[The Adventure of the Aimed Man] -11-
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「殺したっていったい……?」
 動揺を隠し切れないワン・ヤオに比べて、その隣りに座ったマリーは驚くほど落ち着いていた。
「まあ、それは今から言うことでわかるさ。先に言っておくが今から言うことは別に証拠があるわけでもない。ただ、捜査してきたことを総合すると、こういう結果にしか当たらなかったって話だ。マリー、あんたが違うっていうんなら否定してくれてもいい。黙秘って手段もある」
 マリーは黙ったままだった。どうやら何も言う気はないらしい。
「……話を始めよう。事の発端はあんたの婚約者だった井波武雄が殺されたことだ。そして、その犯人をあんたは見た。井波武雄のアパートから飛び出してきた木田孝弘の姿だ。
 始め、あんたはそれをワン・ヤオだと思った。だが、表札か何かを見て別人だと思ったんだな。それで手紙を出した。この手紙だ」
 そう言ってヒューズは懐から木田孝弘の日記に挟まっていた手紙を取り出した。例の白い花柄の封筒だ。
「あんたは復讐を誓った。そしてこの手紙を出して木田孝弘をクーロンまでおびき寄せ、ワン・ヤオのアパートで殺害した。コーヒーの中に睡眠薬を入れて眠らせた後、井波武雄がそうされたように喉元を裂き、さらに左薬指を切り落とした。おおかたその間ワン・ヤオがアパートに近付かないように何か約束でも取り付けたんだろう?」
「家に来てくれって言われたんだ」
「夜の九時半前後じゃないか?」
「ああ。九時半にマリーの家に行ったら『用事で少しでかけてるから』ってメモがあってさ。それで待ってたんだよ」
「そしてマリー、あんたはその間に木田孝弘を殺害した。ワン・ヤオだと周りに思わせてな。そして翌朝シップでここまでやってきた。いずれ、ワンも殺すつもりだったんだろう」
「なんだって!?」
 まさか自分も殺される運命にあったとは思わなかったのだろう。ワン・ヤオの顔色がさっと変わった。
「おい、どういうことなんんだよ! 俺が殺されるだって?」
 椅子から立ち上がったワン・ヤオをヒューズがなだめて座らせた。
「死体が埋葬されてある程度ほとぼりが冷めたらワンも殺すつもりだったんだろう? クーロンの下水道は毎年何人もの身元不明死体が上がるし、何よりあそこは汚いから死体の腐敗も早く進む。発見されたところでそれが実は生きていたワン・ヤオだなんて、誰も気付かないだろうな」
「……そこまでわかってんのね。わかった、全部話すわ」
 今まで黙りこくっていたマリーが口を開いた。着ていたドレスの裾を少し直すと、テーブルに置いていたタバコに手を伸ばし火をつける。
「……タケオが殺された日、私は彼と結婚してからの家を探す約束をしていて、十二時過ぎにクーロンに着いたの。そしたら思いつめたような顔の男がタケオの部屋から飛び出してきて、目の前を走っていったのよ。それがワンにそっくりで驚いたの。だって、ワンがタケオのアパートを知ってるなんて思わないじゃない? だから不思議に思って彼の後をつけたのよ。
 でも到着したのはすぐ側のアパートだった。男は私がつけてるのも知らずに部屋へと入っていったわ。だから、とりあえず部屋の番号を覚えてからもう一度タケオのアパートに行ったの。そしたらIRPOが来てて、アパートの周りにも人だかりができていたから、何か事件が起こったんだと思ってたまたま横にいた女の人に聞いたら――」
 マリーの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「そんな、タケオが殺されていたなんて夢にも思わなかったわ。せいぜい、泥棒か何かだと思ってた。……IRPOに行く途中、ずっと考えていたの。何で殺されたのかって。それであの男を思い出したのよ。絶対に彼が殺したんだって思ったわ」
「……どうして、IRPOでその話をしなかったんだ? 調書は取られただろう?」
「……私自身の手で殺してやりたかったのよ。だって、どうせ人一人殺したぐらいじゃあ死刑になんてならないでしょう? それに何よりあの男が許せなかったの。
 それで、もう一度あの男が入っていったアパートに行ったのよ。……ちょうど男がアパートから出てきたところだったから、彼がいなくなってから部屋の中に忍び込んだの。始めは凶器を探すつもりだったのよ。とにかく彼がタケオを殺した証拠が欲しくてね。でも、たまたま机の上に置かれた日記が目に入って、興味本位でのぞいたのよ」
「そこに、木田孝弘が井波武雄を殺したってことが書いてあった」
「そうよ。何度も読み返して、もう本当に許せなくなって……」
「そして殺害計画を思いついた。そうだな?」
 ヒューズの言葉にマリーは頷き返した。
「彼を、この世から完全に消してやりたいって思ったの。殺されたことも誰にも知られずに、燃やされて灰になればいいって。――彼がワンとそっくりだったことが幸いしたわ。彼をワンとして殺せば、クーロンの皆はワンが死んだと思い込んで葬式を挙げる。その後は裏通りの共同墓地に埋められるのもわかってた。あそこは死んだ人間の骨は全部一緒に埋めるから、どれが誰の骨かもわからなくなる。だから最悪この事件が発覚したところで、すでに木田の骨がどれかもわからないから、いくら天下のIPROでも捜査はできないと思ったのよ。
