[ただ今友情捜索中] -後編-
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「いいな、行くぞ」
「ああ」
 緊張した空気が流れる中、ゆっくりとスピードを落とし、再びトラックの後ろにつく。こうしていれば相手からは見えず、こちらからは降りる場所が僅かだが見える。
「あっ」
 レッドが声を上げたのは、それから一キロばかり進んだ頃だった。降りようとするセダンとトラックに僅かなずれが生じたのだ。もちろんヒューズもそれにすぐさま反応し、ハンドルを左に切る。ぐるりと円を描くような道を走り、やがて一般道へ出ると、偶然を装ってセダンの少し後ろに構える。
「この道、廃工場だ」
「廃工場?」
「ああ。とっくの昔に閉鎖されているんだけど、鍵が壊されてそのままになってる」
「なるほど、そこに連れ込もうってわけだな」
 二人の読み通り、セダンはしばらく走り、廃工場の前で停まった。こちらは気付かれるのを避け、レッドの案内で周囲を一周し、元の場所に戻ってくると少し離れて停車する。
「ふうん、あちらさんはすでに準備済みか。ブラスターだけで敵うかねえ」
 廃工場の入り口は僅かに開いているばかりだが、車に人の影はない。だが行き止まりで逃げ場もないこの場所、犯人は必ず中にいるはずである。
「やっぱり俺も行く」
 決意を込めたレッドの言葉に、無線に手を伸ばしたヒューズの動きが止まる。
「お前なあ。さっき俺が言ったこと、ちっとも理解してないだろ」
「いや、わかってる。わかってるけど……でも行く。あいつら、絶対に許せない」
「そうやって命落とす羽目になるかもしれないぜ」
「わかってる。それに――」
 次はどんな言葉が飛び出すのか。ふと足元に視線を落とした後、頭を上げたレッドの顔にはなぜか意味深な笑みが浮かんでいた。
「ここ、俺の秘密基地だったんだ」
 子供ほど地元の地理に詳しい人間はいない。大人が恐れるような場所にも好奇心を武器に突き進んでいく。もちろん、レッドもそんな子供だった。危ない、近寄るなと大人から強く注意されてはいても、この工場は非常に魅力的な格好の遊び場だったのだ。それから十年経っているとは言え、初めてやってきたヒューズに比べれば格段に内部にも詳しい。実際に工場内部の様子、通路、そして入り口の数などは、レッドの話を聞けば地図に書かれたも同然だ。
「ヒューズは左側の裏口から入ってそのまま通路を直進。そうしたら右手にでかいタンクが三つ並んでる。間には錆びた鉄くずが落ちてたりするから音を立てないよう気をつけろ。そのタンクの間に入ったら、もう正面ホールは目の前だ」
「お前はどうする」
「俺は右から入って機械の間を移動する。迷路みたいになってるから気付かれにくいし、もし人質を見つけた場合、隠す場所も山ほどある」
「よし。それで行こう。だがお前は絶対に犯人とは接触するな。それから、危ないと思ったらすぐ逃げろ。何しようが勝手だが、これだけは約束してくれ」
「わかった」
 作戦を頭に叩き込むと、二人は車から飛び出し、すぐさま工場の裏手に回った。レッドの記憶は確かで、そこには小さな入り口が左右対称で並んでいる。錆びた鉄の扉は開きっぱなしになっていて、音を立てずに侵入するには好都合だ。
「よろしく頼むぜ、相棒」
「ああ。キグナスの成功をもう一度」
 互いにがっちり手を組んだのを最後に、レッドは工場へと飛び込んだ。久しぶりに潜り込んだ内部は、変わらず鉄の錆びた匂いと埃臭さが充満している。かつては相当な業績を生み出した工場らしいが、今やその面影はどこにもない。ただ、過ぎた日々を悲しく残したまま存在しているのみ。
 その中をレッドは右へ左へと方向を変え、目的地へと突き進む。当時すんなりと通れていた道はいささかきつくもあったが、脳裏にあの子供の瞳を思い出せばそんなことを言っている暇はない。一分一秒でも早く助け出してやりたいという一心で鉄の迷路を移動し、正面ホールに辿り着く最後の角を曲がった時だった。
 かすかに聞こえたのだ。人の話し声が。
 耳を澄ませると、反響もあって声が確実に届いてきた。一人はかなり低い、そしてもう一方は少し高めの、両方とも男の声だ。それが本当に社長の御曹司なのか、金は取れるのかと確かめる会話が鉄とコンクリートに反射しレッドの元へやってくる。声のする方角からして、正面ホールにいるのはまず間違いないようだった。きっとヒューズも今頃気付いているだろう。もしかしたら、相手の姿が見えているのかもしれない。自分と同じように耳を澄まし、飛び出すチャンスを今か今かと待っている様子を想像し、レッドもまた一度深呼吸する。犯人がそこにいるのならば、すなわち人質も近くにいるはずだ。何とか犯人の隙を見つけて、子供をこちらに引き寄せなければいけない。
 そして、チャンスは意外にも早くやってきた。ここまできて気が緩んだのか、犯人の一人が煙草を吸うと外へと向かったのだ。
 移動して後ろから見据える形で陣取ったレッドの目の前で、彼はさっさと入り口へと歩いていく。残ったもう一人は手持ち無沙汰なのか、相方を見送り、そのまま天井へと視線を向ける。やるなら今しかない――そうレッドが思ったその時、視界の端にちらりと移る影があった。暗がりに隠れて分かりにくいが、タンクの間から抜け出し、機械の隙間をぬって背後から犯人に近づくヒューズの姿だった。
(さすがやってくれるぜ、おっさん!)
