◆Drunk Witness
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「ああ、もう! 何だ、ピンクの花だってそればかり言いやがって!」

 ヒューズの苛立った声に、廊下を歩いてた警官が思わず振り返った。だがそれもつかの間のことで、彼がいなくなってからは私とヒューズの二人だけだ。

 拘留から三日目、容疑者のジョン・ターキスは未だに口を割ろうとしない。ヒューズが何を聞いてもだんまり、たまに口を開いたかと思えば「腹が減った」、「タバコが欲しい」というこちらに対する欲求と、「俺が見たのはピンクの花だ」ということだけ。

 別にそれが珍しいわけではない。今までもそうやってひたすらごね続ける容疑者なんていくらでも見てきた。それでも三日、四日と経つうちに皆口を割るものだ。いや、口を割るというよりはうっかり口を滑らせる、と言った方が正しいのかもしれない。ヒューズの人を乗せるような会話に思わず口を滑らせ、そこを今度は突っ込まれる。巧妙に仕組んでついた嘘ほど小さなひびから脆く崩れるものだ、というのはまだIRPOに入って間もない頃、ヒューズの取調べを見て学んだことだ。やたらと筋の通った話をするやつほど怪しい、というのもその頃学んだ。だが今回は――。

「どうした?」

 タバコを消しながらそう聞いてきたヒューズに視線を合わせるも、やはり自分の考えを言うには至らない。そもそも今考えていることが正しいのか間違っているのか。自分一人の想像だけで捜査の足を乱してしまうわけにもいかない。

「何だよ。何か考えてたんじゃないのか?」

 その質問に首を振るとヒューズは残念そうにため息をついた。

「ま、こんだけ進展がないんじゃしょーがねえか。よし、取調べに戻るぞ。一刻も早くあいつの口を割らせなきゃな」

 ぐっと背筋を伸ばすと、ヒューズはまた取り調べ室のドアへと手をかける。この三日間、ずっと見てきた光景だ。

「ほら、お前もさっさと――ってどうしたんだよ?」

 ぎょっとしたヒューズの声が頭の上を通過した。そりゃ誰でも驚くだろう。いきなり目の前で頭を下げられたら。しかし、こうするしかないのだ。歩調が乱せないのであれば、私一人で動くしか――。

「お、おい! サイレンス! どこ行くんだよ!」

 慌てふためいたヒューズの呼びかけにも振り返らず私は一目散にその場を離れた。大したことない長さの廊下がやけに長く感じる。響くのは自分の足音と後ろから追いかけてくるヒューズの足音と。どんどん近づいてくる足音を聞きながら角を曲がったところで目的地の風景を頭に浮かべる。ふっと体の浮く感覚に身を任せ、振り向いたその瞬間、角を曲がってきたばかりの唖然とした顔のヒューズに心の中で詫びを入れ、私は一人シップ発着場へと飛んだ。

* * *

 オウミのシップ発着場に突然姿を現した私を見て数人が声を上げた。大方、妖魔の転移を見たことのない人間だろう。ざわざわと騒ぎ始めた人ごみをすり抜け、辺りに視線をめぐらせると、目的の人物は前と同じようにゆったりとソファに身を沈めていた。

「おや、あんたは確か……」

 すっと目を細めたハミルトン艦長に訳を話すと彼女は困ったような顔をして小さく笑った。

「残念だけど、私はただの客だからね、あの木をどうこうしていいかなんて権限はないのさ――そうだ!」

 ぱん、と手を叩いて彼女はいきなり立ち上がるとさっさと受付カウンターへと歩いていった。とっさの行動に驚いたが、よく見ると係員と何か話をしているようだ。ぱらぱらと書類をめくりながらどこかへと連絡をつけていた係員がふいに顔を上げ、ハミルトン艦長に何かを手渡した。さらに彼女が何かを書き込み、再び係員へとその紙切れを渡す。どこかで見た光景だと思ったら、一般のシップ渡航手続きと同じ光景だ。どうかしたのだろうか。

「おいで、坊や!」

 ハミルトン艦長がふいにこちらに向かって手招きをした。坊や?――まさか私のことか!? 辺りを見渡しても坊やと呼ばれるような人物はいない。だとすれば、ハミルトン艦長が呼んでいるのは私のことなのだろうか……? いや、でも私はもう二百年も生きてるし、坊やだなんて呼ばれるような年では――。

「何やってんだい! 酔芙蓉が欲しいんだろう?」

 その言葉に思わず反応する。どうやら『坊や』とは私のことだったようだ。慌ててハミルトン艦長の元へ走ると、そのままシップ発着口へと向かい、彼女は歩き出した。

「私の知り合いでね、庭に見事な酔芙蓉を植えている人がいるんだよ。その人ならきっと分けてくれるに違いないさ」

 それはありがたい! 思わず頭を下げた私に対して彼女は「礼などいらない」と言ってあの豪快な笑い声を響かせた。

「困ってるヤツを見過ごすほど冷たくはできてないんでね」

 ああ、ヒューズ。やはりこの女性はお前が思っているほど悪い人間ではないぞ。置き去りにしてしまった相棒に向かってそう呟くと、私は彼女が用意してくれた小型シップへと乗り込んだ。

 このシップはどうやら彼女の私用のものらしい。いつもはビクトリア号に積んでほとんど使わないが、たまに仕事の関係で使うこともあるんだとか。そんな話をしつつ、こちらがシートベルトを締めるのを確認すると、ハミルトン艦長は手元のスイッチを押した。とたんに聞き慣れた小型特有の馬鹿でかいエンジン音と振動が機内に響く。

「安心しとくれ。この三十年、事故を起こしたことなんて一度もないからさ」

 彼女が冗談めかしてそう言う中、シップはゆっくりと動き出した。エンジンの音が先ほどと違う音へと変わり、やがて機体が宙に浮く。みるみる遠ざかっていく地上を見るとビクトリア号の甲板で船員がこちらに向かって手を振るのが見えた。


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