[ただ今友情捜索中] -前編-
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 今日もマンハッタンは賑やかだった。すれ違う人は皆、思い思いの服に身を包み、ある人は大きなショッピングバッグをいくつも肩にかけ、ある人はあまり目的もないのか、立ち止まり、ちらりとショーウィンドウにひやかしの視線を送ってはまた歩を進める。平日だというのに、この都会随一のショッピングモールは、どこを見渡しても老若男女問わず人の姿があり、ここが世界一の都会であることを、そして最大の人口を誇るリージョンであることを物語っていた。
 だが、ここにいる人全てがこのリージョンの住人かと言うと答えは否だ。むしろ、近隣のリージョンに住む者の方が多い。今、ショッピングモール二階のファーストフード店に踏み込んだこの少年――レッドこと小此木烈人もそうだ。
「いらっしゃいませ」
 マニュアル通りの挨拶に視線を向けてから店内を見渡せば、入り口からは少々見え辛い奥の席に、見知ったサンディブロンドの頭があった。連れ合いの姿がないところを見ると、どうやら今日もまたここで一人、休憩という名のサボタージュをしているらしい。その証拠に、新聞を真剣に読んではいるがよく見ればタブロイドだ。
「ご注文はお決まりですか」
「えーっと。じゃあ、コーラ。普通ので」
「かしこまりました」
 頭を下げて店員が準備にかかるが、コーラ一つを出すのにさほど時間はかからない。十数秒の後、会計も済ませ、レッドはお望みのカップを片手にゆっくりと標的に近づいていく。幸いあちらは気付いていない。先ほどよりさらにのめりこんでいるのか、新聞の上端からちらりと頭のてっぺんが見えるだけだ。それどころか新聞を握る手にも力がこもって、今にも真ん中から引き裂かんばかりでいる。
 彼がこうするのは決まってただ一つ。レッドはそれをわかっていてそろそろと近づいていく。周りの客が怪訝な顔で振り返ろうと気にも留めない。一歩一歩、相手を見据えながら、やがて空いた右手の人差し指と中指を前に突き出し――。
「ほあたーっ!」
 軽快な雄たけびと共にレッドは新聞へと指を突き刺した。もちろん、ピンと張り詰めた紙が衝撃に耐えられるはずもなく、音を立てて穴が開く。すると今度は指を抜いてその穴を覗き込み、あちらで瞬きもせず固まっている目に向かって朗らかに一言。
「よっ、おっさん。またサボってんのか?」
 楽しそうに声をかけたレッドに対し、呼ばれた男の目はみるみるうちに怒りで据わっていく。新聞を持つ手がわなわなと震え、それでもどうにか感情を抑えようとしているのか、二度三度深呼吸をしてから。
「お前……」
 誰だって怒るに決まっている。下手をすれば失明だ。こんな悪戯を許しておくわけにはいかない。
「お前……」
 しかし、ここで一味違うのがこのおっさん、否、自称花の二十代、ヒューズという男である。
「お前……俺のエリーちゃんに穴開けやがってーっ」
 IRPOのコードネーム『クレイジーヒューズ』の名の通り、彼は一瞬のうちに切れた。常人の予想を遥かに超えた部分で――だが、怒りの矛先は違えど、見事に穴の開いたグラビアアイドルの胸を指差し発する悲鳴は、狭い店内で反響し、店員が駆けつける事態にまでなった。レッドはといえば、騒ぎを起こしたことには謝るものの、ヒューズに対して謝罪はない。堂々と向かいに腰を下ろしてコーラを飲む。どちらもどちらでマイペースだ。
「なあ、パトロール中じゃないのか?」
「バカ、今は休憩中だ。だいたいお前、何しに来たんだよ。事件だったらIRPOを通してくれ」
「別にそんなのないんだけど、ヒューズっていっつもここでサボってるだろ? こっち来たついでに、今日はどうかと思って覗いたらやっぱりいるしさ」
 それにヒューズが返事しないのは図星だからなのか。注ぎ直してもらったコーヒーを一口すすると、白々しく視線を逸らす。
「そんなお前こそ仕事はどうした」
「今日は休みもらったんだ」
