[Your Mistake]
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 ねえ、僕は。
 君より不器用だし。君より泣き虫だし。
 君ほど利口でもなければ、君ほど強くもない。

 だけど――。


 今日も一つ失敗した。他人から見ればきっとすごく些細な失敗なんだろうけど、あいにく僕の同居人である実の兄は、そんなことですら機嫌を悪くしてしまうような人で、今日もまた機嫌を損ねるついでにキツイ一言を僕にくれた。
――「お前と暮らそうと思ったのがそもそも間違いだった」。
 ほとんど人のいなくなってしまったこの国に帰ってきて、二人で住み始めて数ヶ月。いかにも堪忍袋の緒が切れたような、冷たい一言だった。
 きっと彼は彼なりに我慢してきたんだろう。それでも慣れない環境の中での生活で互いにストレスがたまってきていたのは確かだった。現にここ数週間、僕たちはどちらかと言えば喧嘩をしている時間の方が多かったような気がする。たぶん、今まで生きてきた中でこんなに喧嘩をしたのは初めてなんじゃないのかな。
「でも、わかってもらいたかったんだもん……」
 こう言うと恨みがましく聞こえてしまうんだろうか。うん、きっとブルーは嫌な顔をするはず。
 相手を理解しようとしてるのに、自分を理解してもらおうとしているのに。やっぱりそこでの衝突は避けられないものなのかな――。
「ねえ、そう思わない?」
 ごつごつとした木の肌にそっと寄りかかる。
 ここは僕がよく来ていた場所。今は跡形もないけれど、この少し先に僕の育った学院があった。
 学院の敷地内なんだけど、普段はあまり人も訪れない森の端の方にひっそりと立っていた大木は、僕が友達と喧嘩して逃げ出した時にたまたま見つけて、それからは僕の大事な場所になった。辛いことや悲しいことがあると、いつもここに来て一人で泣いた。
 僕よりもうんと長い時間を生きてきたこの木に触れるとなぜか気持ちが落ち着いて、泣きたいことがあったら必ずといっていいほどここに来て好きなだけ泣いて、落ち着くと何もなかったかのように寮へと帰ったっけ。
 何て言うんだろう。こんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど――本の中で読んだ『お父さん』っていうのに近い存在だと思ってきた。黙って話を聞いてくれて、すっきりしたら「よし、いってこい。またがんばってこい」って背中を押してくれる。そんな風にいつしか思うようになっていた。
「数ヶ月前にお別れしたばかりなのにね」
 照れてそう呟くと返事が返ってきそうな気がした。――ダメだね、僕は。何かあると、すぐに頼れる存在を探してしまう。
 ブルーは、そんな僕のことを甘ったれだと言った。確か、三日目の晩だったかな。些細なことで喧嘩になって、極めつけに言われた言葉がそれだった。
 『お前のように甘ったれて育った人間を見るとイライラする』だったっけ。あの時はあまりにもショックで、ベッドに入ってからもずっと頭から離れなくて、結局ここへ来て明け方まで泣き続けてた。やっぱり、一緒に暮らすだなんて無理なんだって。
「でも、意外と長く続いてるね」
 取っ組み合いはさすがにないけど、言い合いは一日に何度もする時もある。たいていはしばらくして、どちらかが謝って終わるけど、たまに何も言わないままの時もある。そういえば、二人揃って何で喧嘩したのかすっかり忘れてたなんてこともあったなあ。
 目を閉じて思い出すと、次々と浮かんでくる今日までの生活。喧嘩も多いけど、気が合う時もあるんだよね。普段は食い違ってばかりなのに、変なとこで意見が合って二人で盛り上がったり。
「こう考えると、やっぱり僕たちって双子なんだねえ」
「どう考えていたのかは知らんが、俺たちは紛れもなく双子だぞ」
 ふいに声が聞こえて一瞬、心臓が止まるかと思った。ううん、たぶん一瞬止まった。
「どうした? そんなに驚いたのか?」
 目の前に現れた顔に驚いて声も出ない僕に向かって、彼は無表情なままそう言った。――そんなに驚いたのかって? 驚かない方がおかしいじゃない! 急に声をかけるだなんて!