 俄然力が湧き出し、そのままついにレッドは正面ホールへと躍り出た。慌てて周囲を見渡せば、ちょうどレッドが隠れていた機械にもたれかかるように子供が座っている。さるぐつわを咬まされ、両手両足はそれぞれ縛り上げられているその姿に急いで近づけば、子供も気付いてうめき声を上げた。助けが来たのを直感したのだ。だがそれは犯人にこちらの存在を知らせることにもなる。
「な、てめえ……っ」
 振り返った犯人が声を上げたその瞬間。レッドと犯人の間にヒューズが割って入ってきた。
「よう、こんにちは。IRPOが迎えに来てやったぜ」
 構えたブラスターで相手と距離を取りながらゆっくり入り口へと追いやっていく。その間にレッドは子供の縄を落ちていた鉄片で千切り、すぐに機械の隙間へと押し込む。
「いいな。俺がいいって言うまでここから出てくるなよ」
「う、うん」
「よし、いい子だ!」
 言うなりレッドは走り出した。ヒューズに加勢をするためだ。犯人は徐々に追い詰められている。あとは外へと出たもう一人を捕まえれば――。
「危ない、レッド!」
 それはとっさの出来事だった。前を向いていたはずのヒューズが振り返るなりレッドへと走りより、次の瞬間飛び蹴りを食らわせてきたのだ。あまりに突然のことにレッドの心臓が一瞬跳ね上がり、それでも反射的に身をかわす。一年前、毎日のように敵と戦っていた経験がそうさせた。そしてもちろん――それはヒューズも予測していたことだった。
 ヒューズが着地すると同時にうめき声がし、背後でどさりと物が倒れる音と、鉄パイプの転がる乾いた音が響いた。さっと振り返ると、出て行ったはずの男がそこにいる。
「馬鹿野郎! お前はいつも後ろが甘い!」
 続いてヒューズの怒鳴り声が響き渡る。
「周りを確認せずに走り出す馬鹿がどこにいるんだっ。……まったく、手間かけさせやがって」
 最後は少しため息交じりに吐かれた言葉に、さすがのレッドも少し項垂れる。
「悪かったよ。俺が油断してた――」
 そう謝った時だった。ふと上げた視線に入り口へと走っていく男が見えたのは。
「あーっ、あの野郎!」
 言うなり、レッドは再び走り出していた。
「おい馬鹿! 俺が言ったこと、もう忘れたのか!」
 ヒューズがまた怒鳴りながら追いかけてくる中、レッドは男を目指して一目散に走っていく。有難いことに相手はさほど速くもない。追いつくのも間もないだろう。経験からそう判断して、ついにレッドは地面を力強く蹴った。そのまま男の背中めがけて、まっすぐ脚を伸ばし、緊張した体中の筋肉の力をそのまま足首と足へと込める。
「悪は絶対に許さん!」
 そしてお決まりの台詞を叫んだ瞬間、強烈な蹴りが男を襲った。悲鳴を上げ、男の体が前に傾く。あと少しで外に出られるという場所で体は倒れ、やがて冷たいコンクリートの床に叩きつけられる。これ以上に悲惨なやられ方はない。
 その結果、鈍い声と共に男は気絶した。レッドの完全勝利となり、この人質救出作戦は幕を閉じることになる。
「まったく、本当に手間かけさせやがって……」
 二度目の台詞が今度は呆れ声で届いてもレッドは気にしない。終わりよければ全て良し。悪は完全に滅んだのだ!

