[06:いつまでもこうやって]
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 どうしてこの部署に配属されたのか、たまに考えることがあるの。
「おい! お前、俺のチョコ食いやがって!」
 そんなヒューズの怒声にサイレンスがいつもの『我関せず』といった顔でそっぽを向く。……あれは食べてるわね。言わなくても顔に書いてあるわ。騒動になる前に止めなきゃ、と思った瞬間もうそれは遅いことに気付いた。お願いだから取っ組み合いの喧嘩なんかしないで。ここは幼稚園じゃないのよ。
「せ、先輩もサイレンスさんも落ち着いて……」
 ダメよ、レン。そんなへっぴり腰じゃあの二人には勝てないわ。そう心の中で呟くと同時に、サイレンスの広げた羽が見事に顔面ヒット、レンは小さな悲鳴を上げて後ろに飛びのいたけど、そのままふらついて机に激突、腰を押さえたまま座り込んでしまった。ほらね、だから言ったじゃない。
 机の引き出しを二、三段開けてようやく目当ての物を見つける。あの二人が喧嘩し出したらこれがないと困るのよね。薄い使い捨ての花粉症用のマスクとゴーグルを取り出し、装着して僅か数秒、今度は殴られたサイレンスの反撃が始まる。ああ、掃除は誰にやらせようかしら。ひとまずあの二人とラビット辺りに頼もうかしら。ふと部屋の端で充電中のラビットを見る。彼の搭載している高性能クリーナーは本当に役に立つわ。――それも鱗粉対策のために特別に搭載してもらったものなんだけど。
「てめー! 卑怯だぞ!」
 咳きこみながらも叫ぶなんて器用な男ね。そういえば、レンはどこに行ったの。
 部屋の中をぐるりと見渡すと、戸口へと向かって床を這っていくレンの姿を見つけた。かわいそうに、いつも巻き込まれちゃうのね。
 そのまま視線を横にやると、今度は仮眠用のソファですやすやと眠っているコットンがいた。ティディ種って本来、一日に十六時間は睡眠をとるのよね。でも、あんなに側で大騒ぎされて(と言っても大声を出しているのはヒューズだけだけど)それでも起きないっていうのはちょっと自然の法則から言って危ないんじゃないかしら。
 そこまで考えたところで、今日の喧嘩は終了した。スピーカーから聞きなれた音が聞こえて、それに続いて音割れしそうな声。
『マンハッタンF地区インターナショナルビルで事件発生! 繰り返す。マンハッタンF地区インターナショナルビルで事件発生!』
 その声に、取っ組み合いをしていた二人も、外に出ようとしていたレンも慌てて出動準備に取り掛かった。私も、すぐさま準備をして、ラビットのモードを切り替える。
『まんはったんF地区いんたーなしょなるびるデ事件発生』
「そうよ! 出かけるわよ!」
『出動要請ヲ確認シマシタ』
 命令を確認したラビットと、レンに抱えられたまま、まだ夢うつつのコットンと、それからさっきまで大騒ぎをしていたヒューズとサイレンス。私たち特捜課は、全員そろってマンハッタンへと急行した。



「爆弾ですって?」
 思わず大声で叫んでしまった自分を恥じて、今度は小声で同じことを繰り返す。
『そうだ。立てこもっている犯人の言い分に過ぎんが、用心に越したことはないだろう』
「ちょっと待ってください! それじゃ僕たちのいるとこって危ないんじゃないですか?」
『だから用心しろと言っているだろう。とりあえず処理班がそちらへ向かっている。邪魔にならんようにな』
 それだけ伝えて、無情にもスピーカーのあちらの声は切れてしまった。
「まったくやってらんねーぜ。お偉方は安全な場所で指示、俺らは地雷原のど真ん中ってわけだ」
『地雷デハナク爆弾デス』
「うるせー! それぐらいわかってるよ」
 お願いだからそう叫ばないでよ、ヒューズ。私たちの今の状況を考えてちょうだい。
 ふと顔を上げると、マンハッタン・インターナショナルビルが目の前にそびえ立っている。三つしかない出入り口付近に配置されたはいいけど、ここのすぐ側に犯人が仕掛けた爆弾があるかもしれない、って考えるだけで、全身がぎゅっと硬直してしまう。――私だって爆弾なんてまっぴらゴメンよ。
「とにかく犯人の要求はトリニティ重役たちの解雇なんですよね? そうとなると反トリニティ政府を持つリージョンが……」
「そうとも限らないわよ」
 レンの言葉を遮って、色んな可能性を頭に浮かべる。最近のトリニティはそりゃあちこちから反感を買っているんだもの。実際、私たちの立場だって怪しいもんだわ。今回の立てこもり犯だって、どこのリージョンの人間なのかはっきりとはしていない。
「犯人云々よりも先に人質の安全確保、でしょ。……それにしてもやっかいね」
 インターナショナルビルの中には現時点で三千人以上の人間がいる。それが全員人質になってしまっているなんて、下手な動きはできないわ。
「キュキュキューキュッ!」
「うん。犯人を下手に刺激なんかしたらとんでもないことになってしまう……」
 コットンの言い分にレンがそう呟いたその時、黙ったままのサイレンスがふいにぴくっと反応した。しきりにジェスチャーで黙っていろ、と言うけれど、彼に何が聞こえているのか私たちにはわからない。第一、この場所はすぐ側に高速道路、しかもマンハッタンでもかなり交通の激しい場所に当たる。車の音がうるさくて何も聞こえやしないわ。
 それでも彼はしきりに私たちに何かを訴えてくる。お願い! こんな時くらいだんまりはやめて! そう言おうとしたけど、それはサイレンスの意外な言葉に遮られた。
「ピッ、ピッ、ピッ……」
 まるで時報を刻むように彼が口にしたその言葉。それが何なのか、頭で理解する前に全身の血がさーっと引いていった。――まさか!