「おい。その間抜けな顔をさっさとしまえ」
 ううん、まだ無理。ちょっとやそっとじゃ落ち着けないよ。だって、石になっちゃったみたいに体が動かないんだもの。
「……まさか、気絶してるんじゃないだろうな?」
 ブルーが僕のほっぺたを叩く。ちょうどそれが合図だったように、ようやく体の力が抜けて、僕はその場にへたりこんでしまった。
「もう……びっくりさせないでよ……」
 やっとの思いでそう言うと、ブルーは不思議そうな顔をした。
「そんなに驚くほどのものでもないだろう? 確かに少しばかり気配は絶っていたが」
「気配は絶ってたって……。それで驚かない方がおかしいでしょう?」
 思わず言い返して立ち上がろうとした。でも足に力が入らない。おかしいと思って何度も立ち上がろうとしたけど、やっぱり結果は同じだった。
「何をしてるんだ?」
「え、えっとねえ……」
 言うのが恥ずかしいけど、ここではっきり言わないとへそを曲げちゃうのがブルーなんだよね。どうせ適当にごまかしてもばれてしまうのは目に見えてるし。
「その……。腰を抜かしちゃったみたい……」
 乾いた笑いと一緒にそう言うと、ブルーの顔がぴくりと動いた。予想はしていたけど、その時のブルーの顔ったらなかった。ぽかん、としているのが半分、呆れてるのが半分のさらにその半分、残りの四分の一は「馬鹿か」と言わんばかりの顔。となると、次に来る言葉は――。
「本当に情けないやつだな」
 ほらね、やっぱり。そう言うと思ったんだ。
 自分の予想が驚くほど当たって、こんな状況なのに僕はおかしくて笑いがこみ上げてきた。
 さっきまで落ち込んでた反動なのか、一度口から出た笑い声は止まらなくて、息をするのも大変なくらい後から後から湧き出てくる。しまいには体を折り曲げて笑っていた。
 ひとしきり笑って顔を上げると、こちらを見ているブルーの瞳とぶつかった。
「もう気は済んだか?」
「え?」
「お前が何かを変な行動を取る時はとりあえず放っておくのが一番だと思ったからな」
 そう言うとブルーは得意そうにふふん、と笑った。
 自分の意見に自信を持っている時、ブルーはこんな顔をして鼻で笑う。まあ、間違ってるかもしれないと少しでも思う時は絶対に口に出さないタイプだから、話をしている時はたいていこんな顔なんだけど。
「ほら、さっさと帰るぞ」
 座り込んだままの僕に手を差し伸べてくれる。数ヶ月前までは信じられないようなことだけど、今ではもう当たり前のこと。特に仲直りをした後は普段の倍ぐらい――と言っても普通の人からしたらそっけないんだけど――優しくなる。
 だから僕はそれに甘えて手を差し出した。
「どうもありがとう」
 ブルーの手はとても温かくて力強かった。術や銃ばかりを使用していた僕と違って、ブルーは外遊の間に剣や体術を身につけていたらしい。初めて外遊のことを話した時にお互いにあまりにも違った行動を取っていたのがおかしくて二人で大笑いしたのを思い出した。
 立ち上がってからも何となく手を離すのが惜しくて、僕はブルーと手を繋いだまま歩き出した。歩きながらブルーは嫌じゃないのかな、と思って顔をちらりと見たけど、別段気にした風もなかったので、そのまま森を抜けて瓦礫の山を越えて、結局家にたどり着くまで手を繋いでいた。それがまたすごく幸せで、頭の片隅で、兄弟ってこんなもんなんだな、とずっと考えていた。
「……さっきは悪かったな」
 視線を開けようとしている鍵穴に落としたままブルーが言った。
 ああ、そう言えば僕たちはつい数時間前まで喧嘩をしていたんだっけ。すっかり忘れてた。
「ううん、いいよ。気にしてないから」
「嘘を言え」
 ごまかしたつもりの一言はあっさりと否定される。
「気にしてなかったらあんな森の奥で泣いているわけないだろう」
 ガチャリ、と音がして扉が開く。
「あそこら辺は元々裏の学院の敷地だろう。それで――」
 そこまで言ってブルーははっと気付いたように僕を見た。
「――とりあえず家に入ってから話すか」
 もちろん、その問いに僕が頷いたのは言うまでもない。



