[The Adventure of the Aimed Man] -07-
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「ええ。そのお客様でしたら覚えております。枕をお買い上げになったので」
「本当かい? どれぐらい前に?」
「はい。ちょうど五分ほど前だと記憶しておりますが」
「それで、どっちに行った?」
「それが……。エレベーターに乗られたところまでは存じておりますが、その後は……」
 館内放送で呼び出す、という手もあるが、おそらくは警戒して来ないだろう。どっちにしろ、デパートの出口で探した方が効率はいい。
「協力してくれてありがとう! それじゃ!」
 駆け出したヒューズを追ってエレベーターに乗り込む。
「まだ店内にいるかもしれない。出口で張ってた方がいいかもな」
 満員のエレベーターの中、近付いてくる地上の景色を見ながらヒューズが耳打ちしてきた。
 だが、問題がある。このデパートには出口が二つあり、しかも閉店前ということもあって、出てくる人間の数も多い。その中から一人を探し出せるかどうか。
「とりあえず二手に分かれるぞ。俺はセンター側を張る。お前はショッピングモール側を張ってくれ」
 ちょうどヒューズがそう言った時、一階を案内するエレベーターガールの声と共に扉が開かれた。
「それじゃあな! 何かあったら連絡してくれ!」
 駆け出すと同時に正面の出口を目指す。人の波をかき分けて進むと、すぐに出口から外に出た。
 夏が近いわりに涼しい風が吹いている。その中をどよどよとざわめきながら出口から次々に人が出てくる。馬鹿でかい袋を肩から提げた若い女性。連れ立って歩く老年の男女。それを少し離れたところから眺め、出てくる人間の人相をチェックする。
 いったい、この建物の中にはどれほどの人間がいるのだろう。そう思えるほど次から次へと絶えることなく続く人の波を十五分ほど見ていた時だった。
 出てくる人の数が徐々に減り始め、ついに途切れ途切れになった。時計を見ると八時四十分過ぎ。閉店時刻を過ぎている。
「おい、どうだった?」
 閉まる直前の出口からヒューズが出てきて、こちらに向かって手を振った。
「あっちはもう閉められちまってさ。こっちはどうだ?」
 その言葉に否定で返す。結局男は私たちが着いた時にはすでにこのデパートから出ていたようだ。それかもしくは――認めたくはないが――私たちが見逃したか。
「しょうがねえ。こうなったらもうあの手しかないな」
 ヒューズが指差したのは、繁華街のど真ん中にある派出所(これももちろんIRPOの管轄だ)の掲示板だった。
「指名手配、じゃあないが、重要参考人ってやつだな」
 そっくりと言えるほど似た顔の男が二人いて、そのうちの一人が事件に巻き込まれている。捜査線上に二人が浮かんできている以上、見過ごすわけにはいかない。
 この事件において、この二人が重要なキーとなっている、というのはまだ私の憶測に過ぎないが。
「さてと、そうとなったら本部に戻ってデスクワークでもやるとするか!」



「なあ、サイレンス。お前今日どうする? 家に帰るか?」
 その言葉に私は勢いよく首を縦に振った。もちろん、家に帰れるのなら帰って、少しでも静かな場所で休みたい。
 本部に戻ってその後、必要な書類を揃えて提出した頃にはすでに十二時を越え、さすがに帰ることになり、私はヒューズの好意に甘えて彼の車で送ってもらうことにした。
「しかし、どうなったんだかなあ。あの男の居所さえつかめればな」
 ハンドルを握ったヒューズがそうぼやいたが、見つからなかったものは仕方がない。それにすでにIRPO管轄内の全リージョンに向けて、あの男の行方を探す手配もできた。安心とまではいかないものの、ひと段落ついた、という意味ではまだ今日の収穫はマシだった、と言えるだろう。
 とりあえず今日は頭の中を整理して、明日もう一度クーロンやシュライクで情報を集めてみるか――と、そんなことを考えていると、ふいにヒューズがとんでもないことを言った。
「そうだ。ついでに俺も泊めてくれよ」
 その言葉に慌てて首を横に振る。
 とんでもない! 何が悲しくてこんないびきの煩い男を部屋に泊めなければならないんだ!
「んなこと言うなよ。だって、お前んちの方が本部に近いだろ?」
 それでも御免だ!
