[the Supernova]
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 今から思えば、その兆候は対決を終えた直後からあったのかもしれない。ブルーはふと、そんなことを厚い革表紙の中のページをめくりながら考えた。
 中身はたわいのない日記――いや、日記というにはおこがましいほど日付が途切れ途切れのものだが、それでもこの文字の羅列は『彼』が生きてきた何よりも確かな証拠だ。思うことがある時にこれを開き、ただ手の動くままに書き記したのだろう。上手でも下手でもない平凡な筆跡を見て、自分とは違うもう一人の『自分』の人生を知るのはあまりにも不可思議なことだが、今のブルーの状況を考えるとそれもまた彼の人生に組み込まれた必然ではなかったのかと思われてくる。
「どうにか言ったらどうだ」
 そう呟かれた一言は、受け取る者もなく空中へと消えた。
「お前はこの日記が見たかった。だから俺をここへと導いたんだろう」
 徐々に問い詰めるような口調になってきたにも関わらず答えはない。今や『彼』は、ブルーの中でまるで眠りについているかのように押し黙ったまま、ちらりとも姿を見せようとはしない。
 相手が反応しない以上、どうすることもできない。そもそもブルー自身は、どうやってここへ来たかすらはっきりと覚えていないのだから。ただ、あの時の妙な焦燥感だけは覚えている。「何があってもここにたどり着かなければいけない」と自分に言い聞かせながら森の中を走り、あちこちで獲物を探すかのように目を光らせているモンスターから身を隠し、やがてその奥に現われた、見慣れた建物へと飛び込んだ。長い廊下を全速力で走り、階段を何段昇っただろうか。たどり着いた目の前の扉を見た瞬間、ふいに涙腺の弛む感触がした。
 必死に追いかけてきた仲間の呼ぶ声にも答えず、そのまま部屋の中に潜り込むとそのまま鍵をかける。その部屋自体には見覚えがあったが、それがブルーが学院にいた時に使っていた部屋と同じ作りの部屋であることに気付いたのは、ベッドの下から魔術書のように分厚い本を取り出し、ブルーとしての意識がはっきりと戻ってきてからだった。
 部屋の中を見渡すと、それが自分の使っていた部屋でないことは一目瞭然だった。壁に見覚えのない穴を見つけたのを始めとして、次から次へと自分の部屋とは違うものが見つかっていく。ベッドの色あせも、机に残った傷も、床の張り替えられた場所も何もかもが違う部屋。だが、ブルーには思い当たることがあった。なぜ自分がわき目もふらず、一直線にこの部屋を目指してしまったのかを考えればすぐにそこに辿りつく。
「お前が使っていた部屋。そうだろう、ルージュ?」
 だがそれに対する『彼』からの答えはなかった。元よりこちらも返答を期待していたわけではない。さっさと椅子を引っ張り出し、手に持った革表紙を開き、最初に目に飛び込んできた字を追う。
 日記は学院の大学部を卒業した二十歳の春から始まっていた。大学院に進学できた喜びが素直に綴られていて、果たして自分はこんな気持ちを持っていただろうか、と考えながらも読み進めていく。いささか思考が幼いといえば幼いのだが、それだけ素直に自身の思いが出るのだろうか。時には楽観的に、時には真剣に綴られる日記を一ページ、また一ページと読み進めていくうちに、体の中に潜んでいた何かがくすぶり始めているのを感じた。
 『彼』は、自分とはこんなにも違う人生を歩んできたのかということが、たった二年間綴られた日記でもわかってくる。全てを己の意のままに操れるよう教育されてきた自分とは正反対に人を信じ、人の輪の中に溶け込んでいけるように教育されてきた『彼』。しかし、そこでふとブルーは馬鹿馬鹿しくなって読むのを止めた。まるでそれぞれの教育方針が今の自分たちを作り上げてきたような、そんな気になったからだ。
 ブルーは別に、自分を不幸だと思ったことはない。常に優秀だと言われ、他の生徒たちの見本として名を挙げられることは彼にとっては非常に名誉なことだった。誰よりも抜きん出て才能のある自分の生活は幸福そのものだった。外遊に出て、ルージュとの対決に勝った瞬間も、自分の人生は順風満帆だと思われた。それがなぜ、今になってこうも思い悩む必要があるのか。