 そう胸を張るレッドは地元シュライクにある中島製作所で働いている。亡き父の知り合いだった社長に勧められてのことだ。小規模な会社のため従業員は少なく、あまり休みがないのだとこぼすことはあるが、仕事は楽しんでいるらしい。その様子は彼と繋がりのある人間から、そしてレッド本人からヒューズは聞いている。社長も先輩も厳しく優しく指導してくれていると。
 その会社で働き一年近く、今日生まれて初めてレッドは有給休暇をもらった。忘れられないこの日、それは父の命日なのだ。
「でも墓参りは午前中に済ませちゃって、母さんがジメジメしてるのも何だから、出かけてきたらって」
「それでお前、俺をおちょくりに来たのか」
「ま、そんなとこ」
 にっと歯を見せて笑うレッドにやれやれと首を振り。
「でもな、俺も暇人じゃないんだよ。言ったろ、今はパトロール中だって」
「パトロール中のサボり、もとい休憩中だろ。なあ、今から出かけんのか」
「そりゃお前、パトロール中だからな」
 パトロール中とさらに強調して言ったその時、ヒューズの懐からけたたましい電子音が鳴り響いた。携帯電話のものとは若干違う、警報機のような音がする。
 そしてそれはすなわち、今のヒューズへの警鐘に他ならなかった。
『ちょっとヒューズ。今どこなの』
 IRPOで支給されている無線機から聞こえたのは、同僚の女刑事ドールの声だった。緊急を要する声ではないが、明らかに苛立っている。サボっているなどとバレたら、本部に戻るなりスープレックスを食らいそうな雰囲気だ。
『あなた、こないだの始末書レンに押し付けてパトロールに出たらしいじゃないの。まったく何やってるのよ。自分の尻くらい自分で拭きなさい』
「なに? お前また何かやらかしたの?」
 流れてきた内容に思わずレッドが口を挟むと、ドールの声は一瞬止む。
『あら、誰か一緒なの?』
「バ、バカ言うなよ。パトロール中は一人に決まって――」
 疑惑たっぷりに投げかけられたドールの問いに、ヒューズが焦ってそう返すも無駄だった。
「よっ、ドール! 俺だよ、俺。レッド!」
『あらレッドくん、久しぶりね。いったいどうしたの?』
 机に乗り出すように無線機へとレッドが声を投げると、あちらは無事捕まえたらしい。先ほどとは打って変わって愛想のいい声が返ってきた。
「今マンハッタンなんだけどさ、ちょうどヒューズに会ったから、シュライクまで送ってってくれって頼んでたとこだったんだ」
『ふうん。……マンハッタン、ねえ』
 二人が会話する間も、ヒューズは青くなったり赤くなったり、さらにはレッドを小突いたりと忙しい。ましてや、マンハッタンにいると言われると、ドールが感づくのも時間の問題。何せヒューズはこのことに関しては常習犯だ。
『まあ、市民の安全を守るのもIRPOの仕事だから。そうね、家まできっちり送ってもらいなさい。それからヒューズ。あなた、覚悟しときなさいよ』
 やはりと言うか何と言うか、最後に恐ろしい台詞を流して無線は切れた。もはやヒューズの顔は蒼白と化している。
「覚悟って何だろうな」
 わざとらしくレッドが口にすると、彼は何度か首を振り、やがて恨めしそうな視線をよこしてきた。仕事を放り出しパトロールに出た時点でばれない可能性はほぼなくなっていたが、まだ微かに残っていた希望を叩き潰したのはやはり目の前で笑っているレッドである。
「お前、久しぶりに会って、何でこんなことするかな」
「俺もさ、家に金入れてるし、やっぱシップ代も馬鹿にならないんだよな。ついでにシュライクもパトロールして帰ればちょっとはドールの怒りも収まるんじゃないかな」
 どんな事件が転がってるかもわからないし。そう言ったレッドにヒューズもついに折れた。
「まったく。ぱっと送ってぱっと帰るからな。ああ、あとそれから。これは今回だけだぞ!」
「もっちろん。サンキューなっ」
 答えながらも、レッドは心の中でしめしめと笑う。この『今回だけ』がいったいどれほど繰り返されているのか。思い出すだけで十回は下らないはずだ。

* * *

 シュライクハイウェイはシップ到着場を始点としてシュライク全土を走る、まさに生活と流通の大動脈だ。支流も合わせれば、北は済王稜、南は武王稜とシュライクが抱える二大古墳群の下まで走り、観光、文化研究及び発展にも努めている。中でも最近発掘が開始された北の済王稜は研究者のみならず、世界中の考古学ファンの注目も集めている。そのためか、シュライクの北西に位置するレッドの家へと向かうこの北部支線も、観光バスやトラックでいっぱいだった。
