[今年も君と]
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 外に出た瞬間、ほっぺたがちりっと痛んだ。今日は寒い。空だってどんよりと曇って、今にも白い雪がちらほらと落ちてきそうな気がして僕は家路を急いだ。賑やかな噴水広場を抜けて、教会の脇を通って、森を少し入ったところで家の明かりが見えてほっと息をつく。僕たちの家はもう目の前だ。
「ただいま」
 ちゃんと聞こえるように声をかけたつもりだったけど、ブルーは振り返りもしなかった。別に怒ってるわけでもなく、それが彼の普通であることは知ってるけど、やっぱりちょっと寂しいな。
「ねえ、噴水広場でお祭りをやるみたいだよ」
 隣に座り込んでそう言うと「ふうん」と興味のなさそうな答えが戻ってくる。
「ねえねえ、一緒に行って――」
「この寒い中か?」
 遮るように顔をしかめてブルーが言う。そんな顔しなくっても。そりゃ、ブルーの言うとおり、今日はいつにも増して寒いけど。
「祭りなんて毎年やってるだろう。別に珍しくも何ともない」
 普段は静かなキングダムが一年で一番賑やかな時。それが一年の終わりと次の年の始まりを繋ぐ夜だ。この夜だけは学院でも外出が許されて、皆お祭りを見に行ったりしていた。もちろん、家族のいる子は数日前から外泊許可が出て自分の家で家族と過ごす。お祭りを見に行ったら、そんな子とばったり、というのも少なくなかった。だけど、特別羨ましかったわけじゃない。僕のように家族のいない子も皆で出かけて、一緒に新年を祝うんだから。――本音を言えば、まったく羨ましくなかったってわけでもない。でも今年は違う。僕にだってちゃんとした家族がいるんだから。
「……そんなに行きたいんだったら一人で行け。俺は家にいる」
「そんな……」
「人の多い場所は好かん」
 それだけ言うとブルーはまた手元の本へと視線を落とす。完全に行く気はないみたいだ。
「でもね、せっかく復興後初めての年越し祭りなんだから、ね?」
 少ししつこいかな、と思いながらも言葉を続けると、ふいにブルーが顔を上げた。うっすらと笑っているところを見ると、もしかして一緒に行く気になってくれたのかもしれない、と僅かに希望が湧いてくる。
 だけど、現実はそう簡単にはいかなかった。
「悪しきキングダムの風習が残っていたというわけだ。――残念だったな。もっと別のことだったら興味本位でのぞきに行ったかもしれんのに」



 結局、僕は一人でここにいる。噴水広場のあちこちでろうそくの明かりが揺れる中、たった一人で。今年は友達もいない。本当に一人だけだ。出ていた夜店であったかいココアをもらって、まだ残っている瓦礫のレンガの上に座り込む。一口飲むと、ココアがおなかまでじんわりと染みて、わけもなく泣きたくなった。
 去年までは同じように寮に残っていた友達と一緒に出かけて、たまに家族と一緒に過ごす子と出くわして――そんな当たり前だった光景がものすごく遠い日のことのように思える。でも確かに一年前はそうしていたんだ。ちょうど卒業の年だったから、来年からはこうすることもできないねって話もした。でも誰かが「だったら来年も皆で集まったらいい」って言ったんだ。来年も皆で集まって、新年のお祝いをしようって。まさかそれから半年もしないうちにキングダムが閉じ込めていた地獄の魔物に滅ぼされてしまうなんて、誰が考えただろう。遊学に出てからまったく連絡を取ってなかったせいで、皆が今どこにいるのかはまったくわからない。それどころか、生きているのか死んでしまったのかすらわからない。
 そういえば、目の前を通り過ぎる人たちもあまり記憶にない。去年まではよく行く雑貨屋のおばさんとか、友達とか、たまに学院の先生とか、知ってる人たちにたくさん会えた。でも今年は知らない人だらけだ。もちろん、それも来年になればまた違ってくるんだろう。だけど今年はまだ『知らない』人だ。
