[The End of Memorable Winter]-前編-
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「おい、サイレンス。お前に来てるぞ」
 部署に届いた書類をチェックしていたヒューズが一通の封筒を差し出してきた。……手紙か? ここに来て以来、こんなものをもらったことなんてないのだが。
 受け取り宛名をみると、確かにこの部署宛て、しかも私の名が書いてある。不思議なものだと思って裏を返すと、そこには知った名があった。あの半妖の少女からだ。
「……何? ラブレターか?」
 少しばかり目の据わったヒューズがそんなことを言う。……どうしてお前は二言目にはそれなんだ。
 ヒューズの見守る中、白い封筒を開けると中には一枚の便箋が入っていた。二、三回読み返し、ヒューズへと寄越すと、彼も真剣な顔で目を動かす。
「なーんだ。礼状じゃねえか」
 読み終わるなり至極つまらなさそうな声を上げて、ヒューズはまた作業へと戻った。別につまらないものではないと思うがな。旅に同行した者に後々礼状を送るなんて、なかなか礼儀正しくていいと思うぞ。
 内容自体は大したことはない。助力に感謝する、という言葉と自分の簡単な近況を述べたものだ。ファシナトゥールの現状はすでにIRPOにも届いてはいるが、中にいる者の話の方がより詳しく書いてある。それを頭の中に留めて、便箋を封筒にしまったその時、ふとある妖魔のことを思い出した。
 あれはレンが入って間もない頃だから――もう三年も前になるのか。ああ、そうだ。ちょうど今頃、春になる少し前の話だ――。



「あーあー、寒い。寒い、寒い、寒い」
 そう何度も繰り返してヒューズは本日十数本目のタバコに火をつけた。暖を取るにしては少し小さすぎやしないかとも思うのだが、別段言う必要もないのでこちらも黙っている。何せこの男はタバコを吸うのが好きだ。いや、習慣になっているのか。よく飽きないものだと思うほど毎日毎日火をつける。
「本当にこんなとこに出るのかよ。噂の通り魔ってやつは」
 仕方がないだろう。証言によると、この辺りで出没したという話なのだから。
 最近シュライクで噂になっている通り魔の事件が私たちに回ってきたのはもう二週間も前のことになる。それからはあちこちで聞き込みを続け、唯一の被害者の女性を割り出し、彼女の証言に基づいて訪れたのがここ、済王稜なのだ。――そう、通り魔だからと言って別に殺人を犯したわけではない。ただ、その被害者の女性が突き飛ばされて軽い怪我をしただけなのだ。他の目撃者は特別被害をこうむったわけではない。ただ、気味が悪いのだと言う。
 話からして人間でないことは確かだった。「手に大振りの剣を握っていた」、「中世のような古めかしい格好をしていた」。極めつけが「目の前ですうっと消えた」。――間違いない。その通り魔は妖魔だ。おかげで、聞き込みに行った私まで、とんでもないものを見るような目で見られてしまったではないか。
「はあ。通り魔ちゃんはまだ現れないのかね」
 タバコの火を押し消し、ヒューズはため息をついた。
「まったく。見つけたら、真っ先に銃刀法違反で捕まえてやるってのによ」
 逮捕理由は明確だ。ここシュライクでは刃体が六センチ以上の刃物は、特別な理由・許可がない限り携帯してはいけないことになっている。目撃者たちが口々に言っていた『大振りの剣』とやらはどう少なく見積もっても刃体が七十センチはある。それを抜いて持ち歩いていたというのだから、立派な銃刀法違反になる、というわけだ。
 実を言えば私の携帯しているレイピアもそれに当たるのだが、もちろんこれはIRPOで正式に許可を取っている。……まあ、IRPOにいなければそんな許可などもいらんのだが。
「あーもう。今日で五日目だぜ? そろそろ出てきてくれてもいいんじゃねえの? なあ、サイレンス」
 その言葉に力強く頷く。その通りだ。これにかかりっきりになっているわけにもいかない。かと言って、ここ数日見張ってはいるものの、他者の妖気がまったく感じられないのだからどうしようもない。
「俺さ、こんな陰気なとこでじーっとしてたくないんだよね」
 後ろを振り返ると、そこには済王稜の入り口がぽっかりと暗い口を開けていた。確かに薄気味悪いと言えば薄気味わる――。
