◆君影草
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「寂しいなあ」
呟いた声は草の間をすり抜けやがて消える。他に誰も聞くことのない、ゾズマの独り言。何度も何度も草の間を抜けていっては拾う者もなくヨークランドの空気へと溶け込んでいく。
「寂しいよ。うん、すごく寂しい」
何度目だろうか。同じ言葉を口にした時、ふいに人間の匂いがした。
反射的に体を起こしたゾズマの視線の先、一人の少女がはっとしたような表情のまま木の陰からのぞいている。
「……いつからいたの?」
そう聞いたゾズマにも彼女は答えない。ただ首を振るばかり。
「黙ってちゃわかんないよ。ほら、言ってごらん」
明らかに尋問のような口調だが、表情はいたって柔らかに。それでも口を開かない少女を見て、自分の腰から下げている剣に目が行っていることにようやく気付き、ゾズマはさっさとそれを外すと草むらへと放り投げた。
「ほら、もう全然何も持ってないよ。こーんな格好だし、他に武器を隠す場所なんてないでしょ?」
上半身はほぼ裸だと言わんばかりの服装で立ち上がると彼は手をひらひらと振ってみせる。それにようやく安心したのか、少女は恐る恐る彼の方へと近付いてきた。
「……あの、ごめんなさい」
彼女の口から最初に出てきたのは謝罪の言葉だった。
「どうして? 君は何か悪いことでもしたの?」
「だって、その……ずっとあそこにいたのに……」
「なーんだ、そのことか。全然気にしてないよ」
人当たりのいい笑みを浮かべながらゾズマが答える。長い間、人間のいる場所をうろついていたせいか、そのような処世術も身についたようだ。
「寂しい、寂しいって連発してて変だな、とか思ったでしょ?」
「いえ、それは……」
「嘘はよくないよ。思っただろ?」
ゾズマの金色の瞳が一瞬光ったような気がした。するとそのとたん、少女はぼうっとした表情になり、ただ静かに首を縦に振った。
「やーっぱりね♪」
その声に少女ははっとして目の前の男を見た。何が起こったのか、自分が何をしたのかはっきりと思い出せない。覚えているのは先ほどの彼の問いかけと、覗き込んできた彼の顔。驚くほど端正で美しいその顔に見惚れてしまったのだろうか。そう考えて少女は頬を紅く染めた。
「あの……こんなところで何を?」
「ここで? 寂しがってたんだよ」
至極当然と言わんばかりに返ってきた答えに少女は顔をほころばせる。唇からこぼれた笑い声は草の上をはねるように、静かな森の中を駆け抜けていく。しかし、笑われた本人はまったく意味がわからないといった表情で、
「やっぱり、人間ってよくわかんないや」と小さな声でぼやいた。
それが、すぐ隣りに座っている彼女の耳に入らないわけがない。ふいに笑い声は止み、その代わりに目を丸くして彼の顔を見つめる。
「どうかした?」
「いえ、変なことを言うんだなあって……」
「変なこと?」
「ええ、『人間ってよくわからない』って」
「ああ。だって僕、人間じゃないし」
ゾズマの何気ない一言に少女の顔が今度はさっと青くなる。いや、蒼白に近いといったところか。
ころころと変わる彼女の表情や肌の色にいささかおもしろさを感じた彼とは逆に、少女の顔は倒れるのではないかと思われるほどのもので。
「顔色いい……じゃないや、悪いみたいだけど大丈夫?」
そう言って覗き込んでくる彼の顔は見てみれば確かに少し青白い。そこではた、と少女は気付いた。こんな山の深いところに人間がいるわけがない。村人でさえほとんど知らないような、こんな山の奥にこんなに普通の人とは違う――いや、変わった風貌の男がいるわけがない。まさか――。
その次の瞬間、少女を襲ったのは恐怖だった。
「あ、ちょ、ちょっと!」
いきなり叫んだかと思えば、慌てて走り去ってしまった少女を、ただ呆然としたまま追いかけることもできず、ゾズマはその左手を宙に浮かせた。虚しく空を切った彼の手はそのまま草むらへと落ち、小さな音を立てた。
「幽霊って……」
走り去る際に聞こえたその言葉の意味を探って彼の頭は回転したが、やがて一つの答えに行き着くと同時に深いため息を吐いた。
「僕、まだ死んでないってば……」
しかも人間じゃないって言ってるじゃない、と続けたが、すでに姿を消した少女には届くはずもなく、ゾズマはまた先ほどと同じように一人になった。
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