◆The Mystery of "Madam Lament"
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 基本的に、捜査において一般人を密偵に使うことはほとんどない。これは事を秘密裏に進めたい時はすべからくそうだと言えるが、人間にしろ妖魔にしろ「話すな」と言われれば話したくなるというのは変わらない。例え、どんなに固い約束を交わしたとしても、うっかり口から漏れてしまうことはあるし、むしろ他人に話すために秘密を聞こうとする輩もいる。だから隠し事をしたいと思うのなら、相手がどんな者であろうと絶対に口に出さないべきだ。

 だが、どうしても助けを借りたい時もある。そんな時にはこうして本人署名の上で契約を交わすことになるが、当然の如くそれにはこちらの『脅し』も含まれている。

「でも、ディスペアってちょっと興味湧くよな」

 そんなことをのんびりと口にしたリュートの姿に、私は不安の色を隠せなかった。本当に彼に任務を打ち明けて大丈夫なのだろうか。

「そんなら今すぐぶち込んでやろうか?」

 ヒューズがそう言うと、リュートは首を軽く横に振った。「興味が湧くだけだってば」

「ならいいんだけどな」

 話しながら沼地へと移動する。ヨークランドは元々人がまばらなリージョンだが、それでもトリニティの支部はあるし、いくつもの町がある。どこにいても絶対に人の目につかないとは言い切れないが、沼地ならばまだその危険性は低い。

「なるほどな。でもあのおばさんのことは、村でも話題になってるぜ。だってさ、こういう狭い村に他所の人が来たらそれだけで噂にはなるってのに、それがつい数ヶ月前に新聞を賑わせたアデル――ああ、今はグザヴィエだっけ?――その人だって知れたら、話題にならない方がおかしいぜ」

 母ちゃんもいろいろ言ってたぜ、という彼の言葉にその『母ちゃん』とやらに今すぐにでも会いたい衝動に駆られたが、いかんせんこちらはなるべく目立たないようにしなければいけない。

「しかしなあ……」

 ヒューズのその一言にふと顔を上げて、私はようやく何か居心地が悪いような、自分の存在を否定されているような妙な空気に気付いた。ヒューズとリュートの視線が私に注がれている。何だろうか。私が何かしたのだろうか。そう目で問いかけると、ふっとヒューズがため息をついた。別に私はそんなことをされる覚えはないぞ。お前たちの会話だって聞いているというのに。

「困ったことになるよなあ」

 ちらり、と申し訳なさそうな視線でリュートがこっちを見た。そして続けざまヒューズが――。

「よし、サイレンス。お前は野宿決定」
「は?」

 思わず声に出して聞き返してしまった私にヒューズはもう一度念を押すように言った。「だから、お前には悪いと思うけど、しばらく野宿してくれよ、な?」

 「な?」とは何だ、「な?」とは。それはもしかして、私が邪魔だと言う意味なのか? 馬鹿を言うな。確かに人間社会には未だ慣れていないとはいえ、捜査官としての腕はまずまずだと自負している。しかも「お前は」ということはヒューズはどうなのだ。

「いや、怒る気持ちはわかるけどさ、やっぱりこういう閉鎖的な村では妖魔が一匹入り込んだだけでもすごく騒ぎになると思うんだよな。それにほら、お前そんな格好してるだろ? 絶対目立っちまうしさ」

 いやいや、もう何も言うな。はっきりわかった。私のことが邪魔なんだな。

「な、なあヒューズ。大丈夫だってば。うちの母ちゃん、口も堅いしさ、きっと話せばわかってくれる――」
「いやいや、これは仕事上大事な話なんだ。それにおばさんの口が堅くても村の皆はそうじゃないだろう? もし俺たちが潜入してることがグザヴィエ夫人にバレたら……って、おい、サイレンス!」

 ヒューズの呼びかけを背中に受けながら私は歩き出した。確かこの道を真っ直ぐ行ったらそのうち山に入るはずだ。

 彼の言い分はもちろん分かる。以前、リュートにくっついてここに来た時も、妖魔というだけで好奇と恐怖の入り混じった目で見られたものだ。特に今回は秘密裏の行動だというのに、私が村をうろついてしまっては捜査の上でマイナスにこそなれプラスにはならない。下手をすれば、グザヴィエ夫人本人の耳にも入ってしまうだろう。だがなぜだろうか……無性に寂しく感じるのは。それこそ生まれてからほとんどの時間を一人きりで過ごしてきたというのに、なぜこんなにも寂しく感じるのだろうか。

 そんなことを打ち消そうと頭を振ろうとした瞬間、肩に触れるものがあってふと振り返る。

「仕事が終わったらさ、うちに遊びに来いよ。母ちゃんも歓迎してくれるだろうし。それにうちの母ちゃんの作るアップルパイはめちゃくちゃうまいんだぜ!」

 満面の笑みでそう言ったリュートのおかげか、少し沈んだ心が軽くなったような気がした。そうだ。今私がここにいるのは何よりも仕事のためだ。それが終わればまた元の生活が戻ってくるのだ。

「じゃあな! また後でな!」

 走り去るリュートに手を振ると、その後ろにどことなく呆れた顔をしたヒューズの顔が見えた。何か呟いたのか口を動かしていたが、残念ながらその声は私の耳には届かなかった。

 それでも先ほどに比べて足取りは軽い。踏みしめる草の音を聞きながら小一時間ほど道を行くと、僅かながら道に傾斜がついてきた。周りの景色も先ほどまでの開けた風景から徐々に木が増え始め、どうやら山の中に入ったようだと判断した頃には、人間たちの住む家が眼下に広がるほどになっていた。

 こうして見てみると、人間は本当に固まって暮らしているのだということがわかる。モンスターほど力もなく、メカほど丈夫でもなく、妖魔ほど術にも長けていない人間。だが、彼らには勝るとも劣らぬ能力がある。他人の心を知る力――万能というわけではないが、相手の心を察することで、相手を思いやることもでき、相手を傷つけることもできる。それは、知恵の劣るモンスターには難しく、全てが計算で成り立つメカには触れられず、己に全ての力を注ぐ妖魔には理解しがたいものだが、人間にとっては驚くほど容易いことだという。その能力を使い、人間ははるか昔からこうして群れを成して暮らしてきた。一人一人の力は弱いが、集団になれば強くあれることを本能的に察知していたのだろうか。


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