[In Those Days]
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「これはね、お前たちが生まれるずっとずっと前のお話」
 老婆は、周りに集まった孫たちを見渡しそう切り出した。集まっている子供たちは年も性別もばらばらだが、皆一様に目を輝かせ、老婆の次の言葉を待っている。
 この年老いた女性の年に何度かの楽しみがこの孫たちとの時間であり、こうして昔の話をすることだった。

 時は遡り、老婆がまだ幼かった頃、このリージョンは大きな変化の波に飲み込まれた。長い歴史の間でひた隠しにされていた闇の世界がリージョンになだれ込み、多くの命が失われ、そして一つの王国が姿を消した。
 その王国こそ彼女の生まれ故郷――マジックキングダムである。
「私はね、父さんと母さんに連れられて、他のリージョンに住んでいたんだ。父さんは商いをしていてね、多くのリージョンを渡り歩き、そこで母さんと出会って結婚した。そしてこのキングダムに戻ってきている時に私が生まれたのさ」
 それから一年も経たないうちに家族はまた他のリージョンへと向かうことになる。そして四年後、初めて自らの足で故郷の土を踏んだその時、故郷はもう瓦礫の王国と化していた。
「キングダムがめちゃくちゃになったって知らせを聞いてね、父さんはすぐに戻ってきた。……だけど、父さんの父さんと母さんはもう死んでしまっていたんだよ。だからせめて、墓守だけはしようと、父さんは仕事を変えて、このリージョンにずっと住み続けることにしたんだ」
 そう言うと、老婆はしわで埋まった小さな目を細くした。まるで、遠い昔を懐かしむような、そんな仕草だ。
 マジックキングダムの崩壊は、この世界にとっても大きなニュースだった。人間のリージョンと言えば、トップに立つのはもちろんトリニティの本部があるマンハッタンだが、その支配下にないリージョンもいくつか存在する。
 例えば、紺碧のリージョン・ネルソン。その昔、トリニティに反する者たちが移住して以来、反トリニティの代名詞として存在している。それから数百年を経た現在でも、和解への道は茨で覆われ、一向に進む気配はない。
 また、ルミナスもその一つである。ぼんやりとした月が照らす宵闇の地は、この世界に存在する術の修行場であり、「何人たりとも侵すべからず」というのが常識としてまかり通っている。それは人間だけでなく、妖魔、モンスター、メカに至るまで通用する常識であり、未だかつてこの地を支配したリージョンはない。
 マジックキングダムもそのようなリージョンだった。この地に生まれた者――厳密に言うと、この地に生まれ、なおかつ資質を持つ者の血を引く者――のみが資質を持つ魔術というもののために、長らくこの地は独立的なリージョンとして扱われてきた。
 だが、それが逆に国の崩壊を招いた。トリニティの目の届かぬところで行われてきた「悪しき風習」の理由が原因となったのは、すでに上で述べた通りである。
 そうして今から八十年前、マジックキングダムという国はこの世から姿を消した。それと同時に、このリージョンはトリニティの「委託統治」という名の下、復興が行われ――そして未だその統治は続いている。
 もちろん、それには理由があった。それこそが、このリージョンを特別たるものにしていた魔術の消滅だ。
 マジックキングダムを襲った闇、地獄というリージョンが崩壊した際、このリージョン自体にも影響が出たらしく、王国崩壊の後、なぜか魔術の資質を持つ者がぱたりと出なくなった。要請を受けたトリニティが調査した結果、魔術の資質をもたらしていた場の力が消滅していることがわかったのは、復興が始まって十年ほど経った頃だったか。
「でもおばあちゃんだって魔術使えるんでしょ」
「ああ、そうだよ。まあ、私くらいの年が最後かね」
「そしたらまだ魔術が消滅したことにはならないんじゃないの?」
 幼い子に続けて少し年上の孫が口を挟むも、老婆はゆるゆると首を振る。
「術には上位術というのがあってね、魔術のそれを使える人はもう生きてないんだよ。もう何年前かね、二十年になるかね」
 そう言って、老婆はまた過去へと思いを馳せた。死んだ最後の術士、「青き術士」と呼ばれたその人へ向かって。
「怖い人だったよ。何かいたずらをするとね、ものすごく怖い目で怒る人だった。よくもまあ、子供相手にそんな物言いをするって今じゃ思うけどね。でもねえ、何だかんだで優しい人だったよ」
 勉強がわからないと言うと、ぶっきらぼうでありながら見せてみろと手を差し出す。その間、また物分りが悪いと機嫌を悪くする男だったが、いつだってそこにはフォローを入れてくれるもう一人の術士の姿があった。
「それが紅き術士って言われていた人だよ。『運命(さだめ)の双子』と言えば、お前たちも知ってるかねえ」
 このリージョンが新たな一歩を踏み出した時、前世代の象徴として人々の口に伝えられるようになったのが「運命の双子」だった。そんな二人を初めはこのリージョンを救った英雄として祭り上げようという動きもあったが、結局それは叶うこともなく、二人は森の奥に小さな家をもらい、生涯そこで暮らし続け、表舞台に出てくることはほとんどなかった。
