[目覚めぬ者] -後編-
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 町の賑やかさも聞こえてこないほど遠く深い空間。青白い光の中、輪になって存在するいくつものカプセル。中に入っているのは静かに呼吸を続ける子供たち――。
 ブルーとルージュしか知らない、閉ざされたかつての歴史を物語る部屋で二人は今日も眠り続ける子供たちを見上げていた。
 一年という月日が流れているにもかかわらず、彼らは少し姿を変えたままで今もそこで眠り続けている。外の世界のことを何も知らないままに――。
「ねえ、この子たちはいつ目覚めるんだろうね?」
 彼らを見上げたままルージュが呟く。その隣にいたブルーはただ静かに首を振るのみ。
「この一年、処置室の隅から隅まで探したが何も出てこなかった。あの図書館なら何か文献も見つかっただろうが……」
「あそこは結界が破られた時に燃えちゃったからね……」
「この事実を知る者はすべて死に、俺たちだけが残された。地獄も消滅してしまった今となってはもうどうすることも――いや、もしかすると、ここはもう本当に必要のないものとして――」
「そんなことはないよ! だって……この子たちは生きているのに……」
「……すまん」
 珍しく声を荒げたルージュにブルーは小さく詫びると、もう一度視線を上げる。その蒼い目に映るのはたまに体を動かしはするものの、まぶただけは固く閉ざされた子供たち。十数人もいるにもかかわず、誰一人として目を覚ます者はいない。
「このまま時が経つのを待てというのか? 時が経てばいずれこの状況も変わるのか?」
「そんなこと言ってもまだ一年――」
「『もう』一年だ! 考えてもみろ。この子たちは成長しながら一年もの間ずっと眠ったままだ。母親の乳を飲むでもなく、食物を口にすることもなくだぞ? どう考えても人間としておかしいだろうが! こいつらは何なんだ! 本当に人間なのか!?」
「でも、ブルー。僕たちだってそうだったのかもしれないよ」
 その言葉にはっとしてブルーはルージュを見た。それにすっと瞳を据えて、ルージュは続ける。
「僕たちだってここでなんらかの術を施されたんだ。記憶はないけど、きっと、きっとそうに決まってる。でも僕たちはれっきとした人間でしょう? それなのに、今ここにいるこの子たちをそうやって責めるなんて――」
「またお得意の『慈愛』か?」
「――ッ! 僕は別にそんなつもりじゃ……」
 うつむいてしまったルージュに向かってブルーの冷たい声が降り注ぐ。
「いつまでも待てだと? こいつらが何なのかわかるまでここで毎日上を見上げて生きていけというのか!? ルージュ、お前がそこまで言うのなら、こいつらが何なのか、どうやれば目を覚ますのか俺の目の前に提示してみろ。俺が欲しいのは希望的観測や憶測じゃない。資料と過程、そして結果だ!」
 そこまで言い切ってから気がついたのか、ブルーがとっさに口をつぐむ。
「すまん、言い過ぎた。お前のせいではないのに……」
「ううん、いいよ。だって本当のことだもん……」
 そのまま重い沈黙が二人を支配する。何も言い出せず、視線すら合わせられず、ただ押し黙って、何を言おうかと考えては止めの繰り返し。やがてそれに耐えられなくなったのか、ルージュが口を開こうとしたその時だった。

 ごぼっ、とひときわ大きな音が聞こえ、反射的に視線を移す。その先にあるのは一つのカプセル。黒い髪をした子供が何度かかぶりを振って体を動かしている。
「な、何なんだ……」
 また同じように動かなくなったその子供を見て、ブルーが忌々しげに呟く。その途端、かすかな機械音が聞こえ、やがて部屋全体へとその音を響かせ始めた。
 次の瞬間、目の前で起こったことに二人は言葉を失い、意識を集中させた。
 先ほどと同じように体を動かす黒髪の子供。さらにその横の対になったカプセルの中にいる子供もまるでその真似をするように体を動かし始める。
 しばらく同じ動作を繰り返した後、ふいにその子供たちのまぶたがぴくり、と動いた。
「ルージュ!」
 はじかれたようにブルーがカプセルへと走り出す。一瞬遅れて、ルージュもその後を追いかける。二人はカプセルの一歩前まで来ると、その子供を凝視した。
 何が起こるのかという期待と不安が胸に交差する。それを必死に抑えようと二人が同時に息を飲んだその瞬間。