 その時だった。空間の歪むような感覚を覚えたのは。小さな歪みを感じ意識を集中させると、まるで波紋のようにそれがどんどん広がっていく。
「おい、おでましか?」
 小声で聞いてきたヒューズに肯定の意を伝えると、彼は静かに懐からアグニCP1をのぞかせた。
 見守る私たちの中でやがて歪んだ空間が形を成しだした。それにあわせて妖気もどんどん強くなる。下級ではない。中級というにも少し……まさか上級か! しかもこのむせ返るような薔薇の香り。こんな香りが体に染み付く場所は一箇所しかない。
 レイピアを握る手にぐっと力がこもる。あの場所にいる上級妖魔ならばこの剣で渡り合えるかどうか。そんな不安がちらりと頭を過ぎったところで、ついに目の前に噂の原因が姿を現した。
 紛れもなく針の城の妖魔だ。しかもかなり手強い相手と見た。ただ立っているように見えてどこにも隙が見当たらない上に、下手すれば暴走しそうな勢いの妖気を全身からみなぎらせるその姿に、ヒューズが小さく身じろぎをした。
 しかし、どういうことだ。何かを探している風ではあるといえ、こちらにまったく気付いていないのか。視線を軽く巡らせ、男は街へと向かって一歩足を進めた。
「……ちょっと待てよ、そこのにーちゃん」
 ヒューズが立ち上がり声をかけた。ふいに青い布で覆われた肩がぴくりと動き、結わえられ背中に垂れた白い髪がゆらりと揺れる。
「……貴様は誰だ」
「そりゃこっちの台詞だぜ」
 ヒューズが返すと、男は眉間に寄せた皺をよりいっそう深くして、小さく舌打ちをした。
「人間などに用は……貴様は妖魔か? なぜ人間と共にいる? 妖魔の風上にも置けんやつめ」
 後半は私に投げかけられた言葉だった。なぜだと? そう言うのならばなぜ、人間と共にいてはいかん。
 喉まででかかった言葉を飲み込みヒューズを見やると、彼は男の腰の辺りをアゴでしゃくった。なるほど、見事な装飾の剣が下げられている。逮捕理由成立、というわけだな。
「残念だったな、にーちゃん。大人しく檻の中に入ってもらうぜ」
「なに?」
「このリージョンじゃあ、あんたのその腰に下げてるたいそうな剣は、持っちゃいけないことになってんだよ。つまり、あんたはこのリージョンの法律を犯してるってことさ。さあ、大人しく両手を出しな」
 ヒューズが手錠を構えて男へと歩み寄る。緊迫した中、一歩また一歩とヒューズが詰め寄り、あと少しで――というところで、男の右肩がぴくっと動いた! 危ない!
 次の瞬間、間に割って入った私のレイピアと、男の引き抜いた剣がぶつかった。
「ヒューズ、下がれ!」
 声の限りに叫んで、私もまた後ろに飛びのいた。瞬時に体勢を立て直しレイピアを構えるも、次の攻撃が来たらかわすしかない。
「そんな細い剣で何ができる!」
 ぞっとするような笑みを浮かべて男が再び剣を構え走りこんできた。どう切り込んでくる? 意識を集中させ剣の切っ先をにらむと、僅かに上へと傾いた。――よし、横だ!
 左に飛びのくと同時に、私のいた場所へ剣が振り下ろされた。次は右! 次は下から! 次々に繰り出される剣を寸でのところで避け、すぐ側の木へと飛び上がった。
「ちょろちょろとこざかしい!」
 男もまたこちらへと飛び上がろうと、一瞬膝を曲げる。その時、空を切り裂くように銃声が響いた。男が握っていた剣が草の上を滑り、木にぶつかってようやくその動きを止める。
「くっ……!」
 うずくまった男の下に青い染みが広がっていく。どうやらヒューズの放った銃弾は男の手の甲を撃ち抜いたらしく、ちらりとのぞかせた右手が血にまみれていた。
「たかが……たかが人間が!」
 うめくようにそう吐き捨て、男は妖気を高めた。今度は術で来るのか? そう思った瞬間、ゆらりと空間が歪んだ。――転移する気か!
「お、おい! サイレンス!」
 ヒューズが声を上げた時にはすでに男の体は消えかけていた。まずい!
「な、なんだ貴様!」
 振りほどかれぬように男の腰へと回した腕に力を込める。絶対に逃がしてなるものか!
 必死で男にしがみつき、その直後にふわりと体の浮く感じがした。いったいどこへ行くのか。そして、私の腰にしがみついたヒューズは大丈夫なのだろうか……。そんな不安を抱えたまま、私たちは男と共に転移をした。

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