◆The Mystery of "Madam Lament"
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ここで今検証したことをまとめてみる。被害者の傷は明らかに第三者の行動によってつけられたものだ。そこで、被害者が何者かに突き落とされたとする。だがここでも一つ疑問が浮かぶ。
「被害者はなぜ、いとも簡単に突き落とされたかってことだ」
ヒューズの言葉に私は頷いた。例えば、顔見知りの犯行だとすれば、被害者は油断していたと考えられる。だが、それ以外の者が目の前に現れたら、警戒心を強め、よりいっそう強く手すりを握り締めるのではないだろうか。突き落とすにも、抵抗されたら容易なことではないと思うのだが。
「それがポイントなんだよな。被害者の体にはもみ合った後がない。ってことはつまり、何の抵抗もなく突き落とされたってことだろ。しかも驚いたことに事件当日、この家には被害者と夫人しかいなかった」
確か調書には、二人の結婚記念日だと記されていた。そのため、被害者は前もってこの家の使用人たちに暇を取らせていたという。
「家の中には二人っきり。そして被害者は殺された。ならば疑いの目がかかるのは当然――」
もう一人、グザヴィエ夫人だとなる。だが、彼女は事件が起こった時間、友人の急な呼び出しを受け出向いていて、この家にはいなかった。
「ここで、俺が昨日推理したことさ。夫の死後、莫大な遺産を手に入れたグザヴィエ夫人は、この館に飾られていた絵をある人物に譲った。それが誰だと思う?」
誰だと唐突に言われても、まったく想像がつかないが――まさか。
「そう。結婚記念日にグザヴィエ夫人を呼び出した友人ってわけさ」
つまり、作戦の成功報酬としてグザヴィエ夫人は絵画を友人に譲ったと言いたいのか。それならば、彼女のアリバイはないも同然だ。
「俺がさっき不動産屋に絵のことを尋ねたのは、その絵の行く末を確認したかったからなんだ。調べてみれば、その友人は絵画商をやっている。小さな小さな店だが、揃えている商品はどれも有名画家の本物ばかりだ。もちろん、この家に飾られていたものもそこに流れている」
そこで、とヒューズは私に手を合わせた。問えば、手助けをして欲しいという。
「昨日、その店に行ってみたんだが、絵を入手したことは教えてくれても、誰から入手したのかは購入者にしか教えられないと言うんだ。残念なことにグザヴィエ夫人から譲られたと考えられる絵画三点はすでに店にはない。購入者に聞きたくても店の主人は頑なに口を閉ざしたまんまだ。そこで、俺が主人を引きつけている間に、お前にこっそりリストを見て欲しいんだ」
無茶を言うな。店の中からリストを探し出し、確認するまでにどれほどかかると思っている。
「それに関しては大丈夫。リストは店のカウンターにある引き出しの上から二段目に入ってる。見たところ鍵はかかってない。それから譲られたとされる絵画だが」
そう言って彼は手帳を一枚ちぎってこちらへ寄越した。だが、これをいったいどこで見つけたというのか。
「そりゃお前、屋敷のことを知ってる人間だよ。もっと詳しく言えば、ある意味、その家のことを主人よりもよく知ってる執事って奴にな」
まさか昨日一日でそこまで調べ上げたとは。さすがだと唸ると同時に、これをきっかけに捜査が進展するかもしれないと思うと、自然とやる気もわいてくる。
「よーし、お前もいい顔してきたな。じゃあ、作戦決行といこうぜ!」
その言葉を合図に屋敷を飛び出した私たちは、外で待っていた不動産業者に一応の例を述べ、車でシュライクの中心地へと向かった。屋敷からはざっと四十分、目的地にはすんなりと到着した。メインストリートに面した一軒の小さな店は、ショーウィンドウにも色とりどりの絵画がそれに似合った額縁に入れて飾られ、外観も非常に美しかったが、周りの喧騒に比べて中はまるで別世界のように静まり返っていて、ヒューズが扉を開けたとたん、そう冷えているわけでもないだろうに、どこかひんやりとした空気が外に漏れてきた。
店の中を見つめていると、ヒューズがカウンターに向かって話しかけているのが見えた。その奥で応対している人物がグザヴィエ夫人の友人か。四十歳になろうかといった感じの品の良い身なりの婦人だ。ヒューズのようなあまり見かけない客に少々困惑しているようにも見える。
やがて、ヒューズと一緒に主人はこちらと近づき、ショーウィンドウの前で足を止めた。これが作戦開始の合図だ。ヒューズがショーウィンドウの絵画をえさに主人を外へとへと連れ出している間に、私がカウンターの中を探る。
さっそく、ドアを開くと瞬間に店の中へと転移した。こういう至近距離での転移は楽だ。元より目的地が見えている。
注意をして後ろを振り返れば、ちょうど主人が店の外へと出たところだった。それを確認して、慌てて腕章をポケットに突っ込みカウンターへと潜り込むと、ヒューズに教えられたとおり、左側にあった二段目の引き出しに手をかける。引き出しを開けてすぐ、目的のものはわかった。黒い革表紙のファイルを取り出すと、作家名でまとめられたリストに、仕入れ先と日付と値段、そして購入先、その日付と値段が順番に書かれていた。ヒューズから手渡されたメモを元に、作品名を探すと、それはすぐに見つかった。ヒューズの読みは間違っておらず、そこにはしっかりとグザヴィエ夫人の当時の名前が書かれている。それに心の中で歓声を上げながらも、ページを全てチェックすると、取り出した携帯電話でそこの写真を撮った。実際、この機械はあまり使いこなせてないのだが、IRPOからこのカメラのついたものが支給された時に、特捜課の人間メンツに嫌というほど講習を受けたので、何とかこの辺までは利用できる。
写真を撮り終え、保存すると同時にすぐにリストを閉じて引き出しへと戻し、私は転移先を頭に思い浮かべた。目指すのは、店のすぐ先にある路地だ。そこから何食わぬ顔で出てきて、ヒューズと合流するという算段だ。
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