◆The Mystery of "Madam Lament"
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 そこまで考えてふと息をつくと急に体が重くなっているような気になった。ああ、そう言えば、昨晩から食事を摂っていない。それに気付いてふと辺りを見渡すとちらほらと花が咲いているのが目に入った。あの花の蜜はうまいのだろうか。

 腰を上げてその花へと手を伸ばす。あまり蜜の香りはしない。案の定、なめてみてもほとんど蜜の味はせず、これならこのまま食べた方がよさそうだ、と花を口に放り込んだ瞬間、すぐ側で声が聞こえた。

「やあ。蝶々くんはお食事中かい?」

 この声は。知っている者の声だが振り返りたくない。

「まったく、無視を決め込むとはね」

 呼んでもいないのに現われたその妖魔――ゾズマは、目の前に腰を下ろすと、こちらが口を動かすさまをしげしげと見つめてくる。

「ねえ、花っておいしいの?」

 仕方がないので頷くと、彼もまた手ごろな花を口に放り込む。しかし、数秒の後に吐き出した。

「全然おいしくないよ。よくこんなもの食べられるね」

 吸血妖魔のお前には無理だろうが、私にとっては主食だからな。まあ、お前よりも味覚が繊細にできているから――。

「今何か、自分の方が上みたいなこと考えなかった?」

 ……どうしてこの男はこんな時に限って鋭いのだろう。絡まれるとやっかいなことは重々承知しているので、首を横に振って否定すると、彼は別段興味もないような生返事をしてきた。

「それにしてもこんなところで待機だなんて、暇すぎて嫌になっちゃうよね。あの人間は友達にくっついて村に入っていったっていうのに、君だけこんなところっていうのもなってないよね……ってちょっと!」

 彼の言葉に驚いて、隠していた羽が飛び出した。ちょっと待て! どうしてこの男はそんなことを知ってるんだ?

「そんなの、話を聞いたからに決まってるだろ。だいたいさあ、あんなに側で話聞いてたのに、僕の気配に気付いてくれないなんて、君冷たいよ」

 いや、お前ほどの妖気を持った者がいればすぐに気付くはずだが。

「当然じゃないか。気配を消してたんだから」

 その一言に何も言う気力がなくなった。落ち着くんだ。元よりこの男はこういう奴ではないか。こんなことでいちいち腹を立てたり、脱力していたのではこっちの身が持たない。

「まあ、そんな顔するなよ。あっちが人間チームでやるんなら、僕らは妖魔チームってことでさ、よろしく相棒!」

 言うなり彼は勝手に握手をしてきた。己の誇りにかけて誓うが、私は望んで握手をしたわけでない。だが、彼は非常に上機嫌の様子だし、これはこのまま放っておいた方がいいのかもしれない。

「相棒って一度言ってみたかったんだよね」

 そして、今の一言は聞かなかったことにしよう。

 だが、なぜこうなってしまったのかを考えるより前に、私たちの会話は中断された。土を踏む足音、そしてこの独特の匂い。間違いなく、人間がこの場に近づいていたからだ。

 ゾズマの腕を掴んで、先ほどまで腰かけていた岩の裏へと身を隠すとほぼ同時に、軽く鼻歌なぞ歌いながら一人の人間が現われた。年の頃は四十過ぎ。身長は百八十センチ近くあるが一般的な人間の男の体型だ。しかし、その顔を見た瞬間、私の中で思い当たるものがあった。

 男は私たちに気付くことなく、目の前の道を下へと通り過ぎていった。やがて姿が見えなくなり、足音が完全に聞こえなくなるまで待ってから、岩の裏から這い出し、持っていた袋の中に押し込んだ捜査資料を取り出す。――間違いない。グザヴィエ夫人の夫、アラン・グザヴィエだ。

「なるほど。あいつが、君たちが注意してる人間その一ってわけだ」

 そうだ。彼がこの山の上まで何をしにいったのかはわからない。それでもこうして生きている姿を確認できたことだけでもいい。さっそくヒューズに報告だ。

 私が続けて取り出した機械には、ゾズマはまったく反応しなかった。だが、通信スイッチを入れあちらからヒューズの声が聞こえた瞬間、興味津々と言った様子でトランシーバーを覗き込む。

『そうだったのか。旦那の姿が見えないんでちょっと心配してたんだが、取り越し苦労だったってことか』
「そちらの様子は」
『グザヴィエ夫人は楽しそうに庭いじりなんてやってるよ。見たところ、毒物の含まれた植物はないみたいだけどな。とにかく、日が暮れてからそっちに向かう。じゃーな』

 その言葉を最後に通信は途切れた。とたんにゾズマが感嘆の声を上げる。

「人間もそうやって声を飛ばすことができるんだね」

 そうか。彼はトランシーバーの存在を知らないのか。ならば、電話もたぶん知らないんだろうな。あちこちのリージョンをうろついていると聞いたが、人間の生活そのものにはあまり関心がないようだ。まあ、トランシーバーにしろ電話にしろ、ないリージョンもあるので、これが人間の生活の全てというわけでもないのだが。

 それから待つこと数時間、日がとっぷりと暮れた頃、山を降りた場所で私はヒューズと落ち合った。もちろん、後ろからゾズマもついてきている。その姿を見てヒューズは私を怒鳴りつけ、半ば喧嘩となりかけたのだが、どういうことかゾズマに止められることになった。しかし話をしたらしたで、ヒューズが今度はゾズマを怒鳴りつけ、これまたあわや大喧嘩となる寸前までいった。

 結局何とか落ち着かせ、自分たちの運命に呪いの言葉なぞ吐きながら私たちは別れた。

 明日からは本格的な捜査に入る。ヒューズたちはさり気なく村の聞き込みを、私たちはグザヴィエ夫妻の尾行を担当することになった。こういう行動は、人間たちよりも私たち妖魔の方が向いている。人間より格段に視力がいいため、離れた場所からも姿を確認することができるし、シップで出かけられても転移で追いかけることができるからだ。

「それにしても君たちってちょっと短気に過ぎるよね」

 山へと戻る道すがら、ゾズマがそんな一言を吐いた。そうだな。どうも彼と行動するようになってからそうなってきたような気がする。だがお前も、十分『短気に過ぎる』部類に入ると思うぞ。


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