 もちろん、その前にワンも殺して下水道に放り込んでおくつもりだった。どうせ発見されたところで、腐った死体をワンだと気付く人なんていないと思ったから。
 ……よく、あの死体が木田だってわかったわね」
「骨折の跡さ」
「骨折?」
「そうだ。ワン、あんたは今年の二月にひどい骨折をしたらしいな。何でもマンハッタンで喧嘩して折れたとか」
「え? ああ、やったヤツが悪かったんだよ。何か格闘技でもしてるらしくてさ、右腕をへし折られちまった」
「葬式ん時にヌサカーンがそれに気付いてさ。知ってるだろ? 特にあんたはよく世話になってたらしいじゃないか」
 それにワン・ヤオは少しだけ笑って「それはもう」と答えた。――これからもあの分厚いカルテは、さらに厚みを増していくのだろう。
「……やっぱりあの先生も医者ね。そんなことに気付くなんて」
「ほんの偶然だぜ。でも、あの偶然がなかったら俺たちはあんたに辿り着けなかった。――話は変わるが、事件当夜、あんたワンに喧嘩を吹っかけたそうじゃないか。それって偽装だろう。ただ、どうしてそんなことをしたのかがわからないんだ。そんなことをすればあんたに疑いが向くのは当たり前だ。それなのになぜ、人目につくような場所でそんなことをしたんだ?」
「どうせ私はワンとここへ逃げてくるつもりだったから、別にそんなことはどうでもよかったのよ。IRPOの捜査なんて数ヶ月経てばなくなるしね。それよりもワンが殺されるんだってことを周りに印象づけたかったの。……他にもワンは恨みを買ってたから、誰に殺されてもおかしくはないんだけど、やっぱり他の誰かに疑いの目が向くのは悪かったから。他の誰にも迷惑をかけずに復讐を遂げたかったのよ」
 そう言ってマリーは微笑んだ。美しくも苦しみを讃えた、歪んだ笑みだった。



「マリーの自供とあの骨のDNA鑑定、それから木田孝弘の日記。証拠は弱いが、何とかなるだろう」
 すでに凶器も発見された。彼女たちが泊まっていた部屋のベッドから発見されたのだ。そこに残された血痕も今鑑定がされている。きっと火葬された骨のDNAと一致するはずだ。
「それにしてもよく気付いたな。マリーの動機ってやつに」
 数日前に食べ逃したバーガーにかぶりつきながらヒューズがそう言った。
「人間だったら消滅云々なんて思いつかないからな。まさか始めから被害者の消滅を望んで勘違いをさせるなんてなあ」
 人間は死んでも肉体が残る。捜査でもそれが誰なのかを見極め、誰が被害者だ、それなら誰が加害者だということを突き止めていく。それゆえに、犯行が明かされた人間は法によって処罰を受けるわけだが――。
「今回は少しばかり情状酌量もあるだろうな。何せ、婚約者が理不尽な理由で殺されたんだからさ」
 井波武雄は哀れな男だと思う。良かれと思ってやってきたことが裏目に出た上、幸せを妬まれて殺された。彼はまったく罪もない人間だったのだ。殺されていなければ、今頃あのマリーという女と結婚していただろうに。さぞ無念だっただろう。
 しかし、まだ謎は解決していない。
「あ? 薬指?」
 左の薬指をさすと、ヒューズが顔を上げた。そう、その意味がまったくわからない。なぜ、木田孝弘は井波武雄の薬指を切り落としたのだろう。
「それはだな、たぶん――」
 ヒューズは少し考え込んだ。「左薬指が結婚指輪をはめる指だからじゃないのか?」
 結婚指輪? 何だそれは。
「結婚した証として人間は薬指に指輪をつけるんだよ。木田孝弘が井波武雄の薬指を切り落としたのは、『結婚なんかさせるか』ってメッセージだったのかもな」
 なるほど、それはあり得る。まあ、加害者自身が死んでしまった今となっては、その真意は永遠にわからずじまいだが。
「怖いねえ。女の妬みも男の妬みも」
 コーヒーを飲み干したヒューズがそうこぼす。
「さあ。腹もいっぱいになったし、またパトロールにでも出るか」
 席を立ったヒューズに続いて私も席を立った。蜂蜜が一つ余ったので丁寧に巾着の中へしまう。捜査中に腹が減った時の非常食だ。
「あれ? 巾着の柄変わってないか?」
 ああ、これか。これはあの受付嬢から新しくもらったのだ。何でも一つでは汚れた時の代えがないだろう、ということで。
 そんなことをヒューズに教えてやると、ふっとヒューズの顔が変わった。――目が据わっている。
「お前……一度ならず二度までもー!」
 叫ぶなりヒューズは飛びかってきた。とっさのことに避けられず、ショッピングモールのタイルの上へと叩きつけられた。
「お前、お前ー! 俺に対するあてつけか!? そうなのか?」
 揺さぶられるたびに頭が鈍い音を立てて床へと打ちつけられる。……いかん、意識が遠くなってきた。
「何でお前ばっかり、お前ばっかり!! ――っておい!? サイレンス?」
 ヒューズの声が遠くに聞こえる。これは本格的に危ない。だが、消滅するわけではないのだからまたすぐに意識を……。
 『男の妬みも怖いよなあ』。そんな先ほどの言葉を思い出す。まったくだ。特にこの男は……。
「おい、サイレンス! 大丈夫か!? すまん! 俺が悪かった!」
 意識がなくなる直前に見えたのは、半泣き顔のヒューズの顔と、その後ろに見える雲ひとつない、初夏の真っ青な青空だった――。

|| THE END ||
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