「ちょっと、サイレンス! その音、ずっと聞こえてたの?」
 それに対して彼は首を振った。ということは、ついさっきから?
「おい、どこから聞こえるんだよ?」
 ヒューズの問いかけにサイレンスは辺りをきょろきょろと見渡してやがてある一点を指差した。ビルとビルの細い隙間。どうやらそこから音は漏れてきているみたい。
「ラビット、探査してちょうだい!」
『了解シマシタ』
 静かなモーター音とともに探査を始めたラビットの口から結果が出るのにたぶん、五秒とかからなかった。
『火薬ヲ探知シマシタ。梱包ハ鉄製、成分ハ……』
「キュッキュー!」
 突然、コットンが走り出した。サイレンスが先ほど指差したあの隙間に向かってあっという間に姿を消す。ちょっと、それは危ないわ!
 慌ててコットンの後を追って、隙間へと入り込んだ私は、彼がしきりに威嚇している物を見て唖然とした。鉄パイプの上にガムテープで張られた小さな電光掲示板。真っ赤な色のデジタル表示が一秒、また一秒と時間を刻んでいく。12、11、10……。
「おい、どうしたんだ?」
 次の瞬間、角から顔をのぞかせた皆に向かって私は走り出しながら叫んでいた。
「みんな、逃げて!」
 コットンを鷲づかみにしたまま飛び出した瞬間、私にもはっきりと聞こえた。ピーッと耳に突き刺さる電子音が。



 目に飛び込んできたのは見慣れない天井だった。ここ、どこかしら。うちじゃないことは確かね。だって、私のベッドはもっと柔らかくて――って私は何を考えているの!
 気付いて起き上がった瞬間、あばらに強烈な痛みが走った。尋常じゃないこの痛み、知ってるわ。確か三年前に肋骨を骨折した時にこんな痛みがあったような。
「あ、気が付かれたんですね」
 近づいてきた女の人は看護士だった。じゃあ、ここは病院なの? 他の皆はどこ?
「すぐに先生がいらっしゃいますからね」
 そう言って彼女は視界から消えた。目で追おうにもあばらが痛くて体をねじることすらできないわ。でも、そんなことをする必要はなかった。
「ドールさん! 気付いたんですね!」
 代わりに視界に飛び込んできたのはレンの顔。腕に包帯を巻きつけたまま嬉しそうに呼びかけてくれたレンの横、今度はいつもの無表情なサイレンスの顔が現われた、んだけど、珍しく顔を包帯で固定してあったりする。腕に抱かれてるコットンも胴体を包帯でぐるぐる巻きにされちゃって。
「みんな、大丈夫なの?」
 きりきりとする痛みに少し負けて小声で返すと、レンは固定されたままの腕を上げてガッツポーズなんて取った。
「もちろんです! 骨折だけで済みました!」
 そう、骨折だけで済んだのね、ってこの感覚、ここに入ってからついたもんだわ。
「サイレンスは? その顔どうしたの?」
「サイレンスさんは、顔を骨折しちゃって……。もうかなり治ってるみたいなんですけど、先生が固定だけはしとくって」
 あらあら。中身は変だけど、顔はうちの部署の中で一番で、素晴らしい目の保養になってたのに、なんてふざけてる場合じゃないわね。
「キュキュッ! ミュキュー」
 そう、コットンは骨折はなかったけど全身打撲、と。押しつぶしちゃったかしら?
