[02:互いの気持ち]
文字サイズ: 大
「アセルス殿!」
 ふいに呼びかけられ、アセルスは後ろを振り返った。
 驚いて辺りを見回すと、つい先ほど見た時には誰の姿もなかったルミナスの広場にうっすらと影が浮かび上がり、一人の女戦士の姿としてアセルスの視界に飛び込んできた。
 輝く太陽の光のように広がる金色の髪。それはルミナスの薄ぼんやりとした光を受けて、淡い色に反射していた。
 人間ではない、と瞬時に判断したアセルスは腰に下げた剣へと手を伸ばす。
「誰だ!」
 思わず言葉を荒げ、相手を威嚇する。引き抜いた剣はまっすぐに目の前の女性へと向けられた。
 ずしり、と剣の重みが腕へと伝わってくる。いくらか実戦を重ねてきたとはいえ、未だこの重みを感じられなくなるほどではない。それに、目の前の相手は今までの相手とは違う気迫のようなものが感じられた。
(いったい何者なんだ?)
 アセルスのこめかみをゆっくりと汗が伝う。それがあまりにも不快で拭おうとは思うものの、剣から手を離すこともできない。もし離したとしたら最後、この雄々しき獅子のような女に一撃を与えられ、まず無事ではいられない。そう、本能が警告していた。
 女はただ黙ってアセルスを見ている――否、見ているのは彼女の後ろに佇む女性。
「……金獅子姫様ですね」
 アセルスの横をふわりと薔薇の香りが通り過ぎる。
「私、白薔薇と申します。姉姫様の御噂は耳にしておりました。――最も勇敢な寵姫であったと」
 優雅に会釈をした白薔薇へと視線を定めると、金獅子と呼ばれた女戦士はその手に握っていた剣を心持ち降ろした。
「白薔薇姫……。あなたは最も優しい姫であったと評判ですよ」
 金獅子がふいに柔らかな笑みを漏らす。しかし、それも束の間のこと。
「その優しさで私の剣が止められますかしら?」
 一度降ろした剣を上げ、白薔薇へとその切っ先を向ける。研ぎ澄まされた大振りの剣――かの妖魔の君が彼女のために作らせ、同じ名を与えた剣が白薔薇の心臓へ狙いを定めようと動いたその時。
「戦うのは私だ!」
 そう叫んで躍り出たのはアセルスだった。突き出された金獅子の剣に比べ、いささか細い剣を構える。姿こそ先ほどと同じとはいえ、そこにはもう恐れも迷いもなかった。
「ふっ、どちらでも。この剣に屈しなかったのはオルロワージュ様ただ一人」
 まるで挑発するかのように金獅子の深い蒼の瞳が細められる。アセルスはそれにも動じないかのように、赤茶の瞳で彼女を捉え、剣を握る手にぐっと力を込める。
 二人の間にある空気がピィンと張り詰める。そして――。
「参る!」
 金獅子の声と共に、剣の交わる音が静かな広場にこだました。



 自負するだけあって金獅子の剣の腕は恐ろしいものだった。
 防戦一方ではないにしても、圧倒的に金獅子の方が有利なのは誰の目に見ても明らかだ。
 元から重い剣が彼女の鍛え上げられた筋力によってさらに重みを増し、アセルスへと一直線に振り下ろされる。それをかろうじて受け止めながら、一度間合いを取ろうとアセルスは後ろへと飛びのいた。
 しかし、その一瞬の隙を金獅子ほどの者が見逃すはずがない。
「アセルス様!」
「――っ!」
 白薔薇の悲鳴が先だったのか、それとも金獅子の剣がアセルスに触れたのが先だったのか。とっさに避けたアセルスのわき腹から細い紫の一筋が宙へと舞った。
 痛みに顔をしかめ、傷を押さえる。それでも瞬時に振り返り、背後へと走りぬけた金獅子へと剣を向けた。
「思っていたよりは機敏ですこと」
 すでに体勢を整えた金獅子の涼やかな声が聞こえた。すでに肩で息をしているアセルスと違い、息を切らすこともなく剣を交える前と同じように言われた言葉に、アセルスの顔が悔しそうに歪められた。
(強い……!)
 ふと脳裏に針の城で聞いたイルドゥンの言葉が蘇る。
『獅子姫様は人間であった頃も優秀な戦士だったらしい。寵姫に成られてからは、その強さは我々さえも超えるほどに成られた』
 彼ほどの男がそう言うなんて、と思ってはいたが、いざ敵に回して剣を交えることで、そして今目の前でこちらをじっと見据える彼女から感じる猛々しい妖気を感じることで、その言葉が嘘でも謙遜でもなかったことを思い知らされる。今までアセルスが接してきた寵姫とは違う、まさしくオルロワージュの片腕として剣を振るう寵姫なのだと。
「傷は癒えたというのに……もう剣は振るえませぬか?」
 その言葉の通り、アセルスの傷はすでに癒えていた。おそらく人間であったならその場にうずくまってしまうような傷も、彼女の中に半分流れる妖魔の血が癒したのだ。
「……どうしてとどめを刺さなかったの?」
 戦いのさなかにも関わらず、そんな台詞がアセルスの口をついて出た。あまりにも弱気なその問いに自分でも驚きを隠せなかったが、金獅子にはそうは取られなかったらしい。
 ふっと笑ったそれが答えだった。
「さあ、おしゃべりは終わりにしましょう!」
 言うが早いか、金獅子が剣を振りかざした。やがて繰り出された一撃をアセルスがよけ、剣が地についたのも束の間、今度は右側から強烈な一払いがアセルスめがけてやってくる。それを再びよけるが、今度は先ほどアセルスの脇腹をかすめた突きが彼女を襲う。
(もうダメだ……!)