 家に入ってから僕たちは色んな話をした。どちらかと言えば僕の話をブルーが黙って聞いているという形だったけど、それでもよかった。話を聞いてもらうだけで落ち着いたから。
 内容はさっきの喧嘩とは何の関係もない、今まで話したことのなかった学院での生活のこと、友達のこと、それからあの森の奥にある大木のこと。思い出してるうちに泣きそうになったけど、何とか寸でのところで止められたのは、ブルーがずっと僕の手を握ってくれていたからだと思う。
 そして、ブルーもほんの少しだけ話してくれた。数少ない『知り合い』――ブルーは『友達』ではなく『知り合い』と言っていた――の話や、自分の学院生活。「泣いたことはないの?」って聞いたら「小さい頃はな」って。一人でベッドの中で泣いていたらしい。それを聞いて、なぜだかほっとした。ああ、ブルーも小さい頃はそうだったんだな、って。僕は卒業する時も泣いていたけど。
「さて、それで本題なんだが」
 ソファに座り直したブルーが、少しだけこちらに体を向けた。
「それならもういいよ。さっきも言ったけど気にしてないし」
「いや。あいにく俺は物事にきっちりけりをつけたい性質(たち)でな」
 ブルーらしい、と思った。そうやって一つずつ物事を片付けてから次の行動に移る、というのがここ数ヶ月間で僕が知った『ブルー』という人だった。
 どちらかと言えば大雑把、と言われる僕と違ってブルーはとても神経質だ。何か気になることがあると、自分で納得できる結果が出るまで決して妥協しない。まあ、そういうこともあって僕たちはよく衝突するんだけど――。
「その、お前が出て行ってから少々言い過ぎたことに気付いた。……最初は腹が立ったままだったんだがな、冷静になってから自分の言動を振り返ってみると、お前が飛び出したのにも頷けてな」
「それで、あそこまで探しに来たの?」
「あの場所のことは知らなかったんだが、気がつけばあちらの方に足が向いていたんだ」
 その言葉を聞いて、僕は思ったんだ。僕たちは、やっぱり双子なんだって。
 外遊をしている時からそうだったけど、何となく相手のいる場所がわかる。実際、ルミナスで見かけて慌てて逃げたこともあったぐらい。
「やはり、何か惹き合うものがあるのかもしれん。だから――」
 そこで言葉を切って、ブルーはふっとため息をついた。辛抱強く次の言葉を待つ。
「だから、その――」
 何度もためらいながら、彼は少しずつ言葉を紡ぐ。やがて、決意したかのように顔を上げた。
「お前と暮らそうとしたことが間違いなど……。本心ではない」
 今までもらった言葉の中で一番嬉しい言葉だった。自分でも顔中に笑みが広がっていくのを抑えられない。ブルーもそれを見たのか、ほんの少しだけ笑顔になっている。
「……済まなかったな」
「ううん! とんでもない!」
 その言葉ですごく悩んでいたから。本当にもうダメなんだって思ってたから。
「これからも、ずっと一緒にいれるよね?」
「当然だろう。お前の存在は俺にとってプラスにこそなれ、決してマイナスにはならない」
 さらっととんでもないことを言ってのける。でも、それだって嬉しいことに変わりはない。
「僕こそ本当にごめんね。色々言っちゃって」
「色々って……。お前はただぐちぐち文句を言った後、泣きながら飛び出しただけだろう?」
「そ、それはそうだけど……」
 恥ずかしくなって思わずブルーの胸に顔を埋めた。ふいにふわりと髪の毛を撫でられる。さっきまで繋いでいたブルーの手が今度は僕の髪の毛を梳く。その仕草がものすごく優しくて、そのぬくもりをしっかりと感じたくて、僕はそっと目を閉じた。
 心臓の音が耳に響く。それはブルーの鼓動とそれから僕の鼓動。繰り返される二つの音に聞き入っていると、ふいにそれを遮る音が聞こえた。しかも重なって。
 思わず二人で顔を見合わせて、どちらともなく笑いが漏れた。
「ブルーってば、すごいおなかの音だねえ」
「そういうお前だって俺のがかき消されるほどのものだったぞ」
 よくよく考えたらお昼ご飯を食べてから何も口にしていない。時計の針はすでに七時を回ってるし、そりゃおなかも減るよね。
「ご飯食べにいこっか」
「そうだな。だが、クーロンはこの間行ったばかりだし……」
「ねえ、オウミに行こうよ! 久しぶりに魚も食べたいなあ」
「ならとりあえず顔を洗ってこい。そんな顔でくっついてこられるのは遠慮したいからな」
「うん! ちょっと待っててね!」
 そう言うなり僕は外へと駆け出して、家の裏手にあるポンプへと駆け寄る。思いっきりポンプのハンドルを上下に動かすと、乾きかけていたポンプの口から勢いよく水が溢れ出た。
 ざばざばと音を立てて溢れる水を手にすくって顔に近づけた時、ふいに手を止める。

 僕の手の中で、満天の星空が揺れていた。

|| THE END ||
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