[The Adventure of the Aimed Man] -05-
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 彼女たちに見送られて私たちはシュライクへと向かった。いつ見つかるかもわからないマリーという女よりも先に、シュライクで殺された『タケオ』こと井波武雄について情報を集めるためだ。
「しっかし、ややこしいことになってるな」
 シップを自動操縦に切り替えた直後から、タバコを吸っていたヒューズがぼやく。私は横で食べ損ねた朝食を取りつつ、頭の中で先ほどの女たちの証言も含めて、もう一度事件を整理していた。
 まず、一週間前の火曜日にシュライクで井波武雄が殺された。そして昨日、クーロンでワン・ヤオが殺された――と思われたが、彼の死後に彼を見たという証言がある。さらに、井波武雄とワン・ヤオの間には共通点があった。それが娼婦のマリーだ。彼女は今朝、殺されたはずのワン・ヤオと出て行くところを同じ娼婦仲間のエリザベスに見られている。
「ワン・ヤオは生きてるのか、死んでるのか。生きてるんなら、チャン・ウェーのアパートで殺されていた人物は誰なのか。逆にもし死んでるんなら、今朝マリーと出かけた男は誰なのか。
 最初とはまったく違う様相になってきたな。何がどうなってるのかさっぱりわからねえ。とにもかくにもシュライクでどんな情報が手に入るのか。事件の進展はそこにかかってるな」
 ヒューズがタバコを消すと同時に手前のランプが点滅する。そろそろシュライクだ。
「おい、サイレンス。早くベルト締めろよ」
 蜂蜜の瓶をしまうと、降りてきたシートベルトを掴んでロックし、膝の上に巾着を乗せる。
「まったく、見せびらかしやがって……」
 隣でそんな呟きが聞こえたが、あえて聞かなかったことにして、私は外の混沌へと目を向けた。



「いつもご足労願って申し訳ない」
 クーロン署のあの署長と違い、シュライク署の署長は物腰柔らかな人物だ。年は三十五だと言っていたが、それよりも若く見える、とヒューズは言っていた。何でも上級試験というものに合格してIRPOに入った人間は、若くして署長職などの管理ポストにつき、将来はトリニティの執政官レベルの役職に就くのだという。いわゆるエリートコースというものだ。彼もその一人で、出は至って平凡だが、必死に勉強をして合格率五パーセントといわれるIRPOの上級試験に合格したらしい。
 妖魔と違い絶対的な身分の差がない人間社会では本人の努力次第でどこまでも上を目指すことができる。もちろん、支配者階級の残っているリージョンもあるし、そのような階級というものは努力してどうにかなるというものではないのだが、人間の歴史の中ではそんな階級ですら覆してしまったという事例もある。
 要するに努力が実を結べばたいていのことはどうにかなる、というのが人間社会なのだ。どこぞの時術使いが聞いたら飛び上がって喜びそうなシステムである。――まあ、彼の努力という名の筋力トレーニングは一向に実を結ぶ気配はないが。
「これがマリーと名乗った女性の調書です」
 担当の捜査官が差し出したファイルに目をやると、なるほど、先ほどあのエリザベスという女から聞いた話がそのまま書かれていた。どうやら、嘘ではなかったらしい。
「まったく困ったもんですよ。本名を聞いても、知らないの一点張りでね」
 確かに調書には『マリー』としか書いていない。いつも苗字と名前がきちんと書かれた調書しか見ていないだけに、何となく違和感がある。
「で、これが井波武雄ね」
 どこにでもいるような風貌の青年の写真が被害者の井波武雄だった。確かに、人ごみに紛れ込まれたら一瞬で見失ってしまいそうなほど目立った特徴がない。
「コイツと、コイツと、この女ねえ……」
 ワン・ヤオの写真も含めて三枚の写真を並べる。しかし、パトロールシップの中でもそうだったように浮かんでくるのは三人の繋がりだけで、事件との関連性はまったくといっていいほど思い浮かばない。三人はそれほどバラバラの存在で、この三人に繋がりがある、と考えるだけでも奇跡に近いのではないか、とさえ思えてくる。
「こりゃーまた、平凡な男だなあ」
 井波武雄の調査書を見ていたヒューズがこちらに体を寄せた。
「まあ、出生はシュライク、孤児ってことになってるけどさ、この井波スエってばあさんに引き取られてからは地元の公立小、中、高校を卒業して、同じくシュライクの私立大学に入学。卒業してその後はプータロー。驚くほどに最近のワカモノの典型だな」
 典型かどうかはさておき、彼の知り合いたちの供述を読んでいても目立ったところはなかった。皆同様に『優しい』、『明るい』、『誰かに恨みを買われるような人ではない』と来ている。まったく、口裏を合わせたのではないか、と思えるほど役に立たない資料である。
「たいていはこう答えるんだよ。でもそういうヤツに限って裏があったりするんだよな」
