえ」
 マンハッタン署についた私たちを出迎えたのは意外な男だった。
「エレードさん! あんたここに配属になってたのか!」
 エレード署長――元クーロン署の署長であり、現マンハッタン署の署長だ。本部の特別捜査課出身のこの男は、言わば私たちの大先輩(とヒューズやレンが言っていた)になるらしい。
 背は高く、がっしりとした体格で、険しい灰色の瞳と真っ黒な髪の毛を後ろになでつけ、いつも心持ち背を反らしている。頭も切れるやり手の捜査官で、本部にいた頃は全犯罪者の敵と言われるほどだったらしい。四十五を過ぎて署長になってからもその行動力と捜査の腕は変わらず、椅子にふんぞり返ってばかりいる他の署長とは一線を画している。
 何せ、この男が署長だと捜査がやりやすい。何が重要で何が不要か瞬時に見分け、こちらが捜査に来た時にはすでにきちんとお膳立てしてある。また、管轄内で起こったことはたいてい彼が片付けてしまうため、本部への捜査委託も少なくて済む。自分が捜査官だった頃に望んでいたことをやっているまでだと言うが、実際は彼自身が動きたくて堪らないのだ、とうちの課長が笑いながら言っていた。
「ちょうどいいところに来た。君たちにいい知らせと悪い知らせがあってね。本部へ連絡を取ったところだったんだ」
「いい知らせと悪い知らせ? こういう時は悪い知らせから聞いた方がよかったんだっけ?」
「うむ。それが精神的なダメージは少ないだろうね。では悪い知らせだ。うちの捜査官がへまをやってね、寸でのところで捜索中の男を取り逃がしてしまった」
「それって木田孝弘のことかい?」
 ヒューズの言葉に署長は頷き返した。――そういえば、写真の男の手配は木田孝弘で出していたな。
 とにかくそれが悪い知らせだというのならば、いい知らせの方はかなり期待できそうだ。
「で、いい知らせってのは?」
「まあ、そう焦るな。その男を取り逃がしてしまった捜査官というのはね、普段はなかなか切れる男なのだが、ちょうど前日に奥さんと些細なことで喧嘩をしてしまってね。どう謝ろうかと考えているうちに男から目を離してしまったんだ。その隙に男はいなくなってしまったというわけさ」
 ……もったいぶらずに早く教えて欲しい。
「翌日彼は男を見失った場所から捜査を続けた。前日、私がいささか怒り過ぎてしまったのだが、それが彼に火をつけたようでね。彼はどちらかと言えば、叱って伸びるタイプの人間で、どうやらそれが功を奏したらしい」
「ってことはもしかして……!」
 ヒューズが思わず身を乗り出すと、署長は胸ポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「ここに男の所在が書いてある。ほんの十分前に仕入れた情報だから鮮度は抜群だよ」
「エレードさん! 最高だぜ!」
 本当に最高だ! まさかそんな情報を手に入れられるなんて! ああ、羽が出てしまっているが、そんなことはどうでもいい!
「さあ、捜査はスピードが命だ。この情報を入手したことで浮かれて男を逃してしまわんようにな」
 きちんと釘を刺すことも忘れないエレード署長に見送られて、私とヒューズはメモに書かれた場所へと車を飛ばした。
 マンハッタンのショッピングモールに程近い観光ホテル・マルチミリオネアホテル。それがメモに書かれていた住所だった。特に目立った外観でもなく、さほど怪しい感じもしない。ただ、マンハッタンにある他の建物と同じように空へと向かってまっすぐ伸びているだけだ。
「うひゃー。ここって去年できたばかりの豪華ホテルじゃねーか。こんなとこにいるのかよ」
 そうは言ってもここだと書かれているのだから仕方がない。それよりも気になることがある。
「俺は、マリー、もしくは真犯人もここにいると思うな」
 その言葉に頷く。
 そうだ。マリーがワン・ヤオと一緒に出て行ったのは目撃されている。だとすれば、二人が一緒にいる可能性は高――待て。
 ならば事件当夜の二人の言い合いは何だったのか。言い合いをして「人殺し」とまでののしった相手と、翌朝腕を組んで出かけるだろうか。
「どうした?」
 ヒューズが顔を覗き込んでくる。ちょっと待ってくれ。何か頭にひっかかって――。
 その時、とんでもない考えが頭に浮かんだ。人間はこんなことを考えるのだろうか。しかし、そうだとすれば全ての線が繋がる!
