[The Adventure of the Aimed Man] -08-
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 朝の目覚めは最悪だった。
 せっかく入れた耳栓は枕の上に転がり、隣りの工事の音と、その反対側から聞こえてくる大いびきに挟まれ、私は深いため息をついた。時計を見ると、午前七時だ。
 だいたいなぜこんな朝早くから工事などするのだ。「ほんの三日間ですから」と言っていたが、その三日間ですら、私にとっては苦痛なのだ。
 昼間、勝手に工事をしてくれるのなら別に一週間かかろうと文句は言わないのに。
 それから、と目線を隣りに向ける。この腹を丸出しにして寝ている男だ。なぜ、こんな爆音の中で目覚めないのか。睡眠時は一時的に感覚が絶たれるように出来上がっているのか。
 ものは試しと少しだけ揺すってみる。起きない。今度は軽く彼の頬を叩いてみる。やっぱり起きない。足で軽く蹴ってみたがそれでも起きない。
 最終手段とばかりに妖魔の剣で突付いてみる。もし、これでも起きなかったらどうしたらいいのだろうか。ドールに援護でも頼むか。
 数回ちくちくと突付いていると、彼が低いうなり声を上げた。目はまだ覚ましていないが、少しばかり反応はしている。
 これはいけると思ってさらに数回突付いてみると、何度か剣をかわすように寝返りを打った後、ようやくヒューズは目を覚ました。
 焦点の定まらないままこちらを見つめていた瞳がみるみる見開かれていく。
「おおおおお前、何してんだー!」
 次の瞬間、そう叫んで彼は飛び起きた。大成功だ。これからはこれでいこう。そう思うと、気付かぬうちにほくそえんでしまったのだろう。こちらを見ていたヒューズの顔がさっと青ざめる。
「ま、まさかお前、俺を殺る気でいたのか? 俺の方が優秀だからか? 俺の方がモテモテだからか?」
 残念だがどちらも違う。しかし、彼は完全にパニックに陥ったようでこちらの説明を聞こうともしない。仕方がないので、目覚まし時計を放り投げてやった。
「なんだー! 今度は時限爆弾か!」
 馬鹿か、お前は。
 警戒心丸出しでこちらを見てくるヒューズの手の中から時計を取り上げると、黙って時計の針を指差す。すでに七時半近くだ。
 しばらくそれを呆然と見ていたヒューズは、こちらの格好と時計の針からようやく私の言いたいことを理解したようで、ふっと拍子の抜けた顔をしたが、その直後には怒声とも悲鳴ともつかぬ声で、こちらに罵詈雑言を浴びせてきた。
 それをしれっとした顔で聞き流していると、彼もようやく落ち着いたのだろう。ぶつくさと文句を言いながらも出かける準備を始める。
 昨日と同じよれよれのシャツの上にジャケットを羽織り、汚れたズボンをはくと、やけにごてごてとしたベルトを締める。バックルがよくわからない紋章になっている革のベルトだ。
 何でもお気に入りの店で購入したらしく、買った当初はしきりに自慢していた。かなり高額なものらしい。羨ましそうに眺めていたレンの顔が思い出される。
「よっしゃ! 準備完了!」
 適当に顔を洗って部屋に戻ってきたヒューズは、すでにいつものヒューズに戻っていた。顔を拭ったものと同じタオルでブラスターを磨いている。よくわからん男だ。
「今日も一日、善良な市民のためにがんばるぜ! オー……ってお前、ノリ悪いな。ほら、がんばるぜ! オォー!」
 合わせて腕を上げてやるとそれで満足したのか、ヒューズはどたばたと玄関へと走っていった。私もその後を追う。
 今日も長い一日になりそうだ。



 ヒューズの気合に反して、その日一日は何も収穫がなかった。行方不明のマリーの居場所もわからず、木田孝弘の所在もつかめない。考えてみれば、ヨークランドやオウミはともかく、クーロンやシュライク、そしてマンハッタンなどの大型リージョンでは数千万もの人間が暮らしているのだ。その中から一人二人を見つけることなど、たった一日では不可能だ。
 しかし、何も収穫がない日は疲れだけが残るもの。やっていることは昨日と同じなのに、余計に疲れたように感じるのはやはり気持ちの持ちようなのだろうか。家に帰ってからふと覗き込んだ鏡の中に映る自分の、どこか血の気のない顔を見てそんなことを考えた。
