[The Adventure of the Aimed Man] -04-
文字サイズ: 大
「マリーの居場所? 知らないねえ」
 天井に煙を吐き出して女が呟いた。ふざけているのか本気なのか、うかがい知れないような表情を見ると、少しばかり薬も入っているようだ。
「なあ、頼むから協力してくれよ。そのマリーって女が重要なんだよ」
「そんなこと言われても知らないもんは知らないんだよ。しつこい男だねえ、あんたも」
 先ほどから数回同じ問答を繰り返している。ついに我慢できなくなったのか、ヒューズが深いため息をついた。いつも思うが、忍耐力のない男だ。
「じゃあ、こうしよう。教えてくれってんじゃない。司法取引ってやつをしようぜ」
「司法取引?」
「そうだ。お前が今そうやってプカプカふかしている大麻のことは見逃してやる。だからマリーの居場所を教えな」
 やはり気付いていたのか。さすがに、この男もそこまで馬鹿ではないらしい。意地の悪そうな笑顔を浮かべ、女を見やる。それが癪に障るのだろう、女は唇を噛んでヒューズをにらみつけた。
「これだからIRPOってのは嫌いなんだよ。人の弱みにつけこみやがって」
「まあ、そう言いなさんな。あんただって、そのタバコがないと生きてけないんだろう? 悪い話じゃないと思うんだが」
「……信用できないね」
 それはそうだろう。いきなり現れてそんな取引を持ちかける人間をさっさと信用するなんてよほどの馬鹿だ。特にあくどいこともやっているトリニティの機関ということもあって信憑性はさらに下降する。
「信用する、しないはあんたの自由だ。でも俺はそんなにほいほい約束を違える男じゃあないぜ。何ならあんたたちのやり方で契約を交わしてもいい」
 クーロンの者たちが好んでやる契約方法がある。文書を作成した後でそれぞれの左の親指を切り、そこから溢れた血で自分の名を入れる。もちろん、公文書ではそんなことはしないが、裏の世界では半ば常識としてまかり通っている方法だ。少しでもクーロンの裏に繋がりのある人間で知らない者はいない。当然、ヒューズもその一人だ。
 今までのらりくらりとはぐらかしていた女も、さすがにバタフライナイフを左親指に押し当てそう言った男を信用する気になったらしい。
「わかったよ。わかったからそのチンケなナイフをしまっとくれ」
 短くなったタバコを壁に押し当てて消すと、女は足元にあったサンダルを引っ掛け戸口へ向かう。
「いるかどうかはわかんないけどね。ついてきな」
 下着一枚に軽い上着を羽織っただけの女の後を、私とヒューズはゆっくりとついていった。



「おかしいねえ。いつもならこの時間はいるんだけど」
 先ほど訪れたこの女の家と同じようなバラックに到着した私たちは、部屋の中に誰もいないのをもう一度確認して、誰からともなくため息をついた。
「おいおい、本当にここがマリーの家なのか?」
「当たり前だよ! ほらご覧」
 女が壁に突き刺してあった写真を指差した。化粧の濃い女と男が一緒に写っている。男の顔には見覚えがあった。昨夜殺されたワン・ヤオだ。
「この赤いドレスを着てるのがマリーだよ」
「へえ、なかなかの美人じゃないか。で、横に写ってんのがワン・ヤオか」
「あんた詳しいね。ま、色々と悪い噂の絶えない男だったしIRPOでも知ってるかもね」
「へ? あんた知らないのか?」
 ヒューズの問いかけに女が不思議そうな顔をする。
「知ってるに決まってんだろ。むしろ裏通りで知らないヤツなんか……」
「違うって。ワン・ヤオは昨日の晩殺されたんだよ」
「嘘だろ?」そう呟いた女にヒューズは手帳の中から一枚の書類と写真を出した。出されたものはクーロン署でコピーしてきた調書だ。あんなにほいほい見せてよいものだろうか、と思ったが、別に害がなければいいと思って女の顔色を窺う。
