◆Reason Inside
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やがて、先に根をあげたのは紅い妖魔の方だった。
「まったく、何か言ってくれてもいいんじゃない? だいたい君ってさ、昔に比べて愛想が悪くなったよ。それもこれもあんなところに引きこもって――」
「あんなところで悪かったな」
ようやく開かれた口から出たのは、そんな不機嫌をそのまま吐き出したような言葉だった。あまりプライドなど持ち合わせていない性質ではあったが、紅い妖魔のその一言にはひどく機嫌を悪くしたのだ。何せ、あんなところなどと言われた場所は他ならない自分の手で作り上げた場所なのだから。
「あれ? 怒っちゃった?」
なのに、この男ときたらそれすら理解していないのか、平然とそんなことを聞き返してくる。いや、わかって聞いているのだ。そんな性格であることはもうずっと前からわかっている。
「ねえ、謝るからさ。さっきの言葉は取り消すよ。君の住んでるところときたら、ほら……群青の中に星がダイヤモンドのように輝いて――」
「うるさい」
とってつけたような賛美ほど馬鹿らしいものはない。そう顔をそむけた白い妖魔に対して、少しずつ距離を縮めて今や相手の顔を覗き込むまでになっていた紅い妖魔は、ぱっと体を引いた。だが、その程度の拒絶でへこたれるような彼ではない。立ち上がって数歩足を横にずらしたかと思うと、今度は白い妖魔の背中にぴったりと体を合わせるような形で腰を下ろす。
「後ろ、取っちゃった」
ふざけたそぶりでそう言うと慣れた手つきで、今しがた顔を背けられたばかりの相手の体に腕を回した。された方はされた方で少しばかり反応を示したものの、また元の無関心を決め込む。いつからか、当たり前のようになってきたことだ。
だが、その状況がふいに動いた。動かしたのは他でもない、白い妖魔だった。
「ゾズマ」
まるで思い出したかのように、紅い妖魔の名を呟く。だが、いくら待てども、続きが彼の口から出てくることはない。ついに痺れをきらした紅い妖魔が催促をしようと口を開いたその時だった。
「どうして、あの邪妖を追いかけていたんだ」
尋ねるようでそうでないような呟きを出すと同時に背後でふっと息を吐く音が聞こえた。続いて「なんだ、そんなことか」と少し気の抜けた声が返ってくる。それでも白い妖魔の疑問に答える気になったのか、まるで小さな子供に言い聞かせるように相手の白い髪を撫でながら紅い妖魔は話し出した。
「簡単に言えば、あいつはファシナトゥールでしてはいけないことをしたのさ」
ファシナトゥールを治める妖魔の君は、自分のリージョンが穢れることをひどく嫌がるのだと言う。特に、他の妖魔が自分の領域内で人間を食すことを良しとしない。それは人間が殺されるのが嫌なのではなく、人間の血で己のリージョンが穢れるのを嫌うだからだ。
しかし、あの男は別のリージョンからひょっこり現われた挙句、よりによって針の城の近くで人の肉を食べようとしたらしい。人間を殺してその肉を引きちぎろうとしたその時、たまたま通りかかった衛兵に発見され、男は逃走した。
「でもよかったよね。今日は珍しくオルロワージュ様の機嫌が良くて、ちょっと厳しく言って来いってことで済んだんだ」
「だからと言ってお前がわざわざ出向いたのか?」
「あの方にしたら僕らは単なる手駒。どんな役職を与えられてたって、やれって言われたことは例え靴磨きでもしなきゃいけない」
そんなものなのか、と納得はしてみるものの、白い妖魔にとってそれはまったく知らない世界のことだった。彼は発生してから今まで、誰かに仕えたこともなければ、誰かの支配下に置かれたこともない。とりあえず主らしき者はいることはいるが、彼に何かを強要しようはしない。ただほったらかして、好き勝手しているところにたまに顔を見せるだけだ。
それに比べて、紅い妖魔は何と窮屈な世界に生きているのだろう、と思うこともあったが、何より彼がそんなことを気にしている風ではないこと、自ら望んでその状況にあるのだということを知っている。それは愚痴を笑いながらしゃべる男の姿を見ていれば誰でもわかる。
「で、質問は終わり?」
ふいにそう聞かれて白い妖魔は言葉に詰まった。ふと疑問に思って口にしたものの、理由を聞いてしまえばもはやこれまで。それがなくなれば、別に無理やり話をする必要も無く、自然と口をつぐんだ白い妖魔の様子をしばらく伺っていた紅い妖魔も、普段の口数の多さを押さえ込んでしまった。
いつしか、藍色の空が濃紺に変わり、空に星が瞬き出す。夜が来たのだ。湖の対岸に、ちらちらと揺れる港町では今頃、人間たちが自分たちの家で、もしくは酒場で一日の疲れを癒す前のひと時を楽しんでいるのだろう。
それとは逆に、こちら側は驚くほど静まり返っている。奥の森からはたまに夜行性の獣が動き回る音が聞こえるがそれもすぐに止み、あとは湖の波が打ち寄せる音だけが絶え間なく続くのみ。
そんな中、紅い妖魔がふと口を開いた。
「本当は消滅させてもよかった」
唐突に言われた言葉に腕の中にいた男がぴくりと動いたが、それも一瞬のことだった。彼の言わんとしていることが何をさしているのかはすぐにわかったのだ。だが、それがなぜ消滅などと結びつくのかは理解できない。
「何でか気になる?」
そう聞かれて、白い妖魔は素直に頷いた。だが、飄々とした様子で聞かされたその答えに、今度は馬鹿馬鹿しいといわんばかりにため息をつくことになる。
「君があいつに、あそこまで感情をむき出しにしたのが許せなかったのさ」
それだけ言って紅い妖魔は小さく口笛をふき出した。そのメロディをどこかで聞いたことがある、と耳を傾けていた白い妖魔も、それが何なのか気付き、ふいに唇をかみ締める。
いたのなら、さっさと出てこればよかったのに。
そう呟いた白い妖魔に紅い妖魔は平然と言ってのけた。
「窮地に陥った時こそ、助けがありがたく思えるだろう?」
もちろん、その言葉に白い妖魔が悪趣味だと顔をしかめたのは言うまでもない。
|| THE END ||
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