 こんな疲れた日は早く寝るに限る。どうせ起きていたとしても事態は何ら変わりはしないのだ。それに明日の朝は早い。ワン・ヤオの葬儀に呼ばれていて朝九時にはクーロンに行かなければいけないのだ。
 誘いをかけてきたのは珍しくもあのヌサカーンだった。
「まったく、人間の命はなぜこんなにも儚いのかねえ」
 似合わない台詞を吐いたヌサカーンの横で、私たちは立ち上る煙を見上げていた。
 裏通りでも端の方にあたるこの空き地で、静かにワン・ヤオの葬儀は行われた。どこかのお偉方のように派手なものでなく、本当に知人が集まってひっそりと死者を弔う。
 空き地の中央に据えられた、わらと木切れでできた台の上に、鮮やかな色彩の布で覆われたワン・ヤオの遺体が置かれ、参列者の一人一人が火をくべていく。ただそれだけのものだった。
 クーロンの裏通りで生きる人間のほとんどは、本当に貧しい。その日食べるための金を稼ぎ、硬く汚れたベッドで一日の疲れを癒す。それを何十年と続けていく。
 もちろん、そんな生活をしている者たちが、どこかの建物を借りて葬儀を行うような金を持っているはずもなく、こうしてどこかの空き地を使って遺体を燃やすというのが、ここでの慣習となっているのだと、こちらに向かうシップの中でヒューズが教えてくれた。
 ワン・ヤオの葬儀は、その中ではまだ良い方らしい。あの鮮やかな色の布がその証拠だ。話を聞いてみると、どうやらあの薬局の主人が買ってきたという。
 結局、葬儀に集まったのは同居人のチャン・ウェーと薬局の主人、ワン・ヤオの仲間でシーファンと名乗ったあの男とその友人らしき者が二人、そしてジュディスとエリザベス、その他娼婦らしき女が数人と私たちだけ。残念ながらマリーの姿はなかった。
 炎に包まれた遺体の燃える匂いと、皆のすすり泣く声、そしてパチパチと炎のあがる音。それに混じって遠くから聞こえてくる裏通りの喧騒。
 しばらくそれに耳を澄ませていると、ふいにヌサカーンが土を踏む音が聞こえた。
 すぐそばにいたチャン・ウェーに何か話しかけると、私たちに手招きをして歩き出す。思わずヒューズと顔を見合わせたが、とりあえず彼の後を追い、私たちもまたその場から離れた。
 彼の後を追いかけやってきたのは表通りにあるレストランだった。確かあのサングラスの男が経営していたような、と考えていると、案の定店の前で掃除をするあの男を見つけた。
「よう、ルーファス」
 ヒューズが片手を挙げて挨拶をすると、男はサングラスの奥の目を少しばかり細めた。
「また珍しい組み合わせだな」
「患者の葬儀があったもんでね――いや、人間だよ」
 ヌサカーンもこの男とはやや親しいらしい。そう答えるとルーファスは小さく頭を下げて「ご愁傷様で」と呟いた。
「席は空いてるかね?」
「ああ。少し待っていてくれ」
 それだけ言うとルーファスはいったん店の中へと入り、小さな皿に塩を盛って出てきた。それを私たちの体にさっと振りかける。クーロンやシュライクで行われる『清め』だ。葬儀から戻ってきた人間には塩を振るい、体についた『穢れ』を落とす。
 死を穢れだとするのはいくつかのリージョンで見られる思想だ。その理由はわからないが、死を忌み嫌う人間としては至極もっともなことなのだろう。私たち妖魔も消滅を忌み嫌うが、人間のような思想は持ち合わせていない。私たちが嫌うのは自分が消滅することであって、他の者の消滅など別段気にも留めないからだ、とヒューズは言うが、それもまた少し違う。
 まあ、人間とは根本的な考え方が違うので、彼にはわかりにくいのかもしれないが。
「しかし、あっけないもんだな」
 席に落ち着き、食事を取りながらヒューズがぼやく。
「それは君たち人間が一番よくわかっていることなのではないかね?」
 出されたパスタをつつきながらヌサカーンが尋ねる。普段の何を考えているのかわからない表情とは少し違い、真剣さが見てとれる。彼も少しはワン・ヤオに思い入れがあったのだろう。
「そう辛気臭い顔をするな。料理がかわいそうだろう」
 焼きたてのピザを運んできたルーファスが軽く眉をしかめた。
「そんなこと言ってもさ、さすがに葬式の後で笑いながら食事はできねえな」