 彼女は何度も視線を上下させて書類を見直していたが、やがて無言のままベッドへと倒れこんだ。慌てたヒューズが彼女の腕を取り、何とか座らせた。
「おい大丈夫か?」
 その問いかけに女は首を横に振った。さすがに知っている人間が殺されたと知って気が動転しているのだろう。ぽかん、と口を開けたまま、ヒューズの顔をまじまじと見る。
 立ち直るのにしばらくはかかるだろう。そう思った時だった。
「あっれー? マリーはまだ帰ってないのかい?」
 この場にそぐわない陽気な声が響き、痩せ細った女が戸口から入ってきた。
「何だよジュディス。男を二人も抱え込んで一人でお楽しみかい? 何なら私も混ぜて欲しいもんだねえ。あ、私はこの王子様みたいな格好の兄ちゃんの方がいいけどさあ」
 一気にそうまくし立てるといきなり私の腕を取って甲高い声で笑った。声も耳障りなことながら、入ってきた時から匂っていた香水と酒の匂いがあまりにもきつくて腕を離そうとしたところ、さらに強い力で引っ張られ、近付いた顔とさらにきつくなった匂いにめまいがした。
「つれない男だねえ。まあ、それぐらいの方が女も喜ぶってもんさ」
「おいおい、ちょっと待てよ」
 見かねたヒューズが間に入り、ようやく私は解放された。もう少し遅ければ間違いなく剣で切りつけていただろう。
「冗談言ってる場合じゃないよ、リズ」
 いささか沈んだジュディスの声が響く。
「昨日の晩、ワンが殺されたらしいよ」
「はあ!?」
 リズと呼ばれたあの騒がしい女が一瞬驚いた表情を見せる。しかし、それはすぐに先ほどと同じキンキンと甲高い笑い声となって部屋に響き渡った。
「アハハッ! このエリザベス様を騙そうたってそう簡単にゃいかないよ!」
 あまりにおかしかったのかケラケラと笑い声を立てて女はしゃがみこんだ。
「じゃあ何だい? 私が今朝見たワンは幽霊だってのかい? いるわけないだろ、そんなもの!」
「何だって!?」
 ヒューズが素っ頓狂な声をあげる。私も普段からしゃべっていたなら同じようにしただろう。思わず羽が出てきそうになったが、寸でのところで我に返り何とか抑えた。
「本当に今朝見たのか? 寝ぼけてたとか見間違いとかじゃないのか?」
「ハッ! 口の利き方には気をつけな。いくら私でもねえ、知り合いの顔を見間違えるほどもうろくとしちゃあいないよ」
 ようやく立ち上がると女はジュディスの横へと腰を下ろした。
「あんたこそ口の利き方に気をつけなよ。この兄ちゃんたち、IRPOだよ」
「は? なーんだ。せっかくイイ男でもIRPOならいらないね。さっさと帰んな」
「そうは言ってもだな。俺たちはさっきのあんたの言葉を見逃すわけにゃいかないんだ」
 ヒューズは彼女の前に陣取ると、視線を女に合わせた。
「ワン・ヤオを今朝見たって話、聞かせてくれよ。ついでにマリーの話も教えてくれると嬉しいんだがねえ」
「マリーの話? ……何が聞きたいんだい?」
「全部さ。俺らはそのマリーって女のことや、マリーとワン・ヤオの関係については何も知らない」
 この通り、と両手を合わせて頭を下げたヒューズは、横でぼうっとその様子を見ていた私の頭を無理矢理押さえつけた。仕方がなしに彼を真似て、私も頭を下げる。
「なあ。頼むよ、マジで」
 低姿勢になった私たちに気をよくしたのか、女はフフンと笑うと「わかったよ」と呟いた。
「しょうがないねえ。まあ、私の知ってることは話したげるよ。ちょっと長くなるからさ、そこの綺麗な兄ちゃんも座んなよ」
 そう言うと、女はそばにあった木の椅子を私に足で指してみせた。固そうな椅子だな、と思いながらも腰を下ろすと、リズという女はタバコに火をつけ、ふっと一口煙を吐き出した。