 やっぱり家に帰ろうかな。家に帰ってブルーと二人で静かに過ごした方がずっといいかもしれない。そう思って立ち上がろうとした時、大きな音と共に広場にいた人がざわめくのが聞こえた。見上げた空に、パチパチと音を立てながら火の粉が消えていく。花火だ。新年に変わる十分前に一発、その後一分刻みに一発ずつ、あと一分、というところで十秒おきに一発、最後は一秒ずつ花火が上がって新年になった瞬間に、いっせいにたくさんの花火が上がる。どうやら今年もそうみたいだ。そろそろ一分経つだろうか、と思ったとたんにまた大きな音が響く。
 帰ろうと思っていたのに、どうしてもその花火が見たくて僕はもう一度座り込んだ。花火は変わらない。今まで僕が見てきたのと同じように、年の終わりを今年も教えてくれる。何もかもが変わってしまったキングダムで、これだけは変わらない。いや、もしかしたら変わっていたのかもしれない。でもきっと誰かが「今年も祭りをやろう」と言ってくれたんだ。そう考えただけで、その誰とも知らない人に心の底から感謝したくなった。
 見ている間にも花火はどんどん上がって、あと五分で今年も終わるところでふとブルーの顔が浮かんだ。きっと、今もソファにもたれかかって本を読んでいるんだろう。ただ日付が変わるだけなのに大げさだ、と言っていたあの顔も浮かぶ。それでも僕は、君と一緒に新年のお祝いをしたかったんだ、って言ってもきっと流されるだけなのかな。でも、もうちゃんと決めてる。年が明けたら、最初に言葉を交わすのはブルーにするんだって。年が明けたら慌てて帰って、それまでは誰とも口をきかずに、真っ先にブルーに「おめでとう」って言うんだ。
 七発目の花火が上がる。あと三分。あと三分で新しい年が来る。考えてみれば、本当に今年は色んなことがあった年だった。学院の修士課程を終えて、終了式で突然双子の兄を殺せと言われて。わけがわからないまま外に放り出されて、そこでたくさんの人と会った。皆色んな理由で旅をしていて、それに付き合っているうちにどんどん時間が過ぎて、気がつけば自分で道を決めないといけないところまで来て。
 ブルーが言うように僕は甘い人間なのかもしれない。僕が負けた原因はそこにあるんだとブルーは言う。だけどね、初めて会ったあの時に、君に死んで欲しくないって思ったから、僕の分まで生きて欲しいって思ったから僕は負けたんだよ。結局、それは君に最悪の現実を押し付けることになってしまったけど。
 崩壊した町も、少しずつだけど復旧している。この数ヶ月の間にどんどん人が集まって、今までと比べると小さいけれどこうしてお祭りもできるようになった。そうやって今年が終わって来年が来て。それを僕は、僕たちは生きて迎えることができるんだね。
 今年最後の一分間を告げる花火が空に咲いた。ねえ、ブルー。今年が終わるよ。ああ、今のうちに言っておこう。色々とあった一年だったけど、僕は本当に幸せだったよ。仲間がたくさんできて、そしてそれ以上に君と一緒に暮らすようになって。失ったものも多かったけど、その分得たものも多い。だから――。
 ふいに隣に人の気配がして振り向くと、なぜかそこにブルーがいた。……僕は幻覚まで見るようになったんだろうか。
「おい」
 そう言ってブルーの幻影はあごで空を指した。ドン、と音がしてさっきと同じように花火があがる。そろそろテン・カウントじゃないのかな。
「こうやって見るのもいいもんだな」
 落ちる火の粉の音と共に、そんな言葉が早口で答えた。それに空を見上げたまま頷く。頷きながら、ああやっぱりこれは僕の見ている幻覚なんだって思った。だって、ブルーがいきなりこんな場所に来て、こんなことを言うはずがないもの。だけど、もういいや。幻覚でも何でも、こうやってブルーと一緒に年の替わる瞬間を過ごせるのなら。