 私はヒューズに今思いついた考えを話した。始めはぽかんとしてそれを聞いていたヒューズも、話が進むにつれて徐々に顔つきが変わった。
「……あり得るぞ。もし、犯人が本当にそう思っていたとしたら。どちらにしろ、ワン・ヤオの身が危ない! 行くぞ!」
 走り出したヒューズと一緒にホテルの玄関に入る。
「あ、あの、お客様……!」
 カウンターの女性の声にも立ち止まらず、私たちはエレベーターに飛び乗った。男がいるとされているのは2306号室だ。
「くそっ! さっさと進めよ!」
 窓から見える景色は少しずつ変わっているとはいえ、観光ホテルのせいか少しばかりスピードが遅い。この風景が変わるのと同じ速度で事態も進行しているかもしれない。
 ようやく到着の音がなり、扉が開いた。ざっと周りの部屋番号を見ると、2306号室は角を曲がってすぐの部屋だった。
「……準備はいいな」
 ヒューズが胸ポケットにしまっていたブラスターを少しだけのぞかせる。いつでも引き出せるようにだ。
「よし。押すぞ」
 ヒューズが金色のライオンの口の中にボタンがある、という何とも趣味の悪いインターホンを押す。中から若い女の声が返ってきた。
「IRPOの者だ。木田孝弘殺害の件で話が聞きたい」
 ドアへと向かってきていた足音がぴたりと止む。次の瞬間、ぱたぱたと軽い足音が部屋の中に響いた。明らかにドアから遠ざかっている。
「……おい?」
 私たちが警戒心を高めたその時だった。
「やめろ、マリー!」
 男の声が聞こえると同時にパァンと聞き覚えのある音が響いた。続いて何かがどさり、と倒れるような音が聞こえた。
 はっとなって顔を見合わせたが、そのとたん中から女の叫び声と男の怒鳴り声が聞こえ、私たちはふっと息を吐いた。どうやら弾は外れたらしい。
「早く! 早く来てくれ!」
 マリーの名を呼んだ男が叫ぶ。それが私たちに向けられたものだと瞬時に判断し、ヒューズがドアノブを掴む。
「くそっ! 閉まってやがる!」
 二人で蹴りや体当たりを何度も繰り返すが、ドアはびくともしない。
「こうなったらこれだ!」
 ついにヒューズがブラスターを懐から取り出す。放熱量を最大にして狙いを定め、ドアノブへと向かって放つ。ジュッと音がして、光線が当たった部分が少しだけ溶けた。
「いけるぞ!」
 私も一緒になってブラスターの引き金を引く。二人で何度か引き金を引くと、ついに分厚いドアに穴が開いた。できたばかりの穴に手を突っ込む。
「おい! やけどするぞ!」
 手に鋭い痛みが走ったが、構ってはいられない。手を突っ込んで少し辺りを探ると鍵はすぐに見つかった。中から聞こえる声に焦りながらも、慎重につまみをひねってドアを引っ張ると、いとも簡単にドアは開いた。
「お前、血まみれじゃねーか!」
 見るといつもしている手袋は真っ青に染まっていた。かなりの痛みがあるが、これぐらいの傷ならしばらくすれば治る。
 怒鳴るヒューズをよそに開いたばかりのドアから中へと入ると、床の上に銃を握ったままの女とそれを押さえつけている男がいた。間違いない。マリーとワン・ヤオだ。
「おい、無事か!?」
 遅れて駆け込んできたヒューズが、ワン・ヤオと一緒に彼女の体を押さえつける。その間に私は無傷だった右手でマリーの手から銃を奪い取った。少しばかり抵抗も見せたが、私たちが手帳を見せるとついに彼女は大人しくなった。
「……助かりました。正直、俺一人の力では――」
「あんた、ワン・ヤオだな?」
 ヒューズが聞いたとたん、ワン・ヤオは驚いた表情を見せた。しかし、すぐにそれを肯定する。
「それで、あんたがマリーか」
 押さえつけられたままのマリーが、無言で頷いた。
「……木田孝弘を殺したのは、あんたかい?」
「……そうだよ」
 ヒューズと私をそれぞれ睨みつけると、低くうめくように彼女はそう答えた。

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