「そこまで言ってないだろう。――親しい者だったのか?」
 その言葉にヒューズは首を横に振る。「いや、事件の被害者さ」
「私にとっては馴染みの患者でね。ワン・ヤオだ。君も知っているだろう?」
 ヌサカーンがそう言うと、ルーファスは一瞬はっとしたような顔をした。
「あの男、死んだのか」
「知らなかったのか? 二日前に部屋で殺されたんだよ」
「――そうか。どこか危なっかしい男だとは思っていたが」
「一時ごろ、また骨を拾いに行くのだが。よければ君もどうかね?」
 それを聞いてルーファスは考え込んでいたが「わかった」と一言だけ返した。
「うちにもよく顔を出していた男だ。できるのなら、せめて最後の別れぐらいはしておこうか」



 結局、一時までレストランで時間を潰した私たちは新たにルーファスを加えて空き地まで戻ってきた。
 残っていたのはチャン・ウェーとシーファンだけだったが、ほどなくして他の者たちもぞろぞろと集まりだし、そのうちの何人かが焼けた木やわらを取り除き、私たちはワン・ヤオだった骨と顔を合わせることとなった。
「この後、皆でスクランブルに行こう、という話があるんですけど、皆さんもどうです?」
 皆で骨を壷に収めている最中、憔悴しきったチャン・ウェーがそう聞いてきた。ルーファスは店があるから、と断りを入れたが、ヌサカーンやヒューズが行くと言ったので、私も付き合うことにした。もしかしたらそこで新たな情報を手に入れられるかもしれない。
「おや?」
 ふいにヌサカーンが声を上げた。手に持った骨に顔を近づけ、何度も見返していたがふいに「おかしい」と呟く。
「どうかしたか」
 彼の手元を覗き込んだルーファスにヌサカーンは骨を突き出し、とんとんと一部を叩いた。
「おかしいのだ。骨折の跡がない」
「骨折ぅ?」
 ヒューズの上げた声に皆が顔を上げた。わらわらとヌサカーンの元へと集まってくる。
「見たまえ。ここだ」
 皆に見えるように少し骨を持ち上げると先ほどと同じように一部分を指す。
「ワン・ヤオはひどい骨折をしてね、跡が残っているはずなのにそれが見当たらないのだ」
「そんなの残るもんなのか?」
 シーファンがヌサカーンの顔を見る。
「もちろんだ。二千年前の人骨からだって骨折の跡は見つかるものなのだよ」
「二月にこっちに帰って来た時にギプスをはめていたんです。マンハッタンで喧嘩して腕を折ったって」
「そうだ。確かぽっきり折れちまってって言ってましたよ」
 あちこちからそんな声が飛び出す。
「そう。ギプスを外したのは私だがね、念のためレントゲンを撮ったところ、きちんと骨折の跡があったのだ。だが、これにはどうかね?」
 差し出された骨を丹念に見てもそんな跡は見当たらなかった。
「おい。骨の場所は合ってんのか?」
「馬鹿にしないでくれたまえ、ヒューズ君。これでも私は医者だよ」
 いささか怪しい医者だが。
「だが、そうなると……」
 残っているはずの骨折の跡はない。つまり、骨折はしていなかったのだ。しかし、ヌサカーンがこんな嘘をつくとも思えない。そうだとすれば、残っている可能性はただ一つ――。
「木田孝弘……」
 やはりヒューズもそこに辿り着いたか。
 頭の中に二人の顔が浮かぶ。赤の他人とは思えないほどそっくりな顔。同居人のチャン・ウェーでさえ死んでいる顔を見て気付かなかったのだ。
「おい。葬式はやめだ。この骨はIRPOで預かる。それからチャン」
「は、はい」
「ワン・ヤオの痕跡が残ってるもんはまだあるか? 髪の毛とかヒゲとか、唾や血でも構わねえ」
「あると思いますが……」
「じゃあ、今すぐ探してきてくれ!」
 ヒューズが急き立てると、チャン・ウェーは慌てて自宅へと向かった。
「おい、どういうことなんだよ」
「もしかして、別人なのか?」
 方々からそんな声が上がる。ヒューズはそれをなだめると、さっと人差し指を立てた。
「まあ、事件は解決してから教えてやるよ。ただ一つ。この骨はお前たちのワン・ヤオじゃないってことだ!」
 その途端、数時間前まで人々のすすり泣きに満ちていた空き地は、狂喜と歓声に包まれた。

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