 そういえば、あのいつもうるさいクレイジーな男はどうしたのかしら、そうふと不安になったその時、反対側から恨めしげな声が聞こえた。その声に首だけを動かすと、いたわ。あの男が派手に足を吊るされて。
「ドールより俺の方が重傷なんだよ。それなのにお前らは……」
 よく見てみると、首は固定されて腕は包帯責め、顔のあちこちにガーゼが当てられて、本当に怪我の仕方までクレイジーね。
「先輩は、ドールさんの下敷きになっちゃって」
「おい、レン! 笑ってんじゃねーよ! だいたい、ドールもだ。お前、ちょっとは自分の体重考えやがれ!」
「なんです……ッ!」
 大声を上げた瞬間、きつい痛みが走った。これじゃ反論もできないじゃない!
「ドールさんは、肋骨にひびが入ってるんですよ。もうちょっと安静にしないと。あ、ラビットさんはそこに」
 レンの指差す先に充電器に繋がれたラビットがいた。あら、電源はしっかり入ってるのね。しかし、肋骨にひびなんて、どうりで話すだけで痛いわけだわ。
「それで立てこもりなんですが……犯人は無事捕まりました。人質も全員無傷です」
 そうだわ。私たち、それで仕事に赴いたんじゃない。でもよかった。人質は全員無事なのね。
「つまり俺たちゃ怪我しただけ、ってわけだよ」
 ……それは確かに悔しいわね。どこの部署が踏み込んだのかしら。――でも、まあいいか。こうして皆無事でいるんだもの。
 そう思って一息ついたとたん、ふいに目頭が熱くなってきた。ちょっと待って、タリス。何で泣きそうになってるの?
 自制しようとしても一回涙がこぼれたらダメだった。後から後から出てきて、どうして泣いてるのか自分でもわからない。
「ド、ドールさん?」
「ミュキュキュキュキュー?」
『たりす捜査官ノ眼瞼(がんけん)カラ内分泌液ノ漏洩ヲ確認』
 ちょっとみんなして人の顔見ないでよ。恥ずかしいじゃない。慌てて腕で顔を隠したけど、恥ずかしくってもう見せられないわ。ああ、腕を伸ばすとまた肋骨が……。
「おおっ! ドール、お前泣いてんのか?」
 興味津々といったヒューズの声が聞こえたけど、残念ね。ベッドから起き上がれないあなたには絶対に見られないわ。ほら、周りの皆も早くベッドに帰ってよ。
 でも、皆が帰るより前に私は腕を戻すことになってしまった。
「……鬼の目にも涙」
 ん? 今のあまり聞き慣れない、でも知ってるような声は誰かしら?
「サ、サイレンスさん! それはちがッ……!」
「キュキュッ! キューッ!」
『鬼ノ目ニモ涙トハ――』
「おうおう、サイレンスもなかなか言うねえ」
 そう。サイレンスが言ったのね。……ところで、鬼って誰のことかしら? そこんとこ、よーく説明してもらおうじゃないの!
「ちょっと! サイレ……!」
 ――――! 痛い痛い痛い痛い! ヤバいくらい痛いわ!
「大丈夫ですか、ドールさん!」
 ああ、レン。心配してくれるのはあなただけね。でも、心配してくれるだけならいいわ。できれば、ついでにあの横で大笑いしている馬鹿を再起不能になるまで叩きのめしてちょうだい。それから、『鬼の目にも涙』なんて言葉を逐一説明してるぽんこつメカと、キューキュー喜んでるダメモンスターと、フォローすらしようとしない冷徹妖魔も!
 もう、どうして私、こんな連中と仕事しているのかしら。こんなに気が利かなくて、いらないことばっかり言って、いつもこっちに迷惑ばかりかけてきて、ちょっとは私の身を案じなさいよ。あなたたちと仕事してたら、いくつ堪忍袋の緒があっても足りないじゃないの。
 ゆっくり息をしていると、徐々に痛みが治まってきた。ああ、今こそガツンと言ってやらなきゃ!
 ちょっとずつ息を落ち着けながら顔を上げると、特捜課の面々の顔が飛び込んできた。どこか頼りないレンと、いつも寝てばっかりのコットンと、ピントのずれてるラビットと、何を考えてるのかわからないサイレンスと、首を回して横にいる、歯止めの利かないヒューズと。
 ……見てたら、急に怒りが収まってきた。ああ、こうやっていつもビシッと言えないのよね。
 でもいいわ。今回は許してあげる。こうやって皆の顔を見てたら、さっき自分が泣いた理由もおのずとわかってきたわ。
 皆が無事なのか心配してたのよ。だから、ほっとして涙が出ちゃったのよ。いいじゃない、それくらい。心配して当たり前よ。皆、本当に大切な存在なんだって思ってるんだから。
 だって私たち――かけがえのない仲間でしょう。

|| THE END ||
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