◆The Mystery of "Madam Lament"
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 しかしその疑問は口にするやいなや晴らされてしまった。もちろん、あの少々おしゃべりな不動産業者によって、だ。

「元々あったマットはもう処分したんですよ。血の痕のついたマットなんて、売出し中の家には敷けませんでしょう? だからこうやって――」足元のマットに靴を沈ませながら彼は言った。「困っていたところ、もう長くこの家の内装を手がけているという職人から話を持ちかけられましてね。取り替えてもらったんですよ」

 なるほどと頷くと同時に少々惜しいことをしたという思いが頭を過ぎった。やはり写真で見るのと現物を見るのとでは違う。当時、この『事故』を捜査した者たちは、根絶丁寧に書類にまとめてくれてはいるが、これだけでは気付かないこともある。だが、現物がもう存在しない以上、この家と、資料から本当の答えを導き出さねばならない。

 私が書類を眺めているうちに、ヒューズは不動産業者を外へと追い出してしまっていた。もちろん、捜査だということは了承済みなので問題はないと言う。

「俺が調べた限りでは、事件当時この階段のマットは取り替えて一年半、さほど目立った傷みもなかったみたいだ。あ、これは俺が昨日、さっき言ってたこの家お抱えの職人っておっさんのとこで聞いてきたんだけどな。被害者のじいさんがこの家を購入してからは親子三代、ずっとマットやカーテンはその職人一家が作ってたって話だぜ。それとだな、この家は夫が死んだ時にもちろんグザヴィエ夫人の手に渡ったんだが、夫人がこの家を所有しているのは嫌だってんで、さっきの業者にさっさと売っぱらったんだと。それが、夫が死んでから二週間後のことだ。それから八ヵ月後、めでたくイレーヌ・グザヴィエは三度目の結婚ってわけさ」

 言うなり、ヒューズはさっさと階段を昇り始めた。

「俺だって、全部が全部疑ってるわけじゃない。世の中にはあり得ないと思うような真実がゴマンとあるし、何より階段から足を滑らせて落ちるなんて誰だって一度くらい経験してるだろう。その時、たまたま打ち所が悪くて死んだ奴だって年間何人になるんだか。でもな」

 途中で振り返り、彼は足元をちらりと見やった。「何か引っかかると思わないか?」

 何がだ?

「何がって――あ。すぐに傷の治る妖魔にはわからないかもしれないけどな、人間怪我したらやたらと注意深くなるもんさ。それが、足の骨折なんて場合には特にな。被害者が足を骨折してたことはすでにわかってるよな? 例えば右足を骨折していた場合、こうやって、手すりにしがみついて昇ると思うんだよな」

 そう言ってヒューズは右足を上げると、両手で手すりを持ち、体を預けるような姿勢をとった。

「こうやって」一歩、階段を昇るごとに手すりに体重をかけ昇っていく。「一段ずつ、確認をしながら昇ると思うんだ。現に、夫人の証言、その他この家の手伝いの証言によれば、被害者は骨折してから、外では松葉杖を使っていたものの、家の中では片足で歩き回っていた。階段だって、手すりを掴んで――ちょうど俺が今こうしてるように、階段の端を歩いていたというんだ。もちろん、普段はそんなことはしなかった。不幸な事故が彼をそうさせたんだ」

 使えない足の代わりに、手すりを支えにして昇るというわけか。しかし、この家に不慣れなヒューズがあのように昇るのであれば、ここに数十年と住んでいた被害者はもう少しスムーズに昇っていたのではないだろうか。

「ばーか。報告書をよく読んでみろ。被害者は骨折をして何日目だ?」

 慌てて資料をめくり、被害者の死亡当時の状態を読み返してみる。一枚めくって次の資料を見ると、骨折の治療をした医師が書いたカルテのコピーが挟まれていた。診断日を確認すると四日目だ。しかも、骨折の原因が――階段を昇る時に誤って転落だと?

「当時の捜査官がハマったのがそこだ。階段から落ちて骨折した奴が、四日後に慣れない右足の骨折を抱えて階段を昇り、同じ過ちをして死んだとしてもおかしいことじゃない。しかも当日夫人は留守。アリバイもはっきりしてるとなっちゃ、もうお手上げだぜ」

 それで事故だということになったのか。だが、ヒューズはまだ疑わしい点があると言う。それが、被害者の体についたあざだ。

「想像ばっかで悪いけどさ、もうちょっと俺の人間論に付き合ってくれよ」

 手すりに掴まったまま、ヒューズは左足だけを動かして段の上で後ずさりをした。徐々に彼のかかとが段から離れ、あとはつま先を残すだけとなった時、ぴたりと止まった。

「いいか。階段を踏み外した時、俺がどんな体勢になってるか見てくれ」

 言った瞬間、彼はつま先を勢いよく滑らせた。手すりを掴んだ手はそのまま、少々前のめりになりながら、すとんと下の段に足を落ち着ける。

「もう一回やるぜ」

 やってみせてくれた彼の動きは先ほどと同じだった。斜め上へと伸びる手すりへと腕を張り、前のめりになりながら足を落ち着ける。もし、そのまま手を離してしまえば顔面から階段へとうつ伏せになる。

 そこではっと気付いた。被害者が死亡した時、はっきり階段から落ちたのだと診断されたのが、頭から腰、ふくらはぎにかけてついた階段の跡だった。しかし、今ヒューズがやってみせた動きでは到底体の背面に跡がつくとは思えない。いや、待て。それでも背中に跡がつく方法がある。

 飛び乗るように階段に足をつけ、ヒューズのすぐ下でそれを実践してみた。足を滑らせた拍子に手すりを軸として体が反転し、背面から階段に叩きつけられる、というものだ。もし、手すりに手がかかっていなかったとしたらこの動きは起こりえない。つまりそれは背中に跡がつかないということだ。

 しかし、何度やっても満足できる結果は得られなかった。もし仮に途中で手すりから手を離したとしても、一度勢いのついた体はそのまま右側の階段の壁へと打ち付けられる。昇る時であれば体の左側を打ち付けるはずだが、検死報告書の資料を見ても、該当箇所にこの事故でついたとされる跡はない。

 私が予想したものはまったく当てはまらない。だとすれば、可能性はただ一つ。被害者が背中から落ちるような姿勢をとっていた、それだけだ。


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