「それも全てお前のせいだ」
 今度は低く呟かれた言葉一つで、ブルーは全ての責任をルージュに押し付けることにした。勝つために戦ったというのに、負けてその命を落とすことになれば誰だって今の状況を望んでいたものではないと考えるのは至極当然のことだろう。
 自分の中に生じた迷いは、ブルー自身が感じているものではなく、その中に生き続けるルージュの意志がそうさせるのだと。そう考えた瞬間ふと気持ちが軽くなり、ブルーはまた文字を追うことに専念する。
 やがて、日記はある日をもってぷつりと途絶えた。それは忘れもしない、修士終了式の日――ブルーに双子の弟ルージュがいると聞かされた日だ。その日の日記を書いたのは終了式が終わった直後のようだった。その時の動揺を表すかのように、いつもに比べて文字が震えている。
『僕は今から、世界にたった一人の血の繋がった兄弟を殺しに行かなければいけない。その兄を殺し、全ての資質を譲り受けなければ僕は一人前の術士にはなれない』
 終了式の日、自分はどう感じただろうか。そう遠くない記憶の糸を手繰り寄せると、すぐにそれは見つかった。そして、思い出すと同時にブルーの口から小さなため息のような笑いが漏れる。
『なぜ兄弟で殺しあわなければいけないのだろう。どうして殺さなければ一人前にはなれないのだろう。僕は、その答えを探すために旅に出ようと思う』
 ルージュの記した一言がそうさせた。すでに何から何まで違う相手だというのはこの日記を読むことで理解したつもりだったが、まさかここまで違うとは。
「俺はお前を殺したくて殺したくてたまらなかった」
 ルージュに直接語りかけるようにブルーは言葉を紡ぐ。
「お前さえいなければ、俺はあの日をもって完全な術士となれるはずだった。ところがどうだ。双子の片割れを殺さないと一人前とは認めないときた。他の奴らはさっさと一人前として認められていく中、俺だけが――学院内で一番優秀だと、学院始まって以来の天才だと謳われたこの俺が術士だと認められない。その時の俺の惨めさが、悔しさがお前にわかるか? 今まであざ笑っていた奴らに指をさされて笑われる屈辱がわかるのか?」
 まるで今までたまっていたものを吐き出すかのようなブルーの声は最後には悲鳴に近かった。それが聞こえたのか、扉の外から呼びかける声があったが、それもすぐに止んだ。仲間のうちの誰かが止めたのだろう。
「双子がいることはずいぶん前に聞いていた。だが、それがこの俺が術士となるための障害になるなんて誰がわかる。俺が聞かされていたのは双子だから魔力が強い、双子とは選ばれた存在なのだから、それを誇りに思えとそれだけだった。それなのに……」
 ブルーの声はいつしか涙声になっていた。あの日感じた悔しさを思い出し、目からこぼれた涙がぽつっと音を立てて紙に染み込んでいく。式が終わった直後は急に知らされた真実と己のこれからの道を覆う暗闇に怒りが湧いた。それが今度は悔し涙として外へと流れていく。
 悔しくてたまらなかった。双子ゆえに一人前とは認められないと聞かされて、今まで自分の積み上げてきたものが足元から崩れていくような絶望を味わった。それを怒りと恨みに換え、まだ見ぬ双子の兄弟を殺すためだけに旅を続けてきた。ようやくその気持ちが晴れたのはルージュを殺したその時だったというのに、今またこうして彼の綴った日記を目にすることによって、自分の足元がぐらついているのが手に取るようにわかる。それがまた悔しかった。こんな言葉一つで取り戻したものを再び失ってしまうかもしれないということが悔しかった。それと同時に再びルージュに対する怒りが湧いてくる。
「お前は俺が何かしようとするたびに邪魔をする! お前さえ、お前さえいなければ俺はこんな目に合わずに済んだのに!」