* * *

「お前なあ、ちょっとは人の迷惑も考えろ」
 犯人たちを逮捕して後、連絡した本部とシュライク支部の協力で、彼らは無事病院へと送り届けられた。まず精密検査を受けて異常がないか確認し、怪我の手当てを受けた上で本部へ連行されると言う。
「IRPOには一応決まりがあってな、基本的に犯人だろうがどついちゃいけないんだよ」
「でもあれは不可抗力だ」
「別に取っ組み合ったわけじゃないだろ」
「じゃあ、正当防衛だ」
「馬鹿。逃げる犯人の背中に思いっきり飛び蹴り食らわせといてそりゃないぜ」
 やれやれと煙を吐き出すヒューズの隣でレッドは頬を膨らませる。無線を受けて駆けつけた警官たちには労いの言葉をもらったものの、ヒューズはずっとこの調子だ。それがまた気に食わない。そもそもこの事件に関わったのは、レッドが連れ去られる子供を見つけたからに他ならないというのに。
「確かにその点は協力感謝する。まあ、お前には後で感謝状が出るだろうしな。その代わり俺はまた始末書だ」
 夕日に照らされて、ますます惨めさをかもし出すヒューズは見ていられない。そうでなくとも本部に戻ればドールの『覚悟しときなさい』が待っているのだ。本音を言えば、この先一生本部には戻りたくないだろう。レッドもその気持ちを汲み取ってか、おもむろに財布を取り出すと、小銭をいくらか突き出した。
「何だよ、これ」
「エリーちゃんに穴開けて悪かったな」
 新聞代をヒューズの手に握らせ、レッドはこくりと頷いた。そういえば自分にも思い出がある。心ときめかせていたアイドルの特集が組まれた雑誌を友人に貸したら、一番お気に入りのショットのみ切り取られて返されたこと。その時の何とも言えない寂しさと切なさ、そして怒り。それがわかるからこそ、ここで詫びの気持ちを表したかった。そしてこれから始まる地獄に少しでも安らぎを与えられたらと。
「レッド……」
 ヒューズもそれがわかったのか、ふと眩しそうな目をした。これで解かり合える。それが男の友情だ。
「って、そんなものもらっても嬉しいわけあるか。お前知ってるか? あの新聞には朝刊と夕刊があるんだよ。エリーちゃんが載ってたのは朝刊! この時間じゃ回収されて、もうどこにも……あーあ、誰のせいだろうねえ」
 そのあからさまな態度が、すぐさまレッドに火をつけた。
「バ、バカ言うなよ! だいたいヒューズがあそこでサボってたのが悪いんだろ。後輩に始末書押し付けて、パトロールとか言って。――そうだ、俺ドールのメールアドレス知ってるんだった。今からどんな風にサボってたかきっちり教えてやろう」
「お、おい。これ以上引っ掻き回すな!」
 ポケットを探り携帯を取り出そうとすれば、ひたすら首を振るヒューズと目が合った。必死の形相とはまさにこのことだ。よほど同僚の鉄拳が恐ろしいのか。
「お前、そんなことしたら、俺の人生今日で終わりだ。わかってんのか」
「知るかよ、そんなこと」
 あっさり返したのがさらに油を注いだらしい。ヒューズは汽笛のような悲鳴を上げて地団駄を踏み、ついにレッドへと詰め寄ってきた。
「ガキだと思って大目に見てりゃ調子に乗りやがって」
「はあ? おっさんこそいちいちキレすぎなんだよ。だいたい俺はもう二十歳だ、ガキじゃない!」
「そんなこと言ってるからガキだって言ってんだ!」
 どっちもどっちの言い分を皮切りにとうとう取っ組み合いに突入した二人を、見かねた警官が仲裁に入ろうとしたがその隙はなかった。掴み合い罵り合い、しかしその実、子供が喧嘩をしているように限りなく低レベル。それに気付いたのか、周りもすぐに静観へと入った。冷めるまで放置するのが一番だと察したのか。
 そもそもの原因が何なのか知る人はいない。きっと、当人たちもはっきりとわかっていないだろう。ただ、こんな二人に『男の友情』なんてものはまだほど遠い。それだけは誰が見てもわかる事実だった。

|| THE END ||
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