「マリーと初めて会ったのは去年の夏さ。元から裏でウリをしてたらしいけどね、ヌサカーンってお医者先生のそばでやってたらしくて――あ、知ってるかい? あの先生、美形だけど変人だねえ。上級妖魔ってみんなあんなもんかね――まあ、私らとはテリトリーが違うからさ、今まで知らなかったんだけど、急にふらっとやってきてね。それからはずっとこっちで売ってたのさ。何で移ってきたのか理由は教えてくれなかったけどね。
 マリーはあの通り顔もきれいだしね、その上性格もいいと来て、客が着々とついてったのさ。そんなもんで、秋が終わるころにはここらで一番の女になってたよ。
 こういうとこってね、噂が広まるのは早いんだけど、それは客の方も同じでね。噂が噂を呼んで、マリーの客の数は雪ダルマみたいに増えていったんだ。中には自分の客を取られちまった女もいてね、何度か喧嘩にはなったんだけど、結局相手の女がいなくなっちまうのさ。敵わないってわかってね。
 そうこうしているうちに、マリーに一人の常連がついたんだ。まだ若い男だったよ。二十……二、三ってとこかな。金もあまり持ってなさそうだったし、見た目も平凡な男だったんだけど、マリーはやけにその男が気に入ったらしくてね、そりゃあもうかわいがってたんだ。金を取らないどころか、マリーの方から金を渡してやったりしてさあ。たまに私らと一緒にスクランブルで飲んだりもしたねえ。あまり自分の話はしない男だったけどね、シュライクに住んでるとは言ってたよ。
 それよりさ、マリーの変わりようには驚いたね。今まで金は使う一方だったマリーが急に貯金をしだしたんだよ。いったいどうしたのかって聞いたら『結婚するんだ』って言うのさ。誰がウリやってる女と結婚してくれるのさって笑ったんだけど、マリーは本気だったよ。金を貯めて、結婚して相手の男を少しでも支えてやるんだって。
 相手は教えてくれなかったんだけど、ちょっと嫌な客がついた日があってね。その後でスクランブルに飲みにいったらいつもとは別人みたいに飲んでねえ。べろんべろんに酔っ払っちまったんだけど、その時にぽつりと言ったのを聞いたのさ。『タケオと結婚して赤ちゃん産んで、幸せな家庭を作るんだ』ってさ。なんと相手はあの頼りない坊やだったんだよ!」
 黙って話を聞いていた私たちはふいに顔を見合わせた。『シュライク』、『タケオ』と聞いてある人物が頭に浮かんだからだ。
「どうしたんだい?」
「いや、何でもない。続けてくれ」
 ヒューズが促すと、女は何本目かのタバコに火をつけた。
「それからもタケオはよく来たよ。そのたびにマリーははしゃいでねえ。あまりにも喜んで連れ回すもんだからタケオも顔が知れてね、もうここら一帯じゃ『マリーのオトコ』として有名になってたよ。
 まあ、そう思われても仕方はないね。実際、マリーも彼の家に遊びに行ったりしてたし、誰がどう見ても恋人同士としか思えなかったよ。
 そんなころ、ひょっこり現れたのがワン・ヤオでね。普段あいつってば、女は食うんだけど金は払わない男でね、もちろん皆もそれを知ってて遊びで寝るんだけど、中には本気になる女もいて、よく取っ組み合いの喧嘩をしてたのを見たよ。
 数ヶ月ほど姿を現さなかったんだけど、何でもマンハッタンで女を食う生活してたなんて言ってね。馬鹿じゃないのかって言ってやったよ。お前みたいなヤツがあんな都会のお嬢さんたちのお眼鏡に適うもんかってね。まあ、口では言ってやったんだけど、本当に遊んできたらしいね。パープルアイなんて首から下げててさ。あんな高いもん、私らじゃあ一生買えないシロモンだよ。
 それから二、三日かな。マリーがヤツと腕を組んで歩いてるのを見たのは。タケオはどうしたんだろうな、って思ってたら次の日はタケオと一緒に歩いてるのさ。わけわかんなくてね。それが今年の四月ぐらいかな。
 それから、ここいらの女たちとの関係が悪くなったのさ。ワンもいつも遊ぶ相手はマリーだし、その上、タケオとはいちゃついてるわ、なのに相変わらず客はつくわで、そりゃ反感を買っても仕方がない有様だったよ。まあ、女の僻みってやつだね。