 それは今にも崩れようとしている足場で、必死に足を踏ん張り叫んだ一言だった。何が足元を崩そうと働いているのかはわからない。しかし、ここで踏ん張らなければ間違いなく自分はあの日感じた絶望にまた押し潰されるという恐怖があった。そうだというのに、それを邪魔するものがあった。ふと気が遠くなるような感覚は、ルージュを殺して以来、たびたびブルーを悩ませるものだった。仲間が言うには意味不明ともとれる言葉を言う時があるが、決してルージュの人格だとは言い切れないという。ブルー自身も頭のどこかでルージュだろうとは思っていたが、彼の人格がはっきりと表に出てくることはほとんどない。ちょうど一人の人間を内包しているように、ブルーという人格の一部にルージュという人格が僅かな住処を得ている状態で融合後の彼らは出来上がっていた。しかし、普段ははっきりとしているブルーとルージュの境界線がぼやけてくる時がある。そうなった時、自分がブルーなのかルージュなのかわからなくなるという。そしてその中でもごく稀に、時間としてはごく短いものだが、ルージュの人格がブルーの肉体を支配する時間がある。
 今がその時なのだと頭の端で考えながらも、手が勝手にペン立ての中からペンを一本取り出す。左手でページをめくり、現われた真っ白なページに手が勝手に字を連ねていく。だが、ブルーの意識が失われることはない。ただ体が言うことを聞かないまま、机にペンを置いたところではっと我に返った。
「何だったんだ、今のは……」
 融合してからたいていのことは珍しくもなくなったが、それでも今のことは奇妙としか言いようがなかった。ブルーでもルージュでもない時、もしくはルージュである時にはブルーの記憶はない。いや、初めの頃ははっきりとあったのだが、時間が経つにつれて記憶がないようになってきた。それがどうして、と考えたその時、そういえばここに来た時もそうだったと思い出す。意識ははっきりとしているのに体は別の意志を持っているように動く。それはマジックキングダムに戻ってきてから初めて起こったことだ。
「このリージョンに何かあるのか、それともルージュの力が強くなっているのか」
 口に出して考えをまとめようと思ったが、ふと落とした視線に先ほど自分の手が勝手に書いた字が入ってきた。この字は自分のものではない。ならばやはりルージュが体を乗っ取ったのだ。だが意識が乗っ取られることなく体だけが乗っ取られるということは、考えていたこととは反対に、ルージュの力は弱まっているのだろうか。ならばいずれルージュという人格は完全に消えてしまうのか。そう思って初めて、ブルーは味わったことのないような恐怖を感じた。それはぞくりと背中を駆け抜け瞬く間に消え去ったが、頭には未だその恐怖が残っている。それを振り払う何かを必死に考え、目の前の文章を必死に目で追った。急にそうしてみても頭が追いつかず、しばらくはただ文字に目を走らせるだけだったが、やがて恐怖が薄らいでいくのと同時に、文字が意味を成した文章としてブルーの頭の中に飛び込んできた。
「なに、『二人で見たかった』?」
 中途半端に理解した文章をもう一度最初から読み直す。『これをできることなら一人でなく、二人で見たかった』とある。ブルーはふとその意味を探して日記から目を離した。見たかったも何も、今こうして二人で見ていることにはならないのか。何をどうして、一人ではなく二人でと言うのかということを突き詰めた果てにある一つの意味にたどり着く。
「いかにもお前が考えそうなことだな」
 彼のような育ち方をしたのならば、そう考えるのにも無理はないような気はする。――もちろん、それはブルーにとっては今の今まで考えつかなかったものではあるが。
 そうすればおのずと日記の最後の一文と繋がりがあることにも気付く。ルージュがあの日、何を決意して日記を書いたのか。それがたった今書かれた文章に答えとなって現われていた。
 ブルーを再び言いようのない恐怖が襲う。自分が何をこんなに恐れているのかすらわからない。だが、何かが引っかかる。それも先ほど味わったもの以上に、大きなものが。ルージュの書いた文章のせいなのか、それとも他に要因があるのか。それを見極めようとした時、ノックの音と共にブルーへと呼びかける声がした。はっと窓の外を見れば、まだ昼間ではあるが、ここに来た時よりは明らかに日が傾いてきている。
「何か手がかりでもあったのか?」