 そう言えば、今年の初めに担当した事件もそんなものだった気がする。外面ならいくらでも繕える、といういい例だ。
「こりゃ現場を漁った方が何かわかるかもしれないな」
 現場の写真を見た限りでは特に部屋も荒らされておらず、彼のアパートによく出入りしていた知人の証言でも、なくなっているものはないとのことだった。
 なぜそう言い切れる、と少しばかり不服を感じたのだがそれは彼のアパートに到着して、いざ部屋の中に踏み込んだ時に納得した。
 井波武雄の家は二階建ての古臭いアパートの二階だった。1DKのフロアに荷物はほとんどなく、部屋の大きさの割には広く見える。何の変哲もないアパートだ。ただ、玄関を入ってすぐにあるキッチンのフローリングの床にまだ残っている血痕を除けば、の話だが。
「まったく、こんなことになってこっちも大変ですよ。こんな事件があったとなったら、曰く付物件だとしても誰も借りようとしやしない」
 大家がぶつくさと呟く中、私とヒューズは手分けして彼のなけなしの荷物を漁った。すでにシュライク署が漁った後だとはわかるが、もしかしたら何か見落としがあるかもしれない、と思ったからだ。
 案の定、見落としはあった。彼が枕元の本棚に入れていた高校の卒業アルバムというものである。
 ある意味これは重大な収穫かもしれない。何せ、今まで担当してきた事件の中でこの卒業アルバムがきっかけで事件が解決した例は十件を超える。今回もそうだと決め付けることはできないが、とりあえず参考資料として本部に持ち帰れるよう手配し、私たちはパトロールシップへ乗り込むと本部へ帰還することにした。
 先ほどと同じように自動操縦に切り替えられた後、何の気なしに卒業アルバムをめくる。
 まったく、この卒業アルバムというものは不可思議なものだ。まるで犯罪者ファイルのように皆が同じ顔で並んでいる。人間はこんなものを見てそんなに楽しいものなのだろうか。
 ぱらぱらとめくっていると、被害者の井波武雄の写真があった。もっともそれは写真の下に名前があったから気付いただけで、写真だけ並べられていたら気付かなかっただろう。
 そのページには四十人ほどの男女が並んで写った写真と、それぞれの個人写真とが並べられていた。なるほど、こうやって個人写真を見てから一人ずつを探していくのも面白い。いつの間にか私は一クラス全員の個人写真と全員が写っている写真とを照合するのに夢中になっていた。
 三十七人目が終わり、ようやく次の人間を照合しようとしたその時、ふと指が止まった。
 一瞬我が目を疑った。たった一日仕事をしただけで目が疲れて、幻影が見えるようになってしまったのか。それとも同じ写真ばかり見ていたせいで見間違えてしまったのか。
 だが、自分の予想に反して、そこに写っていたのは間違いなく、あの男だった。
 ……なぜだ。なぜ、この男がここにいるんだ!?
 急いで、隣りで転寝をしているヒューズを叩き起こす。
「んあ? もう、まだ足りな……」
 寝ぼけて抱きつこうとしてきたヒューズの頭を持っていたアルバムの角で殴り、ようやく目を覚まさせると、先ほどのページを開き、三十八人目を指差す。
「いってえ! お前今、何で殴った? ええ!? アルバムの角か!? お前俺を殺す気か!? つーか羽しまえって! ああ、もう俺のナイスな革ジャンが鱗粉まみれ……」
 そんな悠長なことを言っている場合ではないだろう!
「ったく何なんだよ。わけわかんね――」
 未だ焦点の合わないまま写真を見つめていたヒューズの目が次の瞬間見開かれた。
「え? えぇぇぇぇぇぇぇ!?」
 ヒューズは裏返った声でそう叫ぶと私の手からアルバムを奪い、何度も見直す。どれだけ見直しても間違いはない。間違いなくあの男なのだ。
「ちょ、ちょっと! これってとんでもないことじゃないの!」
 そうだ! だからこそ危険を冒してまで叩き起こしたんだ!
「すんげえ発見だぜ、サイレンス! ……ってちょっと待てよ?」
 写真に釘付けになっていたヒューズがふいに視線を外す。
「なあ、これ。どういうことだ?」
 彼が指をさしていたのは写真の下に書かれた名前だった。『木田孝弘』――その文字に思わずぽかんと口が開いてしまった。
「別人なのか?」
 そんなこと聞かれても知らん。しかし驚くほどよく似ている。
「なーんだよ。他人の空似じゃねえか」
 残念だ。非常に残念だ。せっかく事件解決の糸口を見つけたと思ったのに。
「でも、ま」
 ふいに顔を上げるとヒューズが気色の悪いウインクを投げてきた。
「こんな些細なことでも気になっちゃうのが捜査官ってヤツだよな。――よし、行き先変更だ!」
 ヒューズはそう叫ぶとIRPOに向けてセットされた到着地データを書き直した。そう、行き先はもちろん――シュライクだ。

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