 子供のまぶたがぴくぴくと動き、やがてゆっくりと持ち上げられる。
 半分開き、また閉じて――二、三度そうした後、まぶたが完全に開き、大きな黒い瞳が二人の目の前に現れた。
「目が……」
「開いた……?」
 何度も瞬きをして、完全に目を覚ました子供を見てどちらともなく呟く。半ば信じられないまま見つめる二人の前で、その子供は小さな口をあけてあくびをすると、まるで背伸びをするように短い腕を上へと押し上げた。するとそれを合図としたかのように、彼が漬かっていた液体がごぼごぼと音を立てて表面が波立ちだす。
「ねえ、水が……!」
 今まで子供を包み込んでいた液体が音を立てて吸い込まれていく。徐々に下がっていく水位につれ、宙に浮いていた中の子供も引き寄せられるように底の金属板へと吸い寄せられていく。やがて液体がほぼなくなった頃、重力に任せて子供はカプセルの底にしりもちをついた。
 自分でも何が起こったのかわからないのだろう。不安の色を浮かべたままできょろきょろとあたりを見回した子供の視線と、カプセルをのぞきこんでいる二人の視線がぶつかる。一瞬、きょとんとした表情を浮かべた子供だったが、次の瞬間、愛らしい笑顔を二人に向けた。
「あー! 笑った! 笑ったよ、ブルー!」
「あ、ああ……」
 いまだ戸惑っているブルーとは反対に、子供が笑ったことにルージュが大喜びして手を叩くと、まるでそれを真似るかのように、カプセルの中の子供も小さな手を合わせて叩くふりをする。
「ほら見てー! 真似してるー!」
「そりゃ真似ぐらいするだろうが」
「もう! もうちょっと感動しよ――ッ!」
 静まっていた機械音がまた響き、二人は反射的にカプセルから体を離した。
 二人が見守る中、微かな軋みと共に徐々にカプセルのふたが持ち上げられていく。初めはカプセルに手をついて体を支えていた子供も、ついに支えをなくして前に倒れこむ。
「危ない!」
 慌ててルージュが手を差し出しその子を受け止める。小さな声をあげた子供を抱えあげた瞬間、二人のすぐそばで大きな泣き声がした。
「あ、ブルー! あっちの子も……」
 そう言ってルージュが駆け寄ったのは、先ほど同じように動いていた子供。ブルーもルージュも目の前で起こったことに必死で、その隣りも同じ状況だったことをすっかり忘れてしまっていた。かわいそうに、忘れられていた子供は支える人もなく、そのまま冷たい床の上に放り出されてしまったというわけだ。
「ブルー。ちょっとこの子持ってて」
「え、おい……!」
「気付かなくてごめんね。痛かったねー」
 火がついたように泣く子供の頭をなでてあやしている姿を見て、ブルーも慌てて腕の中の子供をあやそうとする。しかし、やはりというか何というか、ルージュからブルーの手に渡された途端、感触の違いに戸惑ったのか彼の腕の中の子も大きな声で泣き出した。
「おい! こいつをどうにかしろ!」
「どうにかしろって言っても……うわっ!」
 泣いたままの子供を急に押し付けられてルージュは両手に子供を抱える羽目になった。しかしそれがよかったのか、ルージュの腕に預けられた二人は先ほどまでの泣き声はどこへやら、少しべそをかきながらも大人しくしている。
「そら見ろ。やはりお前の方がよかったんだ」
「そんなことないよ。ブルーだってちゃんと……」
「子供をあやすなど、俺の性には合わん」
 顔をしかめてそう言い切ったブルーにルージュは苦笑する。しかしそうばかりも言っていられない。腕の中の子供たちは安心したのかすでに眠そうな顔をしてルージュに体を預けているため、徐々に重みを増してきて、さすがにルージュ一人の腕では支えきれない。
「ごめんね。やっぱり一人持って」
「な……! 馬鹿言うな!」
「だって重いんだってば。ほら、ちゃんと抱えてあげれば大丈夫だから」
 そう言うなりブルーの腕に預けられた子供は不安そうな顔をした後、またしてもぐずぐずと顔を崩して泣きそうになっていた。
「――ッ! 泣くな馬鹿者!」
「もう! そんなこと言っちゃダメじゃない。ほら、大丈夫だから泣かないで?」
「ふ、ふえぇ……」
「いい加減にしろ! だいたい何で俺が……」
「ほら、ブルーもそんな怖い顔しないで! 大丈夫だよ。全然怖くないよー」
 ルージュのがんばりもあってか、何とか泣かずに済んだ子供を抱え、ブルーは今までついたこともないほど深いため息をついた。それに対してルージュは始終にこにこ、眠りについた幼い子供の顔を幸せそうに見つめている始末。
「おい。これからどうするんだ」
「そうだね。とりあえず服を着せてあげないと」
「違う! 俺が言いたいのは――!」
「しーっ! 大きな声出したら起きちゃうよ」
 思わず声を張り上げたブルーを制すると、ルージュは腕の中の子供を抱えなおして。
「とりあえず、これからのことは部屋に戻ってから決めよう、ね?」
「……わかった」
 ブルーは渋々同意すると、そのままさっさと部屋を出て行く。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 慌ててブルーの後を追いかけ扉を閉めようとしたルージュの目にさっと飛び込んできたものがあった。それはまだ目覚めないまま眠り続ける何人もの子供たち。
「君たちも早く目が覚めるといいね。僕、いつまでも待ってるからね」
 その子供たちに、にっこり笑ってそう呟くとルージュは静かに扉を閉めた。



 その後、数ヶ月の間に処置室の子供たちは皆目を覚ました。
 彼らはブルーやルージュの提案もあって元のマジックキングダムの住人を中心に幾つかの家庭へともらわれ、「ただの双子」としてすくすく成長しているという。
「知らなくてもよいことだってある」
 そう言ったブルーの意思を尊重して、一切のことは知らされずに。
 彼のその判断が正しかったのかどうか――。

 それは、子供たちの幸せそうな笑顔が物語っている。

|| THE END ||
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