「どうも視界が悪いな」
 ぼやくヒューズの前には、大きなトラックががたがたと音を鳴らしながら走っている。様々な形に加工された鉄骨が荷台に括り付けられ、たまにがたりと大きな音を立てる。
「おいおい、こりゃ過積載じゃないのか」
「どうだろうな。でもこれ、たぶん済王のとこに行くやつだ。最近あそこ、ドーム作っていろいろやるって言う話だしさ。樹木の侵食が激しいからって」
「確かにあそこは山ん中だからなあ。しかしあそこもついに人間の手に触れちゃって、済王はどうするんだろうな。それにあの三種の神器だっけ? 相当な価値があるんだろうな。くそっ、一つくらい頂いとけばよかった」
「それがさ」
 ぷぷっとレッドが噴出し、続ける。
「あそこ、最近超有名心霊スポットにもなってるんだ。作業員が王冠かぶった骸骨を見たっていうのが何度もあってさ」
 最近、済王稜はオカルティックな噂が絶えない。新聞紙面にはほとんど登場しないが、テレビのニュースやバラエティで徐々に広がり、夜になると昼間の遺跡好きに代わって、オカルトマニアが近隣リージョンからも押し寄せていると言う。
「へえ、済王も自分の眠りは妨げられたくないってね」
 ニヤニヤと笑いながらもヒューズがアクセルを踏み込む。目の前のトラックが隣に移ったこの隙にさっさと追い抜こうという算段だ。いつまでも危なっかしい車の後ろについてはいられない。
 そしてその目論見は確実に達成されるはずだった。
「お、おい、ヒューズ!」
「なんだなんだ。かわいこちゃんでも見つけたか?」
「かわいこ……そんなこと言ってる場合じゃない! 早くスピード落とせ!」
 やおら掴みかかってきたレッドに驚き、ヒューズがとっさにブレーキをかける。幸い後続車はおらず、そのまま進み続ける中、レッドを引き剥がしたヒューズの怒鳴り声が響いた。
「何だってんだ、いったい!」
 一気に不機嫌になりレッドを睨みつけるが、こちらも負けてはいない。
「誘拐! 誘拐だ!」
「はあ、お前誘拐って……」
「見たんだ。あのトラックの前にいるシルバーのセダンから子供がこっち見てた」
「あのなあ、そりゃ子供も車に乗るだろうさ。もしかして、済王稜に惹かれた幽霊だったりして」
「バカ、ふざけてる場合じゃない! 普通に乗ってる子がさるぐつわ咬まされてるか!」
 レッドの最後の言葉に、ヒューズの顔色もさっと変わった。子供がさるぐつわを咬まされ、車に乗せられている。それが明らかに尋常でないことはすぐにも判断できた。
「よし、気付かれないように近づくからな。お前、もう一回確認してみろ」
 スピードを上げて、先ほどのトラックから少し追い抜いた状態で、二人を乗せた車は進む。目当ての車に徐々に近づき、それでいて並んでしまわないよう細心の注意を払いながら運転するヒューズの顔はさすがに真剣だ。
「おい、どうだ」
「……いる。外見てる」
「そうか。悪いがちょっと付き合ってくれ――おい、本部。こちらクレイジーヒューズだ。緊急事態につき、しばらくパトロールを続行する」
『はい、了解しました』
 ヒューズが本部とやり取りしている間も、レッドは子供から目を離さなかった。いや、離せなかった。怯えたように外へと視線を送るその様が、助けてくれと言わんばかりだったのだ。
「おい、ヒューズ。どうするんだ」
「しばらく後をつける。もし、誘拐だと確定したら、本部に連絡を入れる。ただし」
 そこで言葉を切り、ヒューズは視線を投げた。
「言っておくがお前は『一般人』だ。たとえ、どんなに腕っぷしが強くてもな。いいか、車から降りるのは自由だが、その後何が起ころうと保障はできない。それだけは肝に銘じておいてくれ」
「わかった」
 いつになく重いヒューズの言葉に、レッドも固唾を呑み頷いた。その間も子供を乗せた車は進み続ける。どこで降りるのかもまだわからない。

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