 一秒ごとに上がる花火と共に広場にいる皆が声を上げる。あと三秒。あと二秒。あと一秒。
 次の瞬間、空がぱっと明るくなった。それと共に広場からどっと歓声がわく。目に映る全ての人が笑って肩を抱き合う。ああ、年が明けたよ。僕らの新しい一年が始まったよ。さあ、本物のブルーにおめでとうって言いに帰らないと。
 立とうとして視線を落としたその瞬間、ふっと目の前が暗くなった。続いて唇に暖かな感触。一度離れて、次はもっと強く。それが離れた時にそっと目を開いて、ようやく僕は隣にいたブルーが幻覚なんかじゃないことに気付いた。だって僕の前にあったブルーの顔は、いつものようにキスした後のどこか照れくさいような顔だったから。そのとたん、なぜかすごく恥ずかしくなってきて大きめのマフラーの中に顔を埋め込む。ほっぺたがかっかして、きっと周りから見たら、この暗がりでも僕の顔が真っ赤になっているのがわかってしまうんだろう。でも、この寒さでもしばらくは収まりそうにない。
 ちらりと横を見ると、ブルーも同じようにマフラーに顔を埋めていた。一見、平然とした顔をしているけど、よく見たら耳が真っ赤だ。でもそれを指摘したら、今度は怒りで顔を真っ赤にすることはわかってるから、絶対に言わない。代わりに少し腰を浮かせてぴったりとくっつくように座り直すと、無言で腕を回してきた。だから僕も同じようにブルーの腰に腕を回す。
 目の前では新年を祝う歌が賑やかに響いていた。それに合わせて、広場中の人が踊る。皆、すごく幸せそうだね。僕も今、とっても幸せだよ。
 ぱたぱたと音を立てて、小さな女の子がやってきた。しきりにぐいぐいと僕の腕を引っ張って、どうやら踊りに誘ってくれているみたいだ。せっかくのお誘いを断っちゃ悪いかな。でもどうしよう、とブルーを見たら驚いたような表情で女の子を見ていた。
 結局、僕は小さな手にエスコートされて祭りの輪へと向かった。もちろん、右手ではしっかりとブルーの手を握っている。後ろを振り返ると、少しふて腐れながらもやっぱりブルーはついてきていた。きっと一緒に暮らしだした頃は振り払われた手もそのままで。
 輪に近づくと女の子は来た時と同じように走り去ってしまった。その先で若い女の人が少し申し訳なさそうに頭を下げた。きっとあの子の母親なんだろう。
 視線を戻してブルーに笑いかけると、彼はほっとため息をついた。もしかして、少し怒ってるのかな。不安になって顔を覗き込もうとしたら、急にブルーがポケットに突っ込んでいた手を出して、さっきまで女の子が握っていた僕の手を握ってきた。
「今日だけだからな」
 そう前置きをして、ブルーはステップを踏んだ。それに僕も合わせて踊り出す。周りの人と軽く肩を当てながら、それでも皆、何も言わずに手を取り合って曲に合わせて踊る。くるくる回りながら輪の中へ。一緒に踊っているとふいにブルーの口が動いた。でも、すぐそばにいる楽団の音にかき消されて聞こえない。
「なに?」
 声を張り上げて聞き返すと、ブルーは少し考え込むような顔をした後、大きく口を開いた。
「今年もよろしく頼むぞ!」
 今度ははっきりと聞こえたその声に僕は頷き返した。
「僕こそ、よろしくね!」
 ブルーに負けないくらい大きな声を張り上げたら、ふっとブルーが笑った。今年初めてのブルーの笑顔だ。それがすごく嬉しくて僕も笑う。するとまたブルーが口を開いた。何かを呟いてまた口を閉じる。もちろん、声が小さすぎてこっちには聞こえない。でもね、今度は何て言ったのか何となくわかるよ。
 だから僕も、ブルーと同じように聞こえないくらい小さな声で言った。

 今年が、幸せな一年でありますように、って。

|| THE END ||
Total:4,626文字  あとがき