◆case of FUSE
その時、視界の端にちらっと光るものを見つけてヒューズは立ち止まった。どんなものでも見逃さず注意を向ける。それはこの仕事を始めて二年、すでに習慣となってしまったことだ。
まさか窃盗犯か。いやいや、殺人犯かもしれない。
そんな単語がすぐに頭に浮かぶのは困ったことだが、とにかく目の端をさっと過ぎっていった光るものを確かめないことには始まらない。何せ今はパトロール中なのだ。市民の安全を守るのが俺の仕事だ、と自分に言い聞かせ、ヒューズは懐にしまったブラスターを確認すると、そろそろと先ほどのものが消えていったあたりへと向かっていく。
一歩、また一歩と近づき、慎重でいて何気ないそぶりで建物と建物の間へと踏み込んだヒューズだったが、そこに見えたものに思わず口を開けずにはいられなかった。
ヒューズの視界を覆うもの。それは見事なまでの蝶の羽だった。ただ一つ違うと言えば、その大きさだろうか。ヒューズに覆いかぶさらんばかりに広がる羽は普通の蝶の十倍、いやそんな程度ではないほど大きかった。
まるで誘うようにひらひら、ゆらゆらと羽のその奥を隠すように揺れる羽。驚いて何も言えずにいたヒューズも、だんだんとその動きに慣れるうちに妙に腹立たしくなってきた。
馬鹿にするように揺れやがって。
軽く舌を鳴らして、懐からそっとブラスターを取り出す。その先端を目の前の羽へと真っ直ぐに伸ばすと、いささかすごみをきかせた声を絞り出した。
「おい。こんなところで仮装大会か?」
とたんに、目の前の羽がピクリと反応した。そして次の瞬間。
「な、何だ!?」
ヒューズの上げた声と同時か、それより早かったのか。手品のように羽は消え、代わりに現われたのは真っ青なコートとそこに広がる金色の髪の毛だった。
だがそれもすぐさま変わることとなる。金髪がふわっと揺れ、目の前にいた者が振り返ったのだ。整った顔立ちの中、特徴的な赤い目がこちらをじっと見据え、やがてふとため息でも漏らすように言葉が紡がれた。
「……人間か」
それはどこかほっとしたような声でもあり、ヒューズはブラスターの引き金にかけた指を少しだけ緩める。
「変な物言いをする奴だな」
「変も何も、お前は人間だろう」
今度はすぐさま答えが返ってきた。あまり抑揚のない声。だが、別にそれが問題なのではない。要はその言い方だ。目の前の男が――それはもちろん、声を聞いた上での判断だが――答えたそれにヒューズは直感した。こいつは性格が悪そうだ、と。
「とにかく。お前がここに隠れた理由を聞かせてもらおうか」
一度緩めた指にもう一度力を込めてそう尋ねる。ああ、これがかわいいお姉ちゃんだったら、なんてことをすかさず頭の端で考えながら。
それに対し、男はしばらく考えるようなそぶりは見せたものの、一向に口を開く気配はない。ヒューズはと言えば、それにまた苛立ちが募り始め、元々落ち着きのない性格もあって、今一度同じことを尋ねようとした時だった。
「お前には関係ない」
そう、きっぱりと言ったのだ。この目の前の男は。その瞬間、ヒューズの中で何かが切れる音がした。
「てめえ、ふざけやがって!」
踊りかかったヒューズの動きを、まるで予知していたかのように男は避けた。体勢を立て直し、もう一度掴みかかろうとするも結果は同じ。ひらひらと、それこそ蝶が舞うように男は避け、次にヒューズが掴みかかるのを待つかのように見つめてくる。それに心底腹を立てたヒューズだったが、男の後ろに見えた物を見つけ、ふいに口が緩んだ。
「もう後はないぜ!」
路地の奥に張られたフェンスを目がけてヒューズは突進した。もちろん、その前にはあのいけ好かない男がいる。これで終わりだ!と心の中で叫んでヒューズは男の胸ぐらへと手を伸ばした――のだが。
「あ、あれ?」
間抜けな声を出し、何とか足を踏ん張ろうとしたが一寸遅かった。派手な音を立ててヒューズは顔からフェンスへと突っ込み、その反動で後ろへと倒れる羽目となったのだ。頭を打つことは免れたものの、しりもちをついたせいで、腰の辺りまでじんじんと痛みが響いてくる。
「あの野郎……ッ!」
そう呟いてふと顔を上げたヒューズは、ふいに辺りをきょろきょろと見渡した。だが見当たらない。先ほどまで目の前にいたはずの男が見当たらないのだ。
「ど、どこ行ったんだ?」
路地にはどこにも逃げ込めるような場所はない。ただ、ビルの壁が空へと向かって伸びているだけだ。
「いったい、何がどうなってんだ……?」
実際、自分は男の服を掴む瞬間までいったというのに。
指先にまだ触れた布の感触を残したまま、ヒューズは呆然と前を見る。フェンスの向こう側、そびえ立つビルの隙間で太陽が沈んでいった名残が消えようとしていた。
|| THE END ||
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