 外から呼びかけてくる声を適当に流すと、慌てて日記を閉じる。なぜか、これは誰にも見せたくないような気になった。きっとこの恐怖の正体も、なぜキングダムがこうなったのか、自分とルージュの秘密をなぜ教えてくれなかったのかを問い詰めていくうちにわかるだろう。そう思い直すと恐怖はいくらか薄らいだ。しかしまだ残っているものがある。対決の直後から彼の中でくすぶり続け、ルージュが書いた日記を読むことでその広がりを大きくした何かは消えるどころか、さらに膨張をし続けているようにも思える。
 しかし、それにばかり構ってもいられない。そうだ、それもいずれは――とようやく立ち上がり、扉へと近づく。そしてそこでふとブルーは振り返った。もう二度と訪れることはないであろう部屋に別れを告げるようにぐるりと見渡し、最後に机へと視線を向ける。午後の柔らかな日差しだけを見れば、外にモンスターがうろついているとはとうてい思えない。そんな恒久の平和すら思わせるような日差しの中、茶色い皮表紙がぼんやりと鈍い光を打ち返していた。
 今度はブルー自身の意志で再び机へと歩み寄り、その革表紙へと手を伸ばす。
「暇つぶしにはなるだろうからな」
 まるで言い訳でもするかのようにそう呟いて、ブルーはそれを懐へと忍ばせた。

 外で待ちくたびれていた仲間に声をかけ、ブルーは建物をさっさと後にした。外から改めて見ると、なるほどルージュのいた部屋だけでなく、この建物そのものがブルーのいた学院とそっくりなことにようやく気付く。ただ違うのは掲げられているエンブレムだろうか。ブルーのいた学院が銀と青であったのに対し、ここに掲げられているのは金と赤だ。
「何から何までそっくりでその実違う、か」
 双子とはそのようなものなのだとふと思ったが、それもすでに手遅れなことだと自嘲する。今は抱いている疑問を晴らすことの方が先だと言わんばかりに進み続け、しかし、まるで一歩進むごとに栄養を得ているかのように胸に広がり続けるものも大きくなっていく。
 やがて、彼の求めていたものはあっけないほど簡単に与えられた。ルージュと融合したあの時感じた一体感の正体も、今さっき出てきた部屋で見た新生児たちを見て瞬時に理解した。人為的に双子にされ、相手を殺すことでしか一人には戻れなかった。それは、ブルーのしてきた行いが正しいことを語りかけていたが、それで気持ちが晴れることなどあるはずがない。
 ルージュの日記を忍ばせた辺りがちりちりと痛んだ。
「結局、俺には封印を復活させる道しか残されていないというわけだ」
 胸の痛みを鎮めるように手をあてそう吐き捨てた。どうせ決められた道を突き進んできたのなら、その道がなくなるまで突き進んでやればいい。突き進んだ先に自分の行く先を阻むものがあるのなら――そうだな、今度は骨身が砕けるまでぶつかってやるのもいい、と思いまた一歩を踏み出す。
 彼についてきた仲間はよほど変わり者ばかりらしい。ブルーに最後までついていくと言う。馬鹿な奴らだ、と思うと同時に、ルージュにもこういう仲間がいたのだろうかと考えたが、元々自分たちは一人だったのだから、今こうしているのはルージュも同じだと自分に言い聞かせる。
 地獄の入り口だとおぼしき場所にたどり着いたその時、皆がブルーを待ち焦がれたかのような目で見つめてきた。誰も彼も完全な術士となったブルーを称え、彼の帰還を心より喜んだ。だが、それにブルーは吐き気を抑えられない。むしろ殺意すら覚える。
 だいたい皆勝手に過ぎるのだ。誰一人として、ブルーをブルーとして気にかける者などいない。ただ封印を復活させることのできる術士が必要なだけなのだ。それがたまたまブルーであっただけで、彼でなくとも、ルージュでも、そうですらない他の術士でも、封印を復活させられる者なら誰でもよかったのだ。こんな時になってそんなことに気付いてしまい、もはや虫の息の術士をにらみつけたが、一瞬の後、ブルーのその瞳は大きく見開かれることとなる。
「お前たちは本当の……」
 その言葉を理解したとたん、胸の中で広がっていたものがひときわ大きく膨らみはじけたような気がした。一体何だったのか正体は分からずじまいだったが、確かに今ブルーの中で何かが膨らみ爆発した。
 対決を終えたその直後から彼の中で膨らみ続けていた、得体の知れない何かが。

|| THE END ||
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