「なあ、いいだろって。前にも何度か泊めてくれたじゃないか」
 その度に私がどんな被害を被ったと思っているんだ、この馬鹿め。裁判所に訴えたら絶対に勝訴できると確信できるほど、この男からこうむった害は大きいのだ。
「まあそう言うなって。俺とお前の仲じゃないのよ」
 どんな仲だと言うのだ、迷惑な。そんなことを口で伝える代わりに、持ち出した妖魔の剣の先端で彼の首を突付くことで示すと、彼は小さな悲鳴を上げたが、それでも考えを改める気にはならなかったらしい。
「相変わらず冷たいねえ。じゃ、そんなわけでお前の家に向かって出発進行ー!」
 慌てて止めようとした私の手を振り払い、ヒューズはまっすぐ私の家へと向かってハンドルを切った。角を曲がるとすぐに私の住むアパートが見える。
 ああ。いつもならあの建物を見た瞬間にほっと一息つけるのに。
 暗い気持ちを抱えた私を乗せたまま、車はアパートの駐車場へと滑り込んだ。まったく何と言うことだ。よりによってこの男を家に泊めなければならないなんて。
 沈んだまま、アパートの部屋の鍵を開けると、ヒューズはこちらのことなどお構いなしで私よりも先にさっさと部屋に上がりこんだ挙句、服を脱ぎ去ると許可を請う一言もなしに、備え付けのバスルームへとその姿を消した。
 下手くそな鼻歌をBGMにしながら、私は濡れたタオルで体についた汚れを軽く拭った。ついでに洗面台へと向かい、顔についた汚れも洗い流す。
 私たち妖魔は無駄な汗もかかなければ、肌が汚れるようなこともあまりない。第一、石鹸などを使わなくても水浴びをすれば体の汚れは落ちるし、それですら数ヶ月に一度で済むほどだ。
 それに比べて人間というものはやけに老廃物が多い。一日一回、ひどい時は一日に何度も体を洗わねば汚れが落ちない上に、それを少しでもさぼるととたんに鼻につく匂いを発し始める。
 現に、仕事で四日間風呂に入らなかったヒューズはそれはもう凄まじい悪臭がしたものだ。
「あーあ。今日もよく働いたぜ」
 こちらがすっきりしてヒューズのために毛布を引っ張り出していると、シャワーを浴び終えたヒューズが出てきて、これまた勝手に来客用のミネラルウォーターのボトルを冷蔵庫から取り出すと、ベッドの上にどさりと座り込む。まったく、自分の家だとでも思っているのか。
「それにしてもいつも思うんだけどさ、お前の部屋って物がないよなあ」
 水を喉へと流し込みながらヒューズが部屋を見渡す。
 元から配置されているダイニングキッチンと居間兼寝室。IRPOに入ることが決まった時に支給された部屋だ。
「テレビもなけりゃステレオもない。お前、この部屋で何してんの?」
 寝ているに決まってるだろう。その他はほとんど仕事しているだろうが。
「でも新聞はちゃんと取ってるんだから不思議だよなあ」
 そう言って床の上に放り出された新聞を手に取るとヒューズはぱらぱらとめくった。ちょうど手が止まったページに、少しながら今回の事件のことが書かれている。
 まったく、マスコミというものの情報収集の速さには驚かされる。一概に正しいことが書いてあるとは言えないが、私たちとはまた違った独自のネットワークで事件を捜査し、稀にこちらに間接的に協力してくれることもある。
 今回の事件の論点は何よりなくなった薬指のことだった。人間はこういったセンセーショナルな事件を好む。普通に殺されているより残虐だとか、謎が多いだとか。私たちからすればどれも大して変わった事件だとは思えないのだが、それはこちらの感覚が鈍ってしまっているせいなのだろうか。
「薬指の意味も大事だけどさ、それより先に犯人見つけなきゃなあ」
 叩かれるのは俺たちなんだ、と愚痴をこぼすと、ヒューズはそのままベッドに横になる。ふうと息をつくと、そのまま寝る姿勢に入ったので慌ててたたき起こした。
「ん? 何だよ。疲れてるんだから早く寝ようぜ」
 馬鹿か。誰がそこで寝ていいと言った。そこは私のベッドだ。
 ちゃんとわかるように床の上に置いた毛布を示すと、ヒューズの目が点になる。
「もしかしてお前、また俺にあそこで寝ろっての?」
 当たり前だ。そのためにわざわざ冬用の毛布を出してきたんだ。
「ちょっと待ってくれよ〜。前もそうだったけどさ、何でお前、お客様を床で寝させるわけ? 普通さ、お客様はベッドで寝かせて、自分は床で寝るもんなんじゃないの?」
 そんな道理が通ってなるものか。第一、自分が無理矢理上がりこんだくせに。
「ま、そんなわけで俺はこっちで寝るから」
 私の言うことを無視してベッドにもぐりこんだヒューズは数分も経たないうちに寝息を立てだした。――よし、今がチャンスだ。
 彼が完全に寝入ってしまったことを確認すると、私はシーツの端を持って勢いよく持ち上げた。マットから引き剥がされるシーツと一緒にヒューズの体もごろごろと転がっていく。やがて、どすんと鈍い音が立ったのを聞いて、シーツを元に戻した。
 床に落ちたとも知らず、ヒューズは眠りこけている。さすがは一度寝たら起きない男。これほどの衝撃では目を覚ますこともない。
 せめてもの情けと、彼の体に毛布をかけてやる。ついでに落ちた枕と布団をベッドに引き上げ、ようやく私は自分のベッドへともぐりこんだ。
――そうだ。耳栓を忘れていた。
 わざわざシュライクまで行って買ってきた高性能の耳栓を耳にはめると、ようやく静寂が訪れる。それに心地よさを感じながら、私もまた眠りへと落ちていった――。

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