 結局仲良くしてた女たちも離れていって、ここ最近じゃ、一緒に酒を飲むのはワンかタケオか私ら二人だけになっちゃったんだよ。マリーは別に気にもしてない風だったけどね。
 その生活が一変したのが先週の火曜日だよ。あの日はマリーは朝からおおはしゃぎだったね。何でもタケオと一緒にアパートを見に行くんだって言って、持ってる服の中で一番上等なヤツを着てシュライクに出かけていったんだよ。
 それがさ、半日もしないうちに帰ってきて、また様子が変なんだ。ぼーっとしてさ、こっちの言うことも聞こえてなくて、思わず叫んだらその場にぱたって倒れちまってねえ。慌てて私とジュディスでヌサカーン先生のとこへ連れていったんだよ。原因は不明で、先生大喜びしてたね。あの先生、変な病気とか原因不明だとか聞くと目の色が変わるだろ? まあ、マリーはすぐに気がついて先生ってば見てておかしいぐらい落ち込んでたけどさ。
 それで、先生の出してくれたお茶を飲みながら話を聞いたらさ、タケオが死んだって言うんだよ。十二時過ぎにシュライクに着いて、タケオのアパートまで行ったら、IRPOの印のついたテープが張り巡らされてて入れなかったんだって。それで近くの人間とっ捕まえて聞いたら、二〇三号室の人が殺されてるのが見つかったって聞いて、慌ててIRPOに向かったんだって。
 どうやらタケオは親なしだったらしくてね、二年前に一緒に住んでたばあさんが死んでから一人だったせいで身元確認ができなくて、IRPOでも困ってたらしいんだよ。そこに飛び込んできたのがマリーってわけさ。
 かわいそうに、マリーはタケオの死体とご面会。タケオに間違いないってことで、簡単に話を聞かれて帰されたんだけどね、それからはもぬけの殻になっちまって、仕事もまったくしなくなっちゃったのさ。
 ……本当にかわいそうに。タケオのこと愛してたんだねえ」
 そこで女が小さく鼻をすすった。
「タケオが死んじまってマリーは落ち込んでたんだけどさ、その間にもワンはちょくちょく来てたんだ。
 たいていは家の前でぶらっとして帰るだけだったんだけどね、昨日の……何時だっけな。――ああ、九時過ぎだ。スクランブルの横の路地ですごい大声で喧嘩をしててね。『この人殺し!』って、そりゃあ、普段からは想像もできないほどの剣幕だったよ。相変わらずワンはへらへらしてたけどさ。
 そのうちワンが振り払うように逃げ出してさ、マリーは追いかけたんだけど、見失ったみたいで、家に帰っていったんだ。
 それがだよ? 今朝たまたまここを通りかかったらワンとマリーが腕を組んで家から出てきたんだよ。そりゃもう驚いたね。
 理由を聞こうとしているうちに路地を曲がってっちまって、追いかけようとも思ったんだけど、まあ、何かあるんだろうなって思って家に帰ったのさ。
 と、まあ。知ってることはとりあえずこんだけだね。ちょっとは参考になったかい?」
「参考になったもなにも!」
 ヒューズが音を立てて椅子から立ち上がった。
「超重要証言だぜ! あんた最高! 惚れちまいそうだ!」
「よしてよ。あんたみたいな鼻のひん曲がった男より、そっちの綺麗な兄ちゃんの方がいいに決まってるだろう?」
 そう言ってリズは私に視線を投げて寄越した。……どうもこの女は少々苦手だ。
「ははっ! まあそんなこと言うなよ。マジでサンキュー!」
 ヒューズが『投げキッス』(と以前ヒューズが言っていた)を飛ばすと、女が思いきり顔をしかめる。
「きったねーモン飛ばすんじゃないよ! だいたいねえ、投げキッスってのはこうやるんだよ!」
 言うなり女は私に向かって、ヒューズと同じ動作をした。
 前言撤回。私はこの女がとてつもなく苦手だ。

NEXT