 そんな双子と交流がある。それがこの老婆の生涯の自慢だ。
「初めて会ったのはここで暮らし始めて初めての冬だった。まだどこもかしこも瓦礫だらけでねえ。でもそんな中誰が言ったんだろうね、今までやってきた新年の祭りを今年もやろうって言った人がいたんだよ。花火がたくさん上がって綺麗でねえ。今でもその時のことははっきりと覚えてるよ。花火が上がるたびにみんながわーっと騒いでね、新年を迎えたら歌って踊って……そんな中、あの人たちに出会ったんだ」
 人の輪から外れた場所で、ぼんやりと祭りを見ていた二人を輪の中に引き込んだのはこの老婆だった。ふと顔を見て、優しそうな方の手を引っ張った、その時の感触も今だ覚えている。
「その数日後かね、町の中でばったり会ってね。そういうことが何度かあって、気がついたら仲良くなってたのさ」
 その時、先に声をかけてきたのは紅き術士だった。
「こんにちは。この間はありがとう」
 初めて聞いた青年の声はとても穏やかでまるで春の陽だまりのようだった、とまるで昨日のことのようにその時のことを思い出す。
「あの人はいつもそうなんだよ。物腰が柔らかくて、誰にでも親切で。そういや、怒ったところを見たことがなかったねえ」
 五十年以上に及ぶ記憶のどこでも彼は笑っていて、目を吊り上げているのは決まって青き術士だった。だが、そんな彼も驚くほど優しい目をすることがあった。それが紅き術士と話している時だ。まるで人が変わったかのように、時には笑みをこぼすこともあった。
「あの人たちはいつも一緒だった。もうねえ、離れるのが嫌だって、二人を見ただけでそう思っているのがわかるんだよ。それくらい本当に仲がよくってね。喧嘩したこともあるって言うけど、そんなのちっとも信じられないくらい、そりゃもう、こっちが妬いちゃうくらい仲がよかったんだよ」
 いつしか彼女の顔には笑みが浮かび、ただ昔の思い出を口から紡ぐ。瞳はきらきらと輝き、頬は紅潮し、そのひと時、まるで老婆は少女に戻ったかのような顔になる。皆で森の中を探索したこと、町に買い物に出かけたこと、世界を旅した二人の話を、胸を高鳴らせながら聞いたこと。その全てが鮮やかな色を伴って、老婆の脳裏に蘇ってきた。ずっと時は進んで、彼女が結婚した時のこと、子供ができた時に名前をつけてくれと駆け込んだのも彼らのところだった。
「そうそう、あの時は珍しくもめたんだねえ。どっちが名づけ親になるって」
 両者ちっとも譲らぬのを見て、周りの人間が「二人で一緒に」と妥協案を出したものの、そこからがまた長かった。あれがいい、これがいいと昼夜を問わず二人で頭をつき合わせ、名前が決まったのは子供が生まれる直前だったか。
 それを子供が生まれるたびに繰り返したが、やがてその子供たちも大きく成長し、今老婆を取り囲む子供たちの親となっている。
「じゃあ、ママの名前もその人たちがつけたの」
「そう、お前のママも、お前のママも、それからお前のパパも。みんな、あの人たちがつけてくれたんだよ」
 孫たちを一人一人指差しながらそう言うと、子供たちはわあと小さな歓声を上げた。
「いいな。私、その人たちとお話したい」
「無理だよう。もう死んでるんでしょ」
「でもお」
 一度口を開きだすととたんに場は賑やかになる。もちろん、これをなだめるのは老婆の役目。
「直接お話はできないけどね、お前たちのお話をちゃあんと二人は聞いてくれるんだよ」
 まるで決めていたかのように相次いで息を引き取った二人は、今一生を過ごした小屋の庭に、二人仲良く眠っているという。立派な記念碑が町の中心に建てられはしたが、そこに納まっているのは二人の髪の毛のみで、骨が埋まっているのはその小さな庭だ。
 何よりそれは、生前から二人が強く望んでいたこと。住み慣れた家で眠りたいと言い続け、皆がその意思を尊重した。
「そこに行ったら二人に会えるんだよ」
 だから、明日行ってたくさんお話ししようね。そう老婆が口にしたところで今日はお開きとなった。子供たちの親がこぞって寝ろと声をかけてきたのだ。
「おばあちゃん、約束だよ」
 まだ小さな孫の差し出した指に同じように指を絡め、老婆は頷く。
「そうね。みんなで行こうね」
 その言葉を老婆の口から聞いて子供はようやく安心したようで、「おやすみなさい」と声をかけるとぱたぱたと部屋を出て行った。
 先ほどの騒がしさと打って変わってしんと静まりかえった部屋の中、老婆もまた眠りにつこうとベッドへ移る。まずは枕元のランプの明かりを小さくし、亡くなった夫の写真に声をかける。それからその隣に置いた写真に視線を移し、
「おやすみなさい。明日もまた、私たちをお守りくださいね」
 そう祈りの言葉を向けられた写真には、金と銀の髪をした双子と、まだ幼い少女たちが幸せそうに微笑んでいた。

|| THE END ||
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