 とっさにそう思ったアセルスの目の前に白い影が割って入る。そして響く固い音――。
「白薔薇!」
 衝撃で少し後ろへと下がりながらも、白薔薇は金獅子の渾身の一撃を楯で防いだのだ。それがどれほどのものだったのかは、白薔薇の荒い呼吸と、亀裂の入った楯が示していた。
「白薔薇姫……」
 さすがの金獅子も少しばかり驚いたらしく、思わず剣を降ろす。
「なぜ……。なぜそこまでするのです。なぜ、オルロワージュ様に逆らってまでその者をかばうのです?」
 呟くような彼女の問いかけに白薔薇はゆるりと首を振った。
「オルロワージュ様に逆らう気などまったくございません。しかし、同時にアセルス様が傷つかれることも望んではいないのです」
 楯を下ろし、凛としてそう言った白薔薇の手がふいに光り、剣が現れた。
「もし姉姫様がアセルス様を殺めるおつもりならば――私は戦います」
「……アセルス殿を守るために?」
「それ以外の理由は持ち合わせておりません」
 毅然と剣を構えた白薔薇に、金獅子もその意味を汲み取ったのだろう、降ろしていた剣を再び白薔薇へと突きつけた。
「よろしいでしょう。その身をもって私の剣を受け止め、アセルス殿を守ってごらんなさい――!」
 金獅子が剣を構えたその時だった。白薔薇の構えていた剣の代わりに白く輝く剣がその切っ先に触れた。
「……アセルス様」
「白薔薇が戦うことなんてない! 私だって――私だって白薔薇が傷つくのは嫌だもの!」
 言うなりアセルスは金獅子に向けて突きを繰り出した。それを金獅子が楯で防ぐ。両者ともとっさに後ろへ退いたものの、すぐに互いに剣を振り下ろす。
 何度も剣のぶつかり合う音が響き、そのたびに欠片が宙に舞い、光に照らされてきらきらときらめく。
 金獅子が有利だと思われた戦いも今や互角。防いでは剣を繰り出す、その動きがどれほど繰り返されたのだろうか。
「くっ……!」
 ふいに金獅子が後ろへと飛んだ。それと同時に彼女の褐色の肌に青い筋が伝う。しかし拭う間もなく、アセルスの剣が襲いかかる。それを金獅子が剣で受け止めたその時、今までとは違う音が響いた。
「な……っ!」
 アセルスが音のする方へと視線を向ける。薄暗い地面を、光を放ちながら滑るもの――それが自分の剣だと気付くまでに一秒もかからなかった。
「印術の刻まれた剣であろうとも、この金獅子の剣の前では持ちこたえられなかったようですね」
 その声にはっとしてアセルスは金獅子へと視線を戻した。折れた己の剣の先、構えられたままの金獅子の剣がぎらりと光った。
 次は防ぎきれないとわかりながらも、アセルスもまた折れた剣を構え直す。いつ攻撃が来るのか――金獅子の動きにアセルスが集中した時だった。
「……どうして?」
 金獅子の突然の行動にアセルスは目を丸くした。
「なぜだと? 言わずともわかるでしょう」
 剣を鞘に収めた金獅子が笑みを浮かべる。
「さすがはオルロワージュ様の血を受け継ぐ方。お見事です」
「え……?」
「金獅子姉様……」
 アセルスへと駆け寄った白薔薇も驚いて金獅子の顔を見るが、彼女の顔には笑みがあるばかりで何も感じられない。
 状況の飲み込めないアセルスがもう一度その問いを口にしようとする。しかし、それは金獅子の言葉に遮られた。
「白薔薇姫、あなたの気持ちはよく分かりました。――私もかつてその気持ちを胸に抱いていた日々がありました」
「金獅子姉様……」
 そう言って白薔薇に微笑みかけると、今度はアセルスへと美しい蒼の瞳を向ける。
「アセルス殿」
 ここに現れた時の険しさとはまったく違う声でその名を呼ぶと、アセルスへもまた微笑みを見せた。「――妹姫を頼みますよ」
「――御待ち下さい。それでは、金獅子姉様が罰を受けます」
 その意味に気付いた白薔薇がそう口にするも、金獅子は軽く首を横に振った。
「構いません。あの方に罰していただけるのならば喜んで罰を受けます。――さらば!」
 その言葉を最後に金獅子の体は闇に溶けた。それと同時に広場にもいつもの静けさが戻る。
「金獅子姫……気持ちの良い人だったね」
 ふいにアセルスが呟いた。「ええ」それに対して白薔薇も優しくうなづき返す。二人で顔を見合わせ、どちらからともなく笑みをこぼした。
「アセルス様、ありがとうございます」
 微笑んでいた白薔薇から急に礼を言われ、アセルスは意味がわからず瞬きを繰り返す。
「え、何が? 白薔薇、どういうこと?」
 意味を尋ねようとも白薔薇は答えない。ただにっこりと笑っているだけ。
「……もう、教えてくれないのね」
 アセルスがすねても、その意味を教えようとする気配は白薔薇にはなく。
「いずれお分かりになりますわ」
 そう答えると、さらに頬を膨らませたアセルスを見て、くすくすと小さな笑い声を立てた。

|| THE END ||
Total:4,005文字  あとがき